内閣総理大臣夫人
日本 内閣総理大臣夫人 Spouse of the Prime Minister of Japan | |
---|---|
創設 | 1885年(明治18年)12月22日 |
初代 | 伊藤梅子 |
略称 | 総理夫人 |
通称 | 首相夫人、ファーストレディー |
内閣総理大臣 |
---|
現職 第103代 石破茂 |
第2次石破内閣 就任日 2024年 (令和6年) 11月11日 |
歴代の首相と内閣 |
歴代内閣総理大臣 内閣(歴代) |
首相が使用する施設や機材 |
首相官邸 首相公邸 政府専用機 内閣総理大臣専用車 |
首相を補佐する人々 |
内閣官房長官(歴代) 内閣総理大臣補佐官 内閣総理大臣秘書官 (内閣官房) |
内閣を組織する人々 |
副総理 国務大臣、副大臣 内閣官房副長官 大臣政務官 内閣官房副長官補 内閣法制局長官 内閣法制次長 内閣特別顧問 内閣官房参与 |
首相関連の用語 |
首班指名選挙 内閣総理大臣臨時代理 班列と無任所大臣 内閣総理大臣の辞令 内閣総理大臣夫人 (内閣総理大臣配偶者) 内閣総理大臣夫人秘書 |
首相関連の表彰 |
内閣総理大臣杯 内閣総理大臣顕彰 国民栄誉賞 |
カテゴリ |
日本の内閣総理大臣の配偶者のことである。2024年10月1日現在、日本の歴代内閣総理大臣65人は全員男性であるため、その配偶者である女性を示す用語として使われている。
(ないかくそうりだいじんふじん)は、概説
[編集]内閣総理大臣夫人は内閣総理大臣の配偶者である。その人物が私人である場合でも、首相の外遊への随行や、災害被災地の慰問、文化事業の視察、運動競技の参観、来賓の歓迎行事や晩餐会などへの随伴、また首相の名代として参加することがある。しかし内閣総理大臣夫人は公職ではなく、その公的活動の根拠となる法律も存在しないため、日本を代表して公的行事に参加することに対しては議論がある。
日本では首相夫人の活動をサポートする予算や法律は特に存在しないが、公的な活動にかかる費用については「国家公務員等の旅費に関する法律」等の法律に基いて財務省が定めた運用方針に従い拠出される。
第1次安倍内閣では、首相官邸を拠点に活動する安倍晋三首相と首相公邸を拠点に「ファーストレディ」として積極的な活動を見せた昭恵夫人との連絡調整を主な任務とする「首相公邸連絡調整官」が設けられ、首相夫人をサポートする体制が整えられた。次の福田内閣(福田康夫首相・貴代子夫人)にて廃止されたが、第2次安倍内閣が発足すると内閣総理大臣夫人付として復活した。
日本では総理夫人の活動が大きく報道されることは少ないが、公的な活動に積極的に参加する首相夫人も少なくはなく、「ジャパンズ・ファーストレディ(Japan's first lady)」の呼称とともにメディアに露出する機会も増えつつある。
第3次安倍内閣では、2017年3月に「『内閣総理大臣夫人』は、公人ではなく私人であると認識している」とする答弁書を閣議決定した[1][2]。
1989年の宇野内閣以降は内閣総理大臣夫人も資産公開制度の対象となっている。
内閣総理大臣夫人の一覧
[編集]代 | 画像 | 総理夫人名 | 夫の在任期間 | 夫 (総理) |
---|---|---|---|---|
1 | 伊藤梅子 | 1885年12月22日 - 1888年4月30日 1892年8月8日 - 1896年8月31日 1898年1月12日 - 1898年6月30日 1900年10月19日 - 1901年5月10日 |
伊藤博文 | |
2 | 黒田滝子 | 1888年4月30日 - 1889年10月25日 | 黑田清隆 | |
3 | 山縣友子 | 1889年12月24日 - 1891年5月6日 | 山縣有朋 | |
4 | 松方満佐子 | 1891年5月6日 - 1892年8月8日 1896年9月18日 - 1898年1月12日 |
松方正義 | |
5 | 大隈綾子 | 1898年6月30日 - 1898年11月8日 1914年4月16日 - 1916年10月9日 |
大隈重信 | |
- | (不在[注釈 1]) | 1898年11月8日 - 1900年10月19日 | 山縣有朋 | |
6 | 桂可那子 | 1901年6月2日 - 1906年1月7日 1908年7月14日 - 1911年8月30日 1912年12月21日 - 1913年2月20日 |
桂太郎 | |
