人魚
民間伝承において、人魚は、女性の頭と上半身、魚の尾を持つ水生生物であり、ヨーロッパ、アジア、アフリカを含む世界中の多くの文化の民間伝承に登場する。
人魚は時折、洪水、嵐、難破船、溺死といった危険な出来事と関連付けられる。他の民間伝承(あるいは同じ伝承内でも)では、彼女たちは慈悲深く、または恵みを与える存在とされ、人間と恋に落ちることもある。
人魚の男性相当物はマーマンと呼ばれ、これも民間伝承や紋章学においてはお馴染みの存在である。マーマンに関する伝承や目撃例は人魚ほど一般的ではないが、一般的には彼らが女性の人魚と共存していると考えられている。男性と女性を合わせた存在は、時折、マーフォーク(人魚族)またはマーピープル(人魚人)と呼ばれる。
美しく、誘惑的な歌声を持つ人魚という西洋の概念は、ギリシア神話のセイレーンに影響を受けた可能性がある。セイレーンは元々は半分が鳥のような姿であったが、キリスト教の時代には半分が魚のような姿になった。クリストファー・コロンブスがカリブ海を探検した際に報告したような人魚の実在の記録は、マナティーや類似の水生哺乳類を目撃したものかもしれない。人魚が民間伝承の外に存在する証拠はないが、人魚の目撃報告は現在も続いている。
近世以降、人魚は芸術や文学の人気のある主題となった。例えば、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの文学的な童話「人魚姫」(1836年)などがある。それ以降、彼女たちはオペラ、絵画、書籍、コミック、アニメ、実写映画で描かれてきた。
起源
[編集]セイレーンは、航海者を美しい歌声で惹きつけ難破させるという海の魔物で、後に人魚として描かれるようになった、もとはギリシア神話に登場する伝説の生物である[1][2]。
ホメロス作『オデュッセイア』には容姿について語る文章はないが、古代ギリシャ美術では女性の人頭鳥身の奇獣に描かれていたものが、中世ヨーロッパでは[注 1]女性の人魚や、女性・鳥・魚の混合獣(有翼鉤爪で魚尾)として描画されるようになった[1][3](§動物寓意譚参照)。
16世紀以降、ヨーロッパ人は植民地で見聞したジュゴン(§17世紀ビサヤ諸島)やマナティー(§バルトリンのセイレーン)について、容貌が人類に迫る実在の人魚として脚色して地誌や博物誌に記載した。ジュゴンことぺシェ・ムリェール[注 2](「婦人女」)の骨は薬として流通し、へいしむれ[る]として江戸時代の日本でも知られていた。
図像
[編集]水域に棲み、人と魚の特徴を併せ持つという大まかな共通点はあるが、伝承されてきた土地によりその形状や性質は大きく異なる。
ヨーロッパの人魚は、上半身がヒトで下半身が魚類のことが多い。裸のことが多く、服を着ている人魚は稀で、乳房はホタテガイの殻で隠されている。多くは、マーメイド(若い女性の人魚)である。
金髪や[4]、紅毛の長髪の絵画が多く[注 3]、櫛や鏡を持物とした像が定番である[4][5][6]。
上掲のウォーターハウスの油彩画も、髪を梳く人魚の意匠はおそらく誘惑の女性を表現している[7]。またその赤茶毛は[7]、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」の赤髪に着想を得ており、その後の美術において、ウォーターハウスのようなラファエル前派の作品から、近年のアニメ人魚にまで影響している、と考察される[8]。櫛や鏡は、そもそも古典時代より愛の女神ヴィーナスの持物であり[9][10]、"性的な快楽の誘い"を象徴するものとみられる[4][注 4]。
しかし、そもそも中世キリスト教美術においては、ときに櫛や鏡を手にするセイレーンの挿絵は(§動物寓意譚参照)、七つの大罪の一つである「虚栄心(自惚れ)」の寓意であるとみなされている[11]。そしてこの動物寓意譚の虚栄の意味的な櫛と鏡が、後世に引き継がれたのである[12][13][注 5] (教義文献などについては§キリスト教義での寓意的意味を参照)。
古い絵などには2つの尾びれを持った人魚も描かれている(ヨーロッパの古い紋章の中にも、2股に分かれた尾部を持つ人魚をかたどるものがある)。大航海時代、ポルトガルをふくめ西欧で人魚型セイレーンが定着したのは1500年代ともいわれる[15]。
一方、日本の人魚のイメージは中国の影響もあり、近世以降はヨーロッパの人魚のイメージも重ね合わせたもので[16]、時代により外見などは大きく異なる。研究では「人魚」にカウントされていても魚の面をするが死人のようで手足がある「大魚」の例もみつかる(宝治元年)[17][18]。江戸時代の人魚像については、人間の頭部のみが乗っかっているいわゆる人面魚タイプと、半人半魚で腕ももつ通常の人魚種が描かれる(§江戸時代参照)[19][20]。
凶兆・瑞兆
[編集]東洋に限らずヨーロッパでも人魚は不吉の前兆とみなされてきた[注 6]。
- 日本
日本では古来より凶兆や瑞兆とされ、鎌倉時代のいくつかの戦乱は、人魚の漂着がその前触れであったと文献に記録されている(§みちのくの人魚を参照)[22][23]。しかし江戸時代に入ると人魚の目撃は僥倖とされるようになった。人魚は予言獣の一種として豊作や疫病を予言し、その似顔絵を見せればそうした災難を回避できたり長寿を得られるなどとされた(例:§越中の人魚(海雷))[24]。人魚の亜種・類種の予言獣に神社姫(姫魚)や、海出人がいる[25]。
- ヨーロッパ
『ニーベルンゲンの歌』ではドナウ川の「水女」(人魚?)がハゲネに不吉な予告をする例が知られる。また、スカンジナビアの近代の伝承でも、人魚が嵐の到来など未来を告げるとされる。
人間との婚姻
[編集]アンデルセンの創作童話『人魚姫』(デンマーク語: Den lille Havfrue)では、人魚には「不死の魂」がないのでそのままでは人間との恋は成就しない。ただしこの着想はアンデルセンの発案ではなく(パラケルススのウンディーネや)、フリードリヒ・フーケの『ウンディーネ』などが先行する[26]。
フランスのメリュジーヌ伝説( § メリュジーヌも参照)も有名な人魚か水蛇女との異類婚姻譚 であり、アイルランドのメロウ( § メロウも参照)についても、人魚の子孫であるとして水かきがついていると噂される例がみられる。
動物学的説明
[編集]今日では哺乳類のジュゴンの見間違いに端を発したというひとつの説があるが、これは熱帯種であり、ジュゴンの生息外の海域にも人魚伝説があるため、日本全土や世界全ての人魚伝説をジュゴンに基づかせることはできない[27]。
ジュゴンの生息地の北限は沖縄(旧琉球王国)であり、八尾比丘尼伝説が伝承される日本本土の各地[注 7]では、実物としては古来およそ見かけることができない生き物ということになる[28]。しかしながらジュゴンの仲間には熱帯性でないものもいた、と反論される。同じ海牛目(Sirenia)としてはかつてステラーカイギュウがベーリング海に生息しており、日本の近海に現れた可能性も否定できない[29][30]。またカイギュウでなくとも、アザラシ類やイルカ類も、人魚伝説のモデルとなりうる候補に挙げられる[注 8][32]。
魚類学者の高島春雄も、「日本人が本物のジュゴンを見たのは明治以降だが、古い時代にも人魚の目撃証言がある」と指摘している[33]。このことから、北陸地方にも漂着する深海魚のリュウグウノツカイが(少なくとも日本の)人魚の正体であろう、と九州大学名誉教授の内田恵太郎(1960、62年)を皮切りに考察されている[34][35]。少なくとも江戸時代の例では、人魚は頭部付近に[36]
ジュゴンは、西洋人が「人型魚」「婦人魚」などと称し、17世紀の書物において薬として喧伝し、江戸時代の日本の学者も「人魚の骨」の薬効としてこれを紹介している[40]。「婦人魚」の骨は、高価ビーズに加工(すなわち数珠つなぎにした)ともフィリピン紀行文に記される[41][42]。痔の持病がある人は、人魚骨を普段身につけるだけで効果てきめんだと蘭方医学書にも説明されていた[注 11][注 12]。粉末を酒にまぜて飲むこともあった[43](§西洋自然史の人魚、§へいしむれるの薬効を参照)。
語釈
[編集]英単語マーメイド(mermaid、'人魚')は、さほど古語ではなく中英語までにしか遡れない[注 13]。"mere" '海'と "maid" '乙女'の合成語で、上半身が人間女性、下半身が魚鯨類の幻獣と定義される[45][46]。
集合名詞の merfolk('人魚族')等、 mer-形の歴史の浅い語はmermaidの派生語とみなされている。マーワイフ(マー=ワイフ、mer-wife)もそのひとつで、19世紀に用例があるとOED辞典に記載される[47]。ただし、これとは別に古語męrewífがあるが(以下小節参照)、マーメイド参照古語として挙げられる[46][注 14]。
mermin
[編集]英語には"mermin" ('マーメイドまたはセイレーン')という古語(死語)もあるが、古英語męremęnenにまで遡ぼる[48]。
語義は、"mere-"「海」+"-męnen"「女奴隷」、[48]直訳すれば、さしずめ「海婢」となる。中英語形meremanも、「-man」は、まぎらわしいながら「男」ではなく[注 15]、「女の従僕、下女」を意味する[注 16][49]。
ゲルマン語族の諸言語で'人魚'を意味する現代語や古語が、同じ語源(同根語)とされる[48](§中世の語彙参照。中世ドイツ語の作品例は§ラーベンの戦い参照)。
męrewíf
[編集]マーワイフによく似た古英語męrewíf(古い語源なので別語)も存在するが[注 17]、これは「水の魔女」グレンデルの母を指していう用例のみがある[50][51][52]。
同根語に中高地ドイツ語 merwîp(現代ドイツ語meerweib、逐語訳「海の女」[53])[54][55]があり、複数の英雄物語に用例があるが[56]、そのうちハゲネが遭遇した水妖たちは(§ニーベルンゲンの歌参照)、英訳や解説では「マーメイド」のみならず「マーウーマン」や[58]、その他様々に意訳されていることが指摘されるが [60]、和訳では「水の乙女」などと訳される(挿絵は魚尾か)[61][62][注 18]。
動物寓意譚
[編集]中世キリスト教圏の各地で書写・翻訳された動物寓意譚(ベスティアリ)のセイレーンは[注 19]、しだいに人魚の図像で描かれるようになった。
早期の例としては『ベルンのフィシオログス』(9世紀フランク王国で制作)のセイレーンがあり(右列、上段左の図)[63][注 20]、文章では鳥のようであるとされるが、絵は人魚のものである[67][68]。
またボドリアン図書館蔵のベスティアリ(1220–1250年頃、英国の作、下段)にも[71]、文章("下半身にかけて足まで鳥の様")をたがえて人身魚尾の人魚のようなセイレーンが船の近くを泳ぐ図が示される[72][73]。
人身魚尾の人魚の図は、いわゆる「第二家族」系のラテン語ベスティアリには一般的にみられる[11]。その家系の早期写本であるアディショナル11283本にも、人魚が描画されている(右列、上段右の図)[11][注 21]。
図像ではないが、下半身が魚であったり鳥であったりすることを文章化した韻文ベスティアリの例もある。すなわちギヨーム・ル・クレール作の韻文ベスティアリ(古フランス語、1210か1211年頃[注 22])、フィリップ・ド・タン作の韻文ベスティアリ(アングロ=ノルマン語、1121–1139年頃)である[75][76]。
中英語のベスティアリ(1220年の文?[48]、写本は1275–1300年[77])ではmereman「海の女」とあるが[48][78][80]、半女半魚の「マーメイド」を意味していることが明言される[注 23][81][79]。
キリスト教義での寓意的意味
[編集]セイレーンが美貌や美声で男を破滅に導く娼婦たる「快楽」の寓意・象徴であることは、早期のキリスト教義にも見える[82] 。加えて櫛や手鏡らの持物は虚栄心(自惚れ)を意味する、ともされる[83][11][注 24]。
英国の教会、特に聖歌隊席や、折りたたみ椅子裏(ミゼリコード)に例が残る中世以降の木彫り人魚も、実際は動物寓意譚の魚型セイレーンであると認識される[86][87][12][13]。
中世の語彙
[編集]以下、英語の死語merminと同語源の「人魚」を意味する中世の語(中世起原の語)・用例文献を列挙する[注 25]:
- 中高ドイツ語: merminne
- アーサー王物語群『ランツェレト』の湖の貴婦人[88][89](ランスロット参照)
- ディートリヒ・フォン・ベルン物語群のヴィテゲの曾祖母(§ラーベンの戦い参照)[90]。古スウェーデン語訳(15世紀成立のサガ異本)ではhaffruの語が充てられている[91](おそらく§ハウフルの原形である)。
- 古ノルド語: 男性名詞 marmennill, -dill
- 近代アイスランド語: marbendill
- 近代ノルウェー語: marmæle
- §マルメーレ参照
- 現代オランダ語: meermin
- このmeermin(複数形meerminnen)は『ヨンストン図譜』(1660年)にも見られる[93][94](§へいしむれるの薬効参照)。
中世の英雄譚
[編集]ニーベルンゲンの歌
[編集]予言の力をもつ二人の人魚(merwîp、複数形も同じ。逐語訳'海の女'[53])が、『ニーベルンゲンの歌』第25歌章に登場する[95][57][59]。邦訳では「水の乙女」ら[61][62]と訳されている。
ジーゲリント(Sigelint)とその"叔母"ハデブルク(Hadeburc)が[注 29]、ドナウ川で水浴びしていたところ[注 30]、ハゲネが衣服を持ち去る場面である[95][57][59]。
水浴する異世界の女性の衣を盗み奪うため、この箇所は白鳥処女説話(Swan maiden)の系統に属するが[98]、グリムの場合、彼女らが水面から浮上しているように表現されていることをとらまえて、実際に白鳥処女だったのだ、と力説している[99]。
いずれにしろ、この短い場面は、後のゲルマン文学における水の精ニクセにまつわる伝承や作品のおおもとの"礎石的な"土台となっている、とも評される[98]。
『ニーベルンゲンの歌』の水の乙女らは、リヒャルト・ワーグナーの歌劇『ラインの黄金』のラインの乙女らにも翻案されている[100]。ワーグナーの1848年構想では白鳥の乙女らの設定であるが、一説によれば、三体で現れるのは、1843刊のファーザー編本『ニーベルンゲンの歌』の、ユリウス・シュノル・フォン・カロルスフェルト、オイゲン・ナポレオン・ノイロイターによる木版画がヒントになったとされる(右欄、左図参照)[101][注 31]。
ラーベンの戦い
[編集]中高ドイツ語の人魚メーレミンネ (mereminne)が登場する作品はいくつかあるが[90]、生粋のドイツ物ではディートリヒ伝説の『ラーベンの戦い』(13世紀)が挙げられる[102]。
人魚(水妖)のウァーヒルト(Wâchilt ; 現代読み ヴァヒルデ Wachilde)は、逆臣ヴィテゲの祖先の女性[注 32] (曾祖母)であり、主人ディートリヒに討取られる寸前でこれを救い出し、海中の家にかくまう[103][104][105]。
同場面は、『シズレクのサガ』 のスウェーデン語改稿本(Ðiðriks saga、15世紀[106][91])にのみ、みつかるが[105][106]、サガ終盤にあるこの結末は「スウェーデン版エピローグ 」などと仮称される[107][108]。ここではひ孫を救出する人魚のことは、古スウェーデン語で haffru ('海の女')と記述されている[91][注 33]。
この同一人物の人魚(海の女)は、家系譜上の言及のみならば、原典である古ノルド語版の『シズレクのサガ』の序盤にも触れられており[109][注 34] 、古ノルド語でsjókona (siókona [sic.];[110][105] '海の女') と記述されている[104]。この海の女とヴィルキヌス王のあいだに出生したのが巨人ヴァジ Vaði(ドイツ名ヴァーテ)で、その子が鍛冶師ヴェレント(エッダ名ヴェルンド)[109]、そのまた息子ヴィズガ(Viðga、ドイツ名ヴィテゲ)がシズレク王の仲間となったが裏切って討伐の目に遭った[111][105][104][110]。
サガの人魚は(現今デンマークの)シェラン島と深くかかわっている。ヴィルキヌス王の国土がスカンジナビア一帯にあり、庶子であるヴァジ(人魚の子)はシェラン島の封土を受けたと解釈される[112]。サガでは、元はラーベンの戦い(北イタリアのラヴェンナ戦)だったはずを北ドイツのグロンスポルト(Gronsport)戦に場所移動している[113][注 35]。そして人魚がここに戦場にやってきて、ひ孫を救助しシェラン島まで戻りかえったのだとされている[106]。
西欧の民間伝承
[編集]
ローレライ
[編集]ライン川にまつわる伝説。ライン川を通行する舟に歌いかける美しい人魚たちの話。彼女たちの歌声を聞いたものは、その美声に聞き惚れて、舟の舵(かじ)を取り損ねて、川底に沈んでしまう[114]。文献によっては、ローレライは人魚の姿をしていないこともある[115]。
メロウ
[編集]アイルランドに伝わる人魚。姿はマーメイドに似ており、女は美しいが、男は醜いという。この人魚が出現すると嵐が起こるとされ、船乗り達には恐れられていた。また、女のメロウが人間の男と結婚し、子供を産むこともあるという。その場合、子供の足には鱗があり、手の指には小さな水掻きがあるとされる[116]。
アイルランドのボブ・カラン講師によれば、アイルランドの人魚を英国系の人魚と同様とするのは錯誤があり、ケルト系の人魚はアザラシ人(セルキー)の要素の方が魚人の要素より強いと意見する[117][注 36]。
英国の人魚
[編集]前述したように英国各地の教会席等に人魚(セイレーン)の彫刻例があるが[86]、とりわけコーンウォール州ゼナー(ゼノア[注 37])村の教会ベンチの人魚彫刻(15世紀の作[9])には伝説がまつわる[120][121]。英国民話といっても、これは場所的にはイングランドでもアーサー王伝説ゆかりの地域なので[119]、ケルト伝説とみなされている[122]。
今日よく知られている人魚すなわちマーメイドの外観のイメージは、16世紀から17世紀頃の英国民話を起源とするものだとボブ・カラン講師は結論している[118]。
メリュジーヌ
[編集]メリュジーヌ(仏: Melusine)は、フランスの伝承に登場する水の精。異類婚姻譚の主人公。上半身は人間の女性、下半身は蛇(一説に魚)の姿をしている。文献によってはメリュシヌの表記を採用する[123]。レーモンドという貴族がメリュジーヌを見初め、結婚する。結婚にあたって、メリュジーヌは「土曜日には自分の部屋にこもるが、その時は姿を決して見ないこと」という条件を課した。メリュジーヌは夫に策を授け、富をもたらした。ところが夫は「メリュジーヌが浮気している」という噂を耳にすると[124]、つい約束を破ってしまった。彼女は入浴中で、上半身こそ人間だったが下半身は魚に変わっていた。メリュジーヌは夫のもとを去る。
北欧の人魚
[編集]デンマーク語で人魚はハウフル[125][注 38](またはハヴリュ―、'海の女'[注 39]、havfrue)と呼ばれる[129]、そして男性の人魚はハヴマン[125][注 40](havmand)と呼ばれる[129]。ノルウェー語(デンマーク語に近いブークモール)でも、まったく同様に綴るが[131]、女性の人魚はハゥフル(havfrue)、男性の人魚はハヴマンなどと表記される。
マルメーレ
[編集]ノルウェーのハヴマンとハウフルの伝承については早期にポントピダン司教(1753年)が著述しているが[132][133]、北海に生息して雄雌の
マルメーレは直訳すると「海の話者」の意ではあるが[注 41]、じっさいは古語(marmenill)の転訛に過ぎないと考察される[139]。
マルメーレはノルウェーの漁師が漁で捕えることがあり、なんらかの予言・託宣をさせようとするのだ、と伝わる[140]。また、捕えても24時間以上は置かずに元の海に返すのが慣習・戒律だともされている[141]。
ポントピダンとファイエの描写
[編集]ポントピダン司教は、これら人魚にまつわる超常的な伝説があることもわきまえてはいたが[注 42][142][135]、そうであるにしろ、この非人類の生物は実在すると考えていた[注 43][143][144]。
ハヴマンの雄・雌・子についてのこの記述は、初のノルウェー民間伝承集ともいわれるアンドレアス・ファイエの伝説集(1833年)にも転載された[145]。そこではハヴマンの容姿を総じて"燻った色をし、長いあごひげをたくわえ、上半身は人間(男性)に似るが、下半身は魚のようだ"とまとめている[注 45]。
古語の記述
[編集]また、ハヴマンの雄(§ハーフストラムブル、マルベンディル)や雌(§マルギュグル)を意味するノルウェー古語(古ノルド語)、および中世の記述文献を両者とも挙げている[149][注 46][注 47]。
ハウフル
[編集]デンマークやノルウェーのハウフルには既に触れた。
近世・現代アイスランドの語彙にも、ハウフルの同根語と思しき語(haffrú)があるが、その他にもいくつかの人魚女の名称が、19世紀の民話集に列挙されている[注 48][151][152]。このうちマルギュグル(margýgur)という人魚女名は、あきらかに古ノルド語(margýgr)に由来するが、中世では女トロルすなわち怪物のようにとられていた(§マルギュグルを参照)。現在のアイスランドではそれらとは異なる語(hafmey)が人魚女の通称にもちいられている[153]。
フェロー語形は havfrúgv(/hɛaːvˈfrɪkv/)である[154][155]。
スウェーデン語形もあるが(hafsfru)[156]、シェーユングフル(sjöjungfru、'海の乙女')などの名称に言換えられることがある[155][注 49]。またシェーロー(sjörå、'海の妖精女')とも呼ばれ、これは森の妖精女スクーグスローと対をなす[156][158]。
マルベンディトル
[編集]古ノルド語の人魚男マルメニル(marmenill)は、後期ノルド語では異なる綴り(marbendil[l])でみられ[160][161]。現代アイスランド語人魚男も同じく(marbendill)と綴り、マルベンディトルと発音する[162]。
19世紀の解説に拠れば人魚女マルギュグルは黄色い髪をし、油断した若者を海底���引きずりこむが、人魚男マルベンディトルは決して海上に姿を現さないとする[151][152]。しかし「碩学の」ヨウン・グズムンドソン(1658年没)によればマルベンディトルは腰から下がアザラシの様だと記している[注 50]。
またヨウン・グズムンドソンが書き記したマルベンディトルの民話も現存している[注 51](§前兆・予言・智慧・洞察で触れる)。
吉凶
[編集]スカンジナビアの女性の人魚ハウフルは、総じて美しいが、益ともなれば害(凶兆)ともなる、と意見される[167][125]。
以下説明するように智慧を授けたり、凶事を前触れするか予言するとする迷信・説話がみられる。また、人をさらうとも言い伝えられ古謡に歌われた。
危害を加えると仕返しを受けるとされ、ノルウェーの逸話では、船乗りがこれをおびき寄せておいて舷縁にかけた手を切り落としたところ、彼女は嵐を引き起こし、その者は命からがら生還したという[168]。
前兆・予言・智慧・洞察
[編集]スカンジナビアの人魚も未来の予知や予言をするとされる[167][125]。それが水上に現れただけで、嵐の前触れとされる[146][167][125]。
漁師にとってはシェーローの出現は不漁を意味し、狩人にとっては森の妖精スクーグスローの出現は不猟を意味するのである[167][125][158]。往年のスウェーデンの漁師のあいだでは、人魚は嵐や不漁の前兆なので、見たら仲間に話さずに火打石と鋼器で火花を立てて難を回避すべしと伝わる[158]。
必ずしも未来を言い当てる予言にかぎらず、何かの智慧か情報を授ける場合もある。人魚が智慧をさずける説話群は、移動伝説「人魚の伝言」型(ML 4060番)に分類される[注 52][169]。一例の説話では、漁師が人魚の用務を引き受け、3つの質問を許される。男は脱穀用の穀竿をつくるのに何の皮革が適しているか尋ねるが、���魚は仔牛の皮と答えつつ、もし水から(ビールを)醸造する方法は、と聞いていればもっと得したものを、とあきれるオチになっている[170]。
アイスランドには11世紀頃の実在の移植民の逸話として[注 53]、人魚男(マルメニル)を捕らえた男は、自分の息子が将来所有するであろう開拓地の場所についての予言を得たが[注 54]、後日また漁に出たときその息子以外の者は全滅したという[171][172]。
また、人魚男(マルベンディトル)が、自分を捕らえた農夫を三度せせら笑い、笑った理由として、色々と洞察した事実を教示する民話が、近世に記録されている[注 51]。人魚男が自由釈放を条件に明かした三つの事実は、金貨が埋もれる場所、妻の不義、犬の忠義であった[注 51][162]。
人魚が人さらい
[編集]スウェーデンには人魚男が女性をさらって妻とされるが、そうした女性が小島に上がって衣服(亜麻布)を洗っていたり髪を梳いたりしているのを見かけることがあるという民間伝承が採集されている(ヘルシングランド地方)[173]。
またスウェーデンの「人魚男」[注 55]のバラッドや、同じ伝説に基づくデンマークの「人魚男ロスマー」[注 56]のバラッドも近世より存在する[174][注 57]。
他にも人魚男と女性が夫婦となり子供をもうける筋書きのデンマークのバラッド『アウネーテと人魚』があるが、これは18世紀末期成立の比較的新しい創作物である[175][176]。この話は19世紀の作家エーレンスレイヤーやアンデルセンにも翻案されている[175]。
「人魚女」/「人魚女の侍女」[注 58]と題するスウェーデンのバラッドでは[177][179]、人魚が十五歳の人間の少女を拉致してしまう。兄弟が救い出すが、人魚は「もしこのような裏切りを受けると知っておれば、少女の首を殴りくだいていたものを」、とののしる[181]。
マルギュグル
[編集]現代アイスランド語で金髪の人魚の意とはいえ、マルギュグルは直訳せば「海のトロル[女]」のような意味である[注 60][152]。
そして中世に伝わるマルギュグル(margýgr)は、文字通り"海の鬼女(オグレス)"[184]または"海の怪物"[185]とすべき存在である[188]。『オーラヴ聖王のサガ』の異本によれば、ノルウェーのオーラヴ聖王が対決したマルギュグルは、航行者を眠らせ溺れさせ、高音の叫びで人を狂わせた[146][189]。その外見は"頭は馬のごとき、耳はぴんと立ち、鼻腔は広がり、大きな緑の目をし、恐ろしい顎をしていた。肩は馬のようで、前半身には手がついていたが、下半身は蛇のようであった"と記述される[189][187]。このマルギュグルはまた、アザラシのように毛むくじゃらで、灰色をしていたとされる[189][186]。
ハーフストラムブル
[編集]古ノルド語で書かれたノルウェーの啓蒙書『王の鏡』(1250年頃)は、マルギュグルは雌種であるが、これと対をなすハーフストラムブル[190](hafstrambr)が雄種であると説いている[191][182]。ハーフストラムブルの上半身はマルギュグルの様に擬人的であるが、下半身については目撃証言がないという[191][182]。
