中華民国頌
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「中華民国頌」 | |
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費玉青の楽曲 | |
出版 | 1979年12月1日 |
時間 | 3分6秒 |
作曲者 | 劉家昌 |
作詞者 | 劉家昌 |
言語 | 標準中国語(中華民国国語) |
中華民国頌 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 中華民國頌 |
簡体字: | 中华民国颂 |
拼音: | Zhōnghuá mínguó sòng |
広東語発音: | jung1wa4 man4gwok3 jung6 |
英文: | Ode to the Republic of China |
「中華民国頌」(ちゅうかみんこくしょう、繁: 中華民國頌)は、1979年(民国68年)に中華民国の歌手である費玉青(現:費玉清)が発表した楽曲[1]。シンガーソングライターの劉家昌が作詞・作曲を手掛けた。中国の自然や歴史を讃える内容の愛国歌である。
概要
[編集]1978年(民国67年)12月、アメリカ合衆国は中華民国との国交断絶を発表した[2]。この知らせを受けて悲しみと怒りに震えた梅長齢(中国電視公司総経理)は、人々を鼓舞する歌を作るよう劉家昌に���頼し、その結果「中華民国頌」が制作された[3]。
1980年(民国69年)12月、それまでの「美好的今天」に代わって「中華民国頌」が中国電視の正午の放送開始前のオープニング曲として放送されるようになった。しかし、劉家昌が「中華民国頌」を自身の映画『背国旗的人』の主題歌に使用しようとしていたことが明らかになると、映画の宣伝となることを防ぐため1981年1月6日から「中華民国頌」の使用が停止され、再び「美好的今天」が放送されるようになった[4][5]。
1987年(民国76年)12月から「中華民国頌」が再びオープニング曲として使われるようになったが[6]、1988年(民国77年)に劉家昌が中国電視に対し楽曲使用料を請求したため、中国電視は「中華民国頌」と「晚安曲」[注 1]の使用を取りやめ、自局で放送しているドラマの主題歌をオープニング曲・クロージング曲として使用するようになった[7]。
中華人民共和国政府は「中華民国は1949年に滅亡した」との認識を堅持しているため、中華人民共和国の国内で「中華民国頌」が歌われる際は、曲名や歌詞を変更して「中華民族頌」として歌われることが多い。
楽曲が使用された作品
[編集]- 映画
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- ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱(1992年)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 劉家昌が作詞作曲を手掛けた費玉清の楽曲。クロージング曲として放送されていた。
出典
[編集]- ^ “費玉清封麥 歌壇長青樹45年金曲數不完(視頻)” (中国語). 新唐人電視台 (2018年9月29日). 2025年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月25日閲覧。
- ^ 高畑昭男 (2022年10月31日). “日本版台湾関係法の制定��:米国から学ぶこと”. nippon.com. 2024年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月25日閲覧。
- ^ 黃仁 (2010) (中国語). 國片電影史話:跨世紀華語電影創意的先行者. 臺灣商務印書館. p. 232. ISBN 9789570524819. オリジナルの2025年1月25日時点におけるアーカイブ。 2025年1月25日閲覧。
- ^ “「中華民國頌」突被撤下 中視開播曲恢復舊調” (中国語). 民生報: p. 9. (1981年1月7日)
- ^ “中視昨換開播曲 不再替人打歌了” (中国語). 聯合報: p. 3. (1981年1月7日)
- ^ 舞伶 (1987年12月18日). “費玉清慘遭胡瓜修理?” (中国語). 掃描線周刊 第103期 (中視文化公司): p. 24
- ^ 熊迺康 (1988年11月3日). “中視‘晚安曲’ 不再道晚安” (中国語). 聯合晚報: p. 5