- | (不在) | 1906年1月7日 - 1908年7月14日 1911年8月30日 - 1912年12月21日 |
西園寺公望 | |
7 | 山本登喜子 | 1913年2月20日 - 1914年4月16日 1923年9月2日 - 1924年1月7日 |
山本權兵衛 | |
8 | 寺内タキ | 1916年10月9日 - 1918年9月29日 | 寺内正毅 | |
9 | 原浅 | 1918年9月29日 - 1921年11月4日 | 原敬 | |
10 | 高橋品子 | 1921年11月13日 - 1922年6月12日 | 高橋是清 | |
11 | 加藤キヨ子 | 1922年6月12日 - 1923年8月24日 | 加藤友三郎 | |
12 | 清浦錬子 | 1924年1月7日 - 1924年6月11日 | 清浦奎吾 | |
13 | 加藤春路 | 1924年6月11日 - 1926年1月28日 | 加藤高明 | |
14 | 若槻徳子 | 1926年1月30日 - 1927年4月20日 1931年4月14日 - 1931年12月13日 |
若槻禮次郎 | |
15 | 田中壽天 | 1927年4月20日 - 1929年7月2日 | 田中義一 | |
16 | 濱口夏 | 1929年7月2日 - 1931年4月14日 | 濱口雄幸 | |
17 | 犬養千代子 | 1931年12月13日 - 1932年5月16日 | 犬養毅 | |
18 | 斎藤春子 | 1932年5月26日 - 1934年7月8日 | 齋藤實 | |
- | (不在)[注釈 2]) | 1934年7月8日 - 1936年3月9日 | 岡田啓介 | |
19 | 廣田静子 | 1936年3月9日 - 1937年2月2日 | 廣田弘毅 | |
20 | 林初治 | 1937年2月2日 - 1937年6月4日 | 林銑十郎 | |
21 | 近衞千代子 | 1937年6月4日 - 1939年1月5日 1940年7月22日 - 1941年10月18日 |
近衞文麿 | |
- | (不在) | 1939年1月5日 - 1939年8月30日 | 平沼騏一郎 | |
22 | 阿部ミツ | 1939年8月30日 - 1940年1月16日 | 阿部信行 | |
23 | 米内こま | 1940年1月16日 - 1940年7月22日 | 米内光政 | |
24 | 東條かつ子 | 1941年10月18日 - 1944年7月22日 | 東條英機 | |
25 | 小磯馨子 | 1944年7月22日 - 1945年4月7日 | 小磯國昭 | |
26 | 鈴木たか | 1945年4月7日 - 1945年8月17日 | 鈴木貫太郎 | |
27 | 稔彦王妃聰子内親王 | 1945年8月17日 - 1945年10月9日 | 東久邇宮稔彦王 | |
28 | 幣原雅子 | 1945年10月9日 - 1946年5月22日 | 幣原喜重郎 | |
29 | 吉田喜代 | 1946年5月22日 - 1947年5月24日 1948年10月15日 - 1954年12月10日 |
吉田茂 | |
30 | 片山菊江 | 1947年5月24日 - 1948年3月10日 | 片山哲 | |
31 | 芦田寿美 | 1948年3月10日 - 1948年10月15日 | 芦田均 | |
32 | 鳩山薫 | 1954年12月10日 - 1956年12月23日 | 鳩山一郎 | |
33 | 石橋うめ | 1956年12月23日 - 1957年2月25日 | 石橋湛山 | |
34 | 岸良子 | 1957年2月25日 - 1960年7月19日 | 岸信介 | |
35 | 池田満枝 | 1960年7月19日 - 1964年11月9日 | 池田勇人 | |
36 | 佐藤寛子 | 1964年11月9日 - 1972年7月7日 | 佐藤榮作 | |
37 | 田中はな | 1972年7月7日 - 1974年12月9日 | 田中角榮 | |
38 | 三木睦子 | 1974年12月9日 - 1976年12月24日 | 三木武夫 | |
39 | 福田三枝 | 1976年12月24日 - 1978年12月7日 | 福田赳夫 | |
40 | 大平志げ子 | 1978年12月7日 - 1980年6月12日 | 大平正芳 | |
41 | 鈴木さち | 1980年7月17日 - 1982年11月27日 | 鈴木善幸 | |