中世の北欧人は、ハーフストラムブルを巨型(最大級)の人魚男と認識していたため、普通の人魚の名称が指小辞のマルメニル(「海の小男」)になったのだ、という推察がある[139]。
しかしハーフストラムブルを、単に想像上のシーモンスターとしてかたづける解説や辞書定義もみられる[192][193]。
動物学の観点からはズキンアザラシ(Cystophora cristata)説[194][195]、または海棲生物の蜃気楼現象説が提唱されている[191]。
西洋博物学の人魚
[編集]以下、西洋の古代・中世・近世の学者たちが、人魚を実在の生物として扱った数々の例を示すが、対象の「人魚」の所在地は、ヨーロッパにかぎらず、新大陸、アジア、アフリカ等に至る。
1世紀ローマ帝国属州イベリア半島
[編集]大プリニウス『博物誌』(紀元77年刊)によれば、一匹のトリトン(男の人魚)[注 61]がローマ帝国ルシタニア州オリシポ(現今のポルトガル・リスボン市)で目撃されており(ティベリウス帝時代)、またネーレーイス(女の人魚)も同じ場所で目撃されている。
目撃されたトリトンは某洞窟で法螺貝を吹いていたとされ、ネーレーイスについては、彼女らが"死にかけているときの嘆きの歌が浜の住民によって聞かれたことがある"と補足している[198][199][200]。
このトリトンは、一般認識通りの容姿をしていたが[注 62]、ネーレーイスが人間のような(顔・胴体)をしている(すべやかな肌をしている)と思うのは世間の間違いで、真正のネーレーイスは全体鱗でおおわれているのだとプリニウスは主張する[198][199][200][201]。
また複数のネーレーイスの死骸が、浜辺に打ち寄せられたことがあると、ガリア州
プリニウスはまた「海人」(羅: homo marinus)をガデス湾(カディス湾)で見たという証言を
後世の注釈
[編集]スウェーデンの博識者オラウス・マグヌス(16世紀)は、このプリニウスを引用し、ネーレーイス(マーメイド)が「そのいまわの際に発する愁嘆な金切り声は」、歌や音楽のごとくと示唆しており、運命の三姉妹やニュンペーが奏でるシンバルやフルートの音が海辺から聞こえるという民間伝承と関連付けている[202][203][204]。オラウスによれば、 ネーレーイスは(とくに死の際してにかぎらずとも)「悲しく歌う」のだという[205][206]。
ローマ時代に浜に打ち上げられたネーレーイスというのは、「おそらくはアザラシ類」だろうとされる[201]。また、「海人」については、「アフリカ産のマナティーか(?)」と注釈されている[207]。
大航行時代の南北アメリカ大陸および北極圏
[編集]コロンブスは、1493年、イスパニョーラ島沿岸から、3匹のセイレーン(人魚)が某河川[注 63]で海から完全に這い上がっているのを目撃したと航海日誌に記している[注 64]。その容姿について"絵にかいてあるように美しいもの(美女)ではなく"かろうじて人間似の顔つきをしていたと述べているが、マナティーであったと推察されている[3][210]。
ヘンリー・ハドソンが1608年の第二回航海において、北極海(ノルウェー海域かバレンツ海)で"人魚"を目撃したとするが、乳房は女性の様で肌は白く長い黒髪を垂らしていたという[211][212][注 65]。
オランダの探検家ダフィット・ダネル(David Danel[l])は、グリーンランドへの航海(1652–54年)で"たなびく髪をしたとても美しい"人魚に遭遇したとするが、乗組員は捕獲に失敗したという[213]。
バルトリンのセイレーン
[編集]デンマークの医師で博物学者のトマス・バルトリンが、その著書でブラジルの「セイレーン」(人魚)として図入りで説明した個体[216](おそらくマナティー[217])は、のちにリンネが転載して「バルトリンのセイレーン(Siren Bartholini)」と命名した[218][219][220]。
個体標本すべてがバルトリンの所有物だったわけではないが、片手と肋骨数本を提供されており、これらも図解されている(右図参照[221])[222][注 66]。のちライデン市で解剖[222][44]。執刀はピーター・パーヴ[注 67]で、ヨアネス・デ・ラエ(西インド会社理事)が同席、ラエと友誼をまじえるバルトリンが、手と肋骨数本を贈答されたと述べられる[44][注 68]。この"手"の図はその骨格が写実的なため、マナティーの前びれとの鑑定が可能とされる[217]。
文中ははじめ「海人」ないし「海男」(ホモ・マリヌス)」と呼ばれているが[214]、銅版画でも「セイレーン (Sirene)」と見出しされている[214]。画のセイレーンは人間の女性のような容貌をし(頭髪はない)、はだけた乳房、水かきのついた前足で描かれている[223]。 ブラジルの解剖個体は指間に膜があり、個体が完全でなく"尾の跡がみられなかった"としており[44]、絵図と合致している[注 69]。
バルトリンは、「セイレーン(人魚)」という呼称こそ用いているが、アザラシ類だと推論していた[222][44]。その理屈として次のように述べている:海には「海馬」など陸棲のものとそっくりな海棲生物がいくつかおり(と当時はそう信じられた)[注 70]、よって人類そっくりな海水生物も否定できない。しかしながらそれらはすべてアザラシ類とみるべきだろう、としている[227]。
この生物は、ブラジル原住民のユピアプラ(Yupiapra)伝承(正しくはイプピアーラ伝承)と関連性があるだろうと、17世紀のエラスムス・フランチスキーは意見している[228][229]。
植民地時代のアジア
[編集]17世紀台湾
[編集]オランダ領台湾では、ゼーランディア城近くの海域に人魚が現れたのを多くの人が目撃し、水路に来て詳しく調べようとしたが、もう姿を消していた。これは差し迫った災厄の兆候であると考えられていた[230]。
17世紀ビサヤ諸島
[編集]人魚(直訳だと「人型魚」、「婦人魚」等と呼ばれる)が、特に旧スペイン領フィリピンのビサヤ諸島あたりの水域に生息することが[注 72]、17世紀の西洋人によって言及されている。それは当時の複数の科学論や自然史の書籍に記載されている[注 73]。
これらの書物の掲題では、その人魚のことをアントロポモルプス(蘭: Anthropomorphus)等[注 74]つまり「人間の姿をした[魚]」と命名しており、挿画でも半人半魚の男女の人魚に描かれており(右図参照)、人間に酷似することが強調される[242][238][注 75][注 76]。
しかしながら、この「人型魚」は現地名をドゥヨン(duyon)と称すと文献にも記述されており[233][231][注 77]、フィリピンの海域にも分布するジュゴンのことだとみなされている[注 78]。
この「人型魚」(ドゥヨン、ジュゴン)はスペイン人のあいだでは「婦人魚」を意味する呼称ぺシェ・ムリェール[注 79]、現代の標準スペイン語に直せばペス・ムヘール(peche mujer)と呼ばれていた[236][注 80][注 81]。
このぺシェ・ムリェールは[注 82]、薬品としてオランダ貿易で江戸初期(家光の代)にはすでにもたらせられており[43]、このへいしむれ[る]等と音写で本草学者などに取り上げられた[40](§へいしむれるの薬効参照)。
18世紀モルッカ諸島
[編集]モルッカ諸島の人魚、いわゆる「アンボイナの人魚」であるが[247]、オランダ東インド会社(VOC)統治下、旧アンボン州での案件だったのでこの名がある[注 83]。現今マルク州ブル島で、1706–1712年頃その人魚は捕獲されたという。これを入手したというVOCの元兵士サミュエル・ファルール[ス?] Fallours という人物が、極彩色で肉筆画にしたためており[253][254]、その委細や、絵を複製した銅版画[注 84]がルイ・ルナールの図鑑(初版1719年)に掲載され(右図上)[258][246]、次いでフランソワ・ファレンタインの図書(1726年)[259][注 85]に二番煎じ的に転載された[257][247][262]。
司馬江漢がファレンタイン本の画を模写しており、それは大槻玄沢の『六物新志』[232]にも転載されている[263][261][257]。
ファレンタインが聴聞したところに拠れば、この人魚は1712年に捕獲され、その全長は59ドゥイム(duim、オランダのインチ)またはラインラント地方の尺度で5フィートほどあった。水槽に入れて4日間と7時間生きながらえさせることができたが、与えた餌を受け付けず、なんら理解可能な音を喋ることなく死亡したとする[264][256]。また、ルナールの著書に拠ればハツカネズミ(小ネズミ)[注 86]のような声で鳴いたとされる[246]。絵で見ると、"腰にミノのようなもの"がついていると指摘されるが[265]、ファルールの原画に付随する添え書きによれば、同氏は前部・後部の鰭をめくりあげて、女性のかたちだと確認したのだという[266]。
これも結局ジュゴンではないかという指摘は当時からあったようだが[注 87]、ファレンタインはこの人魚がルンフィウスが詳述するジュゴンとはけっして同一でないと反駁している[267]。胴長の人魚の絵は、海牛目にまるで似ておらず、ルナール図譜には、ジュゴンも掲載されている(右図下)ので、むしろリュウグウノツカイが元となったとほうが説得性があるいう魚類学者意見もある[268]。
へいしむれるの薬効
[編集]洋書においては、この「婦人魚」(ペス・ムヘール)の骨などの部位が薬物になるとしていた。効能としては、骨が止血に効くとされる記述のほか[269][270][272]、下血に効くとするものや[273]、「体液の漏れ」(四体液説参照)に効くとするものがある[274]。『和漢三才図会』では
江戸幕府は1641年に《へいしむれる》(人魚)の肋骨1本を献上されている。これは東インド会社が派遣し、フリシウスが特使代理となった謝礼使節団から贈られた薬箱の一品で、その目録では人魚骨の値段は銀43匁となっている[43]。痔を持つ人には身に携えていれば効き、骨は粉末にして酒などに混ぜて服せば五体の砂をとり、血止めや下血に効くと『阿蘭陀外科医方秘伝』にあり[43]、河口良庵『阿蘭陀外療集』巻七にも同様、湯にて用いるも可と加える[43]。貴重品のジュゴンがそれほど大量に流通するはずもなく、江戸後期、小野蘭山は自分が見た品はことごとく贋物で、"薬舗に貨するものは黄貂魚(アカエイ)の歯および雞子(トビウオ)の歯の形状にして斜紋なるものなり"と述べている[278][197]。
江戸期の日本の本草学の書物も、洋書の内容を踏まえ《へいしむれる》(人魚の骨)が血に関する薬としている。
あるいは「体液の漏れ」に対する効果があるため、骨はビーズ[41][241](数珠つなぎに[42])加工される。蘭山もフェルビースト(『坤輿外紀』)を引いて、念珠にすることは記すが、服してはじめてその下血への効果があると理解されている[283]。だがバルトリンをひもとくと、肋骨をビーズに穿孔加工したものが痔に効くことは[注 90]デ・ラエ[注 91]が実体験していると書かれている[44]、そのときの使用法は詳らかにされていないが、ローマではその骨のビーズのブレスレットを手首にあてがえば偏頭痛に効くとする[注 92][44]。
「海人の女性(雌)の [骨の] ほうがより強力」な作用があるとヨンストンは記述しているが[93]、『六物新志』には欠落している。フェルディナント・フェルビースト(南懐仁)著『坤輿圖説』には、西楞(拼音: xī léng; セイレーンの音写とみられる[286][287])について、「其骨能止血病女魚更效」つまり骨は止血病に能く、女魚のものは更に効く、と記される[288][289][287][290]。
フィリッピンの人魚(ぺシェ=ムリェール、ドゥヨン)の味は、肥えた(脂ののった)豚肉のようだとコリンは感想を述べている[注 93][注 94]。
中国の人魚
[編集]中国の人魚については、半身半魚とも半身半龍とも認識されておりこれらの図像が交錯している[292]。
『山海経』の「人魚」は奇魚の扱いの様だが、同書には他にも人面の魚のような怪異・奇種として、
秦始皇帝陵を永久に灯すため、人魚膏(人魚の脂)が使われたと『史記』等にみえる[300]。
人魚・孩児魚・䱱・鯢
[編集]『山海経』には「北山経」、「中山経」、「西山経」のいずれにも「人魚」の記述がみえる[296][307]。
「北山経」の「人魚」は龍侯山の決水(東へ黄河に注ぐ川と言う)に棲み、四足あり、䱱魚に似ると書かれており、これは「ナマズに似る」と解釈される[308][309]。この龍侯山産の人魚を食べると痴呆症にならないという[308][296]。
「北山経」の郭璞注では、人魚は、小児のような声で
人面とは書かれていないが、「中山経」は䱱魚について𥂕蜼(猿の一種との説あり[注 100])の如しとしている[296][306][注 101]。『本草綱目』でも、形はややカワウソに似るとする[注 102][313]。
近代では「䱱」はサンショウウオに当て[注 100][318]、「鯢」をチュウゴクオオサンショウウオに同定するようである[318][注 103]。
赤鱬
[編集]赤鱬(せきじゅ。せきだ[319])については、『山海経』「南山経」青丘(せいきゅう)の山の条に赤鱬について“英水ながれて南流し、即翼(そくよく)の沢に注ぐ。水中には赤鱬が多く、その状は魚の如くで人の面(かお)、その声は鴛鴦(おしどり)のよう。これを食うと疥(ひぜん)にならぬ”とある[320]。一種の食餌療法である[319]。
氐人
[編集]『海内南経』に「氐人国は建木の西にあり。その人となり、人面で魚の身、足がない」とある[321]。氐人は、人の胸から下が魚になったような姿をしているとされる[322]。鳥山石燕も「人魚」は「氐人国の人なり」と記している[323][324]。
陵魚
[編集]陵魚は鯪魚とも作り、すでに『楚辞』「天問」に言及がある[325]。『海内北経』の姑射(こや)国の条に「陵魚は人面で手足あり。魚の身。海中にあり」としている[326]。4本の足を持つ人面魚である[322]。日本の平安時代の語彙集『和名抄』でも、人魚の別名に陵魚を挙げている[注 104][注 105][328][329]。
蛟人・鮫人
[編集]中国の蛟人(鮫人)[注 106][334][336][337]。とくに半人半魚とはされていないが[注 107]、海棲で[339]、棲み処は鮫人室と呼ばれ、"天然の宝や水中の怪"(増子意訳)のある場所である[340][341]。別名が泉先や泉客であるとする(『述異記』)が[334]、藪田嘉一郎は、これを泉山地方(現今の福建省・泉州 (隋))の海人(あま)のことだと考察する[342]。
蛟人については幾つかの文献に同様の記述があり、概して南海の水中に棲み、流す涙は真珠となり、機織りを巧みとすると伝わる(『博物志』[343]、『捜神記』[344]、『述異記』[334])[345][341]。
蛟人の布は蛟綃紗(龍紗)といい、この生地で服を作れば水に入っても濡れることがないという[341][336]。
海人
[編集]『淮南子』巻四では、人類を含む各種動植物について独自の進化論が記述されており[346]、「𥥛は海人を生み、海人は若菌を生み、若菌は聖人を生み、聖人は庶人を生んだ。すべて𥥛(薄毛)のあるもの(𥥛者。現生人類)は庶人から生まれた(口語訳)」と書かれている[注 108][347]。
この一文は難解だが、楠山春樹は、𥥛[注 109]から段階的に進化を重ねた結果最終的に生まれたのが𥥛者(現生人類)であると解釈した[347]。
また、海人は一種の海棲人類であるという説もある。加藤徹はこの一文を、𥥛(細毛におおわれたサル)から海人(海棲人類)、若菌(意味未詳)、聖人(完成された古代の人間)を経て庶人(普通の人間)が生まれ、やがて「およそ𥥛なる者」(未来に出現するであろう退化した人間)に至る進化と退化と解釈した[348]。
海人魚
[編集]中国の東海(東の海域)の人魚[注 110]。馬尾のような長髪をしており、手はあるが足はなく、鱗ではなく細かい毛が生えている[352][349]。類例[353]に紅色の鬣(たてがみ/ひれ)を持つ海の人魚が高麗で目撃されたとされる[354]。海人魚の一例とされるのが、聂璜『海錯図』の人魚の図であるが[349]、背に紅色の翅(ひれ)があると記述され[355]、そのように描かれている。
日本の人魚
[編集]日本の文献上の初出は淡水産の生物(『日本書紀』)とされるが、以降はほぼ海棲の人魚の例である[356][注 111]。また古くは、日本の人魚はヒト状の顔を持つ魚と伝承されていたが[注 112]、遅くとも江戸時代後期にはヨーロッパ同様、ヒトの上半身と魚の下半身を持つ姿と伝えられるようになる。
八百比丘尼伝説で、人魚の肉が不老長寿をもたらすとされることが有名だが、江戸時代にもその絵をみると長寿をもたらすとする瓦版の例がみられる[注 113]。
人魚は一匹と数えるのが一応正しいとされるが[358]、一人と数える見解もある。架空の動物は、人に恋をするなど、人と"同類"と考えられる場合は一人と数える[359]。
古例
[編集]人魚を八百比丘尼が食したのが清寧天皇5年(西暦480年)で、人魚出現の最古例と藤澤衛彦はしているが、口承伝承なのか文献資料が確認できない[360][注 114]。
飛鳥時代
[編集]以下、『書記』に記される近江国・摂津国の人魚について述べる。
つぎに推古天皇27年(619年)4月に近江国蒲生河に出現した、また7月摂津国の堀江(堀江川運河)で網にかかった、という各事案が『日本書紀』に記載されており[363]、これが文献資料に裏打ちされた最古例とされる[364]。
これらの古例は海棲でなく淡水(川)でみつかった人魚であることが指摘されるが[20][356]。その「姿は児のごとし」ということから、それはオオサンショウウオであろうと南方熊楠は仮説している[365][366]。
「人魚」だとの明言は日本書紀にはない[367][368]。推古女帝の摂政であった聖徳太子が「人魚」という語で言及したと、のちの『聖徳太子伝暦』には伝えられているが、実際にその言葉を用いられたか疑問視される[369]。日本書紀の編纂に用いられたどの史料にもおそらく「人魚」は使われておらず[368]、あるいはその頃まだ日本にはまだ「人魚」という語が成立していなかったのだろう[370]。
人魚は禍をもたらすものと聖徳は承知していたと『伝暦』に記されるが、[369]、江戸時代の浅井了意『聖徳太子伝暦備講』では、さらにその時代の漁師はもし網にかかっても逃がす風習であると解説する。[371][372]聖徳太子は、近江国の人魚が出現したことを凶兆と危ぶみ、当地に観音菩薩像を配置させたと、滋賀県願成寺の古文書では伝えるという[373][20][注 115]。滋賀県の観音正寺の縁起によれば、聖徳太子が琵琶湖で人魚に出会い、前世の悪行で人魚に姿を変えられたと聞き、やはり観音像を収めて寺を建てて供養したのが寺の由来だという(観音正寺および「§人魚のミイラ」に詳述)[375][376]。
摂津国より献上された人魚を聖徳太子が覧じている図が『聖徳太子絵伝』(1069年)にみえるが[377]、日本の人魚の図像としては現存最古とされる[378]。40もの写本が作られているが[377]、太子が48歳のとき贈られたが、これを嫌い「これは禍のもとだから早く捨てよ」と命じたとされる[379]。
奈良時代末期
[編集]以下、『嘉元記』に記される出雲国・能登国の人魚について述べる。
ついで古い2件は、天平勝宝8歳/756年 出雲・安来浦(ヤスイの浦)に漂着し、宝亀9年/(778年)能登・珠洲岬(ススノミサキ)に出現したというもので、法隆寺の古い記録とされる『嘉元記』(貞治2年/1363年頃成立)に記載される[380][381]。
中世
[編集]平忠盛に献上
[編集]以下、『古今著聞集』所収の伊勢国の人魚について述べる。
平忠盛(1153年没)が刑部少輔を退いたのち、伊勢国別保(べつほ/べっぽう。三重県旧・安芸郡河芸町、現・津市河芸地域)に居を構えたとき、浦人たち(浦辺に住む漁師や海女など[382])が、3匹の異様な大きな魚を網でとらえたという。鎌倉時代中期1254年に成立した『古今著聞集』に所収された説話にくわしい[注 116]
頭部は人のようだが歯が魚のように細かく"口が突き出ていて猿に似"、胴体は魚のようで、「人魚」ではなかろうか、と記される。一匹は浦人たちみんなで切り分けて食べてしまったが、特に症状や効能はあらわれず、美味だったという[注 117][注 116][387]。
みちのくの人魚
[編集]- (陸奥・出羽国。『吾妻鏡』『北条五代記』等所収。)
鎌倉時代より陸奥国や出羽国の浜に人魚が打ち上げられることが度々あると、同時代以降の文献にみられる。より後期の書物例では『北条五代記』(1641年刊)に記述があり、それぞれの例が戦乱か凶事の前兆だとしている[391]。
- 文治5年(1189年)夏、(陸奥の)外の浜に打ち上げられ、藤原秀衡の息子らの滅亡の予兆。
- 建仁3年4月(1203年)、津軽の浦。源実朝が悪禅師に害される。
- 建保元年(1213年)、出羽・秋田の浦。これも当時、鎌倉殿に注進。同年、和田合戦。
- 宝治元年3月11日(1247年)、津軽の浦[注 118]。同年三浦泰村の反乱(すなわち宝治合戦頼 2015, p. 33。東北で人魚が見つかった同じ3月11日に、由比ヶ浜では海が真っ赤になり、血に変わったと取り沙汰された[18][17]。
- 宝治二年秋(1248年)、陸奥、外の浜。執権北条時頼が確認を命令[389][380]
いずれの例もほぼ『吾妻鏡』(1266年まで)や[17][396]『北条九代記』(鎌倉年代記、1331年)にも記載されているが[18]、"人魚"ではなく"大魚"・"怪魚"の扱いである[17][18]。そしてこれら鎌倉時代の文献においてもやはり奥羽藤原の滅亡や和田義盛の乱などの前触れとされている。
宝治元年の例が主題になっており(『吾妻鏡』宝治元年五月二十九日の条)、四つ足を持ち、死人のよう[17]、"手足をもち鱗が重なり、頭は魚と変わらず"などと形容されている[18]。津軽でこの人魚(大魚)が上がった同日(あるいは先日[17])、由比ヶ浜の水が赤かった件[18]については、あるいはそのとき赤潮現象が起きていたのだろうと考察される[397]。
宝治元年の例は、『本朝年代記』[400](貞享元年/1684年刊)にもあるが日付が3月20日になっているので、西鶴はその記載を参観して作品[401]に取り入れたのだと考察される[403][注 119]。『本朝年代記』では「形は人の如し、腹に四足あり」とする[400]。
次の小節§人魚供養札で扱う例も「みちのく」に該当するといえる。さらには江戸時代にも例があるが、それは下(§津軽藩領)で取り上げる。
人魚供養札
[編集]中世において人魚が描かれた物的資料、「人魚供養札」(墨書板絵)が、秋田県井川町洲崎(すざき)遺跡(13–16世紀、鎌倉室町期)より出土している。井戸跡から見つかり、長さ80.6 cm(センチメートル)。人の顔だが髪はなく、顔以外は鱗で覆われた魚体だが、両腕と両足があり、尾びれもついている[377]。実際の動物はおそらくアシカやアザラシなどの鰭脚類であろうと推察される[405][406][377]。
また「アラ、ツタナヤ、テウチ、テウチニトテ候、ソワカ」(可哀そうだが、殺してしまおう、ソワカ)、「アラ、ツタナヤ、ミウチ、人ニトテ候、ソワカ(可哀そう、同じ人間なのに縛られて、ソワカ)」の添え書きが見える[407][405][406]。現地の人が殺してしまったが、不吉な生き物をなので災いを避けるため、僧侶がソワカと祈祷するなどして供養をした、その様子が木簡に写されたものと推察されている[405][406][377]。
以降の年表
[編集]この後、鎌倉時代・室町時代にまたがる14世紀の人魚の出現例は他の史料(『嘉元記』等[381])に記録されている[380]。凶兆とされたため、発見した時は鎌倉殿(鎌倉幕府)に報告する義務があり、幕府はそのつど祈祷を行ったと『北条五代記』には書かれている[377]。
- 延慶3年4月11日(1310年)、若狭国小浜の津。国土に「目出度(めでた)」き、とされ真仙と名づけられた[412]
- 延文2年卯月3日(1357年)、伊勢國二見浦に出現。「長久なるべし」、延命寿と名づけられた[412]。一見すると見たことで「長久」がかなう瑞兆に読めるが、藤澤は"[上の例と合わせて]八尾比丘尼の長寿や二見浦の神聖に付帯せしめためでたさであって、人魚その物の瑞物である典拠となるものではない"と解説する[413]。
中世において最後の例が戦国時代の以下1例であり、安土桃山時代はなく、それ以降は江戸時代の例となる。
八百比丘尼伝説(若狭国)
[編集]八百比丘尼は、人魚や九穴の貝(あわび)等を食べたことで長寿になったと伝わる比丘尼である[418]。
文安6年/1449年5月に若狭国より京都に現れたとされ、年齢は800歳だがその姿は15歳から16歳の様に若々しかった。そのときに1000年の寿命を使わずに死んだと伝わるので、その設定上では太古に出生した人物ということになるが(上述の通り480年に人魚を食したとされる[360])、その出現について記した文献は中世室町時代の『康富記』や『臥雲日件録』である[418]。
福井県小浜市と福島県会津地方では「はっぴゃくびくに」、栃木県西方町真名子では「おびくに」、その他の地域では「やおびくに」と呼ばれる[419]。
江戸時代
[編集]江戸幕府は、1641年に《へいしむれる》(人魚の骨)をオランダ商館(東インド会社)より贈答されている[43](§へいしむれるの薬効を参照)。また八代将軍吉宗は享保2年(1717年)、人魚の図なども掲載されるヨンストン図譜を送られている[238]。よってかなり早い時期に西洋の人魚の知識が江戸人には伝わっていた。
甲子夜話
[編集]松浦静山『甲子夜話』によれば延享年間(1744–1748年)初頭、静山の伯父の本学院(松浦邦)と伯母の光照院[421]が平戸(長崎県)から江戸に向かう途中、玄界灘の海女(蜑)が漁などしてるはずない沖合で、船の10間あまり先の海面に、人魚が現れたという。最初は下半身が見えず"も女容にして色青白く髪薄赤色にて長かりし"と見えたが、そのうち微笑して水に潜るとき魚尾が現れて人魚だと判明したという[422][39][423]。
長崎聞見録
[編集]時代はくだるが、廣川獬が著した『長崎聞見録』[注 120](寛政12年[1800年]刊)には「海女(人魚也)」と「海人」が画入りで連続して掲載されている[注 121]。薬用の《へいしむれる》にも(カナ表記が異なっているが)触れている[注 122][424][425]。
西鶴
[編集]江戸時代の文学例では、井原西鶴の『武道伝来記』(貞享4年/1687年刊)が挙げられるが[37][注 123]、その作品で世間に伝わるという、
文中では四肢が「瑠璃(宝玉)を延ばしたよう」であるとされているが、挿絵は食い違っていて足はなく魚の尾びれになっており、とさかも欠ける[430]。また文中では登場人物が人魚めがけて半弓をかまえた(撃った)ことになっているが、絵では武器が鉄砲にすりかわっている[430][431]。
京伝
