コンテンツにスキップ

佐伯有義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐伯 有義(さえき ありよし、慶応3年10月24日1867年11月19日[1] - 昭和20年(1945年9月25日)は、神職神道学者富山県出身。

経歴

[編集]

慶応3年(1867年)10月24日、代々立山雄山神社の祠職を勤める佐伯有久の子として、富山県中新川郡立山村岩峅寺に生まれる。明治15年(1882年)上京して皇典講究所へ入学、同20年(1887年) に同所を卒業して、『古事類苑』の編纂等に携わり、同25年(1892年宮内省掌典職を拝命、同28年(1895年)には気多神社(現気多大社)の宮司に任官、同38年(1905年帝室制度調査局から「皇室諸令附式」の起草を嘱託され、同45年(1912年六国史校訂材料取調掛、大正元年(1912年)大喪使事務官、翌2年(1913年大礼使事務官を歴任し、同14年(1925年)に勅任待遇を受け、翌15年(1926年従四位に叙される。昭和2年(1927年)に國學院大學の講師、同11年(1936年)に同教授となり、その間に無窮會東洋文化研究所講師も兼ねながら、特殊祭儀委員、礼典課長事務取扱を経て、同18年(1943年)学位論文「古代における朝儀の祭祀につきて」で國學院大學の文学博士号を受けた。昭和20年(1945年)9月25日、郷里富山での疎開中に没す。享年79。

年譜

[編集]
  • 慶応3年(1867年)10月24日 - 立山雄山神社の祠職佐伯家に生まれる。
  • 明治15年(1882年) - 皇典講究所へ入学。
  • 明治20年(1887年) - 皇典講究所卒業。
  • 明治23年(1890年) - 『古事類苑』の編纂を嘱託される。
  • 明治25年(1892年) - 掌典を拝命。
  • 明治28年(1895年) - 気多神社宮司に任官。
  • 明治38年(1905年) - 皇室諸令附式の起草を嘱託される。
  • 明治45年(1912年) - 六国史校訂材料取調掛に就任。
  • 大正元年(1912年) - 大喪使事務官に就任。
  • 大正2年(1913年) - 大礼使事務官に就任。
  • 大正11年(1922年) - 勲四等瑞宝章を受勲。
  • 大正14年(1925年) - 勅任待遇。
  • 大正15年(1926年) - 叙従四位。
  • 昭和2年(1927年) - 國學院大學講師に就任。
  • 昭和11年(1936年) - 國學院大學教授に就任。
  • 昭和18年(1943年) - 國學院大學文学博士。
  • 昭和20年(1945年)9月25日 - 逝去。享年79。

栄典

[編集]

編著書

[編集]

著書

[編集]
  • 『大日本神祇史』国晃館(大正2年)NDLJP:943419
  • 『臣民の道精義』広文堂(昭和16年)NDLJP:1039446

編書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『立山町誌』(新興出版社、1982年)p.296
  2. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]