42 | 中曽根蔦子 | 1982年11月27日 - 1987年11月6日 | 中曾根康弘 | |
43 | 竹下直子 | 1987年11月6日 - 1989年6月3日 | 竹下登 | |
44 | 宇野千代 | 1989年6月3日 - 1989年8月10日 | 宇野宗佑 | |
45 | 海部幸世 | 1989年8月10日 - 1991年11月5日 | 海部俊樹 | |
46 | 宮澤庸子 | 1991年11月5日 - 1993年8月9日 | 宮澤喜一 | |
47 | 細川佳代子 | 1993年8月9日 - 1994年4月28日 | 細川護熙 | |
48 | 羽田綏子 | 1994年4月28日 - 1994年6月30日 | 羽田孜 | |
49 | 村山ヨシヱ | 1994年6月30日 - 1996年1月11日 | 村山富市 | |
50 | 橋本久美子 | 1996年1月11日 - 1998年7月30日 | 橋本龍太郎 | |
51 | 小渕千鶴子 | 1998年7月30日 - 2000年4月5日 | 小渕恵三 | |
52 | 森智恵子 | 2000年4月5日 - 2001年4月26日 | 森喜朗 | |
- | (不在[注釈 3]) | 2001年4月26日 - 2006年9月26日 | 小泉純一郎 | |
53 | 安倍昭恵 | 2006年9月26日 - 2007年9月26日 2012年12月26日 - 2020年9月16日 |
安倍晋三 | |
54 | 福田貴代子 | 2007年9月26日 - 2008年9月24日 | 福田康夫 | |
55 | 麻生ちか子 | 2008年9月24日 - 2009年9月16日 | 麻生太郎 | |
56 | 鳩山幸 | 2009年9月16日 - 2010年6月8日 | 鳩山由紀夫 | |
57 | 菅伸子 | 2010年6月8日 - 2011年9月2日 | 菅直人 | |
58 | 野田仁実 | 2011年9月2日 - 2012年12月26日 | 野田佳彦 | |
59 | 菅真理子 | 2020年9月16日 - 2021年10月4日 | 菅義偉 | |
60 | 岸田裕子 | 2021年10月4日 - 2024年10月1日 | 岸田文雄 | |
61 | 石破佳子 | 2024年10月1日 - 現職 | 石破茂 |
ギャラリー
[編集]-
養継嗣・貢と家族の肖像におさまる原敬総理と淺夫人、
1918(大正7)年12月17日 -
日米首脳会談を終えアンドルーズ空軍基地から帰路につく中曾根康弘総理と蔦子夫人、
1983(昭和58)年1月21日 -
日米首脳会談に臨むためアンドルーズ空軍基地に到着した竹下登総理と直子夫人、
1989(平成元)年2月2日
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “衆議院議員逢坂誠二君提出内閣総理大臣夫人の法的地位に関する質問に対する答弁書” (2017年3月14日). 2017年3月28日閲覧。
- ^ “首相夫人「公人でない」=政府”. 時事ドットコム. (2017年3月17日) 2017年3月28日閲覧。
- ^ 椿山荘の女王・吉田貞子『現代之人物観無遠慮に申上候』河瀬蘇北、二松堂書店、1917年
- ^ 『明治美人伝』 長谷川時雨
- ^ 伊藤之雄『山県有朋-愚直な権力者の生涯』文藝春秋〈文春新書〉、2009年。ISBN 978-4-16-660684-9。 p288-290
- ^ “小泉純一郎氏の元妻、33年の沈黙破る 「生き別れ」進次郎氏らへの思い、女性誌に明かす”. J-CAST ニュース (2016年3月5日). 2022年11月6日閲覧。
- ^ “好物はステーキ、福田首相の貴代子夫人 - Sponichi Annex”. web.archive.org (2008年2月20日). 2022年11月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 『閨閥 特権階級の盛衰の系譜』改訂新版(神一行 著、角川書店、2002年)
- 『永田町おんな太閤記 総理夫人とっておきの話』(小林吉弥 著、現代書林、1983年)
- 『昭和の宰相』全6巻(戸川猪佐武 著、講談社、1982年)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 内閣制度と歴代内閣 - 首相官邸