[編集]山東京伝『箱入娘面屋人魚(はこいりむすめ めんやにんぎょう)』(1791年)にも人魚が登場するが、これは龍宮で乙姫の男妾として飼われている浦島太郎が魚のお鯉と浮気をして人面魚体の娘をもうけるというコメディーである[433]。捨てられた娘は江戸の釣船屋・平次に拾われ同棲し、暮らしのために身売りして花魁となるが失敗する。だが人魚を舐めれば長寿を授かるという知恵をもらい、「寿命の薬、人魚御なめ所」を開業した平次は大金を得、晴れて夫婦になろうと浮かれて妻を舐めすぎ七歳児に若返ってしまう。そこを浦島太郎が現れ、玉手箱を使ってちょうどいい年ごろに戻す。人魚も魚の部分がするりと抜けて普通の手足の女性に変身。平次は抜け殻も売り払いちゃっかりもうけを得る[434]。
絵本小夜時雨
[編集]江戸時代の古書『絵本小夜時雨』の二「浪華東堀に異魚を釣」に記述がある。寛政12年(1800年)、大阪西堀平野町の浜で釣り上げられたとされる体長約3尺(約90センチメートル)の怪魚。同書では人魚の一種とされるが、多くの伝承上の人魚と異なり人間状の上半身はなく、人に似た顔を持つ魚であり、ボラに似た鱗を持ち、人間の幼児のような声をあげたという[435]。水木しげるの著書には「髪魚(はつぎょ)」として載っている[436]。
漢学・蘭学の影響
[編集]日本における「人魚」は、本来は「人面魚」的な体形が主流だったのが、西洋の影響をうけて下半身が魚と言うイメージが江戸時代後期(18世紀後半以降)頃[440]に定着した、という説がある。これは大槻玄沢(『六物新志』、1786年)がヨハネス・ヨンストンの博物誌など洋書(蘭書)による人魚の説明や画像を紹介したことが大きいとされている[238][442][注 126]
18世紀までの本草学書貝原益軒『大和本草』(1709年)[443][284]や類書のたぐいである寺島良安『和漢三才図会』(1712年)における人魚の記述は、むろん漢籍にも頼っているが、いずれもペイシェ=ムリェール(ガリシア語: peixe muller、§へいしむれるの薬効参照)について述べている以上、洋学の情報源を参考にしていることになる[277]。中国でも[445]、たとえば明代後期にはフェルビースト(南懐仁)『坤輿外紀』(あるいは『坤輿全図』[446]、『坤輿図説』[287])が中国語で書かれ、ヨーロッパで人魚[注 127]の骨を薬用とすることが記述されていた[447]。
17–18世紀の大衆本(西鶴の戯作や京伝の黄表紙[注 128])をみると人魚の図像は、腕のある人魚のタイプ(右図:『竜宮羶鉢木(たつのみやこなまぐさはちのき)』、『南総里見八犬伝』参照)と、首だけが人間の人面魚タイプ(上掲図:『箱入娘面屋人魚』参照)が混在しているが、前者は中国伝説上(山海経等)の陵魚(鯪魚)、後者は赤鱬に倣ったものであるという旨の説明が藤沢衛彦等によって打ち出されている[19][20]。ただしこれは言葉端折りともいうべきで、そのままでは正しい説明になっていない。というのは、藤沢が指摘するように、漢籍(山海経)の鯪魚は四つ足の生物で、これを二手無足の生物として挿絵したのは良安の『和漢三才図会』なのである[449]。そして『和漢三才図会』はこの人魚/鯪魚のほか、中国でも二手無足(半人半魚)とされる
津軽藩領
[編集]時代は前後してしまうが、津軽藩領では17世紀と18世紀に目撃例がある[380]。後者の宝暦年間に捕れたという人魚は画に描かれているが、その昔ある弟子僧が溺れたという故事にかこつけており、画では僧侶の袈裟のようなものを掛けている(以下詳述)。
元禄元年(1688年)7月20日、野内浦(のうちのうら)で人魚が捕獲されたと記される[注 129](『津軽一統志』)[451]。
宝暦9年(1759年)[注 130]卯の三月、石崎村湊で「此の形」(すなわち上図)のような魚が捕獲されたと報告された(『津軽藩旧記伝類』引?『津軽日記』[411]/『津軽家編覧日記』[452])[注 131][453]。その百年前に"藤光寺の弟子坊主"が(津軽海峡をわたって)松前藩をめざしたとき、船から落ちた故事があるという。このことにかこつけて、話を大きくしたものだと、詮議の結果、判明した[453]。そして同様の記述/画は『三橋日記』の宝暦7年(1757年)の条にみつかり[注 132]、「輪袈裟」のようなものを掛けていることが指摘される。"薄黒い異形の魚"だったと形容されている[452][454]。『平山日記』の宝暦9年の条には「石崎村海之人面魚出諸人見物ニ行」"という記述もある[455]。
男の人魚
[編集]日本の人魚はヨーロッパの影響や、一説には仏教(竜王の娘の竜女伝説)の影響を受け[456]、女性とする傾向が次第に強くなった[457][458]。しかし、「男の人魚」が図解された例も、江戸期からみつかってはいる。
「御画 男人魚(おんが おとこにんぎょ)」と題し、弘前藩の若殿が書き写したという図が残されている。これもすなわちこれも上節のように津軽藩に関するものであるが、母君に見せて長寿を願ったものだと記される[454]。
「阿蘭陀渡り人魚の図」[注 133]という瓦版もあり、絵の人魚の容貌は老爺のようであるが[459]、"髪は紅毛、手は猿のようで、水かきがあり、形は蛇のごとし。食せば長寿は百歳を越し、見ただけでも無病延命の効があるという(現代語訳)"、としている[460][461][462]。
越中の人魚(海雷)
[編集]文化2年(1805年)「人魚図。一名海雷」と題する瓦版(右図上段)によれば、この年の五月、越中国放生淵四方浦に大型の人魚が現れた[注 134]。全長は三丈五尺(約10.6メートル)。頭が長髪の若い女だが、金色の角が二本生えている。頭以下は魚体で、脇腹の鱗の間に3つ目がついている。尾は鯉のそれに似る、と瓦版に書かれる[463][466]。絵図では人魚の片側しか書かれないが、胴体の両側面に3つずつ目がついているものと本文にある[466]。体に目がついているというのは、同じ越中国に出現したとされる予言獣「件(くだん)」に共通しており、関連性が指摘される[467]。
人々は怖れをなしたか、450丁もの銃で撃ちとめたとしたといわれる[463]。ところが、「此魚を一度見る人、寿命長久し悪事災難をのがれ福徳を得る」とこの瓦版では付記されているのが注目に値する[466]。
同じ人魚についての記載は、石塚豊芥子『街談文々集要』にもみつかり、場所を"放条津四形の浜(異聞に余潟浜)"としているが、三丈五尺の人魚が、日に二、三度出現し、漁を台無しにするうえ、漁村では火災が起きるので領主が鉄砲隊を向かわせた、と退治の理由を述べている。自分が模写した絵(右図下段左)は、街で売られていた彩色の摺物と大同小異で、そちらの人魚は"般若面のごとく、鰭に唐草のごとき紋あり、横腹左右ニ眼三づつあり"のものだった[468]。般若面の色刷りとは「人魚図」の瓦版が"それではないかと推測される"[469]。しかしながら加賀藩屋敷からはそのような事が起きたという話はいっこうに聞こえてこないので、虚偽の報道であろうとしている[468]。
『街談文々集要』の素描は、後述する「姫魚」[472]に似るという[470]。また、体が金色に彩色された模写絵も現存するが(湯本豪一記念日本妖怪博物館蔵)、越中の三丈五尺六寸という「悪魚図」である[469][473]。
肥前に竜宮の使い
[編集]時代はくだるが、文政2年(1819年)、肥前国に竜宮の御使いとして神社姫[476]、または金色の「姫魚」が現れたとされる[472][478]。絵には、背に宝珠が三つあり、三刃の剣型の尾鰭をしている。除難の予言獣の一種である。[479]
梅園魚譜
[編集]毛利
こうした剥製を模した別例に松森胤保によるスケッチ(安政3年/1856年)が挙げられる[35]。
凶兆・瑞兆
[編集]上述のように、『聖徳太子伝暦』(伝・10世紀初頭)では人魚を不吉の象徴とみており[481]、『聖徳太子絵伝』でも災いとして人魚の献上物を捨てさせている[379]。人魚が恐れられたのは、一説によれば、中国の『山海経』に登場する、赤子のような声と脚を持つ人魚の描写が影響していると考察される[375]。
日本各地に伝わる人魚伝説に、人魚を凶兆とみなす例はほかにもあり、江戸期の『諸国里人談』によると、若狭国(現・福井県南部)で漁師が岩の上に寝ていた人魚を殺した後、その村では海鳴りや大地震が頻発し、人魚の祟りと恐れられたという[481]。
一方では吉兆との説もあり、江戸期になると、寿命長久や災難避けとしても崇められたこともある[482](§予言獣参照)。聖徳太子伝説においても、江戸期の注釈書によれば太子が「瑞祥」であると諭したことになっている[483]。
予言獣
[編集]江戸時代に災害を予言し、自分の図絵でもって除災せよと教示したと伝わるアマビエや件など予言獣は、その典型例に、人魚も含まれるとされる(湯本豪一による研究比較)[484][485] 。
予言する「人魚」の例としては、嘉永2年(1849年)の町人日記の記載(摺物によるものかと推察)がある[487][488]。
しかし、人魚以外の予言獣も、人魚や類種や一類型として考察される。肥後国で疫病の流行を予言したアマビエ(弘化3/1846年)も「くちばしを持った人魚のような」容姿だと形容されており[489]、神社姫・姫魚(文政2/1819年)も「人魚に近い幻獣」や[490]、人魚の一種と解説される[491]。
日本各地
[編集]アイヌソッキ
[編集]アイヌ民話で北海道の内浦湾に住むと伝えられる人魚によく似た伝説の生物。八百比丘尼の伝説と同様、この生物の肉を食べると長寿を保つことができるという[492]。文献によっては、アイヌソッキを人魚の別名とする[493]。
沖縄・奄美大島
[編集]沖縄県石垣島でも明和の大津波を予言したザン(ジュゴンのこと)の伝承がある。
また、鹿児島県奄美大島の『南島雑話』に人魚の絵が記されている。人魚と記載されてはいるが、外見はヒトのように2本の足を持つ。打ちあげられたまま放置され、数か月後に腐乱したとある[494]。
人魚のミイラ
[編集]日本各地では、人魚のミイラあるいは剥製と称して猿の頭・胸部に魚類の胴体・尾を継ぎ合わせたものが、西洋向けの土産品として作成されていた。魚はスズキ型の種類が選ばれている[35]。中国広東州でも、コイ科の魚や他種[注 135]を合成して巧みに人魚が作成された[35]。
また、人魚のミイラか剥製、また体の一部を保存したと称する物品が、日本各地に伝えられているが、科学的な調査は進んでいない[495]。
- 滋賀県願成寺の美人尼僧に男性タイプの人魚が懸想して人間に化けて通うが、ミイラにされてしまう。この時のミイラは1993年に焼失[376]。
- 和歌山県橋本市、高野山の麓、西光寺の
学文路苅萱堂 ()には全長約50 cm の人魚のミイラがあり、不老長寿や無病息災を願う人々の信仰の対象となっている。2009年3月、和歌山県有形民俗文化財に指定される。伝説の生物が都道府県の文化財に指定されるのはこれが初[496]。 - 博多津に人魚が出現した際には国家長久の瑞兆と占われ、人魚は龍宮寺(博多区)に埋葬された。龍宮寺には今も人魚の骨が伝えられている[497]。
- 岡山県浅口市の圓珠院には「人魚干物」と記された全長約30 cm 人魚のミイラがあり[498]、倉敷芸術科学大学や倉敷市立自然史博物館のグループが調査したところ、上半身は紙や布、下半身にはニベ科の魚を使用し1800年代後半に見世物として製作され、寺に持ち込まれたと推測された[495]。
海外の和製ミイラ
[編集]いわゆる「フィジーの人魚」という人魚のミイラが有名である。これは、そもそも日本人が作成した偽造標本とされる[499][500]。アメリカの捕鯨船の某船長が5000米ドルでバタビアで買いつけ[500]、ロンドンで展示会を開催(1822年)するも不発に終わる。セント・ジェームス街にあったターフ・コーヒー=ハウスという店で展示されており、ジョージ・クルックシャンクが人魚の銅版画を発表している[500]。1842年に標本はアメリカに渡り、興行師P・T・バーナムの見世物となって名声を博した[500]。この標本はおそらく焼失してしまっており[499]、鑑定不能である。
現存するピーボディ博物館蔵の「フィジーの人魚」は、形態も異なる別の物品であるが[499][注 136]、同博物館によればこの物品の頭と体幹部分はパピエ=マシェ(張り子)製だという[501]。
大英博物館蔵の人魚のミイラ(「マーマン」、あるいは「マーメイド」)はサルの上半身と魚類の尾を継ぎ合わせたものと鑑定されているが、これもコノート公爵アーサーが、日本の有末清二郎(ありすえ・せいじろう)という人物から入手している[499][502]。
アジアの人魚
[編集]日中以外のアジア地域にも人魚の伝承はある。
浪奸物語
[編集]高句麗の都・平壌に伝わる人魚伝説。あるとき李鏡殊(イ・ジンスウ)という漁夫が龍宮へ行って1日を遊ぶ。帰るときに、食すると不老長寿になるという人魚をもらった。訝った李鏡殊は食べずに隠しておいたが、娘の浪奸(ナンガン)がそれを食べてしまう。彼女は類い稀な変わらぬ美貌を得たが、結婚や子宝には恵まれなかった。300歳のとき、牡丹峰に登り、そのまま行方不明となった[503]。
この朝鮮の浪奸(ろうかん)伝説が日本に伝搬し、八百比丘尼説話の元になったのではないかという説がある[504]
シンジキ(シンジケ)
[編集]全羅南道の巨文島(コムンド)の人魚。色白で長い黒髪を持つ。絶壁に石をぶつけたり音を立てたりして暗礁への座礁を警告してくれる、あるいは台風から救ってくれるという伝説がある[505]。
タクラハ
[編集]サバヒーの王
[編集]フィリピン・レイテ州ヒロンゴス(Hilongos)市の民話。ファナとファンという夫婦がいた。子を宿したファナがサバヒーを食べたがるのでファンは毎日漁に出た。 ある日、サバヒーが釣れなくて悲嘆にくれるファンに、サバヒーの王は取引を持ち掛ける。毎日サバヒーを届けるが、生まれた子が7歳になったらサバヒーの国に連れていくという条件だ。―取引成立。ファンは毎日サバヒーの豊漁に恵まれ、女の子が無事生まれた。マリアと名付けられた娘は7歳になったが、ファンは所詮魚との約束、と反古にしてしまう。マリアには海に近付かないよう言い聞かせた。ところが、村の外から来た船が入港すると、好奇心に負けたマリアは海に近付き、そのまま高波に飲まれて行方不明となる。何年か後、その付近に人魚が現れる[506]。
オセアニアの人魚
[編集]シレナ
[編集]グアム島に伝わる人魚伝説。詳細は「シレナ」の項目参照。
シレナという若い娘が、母に雑用を言いつけられる。初めは精を出して取り組むが、すぐに冷たい水に飛び込み、それを投げ出してしまった。シレナは雑用を終えることなく、一日は過ぎ去った。母は怒りと欲求不満にまかせてシレナに宣告した。「そんなに水が好きなら魚にでもなっておしまい!」それを聞いていた名付け親は、せめて下半分だけ、と呪いを軽減した。誕生したばかりの人魚は外洋へ泳ぎ去り、グアムに戻ることはなかった[507]。
パプアニューギニアの人魚
[編集]パプアニューギニアのニューアイルランド島東海岸に住むナケラ族の伝承と民間信仰に登場する。人類学者のロイ・ワグナーは、1960年代から70年代にかけてパプアニューギニアで現地文化に関する聞き取り調査を行った。そのなかでリ(ri, Ri)と呼ばれる生き物の話を大量に採取した。リは空気を呼吸し、ヒトの頭部・腕・生殖器と魚の下半身(一対の鰭)を持つという[508][509]。"Ilkai", "Pishmeri"はこの動物の別名である[510]。マングローブの端や海辺に生息する。美しい音楽を奏でるともいう[511]。
ニュージーランドの人魚
[編集]マオリ族の民間信仰に登場する女性タイプの海の精。リー(Ri)と呼ばれる[512]。
中南米の人魚
[編集]イアーラとイプピアーラ
[編集]現代ブラジルの伝説では、イアーラは、河川に棲むという美女で、男を誘惑するが、特に漁師がその犠牲になり水の奥底に引きずりこまれると言われる[513][514][515][注 137]。
イアーラは次第にヨーロッパの人魚観の影響を受けて、「魚女(ペイシェ=ムリェール)」とみなされるようになった[517][注 138]。今ではイアーラは白皙人種のようだとも[513]金髪とも言われるが[515]、民俗学者のカスクードによれば19世紀後半までは、金髪碧眼のイアーラの例は寡聞だという[518] 。
イアーラはそもそも2つの原住民の伝説、水魔イプピアーラ[注 139]と大蛇コブラ=グランデに由来するが、ポルトガル人のモウラ・エンカンターダ('魅惑的なモーロ人/黒人女性')伝説も習合されていというのが、早期のカスクード説の骨子である[519][注 140]。
イアーラ伝説は、18世紀頃、先住民のトゥピナンバ族[注 141]に伝わるイプピアーラ(ポルトガル語: Ipupiara)の伝承をもとに形成されたと考察されている。イプピアーラは、本来は男性(雄)のみの魚人で、漁師を水底に引きずり込み、口、鼻、指先、性器を食らうのだと言われた[514]。
大航海時代になるとヨーロッパの書物等によって伝搬されたが[514]、そこでポルトガル人等の手によってイプピアーラの女性化がおきた。ガンダヴォ(1576年)[注 142]は、人間の女性のような乳房をした怪物の図を掲載し、イエズス会宣教師カルディム(1584年)は[注 143]、女性(雌)もいるとして、長髪の人間の女性のようだと述べている[520]。これはキリスト教圏の悪女観[注 144]が影響していると考察される[520]。
さらにアフリカ人奴隷が移入された時代になると、ヨルバ人の民俗神話におけるイエマンジャー女神(葡: Iemanjá; ヨルバ語: Yemọja)の要素が加わった[514]。
リバーマンマ(River Mumma)
[編集]ジャマイカに伝わる川の人魚の女性。
すべての魚はリバーマンマの子であると伝えられる。長い黒い髪をとかしている姿が目撃されるというが、近づいてはならない。リバーマンマは、足首をつかみ川に引きずり込もうとする、反対に彼女を捕まえようとすると川の魚は消え、川が干上がってしまうと言う人もいる。青く静かな水がたたえられている深い川の、ヤシ、シダ、植物のつるで覆われた場所に棲むが、その川の底には黄金のテーブルが隠されている。これは、スペイン人が金を求めて旅をしたとき、純金でできたこのテーブルを残したもので、リバーマンマはそのテーブルを守っている。しかし、炎天下の暑い日の正午頃に、黄金のテーブルがゆっくりと水面に浮かび上がり、見えることがあるという。
アフリカの人魚
[編集]人魚を釣った男
[編集]マダガスカルの民話。ブトゥという貧しい漁師が、ある日川で美人の人魚を捕らえる。人魚は、ブトゥが妻を欲しがっていたのを知っていて、そのために彼の網に入ったのだという。人魚は人間の姿に変身すると、自分の正体を秘密にするという条件でブトゥの妻になった。人魚は不思議な力を持っており、ブトゥの生活は楽になった。ところがある日、ブトゥは酔った勢いで妻の正体を明かしてしまう。妻は不思議な力でブトゥの家を以前のみすぼらしいものに戻し、川に帰ってしまった。翌朝、酔いがさめたブトゥがどんなに後悔してももはや手遅れであった[521]。
マジュンガ州ソフィア地域圏アンツォヒヒに伝わる話として川崎奈月が採話[521]。
現代美術・文学・大衆文化
[編集]人魚姫の像
[編集]ハンス・クリスチャン・アンデルセン作の物語である『人魚姫』を記念して作られた「人魚姫の像」は、人魚姫の物語を演じたバレエに感銘を受けた、カール・ヤコブセン(カールスバーグ醸造所創立者の息子)の要請で、彫刻家エドヴァルド・エリクセンにより1913年に制作された。そのバレエの主役を演じ、当時デンマーク王立劇場のプリマドンナであったエレン・プリースがモデルだったが(厳密には真偽不明[522])、彼女が裸体モデルを拒否したため頭部のみのモデルとなり、エドヴァルドの妻エリーネ・エリクセンが、首から下のモデルとなっている。アンデルセンの原作では、腰から下は魚だったはずだが、この人魚像は足首の辺りまで人間で、そこから先が魚のひれになっている。神谷敏郎によると、作者は可憐な姫を魚体にすることを不憫に思って人の脚に近い造形にしたとのこと[523]。コペンハーゲンの港に設置されている。
西洋絵画
[編集]例として19世紀英国ラファエル前派の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス『人魚』(A Mermaid, 1900/1901年、冒頭図)が挙げられるが、典型な持物である手鏡と櫛を手にし、長髪を梳く[7]誘惑の女(temptress)のイメージで描かれている[7]。絵の人魚は赤髪ないし赤茶髪で、これは愛の神ヴィーナスの毛並みと一致し[8]、また人魚の手鏡や櫛もこの神の持物に由来するという論説もある[526](一方で、この絵の鏡には「貞淑」や「節制」の意味も込められるのだという評論もされる[527])。
ウォーターハウスの『セイレーン』(The Siren、1900年)も、人魚の一種として書かれているが、「男を破滅させる魔性の女(ファム・ファタール)」のアレゴリーが打ち出されてるという美術評論がされている[528]。
ジョン・コリアの絵画『ランド・ベビー』(1909年)は、人魚とて地上の人間の幼児を初めて目にしたなら驚嘆するだろう、と人間と逆の立場に着想を得た作品である[524]。
日本の文学
[編集]人魚を題材とした日本文学としては、小川未明『赤い蝋燭と人魚』が有名。現代日本ではアンデルセンの『人魚姫』が広く知られており、詩や歌詞において、叶わぬ恋や報われない愛の象徴として人魚が用いられることがある。たとえば田村英里子「虹色の涙」、岡田有希子「十月の人魚」、中山美穂「人魚姫 mermaid」など。また、太田裕美「赤いハイヒール」でも、おとぎ話の中の人魚姫が赤い靴を一度履いたら死ぬまで踊り続けると言及し主人公自身の心情と重ね合わせている。
音楽
[編集]フランスのシンガーソングライター ノルウェン・ルロワ は、2012年のアルバム『Ô Filles de l'eau』のアルバムジャケットとシングル『Sixième Continent』のミュージックビデオに人魚として登場しました[529]。
漫画
[編集]映画
[編集]その他
[編集]パラオ共和国では1992年以降海洋生物保護の記念硬貨を発行しているが、意匠に人魚を取り入れたものもある[530]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 特に『フュシオログス』や、その派生である『動物寓意譚』において
- ^ スペイン語: pez muller, pexe muller 等。
- ^ 高階 2016, p. 132は"もしくは黒や緑"とするが。
- ^ 東洋にも、図像ではないが、文章ならば人魚が赤い髪だという表現はある。松浦静山の記した目撃談では"髪薄赤色"(§甲子夜話)であり、他にもとさかを持つという江戸時代の記述があり、リュウグウノツカイ起源説につながっている(§動物学的説明)。中国の文献にも馬尾のような長髪や、紅い鬣(たてがみ)という表現がみられる(海人魚参照)。
- ^ また、教会の木彫り装飾の人魚も、寓意譚等の装飾写本のセイレーン画に取材しており[14]、同じ寓意解釈が該当するとされる[12][13]。
- ^ 「人魚は洋の東西をとわず、概して不吉な存在で、悲劇の主人公である」、と神話学者の大林太良は考察している[21]。
- ^ 28都県(高橋晴美の調査)。
- ^ 本来北極圏などに生息するアゴヒゲアザラシ種のタマちゃんが都内に現れたのは周知の事実である[31]。
- ^ 井原西鶴の創作(#§西鶴を参照)以外にも[37]、菊岡沾涼の随筆『諸国里人談』では襟に赤い鶏冠のようなもの[38][36]。『甲子夜話』では"色青白く,髪薄赤色にて長かりし"[39]。
- ^ §18世紀モルッカ諸島の人魚(司馬江漢が模写した図)も参照。
- ^ 『阿蘭陀外科医方秘伝』"痔有人不断身二添持テヨシ"他3つの文献が示される[43]。
- ^ 西インド会社理事デ・ラエ、ラテン名ラティウスも、痔に効くことを実体験している。 "Hemorrhoides, which the praised Latius hath observed by experience.. Brancelets being made of the bones..carried to Rome".[44]
- ^ チョーサー「尼院侍僧の話」、1390年頃を初出とする。
- ^ 古語wífは、ドイツ語の Weib のように'女性'の意であり、その名残は"fishwife"(女性の魚売り)などに求めれようが、現代で"wife"ワイフといえば'妻'であろう。
- ^ 『オックスフォード英語辞典』(OED辞典)の註に、13世紀の例は(meremanというスペルといえども)、"merman"(マーマン、人魚男、17世紀初出)の見出しには載せない、とまぎらわしさに言及する。
- ^ 中英語"menen" は、もっぱらマーシア方言という趣旨の Swaen 論文に解説。
- ^ OED "mermaid"の見出しに参考比較語(Cf.)として挙げられている[46]。
- ^ サガ訳もあり、古ノルド語sjókonur(「海の女」)と訳されている[59]
- ^ 古くは人頭の怪鳥の姿。
- ^ フィシオロゴスは厳密にはベスティアリでなくその原型。
- ^ アディショナル本の人魚は図のとおり長い魚を手にするが、クラークはこれはウナギだとしている。
- ^ セイレーンの"残りの部分"は"魚の様とも鳥の様とも"という文。原文:"l'altre partie est figuree / Come peisson ou con oisel" (vv. 1058–1059).[74][67]。
- ^ モリス編版本の欄外要約参照。meremanとは、体躯と胸が乙女のようだが、へそのところでつながっているのは鰭が生えている正しく魚の部分である、の旨が原文に書かれている。
- ^ しかしこうした教会の観念は、現代では女性蔑視のそしりを受けている[84]。櫛や手鏡は、そもそも愛の神ウェヌスにまつわるものであるとの見解もある[85][9]。
- ^ なお、用例が必ずしも人魚と言えない例は、文献を省いた。
- ^ 『オックスフォード英語辞典』(OED辞典)に"meremanni, merimenni, mer(i)min, neut. merminna"と記載される。Schadeの辞典も"meremanni" を見出しにしている。[54]
- ^ OED辞典のベスティアリ(動物寓意譚)からの引用は"ðe mereman if a meiden ilike on brest and on bodi"までだが、その続きの文章も確認できる[79]。
- ^ これらスカンジナビア語の語根は、古ノルド語/アイスランド語 man に求めることができが、これは「男の従僕 bondsman」と「女の従僕、下女 bondswoman, handmaid」の二通りの意味がある[92]
- ^ この"叔母"は正確な訳ではないが、原語merwîp'母方のおば'[96]を端的にあらわす言葉がないということだろう。
- ^ 原作の場面はドナウ川だが[95][61]、少し前のくだりで一行はライン川の対岸の草地に野営を構えている。『シズレクのサガ』版では、ヘグニ(Högni、ハゲネ)が遭遇する同じ人魚ら(古ノルド語: sjókonar '海の女', "sea woman")は[59]、ライン川とドナウ川が交わる水域で現れる[97]。これがワグナー歌劇のラインの乙女らに転じるのであるMagee 1990, p. 65。
- ^ 同様の構図の挿絵(原典『Nibelunge Liet』、詳細不詳)は、相良守峯訳、前編310頁にも掲載されている。
- ^ MHG: ane; modern ドイツ語: Ahn.
