佐藤充
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都西東京市 |
生年月日 | 1978年4月29日(46歳) |
身長 体重 |
190 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2003年 ドラフト4巡目 |
初出場 | 2004年5月3日 |
最終出場 | 2008年9月2日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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佐藤 充(さとう みつる、1978年4月29日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。東京都西東京市出身。妻は、中部日本放送の社員で元アナウンサーの占部沙矢香。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]10歳より埼玉県坂戸市に移り住む[2]。埼玉県立坂戸西高等学校では、3年夏の県大会五回戦で敗退。高校卒業後は当時の監督の母校で指導者養成で定評のある首都大学連盟加盟の古豪日本体育大学に進む。1年秋からベンチ入り、2年秋のリーグ戦で完封初勝利。野球部ではアマチュア日本代表に選ばれた。1999年春の首都大学野球リーグベストナイン(投手)に選出され受賞。通算成績は38試合登板し18勝4敗、防御率1.41。大学卒業後は日本生命に入社。2002年の第29回社会人野球日本選手権大会では日本生命の優勝に貢献して最優秀選手を受賞した。翌2003年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから4巡目指名[3] を受けて入団。
中日時代
[編集]2004年は右肩や右肘の故障もあり、即戦力として期待されていたものの2試合の登板に終わった[4]。
2年目の2005年は、2月12日から一軍キャンプに合流[5]。だが、右肘の違和感を訴え、2月23日に二軍キャンプに戻った[6]。その後、3月29日に右肘の遊離軟骨を除去する手術を受けた[7]。9月19日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)でプロ初先発し、5回2失点でプロ初勝利を挙げた[7]。
2006年は5月3日の横浜ベイスターズ戦(ナゴヤドーム)[8]でシーズン初先発[9]。5回0/3を2失点に抑えたが、勝利投手とはなれなかった[9]。5月18日のオリックス・バファローズ戦(ナゴヤドーム)でシーズン初勝利[10][注釈 1]、5月25日の西武ライオンズ戦(ナゴヤドーム)でプロ初完投・初完封勝利を挙げた[11]。セ・パ交流戦では最多の5勝を挙げ、防御率0.91で投手タイトル二冠王に輝き[12]、日本生命賞をソフトバンクの松中信彦と共に受賞した[13]。球団タイ記録となる5試合連続完投勝利を記録(うち2回が完封)、6月の月間MVPも受賞。連勝は8まで伸ばし、前半戦は防御率1点台と圧倒的な数字を残し投手陣の柱として活躍した。
しかし、8月4日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で連勝が止まる[14]と、これ以降5点台の防御率で1勝しか上積みできず、最後は3連敗で二桁勝利に届かないままシーズンを終えた。それでも交流戦での活躍が高く評価され、オフには年俸3400万円(2300万円増)で契約を更改した[15]。
2007年は4月24日に一軍登録された[16]。4月28日の横浜戦(横浜スタジアム)でシーズン初先発した[17]ものの、5回途中2失点で降板し敗戦投手となり[18]、翌日に二軍落ちした[16]。同年はこの1試合の登板に終わり、オフの契約更改では減額制限(25%)超えの年俸2500万円でサインした[19]。また、同年オフに中部日本放送(CBC)アナウンサーの占部沙矢香と結婚した[20]。
2008年は、8月7日のヤクルト戦(坊っちゃんスタジアム)で2年ぶりに勝利投手となった[21][22]。
2009年と2010年は一軍登板なしに終わり、11月1日に球団から戦力外通告を受け[23]、12月2日に自由契約公示された[24]。右肘の故障が完治していないことから12球団合同トライアウトの参加を見送り、日本生命のグラウンドで練習しながら入団テストの受験に備えた。
楽天時代
[編集]2011年の春季キャンプで東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受け2月16日に育成選手として契約した[25]が支配下選手登録されることなく、10月9日に二度目の戦力外通告を受け[26]、11月7日に自由契約公示された[27]。同年限りで現役を引退した。
引退後
[編集]2012年からは古巣中日のスカウトとしてフロント入りし、柳裕也、小笠原慎之介などを担当した[28]。2020年にスコアラーに異動となった[1][28]。
選手としての特徴
[編集]この選手の選手としての特徴に関する文献や情報源が必要です。 (2012年3月) |
入団後に右ひじを手術してひじに負担をかけないフォームを作る必要性を痛感、二軍の本拠地・ナゴヤ球場の動作解析室で川上憲伸らのフォームのビデオを徹底的に研究し、現在のひじを一度高く上げるフォームにたどり着いた。
持ち球はフォークとスライダー[28]、投球比率は低いもののカーブやシュートも投げる。ランナーを出してからの粘り強い投球が特徴で、特にセットに入ってからの投球は安定感がある。また細身だがスタミナも抜群であり、典型的な先発完投型の投手といえる。
人物
[編集]この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。 (2012年3月) |
愛称は、タレントのKABA.ちゃんに似ていることから「カバちゃん」。2006年6月21日には中日スポーツの一面(記事)で本物のKABA.ちゃんからのコメントが掲載され、「私も(佐藤が自分に)似ていると思っていた」[29]と本人直々に似ていることを認められ、「一度会ってお話がしたい。今後の健闘を祈ります」とエールを贈られた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | 中日 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 4.0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4.50 | 0.50 |
2005 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 71 | 16.0 | 17 | 2 | 6 | 1 | 0 | 11 | 1 | 0 | 10 | 10 | 5.63 | 1.44 | |
2006 | 19 | 19 | 6 | 2 | 1 | 9 | 4 | 0 | 0 | .692 | 529 | 129.0 | 134 | 9 | 24 | 2 | 4 | 83 | 1 | 0 | 42 | 38 | 2.65 | 1.22 | |
2007 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 19 | 4.1 | 6 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 4.15 | 1.85 | |
2008 | 8 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 169 | 40.2 | 47 | 4 | 7 | 0 | 0 | 23 | 1 | 0 | 20 | 20 | 4.43 | 1.33 | |
通算:5年 | 33 | 30 | 6 | 2 | 1 | 11 | 10 | 0 | 0 | .524 | 802 | 194.0 | 206 | 18 | 39 | 3 | 4 | 124 | 4 | 0 | 76 | 72 | 3.34 | 1.26 |
表彰
[編集]記録
[編集]- 初登板:2004年5月3日、対ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、7回裏に救援登板・完了
- 初奪三振:同上、7回裏に野口祥順から
- 初先発・初勝利:2005年9月19日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、5回2失点[7][30]
- 初完投勝利・初完封勝利:2006年5月25日、対西武ライオンズ3回戦(ナゴヤドーム)、9回9安打無失点8奪三振[11][31]
- 初安打:2005年9月19日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、5回表に江草仁貴から中前安打
