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中村幸吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村 幸吉
なかむら こうきち
生年月日 1894年????
出生地 三重県志摩郡答志村[1]
没年月日 1968年2月19日
死没地 三重県度会郡御薗村高向 山田赤十字病院[2]
所属政党 無所属保守系)[3]
親族 中村与助(父、県会議員)[1]

当選回数 3回
在任期間 1954年12月11日[4] - 1966年12月10日[4]

選挙区 志摩郡選挙区
当選回数 2回
在任期間 1939年[5] - 1947年[5]
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中村 幸吉(なかむら こうきち[6]1894年[1] - 1968年2月19日[2])は、日本政治家三重県会議員を2期務めた後、初代鳥羽市長に就任し、鳥羽市の発展の基礎を築いた[1]

慶應義塾大学教授政治学者中村菊男の父である[7]

経歴

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1894年(明治27年)、三重県志摩郡答志村大字答志(答志島、現・鳥羽市答志町)に生まれる[1]。父・与助は初代の答志村長や三重県会議員(2期)を務めた政治家であった[8]

鳥羽町会議員に当選したのを皮切りに政界入りし[9]1939年(昭和14年)11月に三重県会議員選挙の志摩郡選挙区で石原円吉とともに当選した[10]1943年(昭和18年)11月の改選は任期延長のため実施されず、1947年(昭和22年)4月の選挙まで県会議員を務めた[5]。県会議員を退任後は、志摩度会海区漁業調整委員会委員として沿岸漁業の振興に努める[9]傍ら、水産問屋「中幸」を経営していた[11]

1954年(昭和29年)に鳥羽市が発足すると、12月11日の選挙で当選し[12]、初代鳥羽市長に就任した[13]市制を施行したとは言え、人口30,370人、市役所は6課のみの小さな市であったため、財政規模は小さく、最初の仕事は財源の確保であった[14]。中村は「海洋観光都市」を市のキャッチフレーズとし、同じく水産問屋を営んでいた「丸幸」の社長と旧知の仲であり、その息子・中村幸昭が鳥羽水族館の設立を相談した際には賛意を示し、助言も行った[15]。市政では漁港道路の整備を推進し、鳥羽本土離島を結ぶ定期航路を買収して鳥羽市営定期船の運営に乗り出した[1]

1958年(昭和33年)11月25日、他の立候補者がなかったため、無投票当選が決定し、市長2期目に入った[16]1959年(昭和34年)4月18日[17]アワビ資源を増やし、ノリワカメ養殖を盛んにしようと[18]市立としては数少ない水産試験場鳥羽市水産研究所」を設立した[19]。同年9月26日には伊勢湾台風が鳥羽市に襲来し、市内6校が全壊する大きな被害を受けた[1]。中村は日本国政府との交渉に成功し、高率の国庫負担を引き出して7校を鉄筋コンクリートに建て替えた[1]。このほか公衆衛生のための上水道整備、農業の多角経営化の推進、魚礁作りのための海洋投石、観光産業の振興に努めた[1]。1959年(昭和34年)、紺綬褒章を受章した[9]

1962年(昭和37年)12月2日投開票の市長選で3選を決め、鳥羽市長3期目を迎えた[20]。3期目はパールロードの建設、佐田浜海岸や加茂干拓地(大明東町大明西町)の整備など大きな構想を打ち立てた[1]1965年(昭和40年)には藤田観光の仲介でサンタバーバラ市アメリカカリフォルニア州)と姉妹都市提携を結び、同年6月10日には自ら親善使節団の団長としてサンタバーバラ市を訪問した[21]1966年(昭和41年)、4選を目指して出馬したが、12月4日の市長選で元鳥羽市議会議長の谷本荘司に敗れ[3]12月10日に任期満了で退任した[6]。同年、勲四等瑞宝章を受章した[9]。選挙で争った谷本も中村と同じ保守派であり[3]、先述の大規模開発を谷本は継承し、実現させた[1]

1968年(昭和43年)2月19日23時20分、山田赤十字病院(現・伊勢赤十字病院)にて肺癌のため逝去、享年75[2]。自宅は鳥羽三丁目にあり、同じ丁目にある済生寺で告別式が行われた[2]。喪主は次男の中村菊男が務めた[2]。死の5日後である2月24日には鳥羽市の名誉市民に推挙され、御木本幸吉以来2人目の名誉市民となった[21]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 鳥羽市史編さん室 1991, p. 1084.
  2. ^ a b c d e 「中村 幸吉氏(前鳥羽市長)」読売新聞1968年2月20日付夕刊、11ページ
  3. ^ a b c 「鳥羽(三重)市長に中村氏三選」読売新聞1966年12月5日付朝刊、14版2ページ
  4. ^ a b 鳥羽市史編さん室 1991, p. 363.
  5. ^ a b c 鳥羽市史編さん室 1991, p. 1212.
  6. ^ a b 歴代の市長”. 鳥羽市総務課秘書係 (2018年10月9日). 2019年12月29日閲覧。
  7. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 1083.
  8. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 1084, 1214.
  9. ^ a b c d 名誉市民”. 鳥羽市総務課秘書係 (2018年1月17日). 2019年12月29日閲覧。
  10. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 1084, 1212.
  11. ^ 中村 2005, p. 69.
  12. ^ 「鳥羽市長に中村氏」読売新聞1954年12月12日付夕刊、2ページ
  13. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 362, 1084.
  14. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 362-363, 1084.
  15. ^ 中村 2005, pp. 69–70.
  16. ^ 「鳥羽市長に中村氏再選」読売新聞1958年11月26日付朝刊、14版2ページ
  17. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 434.
  18. ^ 石川 1993, p. 14.
  19. ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 434, 1084.
  20. ^ 「鳥羽(三重)市長に中村氏三選」読売新聞1962年12月3日付朝刊、14版2ページ
  21. ^ a b 鳥羽市史編さん室 1991, p. 361.

参考文献

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  • 石川貞二「伊勢志摩の海を見つめて」『TOBA SUPER AQUARIUM』第6巻、鳥羽水族館、1993年、14-15頁、ISSN 0916-9725 
  • 鳥羽市史編さん室『鳥羽市史 下巻』鳥羽市役所、1991年3月25日、1347頁。 全国書誌番号:92001549
  • 中村幸昭『驕るなかれ 鳥羽水族館・夢とロマンの半世紀』中部経済新聞社、2005年、212頁。ISBN 4-88520-094-6 

関連項目

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