- ^ "マーメイド mermaid"という言い回しを避け"ウンディーネ undine"と換言する解説者もいる[103]。
- ^ Bertelsen 編本に拠れば Vilkinasaga の部分は当章より以前に終結している。しかしヴィルキヌス王の末裔をかたる当章も含めて作品名を『シズレクのサガ』でなく『ヴィルキヌスのサガ』 Vilkinasaga だと呼ぶ19世紀以前の解説は多い。
- ^ グロンスポルトは、かつてモーゼル川(古ノルド語Musulá)河畔にあった某都市[113]。現今のどの市町村かの特定はできないフォン・デア・ハーゲンもわからないという: von Der Hagens (1855) Wilkina- und Niflunga-Saga oder Dietrich von Bern und die Nibelungen, III: 267n。
- ^ また、古いケルトの伝承では、人間と人魚の間に肉体的な外見上の違いはなかったとされている[118]
- ^ 井村君江の妖精学著書や[119]、カラン講師の訳書では「ゼノアの人魚」と作る[118]。
- ^ デンマークの童話作家アンデルセンの『人魚姫』(デンマーク語: Den lille Havfrue)には既に触れたが、世界的に有名である。カナ表記「人魚姫の家」を意味する「デン・リル・ハウフル・フス」という施設名のカナ表記を確認。岡山県赤磐市(旧赤坂町)に所在[126][127]。
- ^ またはハブリュー[128]。
- ^ またはハブマン[130]。
- ^ F・バセットが英語で語釈: 'sea-talker'[138]。
- ^ 一例としてクリスチャン4世の生誕の予言を挙げる。
- ^ 人類でないのだから、「ハヴマン」のような「人」の尊称をふくむ名称を避けるべきで、「海猿」(デンマーク語: hav-abe)のような造語で呼ぶべきだと説いている。更には「ハヴ=クオイアス・モルロウ Hav-Quoyas Morrov」なる名も提案している。「クオイアス・モルロウ」というのはアンゴラでみつかる類人猿の、現地名由来の名であり、アンゴラでは人魚が発見されたという例もあることから提案したと説明される。
- ^ ファイエは上述のポントピダン司教(第8章、海の怪物等々)を典拠に挙げているが、司教は当時において近年の目撃例を詳述している。1719年の例は全長3ファゾム (5.5 m)の大型で、濃灰色、足ヒレがアザラシに似ていたが、鯨類に���すと意見されている[147]。1723年の例(Andreas Bussæus 1679–1735 の著述に拠る)は、老人に似て、黒い巻き毛、黒い顎髭を持ち、荒い肌だが毛で覆われるとする。一目撃者が、胴体が魚のごとく先端に向かってすぼまっていると観察した[148]。
- ^ Faye 1833, pp. 58–59: "mørkladne, have langt Skiæg, sort Haar og ligne oventil et Menneste; men nedentil en Fisk". ソープはこれをそのまま "a dusky hue, with a long beard, black hair, and from the waist upwards resemble a man, but downwards are like a fish"と英訳するが[146]、特に明記しない箇所はファイエが典拠であると注記している(p. 9, 注2)。}[注 44]
- ^ Faye 1833, p. 59、注記(Anm.)人魚男(古ノルド語: marbendil)は、 『ハールヴ王のサガ』(14世紀)、海の鬼女(古ノルド語: margygr)についてはオーラヴ聖王のサガの例が挙げられている。
- ^ ベンジャミン・ソープ[146]、のちフレッチャー・バセット[150]は、マルギュグル、マルメニルをあたかも19世紀のノルウェー民間人が使っていた言葉のように解説するが、かれらの原書であるファイエは古語例として備考に述べたにすぎないので、添加内容(改ざん)といえる。
- ^ margýgur, hafgygur ('mer-troll'), haffrú ('sea-maid'); mey-fiskr ('maiden-fish').
- ^ スウェーデンでは他にも、sjö-kona ('海の女'。エストニアルフヌ島方言:sjö-kuna)[157]なども'海の女'を意味する人魚名。
- ^ 「碩学の」の異名をとるヨウン・グズムンドソンの遺稿『Tíðfordríf』および散文エッダ釈義[163]。
- ^ a b c ヨウン・グズムンドソン(1658年没)の遺稿。ヨウン・アウルトナソンの民話集所収[164]。菅原邦城訳「マルベンディトルのはなし」[162]。英訳あり[165][166]。
- ^ 「人魚の伝言」型("英: The Mermaid's Message"; ノルウェー語: Havfruas spådom)。移動伝説の英名("Migratory Legend")よりML番号と略称される。
- ^ グリーム・インギャルズソン Grímr Ingjaldsson。『植民の書』に記述。
- ^ スカールム Skálm という牝馬が、積荷の下になったまま地べたに伏した場所。
- ^ "Hafsfmannen"
- ^ "Rosmer Havmand"
- ^ 蛇足だがイプセンの戯曲「ロスマースホルム」の主人公名称は人魚ロスマーに着想を得ている。
- ^ "Hafsfrun"/"Havsfruns tärna"
- ^ 写本に施されたミニチュア絵画の復刻(白黒)は、フリチョフ・ナンセンの著作や[182]、デュボワ論文にみえる[183]。
- ^ "margygr, hafgygr ('mer-troll')".
- ^ 中野他訳にもあるようトリトンはもとは一柱の「半身半魚の海神」だったが、後にトリトンという不特定多数の海の怪異のこととされた。
- ^ リスボンの使節団がティベリウス帝に報告した内容が一般のトリトンの図像と合致する、ということ。
- ^ リオ・デ・オロ(現今のヤケ・デル・ノルテ川)。
- ^ 英訳"three sirens which rose fully out of the sea"による[208]。邦訳(林屋永吉訳)だと「海上高く三匹の人魚が飛び上がるのを」であるが[209][210]、それだと鯨のブリーチングや、イルカ・アザラシ・魚類等にしかみられない跳躍行動とおぼしく、マナティー仮説にそぐわない。原文は"tres sirenas que salieron bien alto de la mar"で、動詞は salir 「出る」であり saltar 「跳ぶ」ではない。
- ^ 森田は「ハドソンの人魚は、全身乳白色で美しい声を出すところから「海のカナリア」と呼ばれるベルーガ(シロイルカ)か」イッカクと推察する。
- ^ 同書に詳述されるが、ブラジルで(オランダ)西インド会社の商人が「海人(ホモ・マリヌス)」を捕えている(ラテン語原文: "prope Brasiliam.. captus suit homo marinus"[214])[221]。ただしウェブスターの古英訳では「ブラジル」が欠落する���"a Sea-Man taken by the Merchants of the West-India Company"。
- ^ ラテン名ペトルス・パヴィウス
- ^ 中丸 2015, p. 14が"ヨハネス・デ・ラエトの解剖結果"とまとめるには語弊があると思われる。
- ^ バルトリンは首がなく(頭がそのまま胴体につながる)、乳を分泌する乳房をもつ個体について説明しているが[222]、これはじつはブラジルではなく南アフリカの喜望峰ちかくの「クアマ川」で捕獲された個体についてベルナルディーノ・ジンナーロ(ベルナルディヌス・ギンナルス、1577–1644)より引用した内容である[44][221]。
- ^ 「海馬」は、水象牙を得られる生物。南方は『正字通』(1627)にある「落斯馬(ロスマ)」について、これはノルウェー語ロス・マー(セイウチ[224])のことであると説明しており、オランダの中国学者シュレッゲル(グスタフ・シュレーゲル)による「ウニコール(ユニコーン)」を"駁し"ているが[225]、一部の西洋の識者の間ではかつて、海棲のユニコーンのごとき一角の馬がいると伝わっていたことは、エラスムス・フランチスキーの挿絵でも明らかである:Francisci 1668, p. 1406 向かい Plate XLVII。
- ^ この勇斯東(ヨンストン)よりの模写とする絵が、『六物新志』(「人魚図」牡・牝)に転載されている[232]。
- ^ 捕獲・生息地(著者・文献については以下註)は次の通りである:
- キルヒャーおよびヨンストンでは、捕獲例の場所としてフィリピンのビサヤ諸島あたりの Insulas Pictorum[233][231] すなわち「絵描き [たち]の島[々]」としている[234]。ビサヤ諸島のなかの一部の島群(ミンドロ島などを含む)は「絵具を体に塗った者たちの島々 Islas de los Pintados」と呼ばれていたのである[235]。よってこれを現今のビサヤ諸島の一部と解釈して[236]、さしつかえない。蛇足だが、オランダ訳では「画家の島々」でなく「ピクト人の島々」と訳してしまっている[237]。結果、その日本語重訳では大槻玄沢が「
吸沙伊索嶋 ()嶋に屬する必屈登 ()嶋」と読み[94]、九頭見は「フィサイサ諸島近辺にあるピクテン諸島」とする[238]。 - コリンはフィリピンの海域やマラッカ海峡に生息するとする[239]。
- ナバレテは、ミンドロ島(上述)に訪問の際[240]、ナンホアン[42] Nanboan[241]すなわち ナウハン Nauján の項で、その土地の海や川には魚が豊富で「婦人魚」もいると述べている[41]。
- キルヒャーおよびヨンストンでは、捕獲例の場所としてフィリピンのビサヤ諸島あたりの Insulas Pictorum[233][231] すなわち「絵描き [たち]の島[々]」としている[234]。ビサヤ諸島のなかの一部の島群(ミンドロ島などを含む)は「絵具を体に塗った者たちの島々 Islas de los Pintados」と呼ばれていたのである[235]。よってこれを現今のビサヤ諸島の一部と解釈して[236]、さしつかえない。蛇足だが、オランダ訳では「画家の島々」でなく「ピクト人の島々」と訳してしまっている[237]。結果、その日本語重訳では大槻玄沢が「
- ^ アタナシウス・キルヒャー『磁石あるいは磁気の術』(1641年初版)[233]や、これを引いたヨハネス・ヨンストン『魚類と鯨類自然誌5巻』(1657年刊、オランダ訳『動物図譜』1660年)に記述がある[231](1660年)。このほかフランシスコ・コリン『イエズス会フィリピン布教史』(Labor evangelica, 1663年刊)[239]、ドミンゴ・フェルナンデス・ナバレテ『支那歴史政治道徳宗教論』(1676年刊)[241][41]があり、南方熊楠が挙げているが、刊行年などの記述の不備がみられる[42]。
- ^ アントロポモルポス Anthropomorphos と、原書(キルヒャー[233]やヨンストンのラテン語版では綴っている(上図、銅版画の見出し参照)[231]。これをヨンストンのオランダ語訳の本文では Anthropomorphus に綴りを変えているものの、銅版画は同一を使いまわしているので Anthropomorphos のままになっている[242]。
- ^ 細かい点だが、原典(キルヒャーやヨンストンのラテン語著作物)のなかでは「ピスキス・アントロポモルポス」(羅: piscis anthropomorphos; 希: ανθρωπόμορφος)と称してラテン語とギリシア語の合成語になっている(なお原文ではpisceと綴るがこれは奪格、すなわち「○○魚について De~」の句形の用法で、主格に直すと piscisである。)[233][231]
- ^ このほかインド人(原住民)が人魚と夜毎に性交を行い、その胸から下は人間の女性のようだったという証言(懺悔内容)が記録されている[241]。
- ^ ビサヤ地方のイロンゴ語(ヒリガイノン語)やパラワノ語 duyong であり[243]、パラワン島のドゥヨン洞窟の名称にもなっているので「ドゥヨン」を音写とする。[大槻]玄沢は「
受伊翁 ()」[94]、九頭見は「デュイオン」と音写しているが[238]、それは置く。 - ^ ナバレテの紀行文 (1676年)は、 "piscis mulier" 英訳 "woman-fish" について述べており、英訳者は "dugong" と註している[41][244]。
- ^ スペイン語名は、当時の書籍によって綴りがだいぶ異なる。すなわち近世スペイン語(あるいはガリシア語)名は、ぺチェ・ムヘル(peche muger,[233])、ペス・ムリェール/ぺシェ・ムリェール(pez muller, pexe muller[239])などである。カナ表記は暫定。
- ^ なお、ヨンストン『図譜』1660年蘭訳本[242]からの重訳になると、"「ペッヒ・ムーヘル」,すなわち婦魚と呼ぶ。"と九頭見は音写するが[238]、それだとオランダ式発音なので本文では置く。
- ^ ナバレテは、そのやや後年の著述で、そのラテン訳名ピスキス・ムリエル(piscis mulier[41])を記載する。南方は"ラテン語ペッセ・ムリエル、婦人魚の義なり"と説く[42]。
- ^ ポルトガル語: peixe mulher[43]。
- ^ バッセット(1892年)は「モルッカのセイレーン Molucca siren」と改名している[248]。
- ^ ハンドカラーリング法で着色されているので極彩色[255]。
- ^ François Valentijn. ファレンティン Valentyn 等とも表記される。『東海諸島産物志』(『新東旧インド志』1724–1726年[260][261]。
- ^ じっさいは原書フランス語の"souris"、英語のmouseであり、いずれの単語もハツカネズミ属に限らず様々な小型齧歯類の総称である。
- ^ そしてルナール図譜の英訳版の編訳者 Pietsch もジュゴン説を支持[256]。
- ^ 『坤輿外紀釋解』(嘉永5年)があるのでそれ以前。
- ^ 益軒(1709年)の下血効能は、ヨンストンにも記載されているのだと九頭見は講じているが[284]、「止血」と「下血」は異なると言えよう。
- ^ 旧西洋医学では痔は"体液の漏れ"の一種と解されていた。伝ヒポクラテス著『痔疾の書』による[285]。
- ^ 既出の西インド会社理事デ・ラエ。この箇所は原文では ラテン名ラティウス Latius を用いる。
- ^ カッシアヌス・ア・プテオことカッシアーノ・ダル・ポッツォから得た情報とする。
- ^ Colín, "Pez Muller" (marginalia)。文中ではスペイン名"Pexe Muller"、現地名 "Duyon"が述べられる。該当箇所:"me pareciò su carne como de torcino gordo(肉は肥えた豚のそれのようだと思う)"。南方もコリンの同著書を引いて"人魚の肉食うべく、その骨も歯も金創に神効あり"とする。
- ^ 『六物新誌』のヨンストン訳によれば、皮膚に黒色斑点がある症状は、肉を患部に貼るとそれが解消されるとしている[94][291]。しかしながらJonston オランダ語原文 "Een ander zeit, dat haar visch op het menschen-vleesch geleidt, zo krachtich al de geesten to zich trekt, dat hy den mensch als verdooft maakt".[242]に照らすと、"他者いわく、この魚[人魚]は、人間の肉[欲]を誘導し、すべての精神を強力に惹きつけ、麻痺させてしまう"とまったく違うことが書かれている。『六物新誌』の"黒色斑点"というのは、じつは玄沢が訳しもらした「より強力な雌海人の骨」(上注参照)を区別する特徴なのである。
- ^ 九頭見 2006b, p. 59に複写された『山海経』(平凡社、1994年)掲載の人魚図と一致する。
- ^ ここでは人魚は𩵥(フェイ)に似る、と読める。どの魚種か特定困難だが、日本国内では「ウグイ」の俗字[302]。
- ^ 䱱魚は、現代語辞書ではナマズの種ともオオサンショウウオの種とも定義されるようである。鈴木訳 1930『本草綱目』の〔䱱魚〕人魚・孩児魚図が九頭見 2006b, p. 60に複写されるが、これとよく似る。
- ^ 参考までに、九頭見 2006b, p. 53 では典拠を特定していないが: "他の人によれば人魚とは鯢(サンショウウオ)のことで鮎(なまず)に似ていて足が4本あって、声は小児泣くときのようであるとのことである。"とする。
- ^ なお『海内北経』陵魚の注では、郭義恭撰『廣志』"鯢魚聲如小兒啼,有四足,形如鯪鱧,可以治牛,出伊水也"(散逸文。『水經注』伊水の項に残る)を引いている[311]。『廣志』逸文は『水經注』以外にも『太平御覧』にも残されているが、徐広から引いた「徐廣曰 人魚似鮎而四足。即鯢魚也」を伴う[312]。『史記』「秦始皇本紀」六(注釈本)では秦始皇帝陵の人魚膏について、張守節『史記正義』による『廣志』の同上引用文、そして徐広(すなわち『史記音義』[312])の同上引用文が注釈にもちいいられる[298]。
- ^ a b 九頭見 2006a, p. 53:"本書[山海経]の訳者前野直彬の「注」には、[𥂕蜼は]猿の一種、「䱱」については「サンショウウオ」とある"。
- ^ 『山海経』「中山経」本文では𥂕蜼は不詳とあるが[296]、注釈者呉任臣の提案によれば𥂕蜼とは
蒙頌 ()のことであり[315]、『本草綱目』によれば蒙頌は猿の一種である[316]。しかしこれについては別の解釈の余地もある。任臣は䱱魚を「獺」の類だともしており、蒙頌はマングースのことだともされている[317]。 - ^ 原文:"䱱魚形微似獺"。
- ^ 南方 1973, p. 306:"すでに山椒魚に近き鯢(げい)という物の一名を人魚と呼ぶ由、支那の書に見ゆ"とあり、日本書紀の例も"山椒魚(さんしよううお)のことだろう"とするので、オオサンショウウオ類のことと思われる。
- ^ 『和名抄』は、『山海経』を引いて小児のような声を発するためこの名があるとしている。
- ^ ちなみに「鯪鯉」とは哺乳類のセンザンコウのことだと『本草綱目』には記される[327]
- ^ 「蛟人」または「鮫人」とも表記されるが、人魚の認識が龍人から半魚人へと変遷したと論考される[330]も人魚のうちに数えられている[331][330]。『述異記』のいくつかの箇所に記述がみえる。
- ^ 『山海経』「海内南経」に雕題国の項があるが、郭璞注によればこれは顔や体に鱗のいれずみをほどこす蛟人のことを指している[338][294]。
- ^ (読み下し):“𥥛(ハツ)は海人を生じ、海人は若菌(じゃくきん)を生じ、若菌は聖人を生じ、聖人は庶人を生ず。凡そ𥥛なる者は庶人より生ず”。
- ^ 𥥛という字は他にほとんど用例が見られず、兪樾は胈(体の表面に生える小さい毛)の誤りだろうとする[347]。
- ^ 現代地名としては「東海」は東シナ海なので、そう解釈されてもいるが[349]、単に「東の海」と訳す例もある[350]。歴史的には「東海」の意味は必ずしもそうではなく、たとえば「日本海」を指す場合がある[351]。
- ^ 別の淡水の例として弘仁年間(810–824)に琵琶湖で網獲されたと江戸期の『広大和本草』別録にある[356][357]。
- ^ 鎌倉時代の『古今著聞集』など。
- ^ §越中の人魚(海雷)
- ^ 清寧天皇5年(紀元1140年)の事案としているので[361]、西暦480年となる。なお藤澤は前章で、八百比丘尼の生誕は雄略天皇12年(紀元1128年)すなわち西暦468年としている[362]
- ^ この願成寺には、もうひとつ伝承があり、尼に恋したという人魚のミイラの伝説および伝・ミイラの実物が存在する[374]。「§人魚のミイラ」に詳述。
- ^ a b 橘成季『古今著聞集』巻二十,第三十編『魚虫禽獣』,「第七百十二段 伊勢国別保の浦人人魚を獲て前刑部少輔忠盛に献上の事」[383]。
(口語訳) - ^ 人魚がどう分配されたについては"二喉をば、忠盛朝臣の許へもて行き、一喉をば浦人にかへしてければ、浦人皆切り食ひてけり"(大橋新太郎の読み下し)[386]とあり、"二疋は忠盛朝臣に献上し、残りの一疋は浦人共が割いて食べた(巌谷小波編訳)[387]に従うとする。だが「一匹をみんなで食べた」ではなく「三匹ぜんぶ食べた」という解釈もされる:"���盛は畏れ多いことと思ったのか、そのまま漁師たちに返却したところ、漁師たちはそれを全部食べてしまった"(川村&浅見)[388]。
- ^ 「津軽の浦」の地名が明確にどこを指すか資料に乏しい。津軽郡 (陸奥国)のどこかの浦となると、現・つがる市の西あたりの日本海なのか、現・東津軽郡の北の青森湾なのか、という話になる。のちの元禄元年の捕獲例は、野内浦とあり、青森湾と思える。
- ^ ただ食い違いもあり、『本朝年代記』では宝治元年に「津軽浦」が、西鶴や、その太宰治の翻案「人魚の海」では「津軽の大浦」としている[404]。
- ^ 『長崎見聞録』とも
- ^ 直前に「落斯馬(らしま)」も掲載される。「落斯馬」の南方熊楠考については以下の註を参照。
- ^ "半身以上は女人に類して、半身以下は魚類也。人魚骨は、功能下血を留るに妙薬也。蛮語にペイシムトルトと云。紅毛人持わたる事あり"(現代活字本を参照)
- ^ 西鶴の『好色五人女』(1686年)の巻五の五「金銀も持ちあまって迷惑」と「西鶴織留」(1694年)の巻五の一「只は見せぬ仏の箱」にも人魚への言及がある[426]。
- ^ 「第49巻 魚類(江海有鱗)」vs.「第14巻 外夷人物」)。
- ^ 藤澤の「人魚考」ではこの2図を連続で掲載しているが[437]、良安は隣り合わせにしておりらず、所収巻も異なる[注 124]。
- ^ ヨンストンの蘭訳書(1660年)は、すでに1663年に幕府に献上され、野呂元丈『阿蘭陀禽獣虫魚図解和解』(1741年)で抄訳しているが、人魚の項は1、2語を述べたに過ぎないのでこの江戸前期の段階では影響はみられなかった[238]。
- ^ 『坤輿外紀』「海族」には「海女」「海人」とみえる[447]。『坤輿全図』[446]や『坤輿図説』「異物図説」西楞(セイレーン)と表記している[287]。
- ^ 京伝もあるいは『山海経』などに通じていた可能性がある:『箱入娘面屋人魚』では登場人物が人魚に䱱魚 鯢魚の二種類がいると講釈する[448]。益軒は「
䱱魚 () 」、「鯢魚 ()」と区別した[284]。 - ^ 東津軽郡野内村と同定すれば、青森湾の一部であろう。
- ^ 吉岡は宝暦8年としているが[411]。それぞれの資料で年付が7,8,9年とバラバラである。
- ^ 藤澤は資料を『津軽舊記(津軽旧記)『としているが、これは『津軽藩旧記伝類』という抜粋集らしい。
- ^ 「石崎村でとれた異形の魚」(弘前市立弘前図書館蔵『三橋日記』。
- ^ 阿蘭陀渡里人魚の図
- ^ 原文は"越中国、
放生淵 ()四方浦 ()と読まれているが[464]、正しい読みは「よかたうら」[465]。 - ^ ニベ、オオウナギ等。
- ^ ただしピーボディ博物館にあるのはモーゼズ・キンボールの遺贈品であり、バーナムが展示した人魚もキンボールから貸借されたものとされている。
- ^ イアーラが恋人の男性とともに水底に消えそのまま幸せに暮らしたというエンディングもある[516]。
- ^ 小説家モライス(pt:Raimundo Morais)の Na planicie amazonica, 1926年、p. 80: "A yára [iara] ,.. Metade mulher, metade peixe , .. cauda de escamas multicores イアーラは.. 女性の部分と魚の部分でできており .. 色とりどりの鱗をした尾を持っている "がしばしば引用される。例えば: Cascudo (2002) Antologia do folclore brasileiro 第9版、2: 178.