- 初打点:2006年6月28日、対東京ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、4回表に坂元弥太郎から投手前スクイズ
背番号
[編集]- 16 (2004年 - 2009年)
- 70 (2010年)
- 126 (2011年)
脚注
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “12球団編成&スカウト布陣一覧&2021補強ポイント【セ・リーグ編】”. 週刊ベースボール (2021年1月24日). 2021年8月11日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球99秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
- ^ 2003年 新人選手選択会議(中日ドラゴンズ)
- ^ “佐藤、評価グ~ン フォーム矯正に手応え”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2005年2月5日). 2005年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ “佐藤の逆襲 昇格!! 始まった1、2軍シャッフル”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2005年2月13日). 2005年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ “佐藤、右ひじに違和感 2軍降格”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2005年2月24日). 2005年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c “奇跡を呼ぶ男、佐藤がいた!! プロ初先発初勝利”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2005年9月20日). 2006年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ “2006年5月3日 【公式戦】 試合結果 (中日vs横浜)”. NPB.jp 日本野球機構. 2022年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b “佐藤充「突っ込みすぎて浮いていた」納得の降板”. スポニチアネックスOSAKA まるごと名古屋. 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2006年5月4日). 2006年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b “竜50年ぶり 4連続完封 佐藤充も続いた”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2006年5月19日). 2006年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b “佐藤充 プロ初完封 連敗止めた”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2006年5月26日). 2006年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ 2006年度 交流戦 個人投手成績(規定投球回以上)
- ^ 日本生命セ・パ交流戦 MVP決定のお知らせ
- ^ “中日・佐藤充初黒星”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2006年8月5日). 2006年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ “佐藤充 3400万円で更改 9勝6完投2完封…ようやくV景気”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2006年11月11日). 2006年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b “一軍登録抹消履歴 2007年”. 中日ドラゴンズ 公式サイト. 中日ドラゴンズ. 2008年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月5日閲覧。
- ^ “今季初先発の佐藤充2軍へ逆戻り”. 日刊スポーツ名古屋. 日刊スポーツ新聞社 (2007年4月29日). 2007年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月5日閲覧。
- ^ “中日・佐藤充、5回持たず2失点降板…2軍直行”. スポニチアネックスOSAKA まるごと名古屋. スポーツニッポン新聞社 (2007年4月29日). 2007年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月5日閲覧。
- ^ “佐藤充が上限超える26%減で一発更改”. 日刊スポーツ名古屋. 日刊スポーツ新聞社 (2007年11月16日). 2007年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月5日閲覧。
- ^ “交際2年半 佐藤充、CBC占部アナ結婚”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2007年11月25日). 2008年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月5日閲覧。
- ^ “佐藤充、2年ぶり勝った 1失点復活ツバメ斬り”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2008年8月8日). 2008年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ “中日佐藤充2年ぶり復活白星”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2008年8月8日). 2022年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ “中日 06年8連勝の佐藤充ら3選手に戦力外通告”. スポニチ Sponichi Annex 野球. 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2010年11月2日). 2022年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ 2010年度 自由契約選手
- ^ “楽天 変則右腕助っ人獲得 元中日投手は育成で”. スポニチ Sponichi Annex 野球. 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2011年2月17日). 2022年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ “来季の選手契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年10月9日). 2011年10月9日閲覧。
- ^ 2011年度 自由契約選手(育成選手)
- ^ a b c “5連続完投を“通算6完投”で成し遂げた男がいた…降格寸前から中日球団タイ記録 1回のチャンスをつかめ”. 中日スポーツ. (2020年9月2日) 2021年8月11日閲覧。
- ^ “中日の「カバちゃん」交流戦の星からセ界の星へ 本家KABA.ちゃんアツ~いエール”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2006年6月21日). 2006年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ “2005年9月19日 【公式戦】 試合結果 (阪神vs中日)”. NPB.jp 日本野球機構. 2022年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
- ^ “2006年5月25日 【公式戦】 試合結果 (中日vs西武)”. NPB.jp 日本野球機構. 2022年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 佐藤充 - NPB.jp 日本野球機構