- ^ 以下詳述。
- ^ カスクードは後の『ブラジル民俗辞典』(1954年)で、「マンイ・ダグア(水の太母)」に、より様々なヨーロッパ伝説や原住民神話の影響の可能性があるとする。
- ^ トードス・オス・サントス湾一帯。
- ^ Pero de Magalhães Gandavo. História da Província de Santa Cruz (1576)。"Hipupiàra"と綴る。
- ^ Fernão Cardim, Do clima e terra do Brasil、1584年。 "Igpupiàra"と綴る。
- ^ 男性を破滅させ性器を切り取る存在ならばそれは悪女であるとの観。ヴァギナ・デンタタの寓意に代表される。(イプピアーラに詳述)
出典
[編集]- ^ a b 高階 2016, pp. 128–129.
- ^ クリストファー・デル『世界の怪物・魔物文化図鑑』蔵持不三也[監訳], 松平俊久[訳]、柊風舎、2010年、105頁。
- ^ a b 中丸 2015, p. 12.
- ^ a b c 高階 2016, p. 132.
- ^ Holford-Strevens 2006, p. 36.
- ^ Peacock, Martha Moffitt (2020), “The Mermaid of Edam and the Emergence of Dutch National Identity”, in Classen, Albrecht, Imagination and Fantasy in the Middle Ages and Early Modern Time: Projections, Dreams, Monsters, and Illusions, Walter de Gruyter, p. 684, ISBN 9783110693782
- ^ a b c d Rhodes, Kimberly (2016). Ophelia and Victorian Visual Culture: Representing Body Politics in the Nineteenth Century. Routledge. p. 118. ISBN 9781351555678
- ^ a b c Fraser 2017, Chapter 1. § Prehistory: Mermaids in the West"end of section
- ^ a b c Wood 2018, p. 68.
- ^ Warner, Marina From the Beast to the Blonde, p. 406 apud Fraser 2017, Chapter 1. § Prehistory: Mermaids in the West: "comb and mirror.. probably inherited from the goddess of love, Aphrodite".
- ^ a b c d Clark, Willene B. (2006). A Medieval Book of Beasts: The Second-family Bestiary: Commentary, Art, Text and Translation. Boydell Press. p. 57 and n50. ISBN 9780851156828
- ^ a b c Waugh 1960, p. 77.
- ^ a b c Chunko-Dominguez, Betsy (2017). English Gothic Misericord Carvings: History from the Bottom Up. BRILL. pp. 82–84. ISBN 9789004341203
- ^ Druce 1915, pp. 151, 175.
- ^ Hayward (2018, p. 48), n. 19: "their representations in Portugal and elsewhere in Wester Europe were standardised as more typical mermaid-ones from the 1500s on"。 セイレーン論文 Holford-Strevens 2006を引く。
- ^ 九頭見 2006a, p. 59.
- ^ a b c d e f 『吾妻鏡』(吉川本)巻三十六;(北條本)巻三十八・五月二十九日の条[394][395]。
- ^ a b c d e f 『北条九代記』八[392][393]。
- ^ a b 藤澤 1925, p. 26.
- ^ a b c d e f 荒俣宏、應矢泰紀「人魚」『アラマタヒロシの日本全国妖怪マップ』秀和システム、2021年、53頁。ISBN 9784798065076 。
- ^ 大林 1979, p. 68.
- ^ 『吾妻鑑』、九頭見 2005, pp. 47–48九頭見 2006b, pp. 54–55に引用・解説。
- ^ 『北条五代記』、大林 1979, p. 69に不吉の例として引用。
- ^ 常光 2012b, pp. 187–189.
- ^ 常光 2012b, pp. 189–192.
- ^ 日本児童文学会[編]『アンデルセン研究』小峰書店、1975年、117–118頁。
- ^ 荒俣宏『世界大博物図鑑第5巻[哺乳類]』平凡社、1988年、378頁 。
- ^ 九頭見 2011, pp. 68–69, 72.
- ^ 中丸 2015, pp. 9–10.
- ^ 九頭見 2009, pp. 84–86.
- ^ 九頭見 2009, p. 90.
- ^ 九頭見 2009, pp. 89–90.
- ^ 安冨和男『蟹の泡ふき―やさしい動物学』北隆館、1982年、35頁。
- ^ 内田 1960, p. 47および吉岡 1993, p. 42
- ^ a b c d e f 本間義治「日本古来の人魚、リュウグウノツカイの生物学」『環日本海研究』第11号、環日本海学会編集委員会、126–127頁、2005年10月1日 。
- ^ a b 吉岡 1993, p. 37.
- ^ a b 九頭見 2001, p. 33.
- ^ 九頭見 2005, p. 51.
- ^ a b c 吉岡 1993, p. 38.
- ^ a b 九頭見 2006a, pp. 59–65.
- ^ a b c d e f g Cummins 2017.
- ^ a b c d e f g h 南方 1973, p. 306.
- ^ a b c d e f g h ヴォルフガング・ミヒェル「カスパル・シャムベルゲルとカスパル流外科(下)」『日本医史学雑誌』第42巻第4号、1996年12月20日、525–528頁。
- ^ a b c d e f g h i j Bartholin (1654)の当該箇所の古い英訳:Webster, John (1677). “Chap. XV. Of divers Creatures that have a real existence in Nature, and yet by reason of their wonderous properties, or seldom being seen, have been taken for Spirits, and Devils”. The Displaying of Supposed Witchcraft. London: J. M.. pp. 285–286
- ^ “Mermaid”. Dictionaries. Oxford. 20 November 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。16 April 2012閲覧。
- ^ a b c "mermaid". Oxford English Dictionary (3rd ed.). Oxford University Press. September 2005. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。); Murray, James A. H. ed. (1908) A New Eng. Dict. VI, s.v."mermaid"
- ^ "mer-". Oxford English Dictionary (3rd ed.). Oxford University Press. September 2005. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。); Murray, James A. H. ed. (1908) A New Eng. Dict. VI, s.v."mer-"
- ^ a b c d e f "mermin". Oxford English Dictionary (3rd ed.). Oxford University Press. September 2005. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。); Murray, A. H. ed. (1908) A New Eng. Dict. VI, s.v."mermin"
- ^ Swaen, S. E. H. (Adriaan Ernst Hugo) (1917–1918). “The Excavation of the Athenian Agora Twelfth Season”. Englische Studien 51: 300–301 .
- ^ 『ベーオウルフ』1519行。忍足訳では「水の魔女」
- ^ Beowulf, Klaeber ed. (2008) [1936]. v. 1519
- ^ Bosworth-Toller (1882), s.v. "mere-wíf"
- ^ a b 相良守峯訳『ニーベルンゲンの歌』第2巻、340頁、1535行の巻末注。
- ^ a b Schade, Oskar (1866). “meremanni ahd. st. M. mhd. mereminne / merewîp, merwîp” (ドイツ語). Altdeutsches Wörterbuch. II. Halle: Verlag der Buchhandlung des Waisenhauses. p. 394
- ^ "注"
- ^ Lexer (1872) Mittelhochdeutsches Handwörterbuch, s.v. "mer-wîp"
- ^ a b c Grimm & Stallybrass tr. 1883, p. 490.
- ^ グリム『ドイツ神話学』英訳、"merwoman"[57]。
- ^ a b c d e Lionarons, Joyce Tally (1998). “The Otherworld and its Inhabitants in the Nibelungenlied”. In McConnell, Winder. A Companion to the Nibelungenlied. Camden House. p. 168–169. ISBN 9781571131515
- ^ "mermaid, .. water sprite".[59]。
- ^ a b c 相良守峯訳『ニーベルンゲンの歌』第2巻、108頁、第25歌章、1535行。挿絵。
- ^ a b 石川栄作「「ニーベルンゲンの歌」と「平家物語」における悲劇の英雄像」『徳島大学教養部紀要(人文・社会科学)』第22号、1987年3月、217頁。
- ^ a b 「ベルン318番写本」(ベルン市立図書館、Codex Bongarsianus 318)、うち第18章「セイレーンとオノケンタウロス」(第13v葉)。原文ラテン語の見出しは「セーレーンとホノケンタウルスのに性質ついて de natura serenae et honocentauris」。現今フランス北部ランス (マルヌ県)に近いオーヴィエ修道院、830年頃成立[65][66]。
- ^ “British Library Add MS 11283”. British Library. 2022年9月6日閲覧。, fol. 20v.
- ^ “Bern, Burgerbibliothek / Cod. 318 – Physiologus Bernensis”. e-codices. 2022年9月11日閲覧。, facsimile, fol. 13v
- ^ 水島ヒロミ「『フィシオログス』(ベルン318番写本)に関する一考察」『藝術(大阪芸術大学紀要 )』第33巻、2010年、60頁。
- ^ a b Woodruff, Helen (September 1930). “The Physiologus of Bern: A Survival of Alexandrian Style in a Ninth Century”. The Art Bulletin 12 (3): Fig. 22 and p. 249. JSTOR 3050780.
- ^ a b Leclercq, Jacqueline (February 1989). “De l'art antique à l'art médièval. A propos des sources du bestiaire carolingien et de se survivances à l'époque romane [From ancient to mediaeval Art. On the sources of Carolingian bestiaries and their survival in the romance period]”. Gazette des Beaux-Arts 113: 82, 88. doi:10.2307/596378. JSTOR 596378 . "Physiologus de Berne.. En contradiction avec le texte qui dépeint une Sirène-oiseau, c'est une Sirène - poisson qui , dans l'illustration , apparaît face au centaure." ; Leclercq-Marx, Jacqueline (1997). La sirène dans la pensée et dans l'art de l'Antiquité et du Moyen Âge: du mythe païen au symbole chrétien. Classe des beaux-arts, Académie royale de Belgique. p. 62ff. ISSN 0775-3276 . "The chapter devoted to the Siren and the Centaur is an excellent example of this because the Siren is represented as a woman-fish whereas she is described in the form of a woman-bird.."
- ^ “Bodleian Library MS. Bodl. 764”. Oxford University, the Bodleian Libraries. 2022年9月9日閲覧。, fol. 074v.
- ^ Barber, Richard, ed (1993). “Sirens”. Bestiary: Being an English Version of the Bodleian Library, Oxford M.S. Bodley 764 : with All the Original Miniatures Reproduced in Facsimile. Boydell Press. p. 1150. ISBN 9780851157535
- ^ オックスフォード大学、ボドリアン図書館蔵第764写本、第74葉裏[69]。バーバーの翻刻版本はテキスト英訳つき[70]。
- ^ Hardwick 2011, p. 92.
- ^ Holford-Strevens 2006, pp. 31–32, Fig. 1.4
- ^ Muratova, Xénia; Poirion, Daniel, eds (1988). Le bestiaire. Philippe Lebaud. p. 33. ISBN 9782865940400
- ^ Philippe de Thaun (1841). “The Bestiary of Philipee de Thaun”. In Wright, Thomas. Popular Treatises on Science Written During the Middle Ages: In Anglo-Saxon, Anglo-Norman and English. London: Historical Society of Science. p. 98, fol. 59r, Cotton MS Nero A V digitized @ British Library.
- ^ Holford-Strevens 2006, p. 34.
- ^ “Detailed record for Arundel 292”. British Library. 2022年9月19日閲覧。, fol. 8v "Natura Sirene"
- ^ Pakis 2010, pp. 126–127, note 42。ただし古高ドイツ語と同語が中英語でも使われた例、という言い回し
- ^ a b c Morris, Richard, ed (1872). “Natura Sirene”. An Old English miscellany containing a bestiary, Kentish sermons, Proverbs of Alfred, religious poems of the thirteenth century [The Mermaid]. E.E.T.S. Original series 49. Early English Text Society. pp. 18–19 With marginal synopsis.
- ^ 大英図書館蔵、アルンデル292写本、第8葉裏[79]。
- ^ Armistead tr. 2001 vv, 391–462, pp. 85–86
- ^ アレクサンドリアのクレメンス著『プロトレプティコス(勧告)』(195年頃)第12章。Druce 1915, p. 170に引用。
- ^ Hardwick 2011, pp. 92–93.
- ^ Bacchilega & Brown 2019, p. xiv.
- ^ Warner, Marina (1994) From the Beast to the Blonde, p. 406 apud Fraser 2017, Chapter 1. § Prehistory: Mermaids in the West: "comb and mirror.. probably inherited from the goddess of love, Aphrodite".
- ^ a b Hardwick 2011 p. 92. 動物寓意譚の図像の遷移については Leclercq-Marx を引く[68]。
- ^ Druce 1915, pp. 170.
- ^ ウルリヒ・フォン・ツァツィクホーフェン『ランツェレト』。邦訳『湖の騎士ランツェレト』、平尾浩三(訳)
- ^ Zenker, Rudolf (1926). “Weiteres zur Mabinogionfrage”. ZFSL, Zeitschrift für französische Sprache und Literatur 48: 96 .
- ^ a b Lexer (1872) Mittelhochdeutsches Handwörterbuch, s.v. "mer-minne"
- ^ a b c Hyltén-Cavallius, Gunnar Olof ed. (1854). Sagan om Didrik af Bern Kap. 383, p. 300. Den gamla svenska bearbetningen af Didriks sagaの成立年代についてはifrån 1400-talet(15世紀以降)とある、p.xxiii
- ^ Pakis 2010, p. 126 and n40、Cleasby & Vigfusson, An Icelandic-English Dictionary, s. v. "man"を引用。
- ^ a b Jonston (オランダ訳原文): "De beenders van dese visch hebben groote kracht om't bloed te stoppen, en an te trekken, men heest gezien datse het lopende bloed zo stildden, gelijk of de ader was gebonden: Nochtans zijn die van de Vrouwen oft Meermin veel krachtiger, en uit die dese, welke met plekken, na't swart hellende, gevlekt zijn".[242] Jongh英訳(部分): "the bones of this fish are extremely powerful agents for reducing or increasing the flow of blood : and those of the Women or mermaids are stronger yet"[237]
- ^ a b c d e 大槻 1786巻下:第24葉表–25葉表. "勇斯東(ヨンストン)『禽獣蟲魚譜』曰く、
安杜路卜木児畢思 ()[羅甸語なり。和蘭迷伊児名能(メイルミンネン)或は膚魯烏吸悉(フロウヒス)と翻す。倶に此に婦魚と翻す。].. 肉: 主治上有黒色斑點者貼肉.."等。 - ^ a b c Bartsch ed. (1905), 5th ed., Das Nibelungenlied, XXV. Âventiure, Str. 1533–1544; Edwards, Cyril tr. (2020). The Nibelungenlied: The Lay of the Nibelungs. "Twenty-fifth Adventure" Str. 1532–1543, Oxford University Press
- ^ Lexer (1872) Mittelhochdeutsches Handwörterbuch, s.v. "muome swf.".. mutterschwester
- ^ Paff 1959, p. 214: "at a point near ' where the Rhine and Danube [ Dúná ] join"
- ^ a b Kemmis, Deva F. (2017). “'Listening Down the Hall': An Epistemological Consideation of the Encounter with Melusine in the Germanic Literary Tradition”. Melusine's Footprint: Tracing the Legacy of a Medieval Myth. BRILL. pp. 326–327 n11. ISBN 9789004355958
- ^ Grimm apud Magee 1990, p. 63; Grimm & Stallybrass tr. 1883, p. 490
- ^ Müller, Ullrich [UM] [in ドイツ語] (2011) [2002]. "Rhine Maidens". In Gentry, Francis G.; Wunderlich, Werner; McConnell, Winder; Mueller, Ulrich (eds.). The Nibelungen Tradition: An Encyclopedia. Routledge. pp. 167–168. ISBN 0-8153-1785-9。
- ^ Millington, Barry; Spencer, Stewart (1993). “Notes on the translation”. Wagner's Ring of the Nibelung: A Companion. Thames & Hudson. ISBN 9780500771464
- ^ Martin, Ernst ed. (1866 ). Str.964. Str. 969
- ^ a b Paff 1959, p. 129.
- ^ a b c Bashe, E. J. (1923). “Some Notes on the Wade Legend”. Philological Quarterly 2: 283 .
- ^ a b c d Davidson, H. R. Ellis (September 1958). “Weland the Smith”. Folklore 63 (3): 149–150. JSTOR 1258855 .
- ^ a b c Paff 1959, p. 71: "The Swedish epilogue (II, 395) purports to know the true story of the death of Viðga and þíðrikr: after þíðrikr chased Viðga into the sea (see Musulá) Viðga's great-grandmother, an undine, conveyed him to Sjælland. Cf. Paff 1959, pp. 51–53, 129.
- ^ Paff 1959, p. 71.
- ^ Haymes tr. (1988), p. 270: "The End of Vidga and Thidrek, according to the Swedish Chronicle of Thidrek", Ch. 439. Vidga takes up residence in Sjaland.
- ^ a b Bertelsen, Henrik ed. (1905). Þiđriks saga af Bern Kap. 841 (57), I:73: "Vaðe rise ier asiolande svnr villcinus konongs ok siokononar ..."
- ^ a b Buchholz, Peter (1980). Vorzeitkunde: mündliches Erzählen u. Überliefern im mittelalterlichen Skandinavien nach d. Zeugnis von Fornaldarsaga u. eddischer Dichtung. Wachholtz. p. 85. ISBN 9783529033131 . "Nach der Þiðreks saga 36 ( 46 ) ist der Riese Vaði der Sohn einer siókona (Meerfrau)"
- ^ Paff 1959, p. 53.
- ^ Paff 1959, pp. 53, 217
- ^ a b Paff 1959, pp. 35, 73, 85.
- ^ 朱鷺田祐介『海の神話』新紀元社〈Truth In Fantasy 73〉、2006年12月4日、103頁。ISBN 978-4-7753-0494-5。
- ^ 吾孫子豊『ラインの伝説 ヨーロッパの父なる川騎士と古城の綺譚集成』八坂書房、2017年、149-156頁。ISBN 978-4-89694-229-3。
- ^ 草野巧『幻想動物事典』新紀元社、1997年、304頁。ISBN 4-88317-283-X。
- ^ Curran, Bob (1996). Banshees, Beasts, and Brides from the Sea: Irish Tales of the Supernatural. Belfast: Appletree Press. p. 86. ISBN 9780862815530 . "t would be wrong to assume that Irish mermaids correspond exactly to their traditional and well - known English counterparts - half-woman, half-fish. Celtic merfolk rather display more of the attributes of the seal than they do of any fish"
- ^ a b c ボブ・カラン 著、萩野弘巳 訳『ケルトの精霊物語 [The Creatures of Celtic Myth]』青土社、2000年、141–142頁。ISBN 978-4-7917-5884-5。
- ^ a b 井村君江「ゼノアの人魚」『コーンウォール 妖精とアーサー王伝説の国』東京書籍、1997.11.7、101–107頁。
- ^ Matthews, John Hobson (1892). A History of the Parishes of St. Ives, Lelant, Towednack and Zennor: In the County of Cornwall. London: Elliott Stock. p. 383
- ^ 江尻巨木「人魚の像 ブリトン口碑」『週刊朝日』、1924年7月27日号。宮武 1931, pp. 20–27に転載。
- ^ Curran, Bob (2000). “The Zennor Mermaid”. Complete Guide to Celtic Mythology. Belfast: Appletree Press. p. 134. ISBN 9780862817459
- ^ 『世界神話事典』角川書店、2005年、294頁。ISBN 4-04-703375-8。
- ^ トニー・アラン 著、上原ゆうこ 訳『世界幻想動物百科 ヴィジュアル版』原書房、2009年、209頁。ISBN 978-4-562-04530-3。
- ^ a b c d e f トマス・カイトリー『妖精の誕生―フェアリー神話学』市場泰男[訳]、社会思想社、1989年。
- ^ 臼井洋輔; 臼井隆子『岡山の宝箱: 博物館美術館298館総覧』日本文教出版(岡山)、2004年、34頁。ISBN 9784821252305 。
- ^ 臼井洋輔「古代鋳造ビーズ製作技法の研究」『文化財情報学研究』第2号、168頁、2005年 。
- ^ 『妖精学大全』(「ハブリュー 【ハヴリュー】」の項)。“アッハ・イシュカ (Each Uisge)”. 妖精学データベース. うつのみや妖精ミュージアム (2008年). 2022年6月24日閲覧。による。
- ^ a b Olsen, L. B. (ps.; =Salomon Soldin) (1806). “Havfrue 'mermaid, sea-maid, siren'; Havmand 'seaman, merman')”. Dansk og engelsk Lexicon: udarbeidet efter de bedste Forfattere i begge Sprog. Kjøbenhavn: A. & S. Soldin. pp. 155, 820
- ^ 『妖精学大全』(「ハブマン 【ハヴマン】」の項)。“アッハ・イシュカ (Each Uisge)”. 妖精学データベース. うつのみや妖精ミュージアム (2008年). 2022年6月24日閲覧。による。
- ^ Brynildsen, John, ed (1917). “Hav (-frue 'mermaid, maiden'; -mand 'merman')”. Norsk-engelsk ordbog (2 ed.). Kristiania: H. Aschehoug & Company. p. 325
- ^ Pontoppidan 1753a.
- ^ Pontoppidan 1755, pp. 186–195.
- ^ Pontoppidan 1753a, p. 302.
- ^ a b Pontoppidan 1755, p. 186.
- ^ Pontoppidan 1753a, pp. 304, 312, 317.
- ^ Pontoppidan 1755, pp. 187, 192, 195.
- ^ Bassett, Fletcher S. (1892). “Chapter IV. Water-Sprites and Mermaids”. Sea Phantoms: Or, Legends and Superstitions of the Sea and of Sailors in All Lands and at All Times (Rev. ed.). Chicago: Rinehart & Company, Inc.. pp. 148–201
- ^ a b Magnussen, Finn; Rafn, C. C., eds (1845). Grönlands historiske Mindesmaerker, udgivne af det kongelige nordiske oldskrift-selskab. 3. Kjøbenhavn: Brünnich. p. 373
- ^ (Faye 1833, pp. 58–59)、Bassett 1892, p. 172
- ^ Pontoppidan 1755, p. 195.
- ^ Pontoppidan 1753a, p. 303.
- ^ Pontoppidan 1753a, p. 306.
- ^ Pontoppidan 1755, p. 188.
- ^ Faye 1833, pp. 59–62: "Havmaend og Havfruer"(複数形)の節。p. 62 にポントピダンの該当箇所(第8章)を典拠に挙げている
- ^ a b c d e Thorpe, Benjamin (1851). “I. Norwegian Traditions: §The Merman (Marmennill) and Mermaid (Margygr)”. Northern Mythology, Comprising the Principal Popular Traditions and Superstitions of Scandinavia, North Germany and the Netherlands: Compiled from Original and Other Sources. 2. London: Edward Lumley. p. 27
- ^ Pontoppidan 1755, pp. 190–191.
- ^ Pontoppidan 1755, pp. 194–195.
- ^ Pontoppidan 1753a, p. 302n; p. 304, Pontoppidan 1755, p. 183; p. 186n。正しい綴りは margygr, hafstrambr だが、ポントピダンは原書『王の鏡』からの孫引きなためか誤字maryge〔ママ〕, maryge〔ママ〕となっている。
- ^ Bassett 1892, p. 172.
- ^ a b Jón Árnason 1862 "Saebúar og vatna", p. 131
- ^ a b c
- ^ Ólína Þorvarðardóttir (1987). “Sæbúar, vatnaverur og dísir”. Íslenskar þjóðsögur: álfar og tröll. Bóka- og blaðaútgáfan. p. 17. ISBN 9789979921004
- ^ Jakobsen, Jakob (1891). “havfrú, havfrúgv”. Færøsk anthologi: Ordsamling og register udarbejdede af... 2. S.L. Møllers bogtrykkeri. p. 109
- ^ a b Hayward 2017, p. 8.
- ^ a b Tauchnitz, Karl (1883). “mermaid”. Nytt engelskt och svenskt handlexikon [A New Pocket-dictionary of the English and Swedish Languages]. Leipzig: O. Holtze. p. 260
- ^ Rietz, Johan Ernst (1877). “kona: sjö-kuna” (スウェーデン語). Svenskt dialekt-lexikon eller ordbog öfver svenska allmogespraket. 1. Lund: Cronholm. p. 345
- ^ a b c Thorpe, Benjamin (1851). “II. Swedish Traditions: §The skogsrå―the sjöra–§ Of Water-Elves (1 The Mermaid)”. Northern Mythology, Comprising the Principal Popular Traditions and Superstitions of Scandinavia, North Germany and the Netherlands: Compiled from Original and Other Sources. 2. London: Edward Lumley. pp. 75; 76–77
- ^ Faye 1833, p. 59.
- ^ 『ハールヴ王のサガ』(14世紀)に marbendilとある[159]。
- ^ Cochrane, Jamie A. (2008). McKinnell, John; Ashurst, David; Kick, Donata. eds. The Fantastic in Old Norse/Icelandic Literature: Sagas and the British Isles : Preprint Papers of the Thirteenth International Saga Conference, Durham and York, 6th-12th August, 2006. Walter de Gruyter. p. 188–190. ISBN 9780955333507
- ^ a b c ヨウーン・アウトナソン 著、菅原邦城 訳「マルベンディトルのはなし」『アイスランドの昔話』三弥井書店、1979年、52–56頁。ISBN 9789979510444。
- ^ Halldór Hermannsson (1924), “Jón Guðmundsson and his natural history of Iceland”, Islandica 15: xix, オリジナルの2017-08-13時点におけるアーカイブ。
- ^ Jón Árnason 1862 "Þá hló marbendill", pp. 132–133
- ^ Jón Árnason (1864). “The Merman”. Icelandic Legends. London: Richard Bentley. pp. 103–105
- ^ Jón Árnason (1987). “Of Marbendill”. In May Hallmundsson; Eiríkr Magnússon. Icelandic Folk and Fairy Tales. Kjartan Gudjónsson (illustr.) (2 ed.). Iceland Review. pp. lvi–lvii. ISBN 9789979510444
- ^ a b c d e Keightley, Thomas (1850) [1828], The Fairy Mythology: Illustrative of the Romance and Superstition of various Countries (new revised ed.), H. G. Bohn, pp. 152–153
- ^ Faye 1833, pp. 59–60。 英語解説:Thorpe[146]、Bassett 1892, pp. 172–173。
- ^ Kvideland, Reimund; Sehmsdorf, Henning K., eds. (1988), Scandinavian Folk Belief and Legend, U of Minnesota Press, pp. 35, 262, ISBN 9781452901602
- ^ Chapter 52: Spirit of the Sea / 52.4 "Mermaid and the Fisherman" in: Kvideland & Sehmsdorf 1988, pp. 261–262 apud Rekdal, Olav (1933) "Havfrua og fiskaren", Eventyr og segner p. 110. 1923年 Guri Finnset(ノルウェー Eikisdalen, Romsdalen在住)よりの採集話。
- ^ Vigfússon, Guðbrandur; Powell, Frederick York, eds (1905). “Landnáma-bóc II. 5. 2.”. Origines Islandicae: A Collection of the More Important Sagas and Other Native Writings Relating to the Settlement and Early History of Iceland. 1. Clarendon Press, 1905. pp. 53–54
- ^ Tang, Harriet Jean Evans (2022). “1. An Animal-Human Settlement”. Animal-Human Relationships in Medieval Iceland: From Farm-Settlement to Sagas. Boydell & Brewer. pp. 47–48. ISBN 9781843846437
- ^ Grafström, Anders (text); Forssell, Christian (ed.) Forssell, Christian (1827). “Helsingland”. Ett år i Sverge: Taflor af Svenska almogens Klädedrägt, lefnadssätt och hemseder, samt de för Landets Historia märkvärdigaste Orter. Johan Gustaf Sandberg (illustr.). J. Hörberg. p. 52; (英訳):J. Y. (27 December 1873). “Swedish Anitquities: translated and abridged from Forssell's Année en Suede”. The Antiquary IV (95): 315 .
- ^ Gödecke, P. A. (1871). “Studier öfver våra folkvisor från medeltiden”. Framtiden: tidskrift för fosterländsk odling 5: 325–326 .
- ^ a b 中丸 2015, p. 8.
- ^ Kramer, Nathaniel (2014). “Agnes and the Merman: Abraham as Monster”. In Nun, Katalin. Kierkegaard's Literary Figures and Motifs Tome I: Agamemnon to Guadalquivir. Ashgate. pp. 16–17. ISBN 978-1-472-44136-2
- ^ Arwidsson, Adolf Ivar, ed (1837). “150. Hafsfrun”. Svenska fornsånger. 2. Stockholm: P. A. Norstedt & söner. pp. 320–323
- ^ “Smålands Musikarkiv”. Linnaeus University. 2022年6月28日閲覧。
- ^ (≈"Havsfruns tärna", SMB 23[178]
- ^ Grimm & Stallybrass tr. 1883, 2: 494-495.
- ^ 原文は "knäckt" (かち割る、等の意)だが、"kneckt"[167] "knackt"[180]などと記されている。
- ^ a b c Nansen 2014, p. 244.
- ^ a b DuBois, Thomas A. (January 2004). “A History Seen: The Uses of Illumination in 'Flateyjarbók'”. The Journal of English and Germanic Philology 103 (1): 33–35 (fig. 15). JSTOR 27712401 .
- ^ Laity, K. A. (2004). “Translating Saint as (Vi)king: St. Olaf in the Heimskringla”. Viator: Medieval and Renaissance Studies 35 (1): 176. doi:10.1484/J.VIATOR.2.300196. ISSN 0083-5897 .
- ^ Sayers, William (April 1994). “Deployment of an Irish Loan: ON'verða at gjalti' 'to Go Mad with Terror'”. The Journal of English and Germanic Philology 93 (2): 176. JSTOR 27710979 .
- ^ a b Borovsky, Zoe Patrice (1994). Rocking the Boat: Women in Old Norse Literature. University of California, Berkeley. p. 171 . "..further compared to a seal: 'Hon er loðin (hairy or furry) sem selr ok grá at lit'"
- ^ a b Bugge, Sophus (1899). The Home of the Eddic Poems: With Especial Reference to the Helgi-lays. Grimm library 11 (revised ed.). London: David Nutt. pp. 237–238
- ^ 他にも"海より出現する巨人女 giantess who emerges from the sea"[186]、"おぞましいトロル.. として描写されるdescribed.. as disgusting trolls"等[187]。
- ^ a b c Vigfússon, Guðbrandur; Unger, Carl Richard, eds. (1862), “Chapter 23. Olafr konungr vann margyghe”, Flatejarbók, 2, Christiania: P.T. Malling, pp. 25–26
- ^ 「ハーフストラムブル」は中丸 2014, p. 163で確認したカナ表記。
- ^ a b c Lehn, Waldemar H.; Zierau, Wolfgang (2004). “The hafstramb and margygr of the King’s Mirror: an analysis”. Polar Record 40 (213): 228, 121–134. doi:10.1017/S0032247403003255 .
- ^ Gundersen, Dag (2008). “Nordic language history and natural and technical sciences”. In Bandle, Oscar; Braunmüller, Kurt; Jahr, Ernst Håkon et al.. The Nordic Languages. 1. Kjartan Gudjónsson (illustr.). Walter de Gruyter. p. 436. ISBN 9783110197051, citing KLNM= Kulturhistorisk lexikon för nordisk medeltid/for nordisk middelalder.
- ^ Cleasby & Vigfusson (1874), An Icelandic-English Dictionary, s.v. "haf", viz. haf-strambr ".
- ^ Nizolius, Marius (1916), “Triton”, Festskrift til professor Amund Helland paahans 70 aars fødselsdag, 11. oktober 1916, Kristiania: Aschehoug, pp. 217, 221
- ^ Finnur Jónsson ed. (1920) Konungs skuggsjá: Speculum regale, p. 115
- ^ 大プリニウス (1965). “第九巻「水生生物の性質 四」”. プリニウスの博物誌第7~第11巻. 雄山閣
- ^ a b c 藪野直史 (2015年6月1日). “毛利梅園「梅園魚譜」 人魚”. 鬼火 Le feu follet. 2022年6月25日閲覧。
- ^ a b c d 大プリニウス『博物誌』第九巻「水生生物の性質 四」、中野他訳[196]。藪野[197]、中丸 2015, p. 11に抜粋。
- ^ a b c d Pliny the Elder (1940). “IX.10.iv Tritons, Nereid and aquatic monsters”. Natural History, Vol. 3. Loeb classical library.. W. Heinemann. pp. 168–169; 1958 ed.
- ^ a b c d Pliny the Elder (1855). “IX.Chap. 4. (5.) -- The forms of the tritions and nereids. The forms of sea elephants”. The Natural History of Pliny, Vol. 2. H. G. Bohn. pp. 362–363
- ^ a b c d ní Mheallaigh, Karen (2014), “7. Conclusion: fiction and the wonder-culture of the Roman empire”, Reading Fiction with Lucian: Fakes, Freaks and Hyperreality: Greek Culture in the Roman World, Cambridge University Press, p. 262, ISBN 9781316123980
- ^ Olaus Magnus (1555). “Libri XX. Capitulum XX” (ラテン語). Historia de gentibus septentrionalibus. Rome: Giovanni M. Viotto. p. 716
- ^ Olaus Magnus (1996). Foote, Peter. ed. Historia de Gentibus Septentrionalibus: Romæ 1555 [Description of the Northern Peoples : Rome 1555]. Hakluyt Society. p. 1052. "There can be heard melodious flutes and.. cymbals.. as I recounted.. on the sister Fates and the nymphs, as Pliny.. reads..'An embassy was dispatched from Olysippo.. to the Emperor Tiberius that Triton had been seen.. And.. the Nereids... the people.. listened from afar to her dismal moans at the hour of her death', etc."; e-book (unpaginated)
- ^ Nigg, Joseph (2014). “A Sea Creature”. Sea Monsters: A Voyage around the World's Most Beguiling Map. David Matthews, Anke Bernau, James Paz. University of Chicago Press. pp. 130–132. ISBN 9780226925189
- ^ Olaus Magnus (1555). “Libri XXI. Praefatio” (ラテン語). Historia de gentibus septentrionalibus. Rome: Giovanni M. Viotto. p. 729 . "Sunt & beluae in mari quasi h:en:ominis figuram imitantes, lugubres in cantu, vt nereides; etiam marini homines, toto corpore absoluta similitudine.."
- ^ Olaus Magnus (1998). Foote, Peter. ed. Historia de Gentibus Septentrionalibus: Romæ 1555 [Description of the Northern Peoples : Rome 1555]. Hakluyt Society. p. 1081. ISBN 9780904180435. "There are also sea-creatures, like mermaids, which sing plaintively and are similar in shape to human beings; and there are mermen"; e-book (unpaginated)
- ^ Pliny the Elder (1963). Natural History, Vol. 8. Loeb classical library.. W. Heinemann. p. 589 (index). ISBN 9780674994607
- ^ Bradford, Ernle (1973). Christopher Columbus: Studio book. Viking Press. p. 146. ISBN 9780670221561
- ^ クリストーバル・コロン 著、=林屋永吉 訳『コロンブス航海誌』岩波書店、1978年、199頁 。
- ^ a b 九頭見 2007, pp. 37–38.
- ^ Hawks, Francis L. ("The Author of 'Uncle Philip's Conversations' ") (1842). “2”. The Adventures of Henry Hudson. New York: D. Appleton & Company. pp. 37–38. オリジナルの2006-11-16時点におけるアーカイブ。
- ^ 森田勝昭『梅園魚譜』名古屋大学出版会、1994年、34頁。ISBN 9784815802370 。
- ^ Etting, Vivian (2009). “The Rediscovery of Greenland during the Reign of Christian IV”. Journal of the North Atlantic 2 (Norse Greenland - Selected Papers from the Hvalsey Conference 2008): 159. JSTOR 26686946. "Dutch captain David Dannel [sic.].. a mermaid with 'flowing hair..'"
- ^ a b c d Bartholin, Thomas (1654). “Historia XI. Sirenis se Marini Hominis Anatome” (ラテン語). Thomae Bartholini historiarum anatomicarum rariorum centuria (I et )II. Copenhagen: typis academicis Martzani, sumptibus Petri Hauboldt bibl.. pp. 186–191, and Plate.
- ^ 中丸 2015, p. 14.
- ^ バルトリン『希少生物の解剖学誌』(1654年)[214][215]、英訳[44]。
- ^ a b Senter, Phil; Snow, Venretta B. (September 2015), “Solution to a 300-year-old zoological mystery”, Archives of Natural History 40 (2): 257–262, doi:10.3366/anh.2013.0172. Abstract
- ^ Linné, Carl von (1769). Caroli Linnæi ... Amoenitates academicæ, seu dissertationes variæ physicæ, medicæ, botanicæ antehac seorsim editæ, nunc collectæ et auctæ cum tabulis æneis. 7. Leiden: Apud Godefredum Kiesewetter. p. 324
- ^ Scribner, Vaughn (29 September 2021). “Mermaids and Tritons in the Age of Reason”. Public Domains Review. 2022年7月27日閲覧。
- ^ 中丸 2015, p. 17.
- ^ a b c 中丸 2015, p. 15.
- ^ a b c d e Broedel, Hans Peter (2018), “2. The Mermaid of Edam Meets Medical Science: Empiricism and the Marvelous in Seventeenth-Century Zoological Thought”, in Byars, Jana; Broedel, Hans Peter, Monsters and Borders in the Early Modern Imagination, Routledge, ISBN 9780429878855
- ^ Scribner (2020): "'Sirene'.. with certain popular features of a mermaid (exposed breasts and a humanoid face.. odd, webbed hands, buttocks at the front)"
- ^ "rosmer, rosmar"("hross, ross" '馬' + "mer, mar" '海')。Nansen 2014. Chap. XII, p. 174: "The fact that.. a Russian author of the sixteenth century (Mikhow) uses the Norwegian name 'rosmar')" [for walrus]"
- ^ 南方 1973, p. 307.
- ^ 中丸 2015, p. 14–15の掲載訳の抜粋:"海の狐..馬が存在する。なぜ人に似た..海の怪獣.. を否定したがるのか"
- ^ バルトリンはPhocaeとしており[44][226]、これは現代分類学ではゴマフアザラシ属というかぎられた分岐群の意味になってしまうが、ここは鰭脚類 pinnipeds [222](アシカ科、アザラシ科、セイウチ科を含む大分類)と解釈すべきであろう。
- ^ Francisci 1668, p. 1412.
- ^ “1. Meer Mensch filier So bey Bragefanger Die Riepe Die abgefleischte hand 2. Schwimmende Firer (from Erasmi Francisci Ost-und West-indischer, 1668)”. JCB Archive of Early American Images. John Carter Brown Library. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “人魚出沒台灣 不幸災厄跟著來” (中国語). NOWnews 今日新聞 (2018年7月4日). 2023年10月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Jonston, Johannes (1657). “Titulus III. Caput. 1. De pisce ανθρωπόμορφω & Remoranti”. Historiae naturalis de piscibus et cetis libri 5.. Amstelodamum: Ioannem Iacobi fil. Schipper. pp. 146–147, Tab. XL
- ^ a b 大槻 1786巻下:第21葉
- ^ a b c d e f g Kircher, Athanasius (1654). “Lib. III. Pars VI. Caput II. §VI. : De Pisce Anthropomorpho, seu Syrene sanguinem trahente”. Magnes sive De arte magnetica opus tripartitum (3 ed.). Rome: Deuersin et Zanobius Masotti. pp. 531–532
- ^ Jacob, Alexander, ed (1987). Henry More. The Immortality of the Soul. Springer/Martinus Nijhoff Publishers. p. 431, n293/7. ISBN 978-94-010-8112-2
- ^ Prichard, James Cowles (1847). Researches Into the History of Mankind: History of the Oceanic and American nations. Sherwood, Gilbert & Piper. p. 58
- ^ a b Ojeda, Alfonso (2020). Cinco historias de la conexión española con la India, Birmania y China: Desde la imprenta a la igualdad de género. Los Libros De La Catarata. ISBN 9788413520643
- ^ a b Jongh, Eddy de (2004). Fish: Still Lifes by Dutch and Flemish Masters 1550-1700. Centraal Museum. p. 167. ISBN 9789059830059
- ^ a b c d e f g h 九頭見 2006a, p. 60.
- ^ a b c d Colín, Francisco (1663). “Lib. I. Cap. XVII. Algunas cosas naturales, proprias, y otras notables destas Islas. § II. Peces, y animales [marginalia: Pez Muller et seqq.”]. Labor Evangelica, Ministerios Apostolicos de los Obreros de la Compañia de Jesus, Fundacion, y Progressos de su Provincia en las Islas Filipinas. Parte I. Madrid: Por Joseph Fernandez de Buendia. pp. 80–
- ^ Bräunlein, Peter; Lauser, Andrea (1993). Leben in Malula: ein Beitrag zur Ethnographie der Alangan-Mangyan auf Mindoro (Philippinen). Centaurus-Verlagsgesellschaft. p. 438, n29. ISBN 9783890857916
- ^ a b c d e f Jonston, Johannes (1660). “Boek. I. / III. Opschrift./ I. Hooft-St.: Van de visch Anthropomorphus, oft die een menschen-gestalte heeft, en van de Remorant”. Beschryvingh van de Natuur der Vissen en bloedloze Water-dieren. Amsterdam: I. I. Schipper. p. 168, Tab. XL
- ^ Polistico, Edgie (2017). "dugong". In Haase, Donald (ed.). Philippine Food, Cooking, & Dining Dictionary. Mandaluyong: Anvil Publishing, Inc. ISBN 9786214200870。
- ^ Pietsch 1991, p. 7–9.
- ^ a b c Renard, Louis (1754). “monstre ou sirenne”. Poissons, ecrevisses et crabes, de diverses couleurs et figures extraordinaires: que l'on trouve autour des isles Moluques et sur les côtes des terres Australes: peints d'après nature ... Ouvrage ... quit contient un trr̀e grand nombre de poissons les plus beaux & les plus rares de la Mer des Indes. Baltazar Coyett, Adrien van der Stell (2 ed.). Amsterdam: Chez Reinier & Josué Ottens. Planche LVII, Nº 240(ミシガン大学蔵本)
- ^ a b c d 山田 1994, p. 46.
- ^ Bassett 1892, p. 191.
- ^ Pietsch 1991, p. 14.
- ^ Pietsch 1991, p. 1.
- ^ 山田 1994, p. 63.
- ^ 荒俣 1988, p. 384.
- ^ "Samuel Falours van Rotterdam"との署名があり[249]、ロッテルダム出身者。Falours, Faloersとも綴る[250][251]。山田慶児は"サミュエル・ファルール"とカナ表記するが[247]、荒俣宏は"サムエル・ファローズ "とした[252] 。
- ^ Hayward (2018, p. 93), Pietsch (1991) を引用。
- ^ Pietsch 1991, p. 7.
- ^ a b c d Burr, Brooks M. (18 February 1997). “Reviewed Work(s): Fishes, Crayfishes, and Crabs. Louis Renard's Natural History of the Rarest Curiosities of the Seas of the Indies by Theodore W. Pietsch”. Copeia 1997 (1): 241–243. JSTOR 1447871.
- ^ a b c 神谷敏郎『人魚の博物誌 海獣学事始』,思索社、1989年、19頁。吉岡 1993, p. 38に引用。
- ^ Louis Renard(1678/79生–1746没)[256]著『モルッカ諸島産多彩異形の魚類・エビ類・カニ類』[247]または『モルッカ諸島魚類彩色図譜』[257]。
- ^ a b Valentyn, François (1726). “Verhandling der Water-Dieren: 3de Hoofdstuck. I. Van de Zee-Menschen”. Oud en Nieuw Oost-Indiën. 3. Dordrecht/Amsterdam: Johannes van Braam/Gerard onder de Linden. pp. 330–332, Pl.; (Internet Archive)
- ^ 九頭見 2006a, p. 64.
- ^ a b 磯崎康彦「雪華模様とマルティネト著「格致問答」(2)」『福島大学教育学部論集 人文科学部門』第65号、福島大学人間発達文化学類、1998年12月、49–73頁。
- ^ Hayward 2018, p. 93; Pietsch 1991, pp. 5–7
- ^ 九頭見 2006a, pp. 64–65, 65–66.
- ^ Valentijn/Valentyn (1726), Oud en Nieuw Oost-Indiën, 3, Part 1, pp. 331–332.[259] その英訳がPietsch 1991, p. 7に引用される.
- ^ 吉岡 1993, p. 38。『六物新志』の掲載図について。これは「花連的印(ハレンテイン)」、すなわちファレンタインの書からとられた司馬江漢の模写だと明記される。
- ^ Hayward 2018, p. 93; Pietsch 1991, p. 5: "I had the curiosity to lift its fins in front and in back and [found] it was shaped like a woman. Mr. Van der Stel asked me for it and I gave it to him . I think he sent it to Holland". (英訳)
- ^ Pietsch 1991, p. 12.
- ^ 南イリノイ大学動物学科 Brooks M. Buur. ルナール図譜の英訳版(Pietsch編)の書評に��いて: "I could more easily accept a small oar-fish, or another eel-like fish, rather than a dugong as a partial basis for the drawing".[256]。
- ^ キルヒャー[233]およびヨンストン[231][238]。
- ^ ヨンストン、ラテン語原文"Ossa hujus piscis insignem vim sanguinem sistendi & atrahendi hanbent..",[231] オランダ訳"De beenders van dese visch hebben groote kracht om't bloed te stoppen, en an te trekken..",[242] 大槻玄沢の漢訳"骨 主治能く血を止む。其の功はなはだ神なり。なおその金瘡折傷の瘡口緊しくその動脉を紮りて而して迸出の血すなわち止むが若(ごと)し"[94]。
- ^ Cummins 2017 註:"Others refer to its ability to stop bleeding (Jerom Merolla da Sorrento, Voyage to the Congo, 1682.. F. Colín Labor évangelica.. J. J. Delgado Historia general [1753].."
- ^ コリン[239]等[271]。コリンについては南方も指摘[42]。
- ^ フェルディナント・フェルビースト、後述
- ^ ナバレテ英訳:"they have a singular Virtue against Defluxions"[41][241]。ただし南方は"邪気を避くるの功あり"と意訳している[42]。
- ^ 九頭見 2006a, p. 62.
- ^ 寺島良安『和漢三才図会』(1712年)「巻第騒十九・魚類(江海有鱗))」「人魚・鯪魚」の項[275]。
- ^ a b 九頭見 2006a, pp. 62–63.
- ^ 小野蘭山「䱱魚」『重修本草綱目啓蒙』 30巻、菱屋吉兵衛、1844年、13葉表–15葉表 。(国立図書館デジタルライブラリ版)
- ^ 九頭見 2006a, pp. 64–65.
- ^ 大槻玄沢『六物新志』(1786年)「附録巻之二・魚類」「海女」の項[279][39]。
- ^ a b 九頭見 2006a, p. 61.
- ^ 貝原益軒『大和本草』(1709年)「附録巻之二・魚類」「海女」の項[281]。
- ^ a b 小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803年)「巻之四十鱗部」「鱗之四、無鱗魚二八種」「䱱魚」の項[281]。
- ^ a b c 九頭見 2006a, pp. 61–62.
- ^ Borovsky, William BodenhamerZoe Patrice (1884). [books.google.com/books?id=UBoKAQAAIAAJ&pg=PA8 A Theoretical and Practical Treatise on the Hemorrhoidal Disease: Giving Its History, Nature, Causes, Pathology, Diagnosis and Treatment]. New York: W. Wood. p. 8 . "If Hippocrates is the author of "De haemorrhoidíbus Liber..he considered hemmorrhoids to be varices of.. the veins:.. 'A defluxion of bile or of pitiuitous matter to the veins of the anus..'"
- ^ Magnani 2022, pp. 97–98.
- ^ a b c d e 鄒振环[邹振环]「特稿. 《海错图》与中西知识之交流」『紫禁城』2017年3月、130–131。
- ^ 南懷仁 (1672), “卷下” (英語), 坤輿圖説, ウィキソースより閲覧。
- ^ Magnani 2022, p. 97, 英訳:"The female’s bones work better".
- ^ 『古今圖書集成』巻150にも図入り・ほぼ同文で述べられる。
- ^ ヨンストン。九頭見 2006a, pp. 64–65による。
- ^ 松岡 1982, pp. 52–53.
- ^ “卷01 南山經” (英語), 山海經 (四庫全書本), ウィキソースより閲覧。
- ^ a b “卷10 海内南經” (英語), 山海經 (四庫全書本), ウィキソースより閲覧。
- ^ “卷12 海内北經” (英語), 山海經 (四庫全書本), ウィキソースより閲覧。
- ^ a b c d e 九頭見 2006b, p. 53.
- ^ a b 山下哲郎「『宝物集』私解(四)-出家遁世説話記事の考証(その一)-」『明治大学日本文学』第23巻、21頁、1995年6月30日。hdl:10291/14933 。
- ^ a b c 藤澤 1925, pp. 45–46.
- ^ Strassberg 2018 292. "Hill-fish (lingyu) ", p. 204
- ^ 『史記』「秦始皇本紀」六[297][298][299]。また陶弘景別録[298]。
- ^ a b 王圻; 王思義, eds (1609). “鳥獸六巻 鱗介類 人魚”. 三才圖會 106卷中第94卷. N. p.。異なる版本に『三才圖會』第十三函 「鳥獸圖會 一巻至六巻」「鳥獸六巻 鱗介類 人魚」、槐陰草堂、1609年刊行があり、潭濱黄・晟東曙(重校)とある。
- ^ 農商務省農務局, ed. (1887), “Ugui”, 水産俗字集, 大日本水産會, p. 34
- ^ 汪紱, ed (1895). “巻之三 北山經第三”. 山海經存. 汪彝伯. 19表葉 (図は27表葉)
- ^ “卷02 西山經” (英語), 山海經 (四庫全書本), ウィキソースより閲覧。
- ^ “卷03 北山經” (英語), 山海經 (四庫全書本), ウィキソースより閲覧。
- ^ a b “卷05 中山經” (英語), 山海經 (四庫全書本), ウィキソースより閲覧。
- ^ 巻二「西山経」[304]、巻三「北山経」[305]、巻五「中山経」[306]。
- ^ a b 漢籍原文:日野 1926, pp. 170–171、読み下し:吉岡 1993, p. 39。
- ^ Strassberg 2018. 125. Human-fish 人魚, p. 130
- ^ 「北山経」、郭璞注"人魚即鯢也。似鮎而四足、聲如兒嗁。今亦呼鮎爲䱱。音蹏(テイ)"(前野直彬『山海経・列仙人伝』、1975[297]。
- ^ 袁珂 編『山海經校注』里仁書局、2004年。ISBN 9789579113359 。
- ^ a b 杉本直治郎「郭義恭の『廣志』 : 南北朝時代の驃國史料として」『東洋史研究』第23巻、第2号、168頁、1964年12月31日。doi:10.14989/152672 。
- ^ a b (原文)李時珍 1596; 李時珍 1782「卷44 鱗之四, 䱱魚・鯢魚」; (英訳付)Unschuld訳 2021, pp. 732–734; (和訳)鈴木訳 1930, pp. 532–534
- ^ 九頭見 2006a, p. 61。益軒は、これが鮎(なまず)に似て、"腹下につばざさの如くにして足に似たるものあり。..その声小児の如し"とする。
- ^ “卷05 中山經” (英語), 山海經広注 (四庫全書本), ウィキソースより閲覧。
- ^ 南方 1920「十二支考・猴」、南方 1985, p. 6。
- ^ Roderich Ptak (2011). “From Siam to Guangdong and Macao. A Note on the Mongoose in Ming and Qing Sources”. Revista de cultura (Cultural Institute of Macau) (39): 133-142 2019年8月28日閲覧。.
- ^ a b Unschuld訳 2021, p. 732.
- ^ a b 伊藤清司『中国の神獣・悪鬼たち――山海経の世界――』東方書店、1986年7月20日、148頁。ISBN 4-497-86171-6。
- ^ 高馬 1994『山海経 中国古代の神話世界』、15頁
- ^ 高馬 1994『山海経 中国古代の神話世界』、135頁
- ^ a b 九頭見 2006b, pp. 44–48.
- ^ 鳥山石燕『百鬼夜行拾遺』 上(雲)巻、長野屋勘吉、1805年 。
- ^ Toriyama, Sekien Hiroko Yoda訳 (2017), Japandemonium Illustrated: The Yokai Encyclopedias of Toriyama Sekien, Courier Dover Publications, pp. 168, ISBN 9780486818757
- ^ 程靖舜 Cheng Jingshu (2018). 思點 Thoughts in Driblets. American Academic Press. p. 18. ISBN 1-631-81948-8
- ^ 高馬 1994『山海経 中国古代の神話世界』、143頁
- ^ 李時珍 鈴木真海訳 (1934). “本草綱目鱗部第四十三卷”. 国訳本草綱目 : 頭註. 春陽堂. pp. 361–367
- ^ 源順「巻第十九 鱗介部第三十」『倭名類聚鈔 十』那波道圓、1617年 。、第2葉裏
- ^ 狩谷棭斎「竜魚部第十八」『箋注倭名類聚抄 巻第8』[大蔵省]印刷局、1883年 。、第14葉裏–第16葉表
- ^ a b 中野 1983, p. 143.
- ^ 松岡 1982, p. 49.
- ^ 彭庆生『诗词典故词典』书海出版社、1990年、396頁 。
- ^ 馬俊良『龍威秘書 1集. 漢魏採珍 [Long wei mi shu 1 ji. Han Wei cai zhen]』1969年(原著1794年)。
- ^ a b c 任昉『述異記』巻上[332]。『龍威秘書』1集「漢魏採珍」所収[333]。『広博物志』巻49所収。"揚州有虵市市人鬻珠玉而雜貨蛟布蛟人即泉先也又名泉客 述異記"。
- ^ 中野 1983, p. 141.
- ^ a b 任昉『述異記』巻上[335]。『述異記』(四庫全書本)巻上:"南海出鮫綃紗,泉室潛織,一名龍紗其價百餘金以為服入水不濡。
- ^ a b 任昉『述異記』巻下(中野 1983, p. 140: "蛟人のすまいがある")。『述異記』(四庫全書本)巻下: "南海中有鮫人室水居如魚不廢機織其眼泣則出珠晉木𤣥虚海賦云天琛水怪鮫人之室"。
- ^ 『山海経広注』巻10(四庫全書本)
- ^ 南海の水中に棲む(後述)。『博物志』、『捜神記』、『述異記』。
- ^ 『述異記』、およびそこで引く木玄虚「海賦」にある"天
琛 ()水怪、蛟人之室"[337]。 - ^ a b c 増子 1999, p. 118.
- ^ 藪田 1976, p. 135.
- ^ 張華, “卷之二「異人」” (英語), 博物志, ウィキソースより閲覧。
- ^ “第12卷” (英語), 搜神記, ウィキソースより閲覧。
- ^ 松岡 1982, p. 59.
- ^ 小野機太郎 訳「第四 地形訓」『淮南子:現代語訳』支那哲学叢書刊行会、1925年、92–99頁 。
- ^ a b c 楠山春樹『淮南子 上』明治書院〈新釈漢文大系 54〉、1979年8月10日、234-237頁。ISBN 4625570549。
- ^ 加藤徹『怪力乱神』中央公論新社、2007年、141-142頁。
- ^ a b c Magnani 2022, p. 91.
- ^ Groot, Jan Jakob Maria (1901). “X. On Zoanthropy. 12. Man-fishes”. The Religious System of China: book II. On the soul and ancestral worship. E.J. Brill. p. 241
- ^ Schottenhammer, Angela (2006). “The Sea as Barrier and Contact Zone: Maritime Space and Sea Routes in Traditional Chinese Books and Maps”. In Schottenhammer, Angela; Ptak, Roderich. The Perception of Maritime Space in Traditional Chinese Sources. Otto Harrassowitz Verlag. p. 11. ISBN 9783447053402
- ^ a b 松岡 1982, p. 56.
- ^ 『徂異記』[352]。
- ^ 吉岡 1993, p. 39.
- ^ Magnani 2022, p. 99.
- ^ a b c 吉岡 1993, pp. 35–36.
- ^ 藤澤 1925, pp. 39–40.
- ^ 『新明解国語辞典 第七版 特装版』山田忠雄et al.[編]、三省堂、2012年、1156頁。ISBN 978-4-385-13108-5。
- ^ 飯田朝子『数え方の辞典』小学館、75頁。ISBN 4-09-505201-5。
- ^ a b 九頭見 2006b, p. 51。藤澤 1931年(六分館版)=藤澤 1925(大鐙閣版)、pp. 40–42を引用。
- ^ 藤澤 1925, p. 40.
- ^ 藤澤 1925、「八百姫と雪女(不老長生傳説)」の章、17頁。
- ^ 『日本書紀②』小島憲之; 直木孝太郎; 西宮一民; 蔵中進; 毛利正守[校注・訳]、小学館〈新編日本古典文学全集3〉、1996年、575頁。ISBN 4-09-658003-1。
- ^ 『妖怪事典』村上健司[編著]、毎日新聞社、2000年、255頁。ISBN 978-4-620-31428-0。
- ^ 南方 1973 [1901], p. 306。吉岡 1993, p. 35が引用。
- ^ group"注"
- ^ 板倉君枝「日本の人魚伝説と江戸時代の「ミイラ」ブーム」『ニッポンドットコム』20220\-04-27、1面。
- ^ a b 九頭見 2006b, pp. 51–52.
- ^ a b 九頭見 2006b, p. 52.
- ^ 内田 1960, p. 46、吉岡 1993, p. 35より又引き。
- ^ 浅井了意『聖徳太子伝暦備考』[延宝] 刊 巻23-26 巻25 十三 人魚恠異(付)人魚別説 (画像62, 連番L0367332). 東京国立博物館デジタルライブラリ。"人魚は.. 恠物と為ず、然れども今の漁者、若し網し得れば驚異の漁(すなどり)に利有らずと云て是を棄つと也"
- ^ 藤澤 1925, pp. 46–47。『石場寺村観音寺縁起』もこれを述べる(藤澤 1925, p. 28)
- ^ 山口 2010, pp. 72–73.
- ^ 山口 2010, pp. 73–74.
- ^ a b 『図説 地図とあらすじで読む日本の妖怪伝説』志村有弘[監修]、青春出版社、2008年、24–25頁。ISBN 978-4-413-00965-2。
- ^ a b 山口 2010, pp. 77–80.
- ^ a b c d e f 高橋学、渡邊慎一、小山有希、工藤直子『洲崎遺跡 県営ほ場整備事業(浜井川地区)に係る埋蔵文化財発掘調査報告書』秋田県教育委員会〈秋田県文化財調査報告書第303集〉、2000年、449, 455–456頁。doi:10.24484/sitereports.12057 。
- ^ Castiglioni 2021, p. 9–10.
- ^ a b 刀田山鶴林寺『鶴林寺と聖徳太子: 「聖徳太子絵伝」の美』法藏館、2008年、51頁。ISBN 9784831822130 。
- ^ a b c d e 藤澤 1925, pp. 40–42、無題、"本邦における人魚出現の概略"の一覧。吉岡 1993, p. 36「第1表:人魚の出現記録」。九頭見 2001, p. 37;九頭見 2005, p. 46。藤澤は元号に付随して神武紀元暦で記すのでわかりにくいが、吉岡の表では西暦が記される。
- ^ a b 南方 1973, p. 311.
- ^ 九頭見 2011, p. 65.
- ^ 九頭見 2006b, p. 54.
- ^ 橘成季 著「巻第二十 第三十 魚蟲禽獸」、塚本哲三 編『古今著聞集 全』有朋堂書店、1922年(原著1914年)、625頁 。 (1914年9月刷では"編輯兼發行者 三浦理")
- ^ 九頭見 2006b, p. 54, 九頭見 2011, pp. 65–66
- ^ a b 大橋新太郎 編『"皆切り食ひて" 古今著聞集』博文館〈日本文學全書: 第21編〉、1890年 。
- ^ a b c 巌谷小波 編「第十九章 蟲魚篇. 九五三 人魚」『東洋口碑大全』 上、博文館、1913年、1199頁 。
- ^ 川村晃生、浅見和彦『壊れゆく景観: 消えてゆく日本の名所』慶應義塾大学出版会、2006年、86頁。ISBN 9784766413083 。
- ^ a b 物集 1922, p. 37.
- ^ 頼 2015, pp. 30–31.
- ^ 『北条五代記』七、19[389][390]。
- ^ 山岡浚明「災異 ◎人魚~◎魚妖」『類聚名物考』近藤活版所、1904年、782–783頁 。
- ^ 武笠三 編「北條九代記8 〇由比濱(ゆひのはま)血に變ず付大魚死す竝黄蝶(くわうてふ)の怪異」『保元物語: 平治物語. 北條九代記』有朋堂、1913年、549–550頁 。
- ^ 九頭見 2005, pp. 47–48.
- ^ 九頭見 2006b, pp. 54–55.
- ^ 九頭見 2001, pp. 36–37で『吾妻鏡』を引用し、"例えば文治5年(1189年)夏にあらわれた時には..奥州藤原一族が滅亡.. 建保元年出現したが、同年5月に和田義盛が挙兵"と解説。
- ^ 九頭見 2005, p. 48.
- ^ 物集 1922, p. 39.
- ^ a b 九頭見 2005, p. 47.
- ^ a b 『分類本朝年代記』130[398]、『新編分類本朝年代記』巻1・仁・雑之類[399]。
- ^ group"注"
- ^ 佐々木 2000, p. (21) 巻末注(3).
- ^ 前田金五郎『武道伝来記』、1967年、補注52ですでに指摘[402][399]。
- ^ 九頭見 2001, p. 36, 九頭見 2005, p. 47
- ^ a b c 三上喜孝. “「日本史の迷宮~いにしえ人のメッセージを読み取る~」Episode 20. 自然現象の変異に人は何を見るのか(2): 2頁: 中世の遺跡から発見された「奇妙な」一枚の板”. BOOK PEOPLE. 小学館. 2018年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月21日閲覧。
- ^ a b c 三上喜孝. “「日本史の迷宮~いにしえ人のメッセージを読み取る~」Episode 20. 自然現象の変異に人は何を見るのか(2): 3頁: 「人形供養札」に人々がこめた願いとは?”. BOOK PEOPLE. 小学館. 2018年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月29日閲覧。
- ^ “平成17年度県指定 洲崎遺跡出土人魚木簡”. 美の国秋田ネット. 秋田県庁 (2009年3月26日). 2022年9月28日閲覧。
- ^ 南方 (1973) [1901], p. 311
- ^ 物集 1922, p. 37上.
- ^ 藤澤 1925, p. 41.
- ^ a b c 吉岡 1993, p. 36.
- ^ a b 『史籍集覧』引き『嘉元記』[408][409][410][411]。
- ^ 藤澤 1925, p. 48.
- ^ 佐々木氏郷「巻第四下 天文十八年―天文二十年」『江源武鑑』弘文堂書店、1982年、84頁 。
- ^ 物集 1922, p. 39上.
- ^ 九頭見 2005, p. 57.
- ^ 江源武鑑[414][415][416]。
- ^ a b 宮田登『八百比丘尼』1994年。 @ コトバンク
- ^ “新春特別公開「八百比丘尼 ~二人の女神像~」”. wakahaku.pref.fukui.lg.jp. 福井県立若狭歴史博物館. 2019年8月27日閲覧。
- ^ 藪野直史 (2015年6月1日). “フライング単発 甲子夜話卷之五十九 5 加藤淸正の故邸”. 鬼火 Le feu follet. 2022年9月18日閲覧。
- ^ 光照院は、大名稲垣昭央の正室で、松浦誠信(さねのぶ)の娘[420]。
- ^ 松浦静山「卷二十 〇人魚のこと大槻玄澤が六物新志に詳なり..」『甲子夜話: 100卷』《第8巻》國書刊行會、1910年、283頁 。。
- ^ 関敬吾 編「竜宮への抜け穴」『日本人物語』《第5巻 秘められた世界》每日新聞社、1962年、51頁 。
- ^ 廣川獬「海人・海女」『長崎見聞録抜書』1797年。doi:10.11501/2536412。
- ^ 藤澤 1925, p. 30, 第八図、第十四図。
- ^ 九頭見 2001, p. 35.
- ^ 九頭見 2001, pp. 33–34.
- ^ 『武道伝来記』巻二の四、「命とらるる人魚の海」冒頭部
後深草院、宝治元年三月二十日に、津軽の大浦といふ所へ、人魚はじめて流れ寄、其形ちは、かしらくれなみの鶏冠ありて、面は美女のごとし。四足、るりをのべて、鱗に金色のひかり、身にかほりふかく、声は雲雀笛のしずかなる声せしと、世のためしに語り伝へり[427]。
- ^ 前田金五郎 編『好色一代男全注釈』 1巻、角川書店、1980年、77頁 。「雲雀笛 雲雀の鳴き声に似た音を出す竹笛。「雲雀笛は、もと雲雀を捕ふる為に吹く笛なり」(嬉遊笑覧六下)とあり..」
- ^ a b 井原西鶴「武道伝来記」『武道伝来記西鶴置土産万の文反古西鶴名残の友』谷脇理史; 井上敏幸; 冨士昭雄[校註]、岩波書店〈新日本古典文学大系 77〉、1989年。ISBN 978-4002400778 。
- ^ 森田雅也 (2011-4-27). 難波西鶴と海の道(9):命とらるる人魚の海 .
- ^ 山東京伝 1791, 14葉表.
- ^ 九頭見 2005, p. 45.
- ^ 九頭見 2005, pp. 49–50.
- ^ a b 近藤瑞木編 編「絵本小夜時雨」『百鬼繚乱 - 江戸怪談・妖怪絵本集成』国書刊行会、2002年、108–109頁。ISBN 978-4-336-04447-1。
- ^ 水木しげる『図説 日本妖怪大全』講談社、1994年、361頁。ISBN 978-4-06-256049-8。
- ^ 藤澤 1925, pp. 19–20, 圖6, 圖7
- ^ 寺島良安「人魚」『和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻』《(全81冊中)第80冊》1712年、巻之49 魚類(江海有鱗)、20葉裏-21葉表 。
- ^ 寺島良安「氐人」『和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻』《(全81冊中)第15冊》1712年、巻之14 外夷人物、52葉裏 。
- ^ Hayward 2018, p. 18.
- ^ ヴィック・ド・ドンデ『人魚伝説』荒俣宏[監修]; 富樫瓔子[訳]、創元社、2005年、7頁。ISBN 4-422-21082-3。
- ^ 荒俣宏 2005, 2021.[20][441]
- ^ 貝原益軒「人魚」『大和本草』《13之下》永田調兵衛、1709年。NDLJP:2557359/34 。
- ^ Magnani 2022.
- ^ 明・清代の中国博物学と西洋交流については鄒振环に詳しい(人魚も含む)[287]。またマグナーニの中国におけるセイレーンの論文も参照[444]。
- ^ a b Magnani 2022, p. 97.
- ^ a b 『坤輿外紀』「海族」の章末(2面)"海女"や"海人有二種"の記述。 呉震方 編『說鈴』聚秀堂藏本、1825年 。に所収。
- ^ 九頭見 2006a, pp. 49–50.
- ^ 藤澤 1925, pp. 24–25。藤沢は『三才圖會』と記すが『和漢三才図会』の意とみなす。なぜならば王圻『三才圖會』の人魚は四足であり(上掲図)[301]、鯪魚の項はみあたらない。
- ^ 藤澤 1925, pp. 19–20, 23。圖6,圖7。
- ^ 藤澤 1925, p. 33.
- ^ a b なり07(日本古典文学ゼミ) (2013-01-23), 1月22日ゼミ (弘前市立図書館での和本の調査)
- ^ a b 藤澤 1925, p. 34.
- ^ a b 『妖怪展:神・もののけ・祈り』小山隆秀 (序論)、青森県立郷土館、東奥日報社、2009年、41頁 。
- ^ 平凡社『青森県の地名』平凡社、1982年、305頁 。
- ^ Castiglioni 2021, pp. 29–30.
- ^ 九頭見 2006a, p. 66.
- ^ Castiglioni 2021, pp. 23, 29–30.
- ^ 櫛田公造. ““し”は新聞・新志のシ”. 東京人形漫筆倶楽部:あかさたな漫筆. 2023年3月28日閲覧。
- ^ 西巻興三郎(編)「かわら版新聞: 大阪夏の陣から豪商銭屋五兵衛の最期」、平凡社、1978年。「面光女のごとく頭紅毛有両手猿にて又水かき有其形蛇の如く四尺五寸あり」
- ^ “あはひのくに あやかしのくに”, なじょな (福島県立博物館) 7, (2021年7月)
- ^ 阿部正路、千葉幹夫「人魚」『にっぽん妖怪地図』角川書店、1996年。ISBN 4048511149 。
- ^ a b c 鈴木, 亨『日本史瓦版』三修社、2006年、167頁。ISBN 9784384038323 。
- ^ 奈良本辰也『絢爛たる町人文化の開花』旺文社、1981年、140頁 。
- ^ "富山藩(近世)". 角川日本地名大辞典(旧地名).[リンク切れ] via JLogos
- ^ a b c 佐藤 1993, p. 100.
- ^ 佐藤 1993, p. 88.
- ^ a b 『街談文々集要』巻2「富山捕怪魚」[470][471]。
- ^ a b 常光 2012b, p. 187.
- ^ a b 常光 2012b, pp. 186–187.
- ^ 大船住人 (2005年10月14日). “街談文々集要: 巻二 目次から第五話”. 大船庵. 2022年9月30日閲覧。
- ^ a b 香川雅信 (2020年03月19日), “予言するモンスターたち――アマビエ、人魚、件くだん、そして”, 怪と幽 (角川書店) 号外 2022年3月9日閲覧。 @ カドブン(角川文芸Webマガジン)
- ^ 清野貴幸 (2020年5月10日). “アマビエのライバルか お告げの後消える予言獣「姫魚」”. 朝日新聞デジタル gallery
- ^ 加藤曳尾庵 著「"神社姬" 我衣」、谷川健一他 編『日本庶民生活史料集成』 第15巻、三一書房、1971年、409頁。 NCID BN00962161 。
- ^ 堀部功夫「「件」管見」『同志社国文学』第41号、同志社大学国文学会、216–217頁、1994年11月。doi:10.14988/pa.2017.0000005127 。
- ^ 加藤曳尾庵の随筆『我衣』第14巻(文政2年)の第35話[474]。常光 2012b, p. 188、また常光 (1990)にも添え文が掲載され、堀部論文に抜粋される[475]。
- ^ a b 常光徹「連載〈歴史の証人-写真による収蔵品紹介-〉風説と怪異・妖怪-流行病と予言獣」『歴史系総合誌「歴博」』第170号、187–192頁、2012a年1月30日 。
- ^ 常光 2012b, p. 185、姫魚の彩色画と掲載文は常光 2012aのバックナンバー(Web版)にも復刻[477]。
- ^ 常光 2012b, p. 185.
- ^ 毛利梅園「人魚」『梅園魚譜』1825年 。
- ^ a b 志村有弘『日本ミステリアス 妖怪・怪奇・妖人事典』勉誠出版、2011年2月28日、71頁。ISBN 978-4-585-20005-5。
- ^ §越中の人魚(海雷)の、姿を見れば"寿命長久"および除災・招福するが一例。
- ^ 三重貞亮 編「太子 十六(第七十一 册):時に淡海国司啓して曰さく..の段」『舊事紀訓解』《下》明治聖徳記念学会、明世堂書店、1944年、298–300頁 。
- ^ 長野 2005、9頁。
- ^ 小松 2009、135頁。
- ^ 長野 2005, p. 23、表2 その他の予言獣の言説比較
- ^ 長野の表の史料9[486]。 須藤由蔵『藤岡屋日記』嘉永2酉閏4月中旬(鈴木棠三編『近世庶民生活史料 藤岡屋日記』第3巻、三一書房、1988年、490頁。
- ^ 常光 2012b、192頁。
- ^ 長野 2005、4頁。
- ^ 長野 2005、5頁。
- ^ 常光 2012b、189頁:"「神社姫」「姫魚」は、表現の差異はあっても、基本的には頭部に二本の角をもつ女の顔に魚体が結びついた姿の人魚だといってよい"。英文: "himeuo", p. 200。常光 2012aのバックナンバー(Web版)にも"肥前国平戸に出現した姫魚(ひめうお)と称する予言獣。二本の角をもつ女の顔に魚体が結びついた人魚の一種"とある[477]。
- ^ 妖怪探検隊[編著]『47都道府県!!妖怪めぐり日本一周①北海道・東北・関東』汐文社、2017年、8頁。ISBN 978-4-8113-2380-0。
- ^ ながたみかこ『日本の妖怪&都市伝説事典』大泉書店、2011年、120頁。ISBN 978-4-278-08500-6。
- ^ 名越左源太 (1827年9月24日). “南島雑話”. 電子ミュージアム奄美. 奄美遺産活用実行委員会. 2020年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月18日閲覧。文政10年(1827年)9月24日
諸島の海濱、図の如きもの風波に漂い来たる。
翌朝波風おさまりて村人近寄り見れば、数日経し人の如し。
恐て近く寄る者なし。数月を経て腐り出す。 - ^ a b 日本放送協会. “上半身はサル 下半身は魚 “人魚のミイラ” しかしその正体は | NHK”. NHKニュース. 2023年2月9日閲覧。
- ^ 山口 2014, pp. 76–79; 山口 2014, p. 46
- ^ 山口 2014, pp. 104–107; 山口 2014, p. 84
- ^ “人魚ミイラ 霊長類と魚類の特徴 倉敷芸科大、うろこや針見つかる”. 山陽新聞 (2022年4月11日). 2022年4月11日閲覧。
- ^ a b c d 山口 2010 第2章、File No. 13:人魚のミイラ(大英博物館) 90–100頁。
- ^ a b c d Altick, Richard Daniel (1978), “Chapter 22. Life and Death in the Animal Kingdom”, The Shows of London, Harvard University Press, pp. 302–303, ISBN 9780674807310
- ^ “Feejee Mermaid”. Peabody Museum (2019年). 2021年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月2日閲覧。
- ^ “Figure: Asset number 578106001”. British Museum. 2022年4月2日閲覧。. Description: Figure of a 'mermaid' composed of the upper part of a monkey's body and a fish tail, with various additions. With wooden lidded case.
- ^ 朴栄濬 編、韓国文化図書出版社編集部 訳『韓国の民話と伝説2 高句麗・百済編』安藤昌敏[訳・監修]、韓国文化図書出版、1975年、134–137頁。
- ^ 松田博公「八百比丘尼の足跡」『民俗学研究』第43巻第2号、1979年、213–219頁。 大林 1979, p. 71に拠る。
- ^ The Korea Foundation(著者) (31 July 2015). Koreana -Spring 2015 (Japanese) (電子書籍). 한국국제교류재단. ISBN 9791156041269。
- ^ マリア・D・コロネル 編、竹内一郎 訳『フィリピンの民話』青土社、1997年7月25日、148-152頁。ISBN 4-7917-5560-X。
- ^ Sant, Andrea (2016-08-29). “Chamorro Sirena, a Guamanian American Tale”. In Christopher R. Fee, Jeffrey B. Webb, Danielle Dattolo, Emily Francisco, Bronwen Fetters (英語). American Myths, Legends, and Tall Tales: An Encyclopedia of American Folklore. 3. Abc-Clio Inc. pp. 203–205. ISBN 978-1-61069567-1
- ^ Wagner, Roy (1982). “The Ri: Unidentified Aquatic Animals of New Ireland, Papua New Guinea”. Cryptozoology (1): 33–39.
- ^ Williams, Thomas R. (1985). “Identification of the Ri through Further Fieldwork in New Ireland, Papua New Guinea”. Cryptozoology (4): 61–68.
- ^ Eberhart, George M. (2002). “Ri” (英語). Mysterious Creatures: A Guide to Cryptozoology. 2. ABC-CLIO. p. 459. ISBN 9781576072837
- ^ キャロル・ローズ 著、松村一男(監訳) 訳『世界の怪物・神獣事典』原書房、2004年12月7日、454頁。ISBN 4-562-03850-0。
- ^ Rose, Carol (1996) (英語). Spirits, Fairies, Gnomes, and Goblins: An Encyclopedia of the Little People. ABC-CLIO. p. 275. ISBN 9780874368116
- ^ a b Teixeira 1992, p. 33: "Iara is a beautiful white woman who lives in a river and seduces men as she sings with her hypnotizing and enchanting voice. Once the man is seduced he is drawn into the river to be gone forever [イアーラは川に住む美しい白人女で、その催眠術的で魔性の声で男を誘惑し、かかった男は川に引きずり込まれ帰らぬ人となる]"
- ^ a b c d Souza, Licia Soares de (2011). “A Baía de Todos os Santos em Mar Morto”. In Caroso, Carlos; Tavares, Fátima; Pereira, Cláudio. Baía de todos os santos: aspectos humanos. SciELO – EDUFBA. pp. 562. doi:10.7476/9788523211622. ISBN 9788523211622. JSTOR 10.7476/9788523211622.24
- ^ a b Herrera-Sobek, María (2012). “Iara”. Celebrating Latino Folklore: An Encyclopedia of Cultural Traditions. ABC-CLIO. pp. 159–160. ISBN 9780313343391
- ^ Soares, Cícero(日本語・ポルトガル語)『イアーラ』Naomi Yamazaki Matsuoka 松岡直美 (訳)、インターナショナルプレスジャパン〈ブラジルの民話 = Contos e lendas do folclore Brasileiro ; 第2集〉、2007年、16頁。ISBN 9784901920193。
- ^ Noguera, Renato (2018). “Alguns mitos Guaranis: § Iara: ciúme, sedução e projeção”. Mulheres e deusas: Como as divindades e os mitos femininos formaram a mulher atual. Carla Silva. HarperCollins Brasil. pp. 130–132. ISBN 9788595083059 . "Iara renasce como mulher-peixe, uma imagem similar à sereia dos europeus."
- ^ Cascudo 1962, 1: 364, "IARA"は短文で、別項(異名「マンイ・ダグア(水の太母)」 の項)に振られている:Cascudo 1962, 2: 441–442 "MÃE-D'ÁGUA".
- ^ Cascudo (1983) [1947], Geografia dos mitos brasileiros, p. 134. Teixeira 1992, p. 33に要約。
- ^ a b Fonseca, Pedro Carlos Louzada (2009). “Tropos da colonizaçao da América: discurso do gênero e simbolismo animal”. Romance Notes 2 (Norse Greenland - Selected Papers from the Hvalsey Conference 2008): 3–4. doi:10.1353/rmc.2009.0035. JSTOR 43801787.
- ^ a b 川崎奈月 編『マダガスカルの民話』論創社、2007年1月30日、47-63, 144-145頁。ISBN 978-4-8460-0439-2。
- ^ 田辺悟『人魚』法政大学出版局〈ものと人間の文化史 143〉、206頁。ISBN 978-4-588-21431-8。
- ^ 神谷敏郎『人魚の博物誌』思索社、1989年、12頁。
- ^ a b Pollock, Walter Herries (1914). The Art of the Hon. John Collier. Art Annual standard monographs 39. London: Virtue & Company. pp. 10, 16
- ^ comb and mirror.. probably inherited from the goddess of love, Aphrodite"
- ^ Warner, Marina From the Beast to the Blonde, p. 406 apud Fraser 2017:[525][8]
- ^ Cheney, Liana De Girolami (1992). “Locks, Tresses, and Manes in Pre-Raphaelite Paintings”. Pre-Raphaelitism and Medievalism in the Arts. Edwin Mellen Press. p. 164. ISBN 9780773494916
- ^ Kestner 1989, p. 300. 厳密には"jeune fille fatale"。
- ^ Sixième continent, un clip engagé et écolo. Purebreak.com
- ^ 「世界の貨幣図鑑」『日本の貨幣コレクション』アシェット・コレクションズ・ジャパン、2019年、182, 224頁。
参考文献
[編集]- 内田恵太郎「人魚考」『自然』第15巻第8号、1960年、42–47頁。
- 大林太良『神話の話』講談社〈講談社学術文庫346〉、1979年、67–73頁。ASIN B000J8HXQW。
- 大槻茂質『六物新志』 下、蒹葭堂、1786年、19葉–32葉頁 。
- (読み下し)藤倉玄晴. “人魚たちつてと:増補と棚から一つかみ、その6-金蘭社「世界童話叢書」の人魚昔話”. 2022年9月15日閲覧。
- 小松和彦『妖怪文化研究の最前線』せりか書房、2009年。ISBN 9784796702911 。
- 九頭見和夫「太宰治の「人魚の海」についての比較文学的考察」『福島大学教育学部論集 人文科学部門』第70号、福島大学人間発達文化学類、2001年6月、33–45頁、hdl:10270/137、2022年9月2日閲覧。
- 九頭見和夫「江戸時代の「人魚」像」『人間発達文化学類論集』第2巻、福島大学人間発達文化学類、2005年12月、59–69頁、hdl:10270/498、2022年9月2日閲覧。
- 九頭見和夫「江戸時代の「人魚」像(2)―博物学の舶来を中心として」『人間発達文化学類論集』第3巻、福島大学人間発達文化学類、2006a年6月、45–55頁、hdl:10270/499、2022年9月2日閲覧。
- 九頭見和夫「江戸時代以前の「人魚」像 : 日本における「人魚」像の原点へのアプローチ」『人間発達文化学類論集』第4号、福島大学人間発達文化学類、2006b年12月、51–61頁、hdl:10270/500、2022年9月2日閲覧。
- 九頭見和夫「明治時代の「人魚」像―西洋文化の流入と「人魚」像への影響について―」『人間発達文化学類論集』第5巻、福島大学人間発達文化学類、2007年6月、31–40頁、hdl:10270/501、2022年9月2日閲覧。
- 九頭見和夫「「人魚」の実像考─民間伝承の中の「妖精」の正体について ─」『人間発達文化学類論集』第10巻、福島大学人間発達文化学類、2009年12月、81–96頁、hdl:10270/3338、2022年9月2日閲覧。
- 九頭見和夫「日本の「人魚」伝説─「八百比丘尼伝説」を中心として ─」『人間発達文化学類論集』第13巻、福島大学人間発達文化学類、2011年6月、65–73頁、hdl:10270/3561、2022年9月2日閲覧。
- 佐々木昭夫「『武道伝来記』論 : その三」『東京家政学院筑波女子大学紀要』第4号、(11)–(21)頁、2000年 。
- 佐藤健二「クダンの誕生--話のイコノロジー・序説 (共同研究「民俗誌の記述についての基礎的研究」) -- (調査をめぐる諸問題)」『国立歴史民俗博物館研究報告』第51巻、71–102頁、1993年11月 。
- 山東京伝『箱入娘面屋人魚』歌川豊国 (画)、蔦唐丸、1791年 。 (早大図書館蔵)。 国会図書館蔵
- 高馬三良『山海経 中国古代の神話世界』平凡社〈平凡社ライブラリー34〉、1994年1月14日、18 (18-20, 95-96, 135, 143)頁。ISBN 4-582-76034-1。
- 高階早苗「19世紀の人魚の流行とマラルメの人魚」『言語文化研究』第42巻、大阪大学大学院言語文化研究科、127–145頁、2016年3月31日。doi:10.18910/56192 。
- 常光徹「連載〈歴史の証人-写真による収蔵品紹介-〉風説と怪異・妖怪-流行病と予言獣」『歴史系総合誌「歴博」』第170号、187–192頁、2012a年1月30日 。
- 常光徹「流行病と予言獣」『国立歴史民俗博物館研究報告』第174巻、183–200頁、2012b年3月 。
- 長野栄俊「予言獣アマビコ考--「海彦」をてがかりに」『若越郷土研究』第49巻第2号、福井県郷土誌懇談会、2005年、12頁、ISSN 2185-453X、NAID 120005739812、NCID AN00407708。
- 中野美代子『中国の妖怪』岩波書店、1983年、140–143頁 。
- 中丸禎子『人魚姫が浮かび上がるとき [Die kleine Meerjungfrau taucht aus dem Wasser auf: Die selbstbewusste Frau in H. C. Andersens Die kleine Meerjungfrau und das Motiv der Meermenschen in der dänischen Literatur]』 148巻、日本独文学会、2014年、158–172頁。doi:10.11282/jgg.148.0_158。ISSN 03872831 。
- 中丸禎子「博物学の人魚表象―哺乳類、女性、魚―」『比較文学』第58巻、日本比較文学会、7–23頁、2015年。doi:10.20613/hikaku.58.0_7 。
- 日野巖「4. 人魚」『動物妖怪譚』(復刻 有明書房,1979)養賢堂、1926年、161–180頁 。
- 藤澤衛彦「人魚傳説考」『日本伝説研究二』大鐙閣、1925年、19–48頁 。
- 増子和男「唐代伝奇「陸顕伝」に関する一考察(中)」『日本文学研究』第34巻、梅光女学院大学日本文学会、113–124頁、1999年 。
- 松岡正子「人魚伝説 -「山海経」を軸として-」『中国文学研究』第8号、早稻田大學中國文學會、1982年12月、49–66頁、hdl:2065/35194、ISSN 03850919、NAID 40004105207。
- 南方熊楠「十二支考(7):猴に関する民俗と伝説」『太陽』1920年。. 青空文庫 No.2539
- 南方熊楠「人魚の話」『牟婁新報』1901年9月24日。
- 宮武外骨「人魚考」『人面類似集』〈随題随記随刊 ; 甲 1〉1931年、15–27頁 。
- 物集高見「人魚」『廣文庫』 15巻、廣文庫刋行會、1922年、35–42頁 。
- 藪田嘉一郎「白水郎考」『日本古代文化と宗敎』1976年、135–頁。doi:10.11501/12270895 。
- 山口直樹「第2章:人魚」『決定版妖怪ミイラ完全FILE』学研パブリッシング、2010年、46–103頁。ISBN 9784054044517 。
- 山口直樹『日本妖怪ミイラ大全』学研パブリッシング、2014年、104–107頁。ISBN 978-4-05-406041-8。
- 山田慶児『物のイメージ: 本草と博物学への招待』朝日新聞社、1994年。ISBN 9784022567284 。
- 吉岡郁夫「<論文>人魚の進化」『比較民俗研究』第8号、筑波大学比較民俗研究会、1993年9月、35–47頁、hdl:2241/14286、ISSN 0915-7468、NAID 110000531257。
- 頼宥羽『『椿説弓張月』論. ―琉球王権論を中心に―』國立政治大學日本語文學系研究所、2015年7月 。
- 李時珍「鱗之四 䱱魚・鯢魚」(英語)『『本草綱目』』1596年。ウィキソースより閲覧。
- 李時珍「卷44 鱗之四, 䱱魚・鯢魚」(英語)『『本草綱目 (四庫全書本)』』1782年。ウィキソースより閲覧。
- 李時珍 (著); 鈴木真海訳 (1930). “本草綱目鱗部第四十四卷 䱱魚・鯢魚”. 頭註国訳本草綱目. 春陽堂. pp. 532–534
- (英訳)Li Shizhen Paul U. Unschuld訳 (2021). “Section Worms/Bugs. Chapter 44-42 Ti yu 䱱魚, -43 Ni yu 鯢魚”. Ben Cao Gang Mu, Volume VIII: Clothes, Utensils, Worms, Insects, Amphibians, Animals with Scales, Animals with Shells. Univ of California Press. pp. 732–734. ISBN 9780520976986
- Armistead, Mary Allyson ed., tr. (12 April 2001). The Middle English Physiologus: A Critical Translation and Commentary (M.A., English Literature). Virginia Polytechnic Institute and University. pp. 85–90. CiteSeerX 10.1.1.557.6420。
- Jón Árnason (1862). “1. Flokkur: Goðfræðiss��gur. 2. Grein: Saebúar og vatna”. Íslenzkar Þjóðsögur og Æfintýri. I. Leipzig: J. C. Hinrichs. pp. 131–141
- Bacchilega, Cristina; Brown, Marie Alohalani, eds (2019). The Penguin Book of Mermaids. 1. Penguin. pp. i–xxiv. ISBN 9780525505570
- Bacchilega, Cristina; Brown, Marie Alohalani, eds. (2019), The Penguin Book of Mermaids, 1, Penguin, pp. i–xxiv, ISBN 9780525505570
- Bassett, Fletcher S. (1892). “Chapter IV. Water-Sprites and Mermaids”. Sea Phantoms: Or, Legends and Superstitions of the Sea and of Sailors in All Lands and at All Times (Rev. ed.). Chicago: Rinehart & Company, Inc.. pp. 148–201
- Cascudo, Luís da Câmara (1962) (ポルトガル語). Dicionário do folclore brasileiro. 1 (A–I) (2 ed.). Brasília: Instituto Nacional do Livro: Vol. 2 (J–Z)
- Castiglioni, Andrea (2021). “The Human-Fish: Animality, Teratology, and Religion in Premodern Japan”. Japanese Journal of Religious Studies 48 (1): 1–44. doi:10.18874/jjrs.48.1.2021.1-44.
- Cummins, J. S., ed (2017). “Book VI:The Author's Travels [1646–1674. Chapter IV. The Author's Stay at Manila”]. The Travels and Controversies of Friar Domingo Navarrete, 1616-1686: Volume I. Taylor & Francis. ISBN 9781317013419
- Druce, G. C. (1915), “Some Abnormal and Composite Human Forms in English Church Architecture”, The Archaeological Journal 72: The Bird-siren, 169–172; The Fish-siren, pp. 172–177
- Faye, Andreas (1833). “Havmænd og Havfruer”. Norske Sagn. Arendal: N. C. Halds Bogtrykkerie. pp. 58–62
- Francisci, Erasmus (1668). “Von den Meer-Menschen”. Erasmi Francisci Ost- und West-Indischer wie auch Sinesischer Lust- und Stats-Garten:. Nuremburg: Endter. p. 1412 and Plate XLVII**
- Fraser, Lucy (2017). The Pleasures of Metamorphosis: Japanese and English Fairy Tale Transformations of "The Little Mermaid". Wayne State University Press. ISBN 9780814342459
- George, Wilma B.; Yapp, William Brunsdon (1991). The Naming of the Beasts: Natural History in the Medieval Bestiary. Duckworth. pp. 99–100. ISBN 9780715622384
- Hardwick, Paul (2011), English Medieval Misericords: The Margins of Meaning, Boydell Press, ISBN 9781843836599
- Hayward, Philip (2017), Making a Splash: Mermaids (and Mermen) in 20th and 21st Century Audiovisual Media, Bloomington: Indiana University Press, ISBN 9780861969258
- Hayward, Philip (2018). “Chapter 2: Matsya Fabulism: Hindu mythologies, Mermaids and syncretism in India and Thailand 21/50”. In Hayward, Philip. Scaled for Success: The Internationalisation of the Mermaid. Indiana University Press. pp. 21–50. ISBN 978-0861967322
- Hayward, Philip (2018). “Chapter 5. From Dugongs to Sinetrons: Syncretic Mermaids in Indonesian Culture”. In Hayward, Philip. Scaled for Success: The Internationalisation of the Mermaid. Indiana University Press. pp. 89–106. ISBN 978-0861967322
- Holford-Strevens, Leofranc (2006), “1. Sirens in Antiquity and the Middle Ages”, in Austern, Linda Phyllis; Naroditskaya, Inna, Music of the Siren, Bloomington: Indiana University Press, pp. 16–50, ISBN 9780253112071
- Kestner, Joseph A. (1989). Mythology and Misogyny: The Social Discourse of Nineteenth-century British Classical-subject Painting. University of Wisconsin Press. ISBN 9780299115302
- Magee, Elizabeth (1990). Richard Wagner and the Nibelungs. Clarendon Press. ISBN 9780198161905
- Magnani, Arianna (May 2022). “Searching for Sirenes in the 17th and 18th Centuries: Fantastic Taxonomies of Anthropomorphic Fish in Chinese and Jesuit Texts”. Sulla Via del Catai (26): 87–105 .
- Nansen, Fridtjof (2014). In Northern Mists. Cambridge University Press. p. 244. ISBN 9781108071697
- Paff, William J. (1959). The Geographical and Ethnic Names of the Þídriks Saga: A Study in Germanic Heroic Legend. Popular Treatises on Science Written During the Middle Ages: In Anglo-Saxon, Anglo-Norman and English. London: Harvard University Press. pp. 35, 51–53, 73, 129.
- Pakis, Valentine A. (2010). “Contextual Duplicity and Textual Variation: The Siren and Onocentaur in the Physiologus Tradition”. Mediaevistik 23: 115–185. doi:10.3726/83014_115.
- Pietsch, Theodore W. (1991). “Samuel Fallours and his 'Sirenne' from the Province of Ambon”. Archives of Natural History 18 (1): 1–25 .
- Pontoppidan, Erich (1753a). “Kap. 8. §2. Havmand –§4. Meer-minne – §5. Marmæte” (デンマーク語). Det første Forsøg paa Norges naturlige Historie. 2. Copenhagen: Berlingske Arvingers Bogtrykkerie. pp. 302–317 digital copy@National Library Norway
- Pontoppidan, Erich (1755). “Ch. 8. Sect. 3. Hav-Mand, Mer-man – Sect. 4. Meerminne – Sect. 5. Marmæte”. The Natural History of Norway...: Translated from the Danish Original. 2. London: A. Linde. pp. 186–195
- Strassberg, Richard E., ed (2018). “125. Human-fish (Renyu)”. A Chinese Bestiary: Strange Creatures from the Guideways Through Mountains and Seas. University of California Press. p. 130. ISBN 978-0-52029-851-4
- Teixeira, Francisca Izabel (1992). The Ritual of Iemanjá in Brazil: A Psychoanalytic Approach. University of California, Berkeley
- Waugh, Arthur (1960). “The Folklore of the Merfolk”. Folklore 71 (2): 73–84. doi:10.1080/0015587x.1960.9717221. JSTOR 1258382.
- Wood, Juliette (2018). “Ch. 2: Lingering in sea caves: The world of the mermaid”. Fantastic Creatures in Mythology and Folklore: From Medieval Times to the Present Day. Bloomsbury Publishing. pp. 49–92. ISBN 978-1-441-13060-0
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- アフリカの水の精霊・人魚(1)
- プロメテウス (2017年5月21日). “蛟人”. 2019年8月18日閲覧。
- まな (2010年). “箋注倭名類聚抄巻第八 〔10〕人魚”. まなライブラリー. 2019年11月21日閲覧。
- にくきゅう (2017年). “八百比丘尼の坐像を異例の一般公開 ―福井県”. パンデモニウム. 2019年11月21日閲覧。