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両江総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
両江総督府

両江総督(りょうこうそうとく、満洲語ᡤᡳᠶᠠᠩᠨᠠᠨ
ᡤᡳᠶᠠᠩᠰᡳ
ᡠᡥᡝᡵᡳ
ᡴᠠᡩ᠋ᠠᠯᠠᡵᠠ
ᠠᠮᠪᠠᠨ
、転写:giyangnan giyangsi uheri kadalara amban)は、中国朝の地方長官の官職である。江蘇省安徽省江西省総督として管轄地域の軍政・民政の両方を統括した。地方長官として最高位に当たる総督の中でも管轄下に南京を有する両江総督は非常に重要なポストであったが、同時に管轄下で起こった太平天国の乱に対応しなければならない等、「非常に難しいポスト」でもあった。この「両江」とは、江蘇・安徽省が清初には「江南省」と呼ばれていたため、「江南省と江西省を統括する総督」と呼んだことに由来する。

1866年からは華中の外国貿易港の監督も両江総督の管轄となったため、両江総督が南洋通商大臣を兼任することになった。

沿革

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総督府

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総督府は江寧城(現南京市)中部の漢府街にある漢王(明代に陳友諒の後胤が封じられた)府の跡に置かれた。 1853年-1864年太平天国の乱で太平天国軍に南京が占拠されると、首領の洪秀全はここを拡張して極彩色に輝く天王府を建設した。1864年に太平天国が崩壊して天王府が破壊されると、曽国藩はここに昔ながらの総督府を再建した。1909年には南京城内を通り抜ける寧垣鉄道の駅がここにできた。

辛亥革命が起こると、1912年にはここに「中華民国臨時大総統府」が置かれ、1927年から1949年にはここに国民政府と中華民国総統府が置かれた。現在は「南京中国近代史遺址博物館」となっている。

���代総督

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(「No.」が「*」の人物は代理)

No. 姓名 原籍/旗籍 任命 退任 退任理由/備考
江南江西河南総督(順治4年―順治6年)
1 馬国柱 漢軍
正白旗
順治4年7月戊午
1647年8月19日
順治6年8月辛亥
1649年9月30日
河南が管轄から外れる
江南江西総督(順治6年―順治18年)
1 馬国柱 漢軍
正白旗
順治6年8月辛亥
1649年9月30日
順治11年9月丁未
1654年10月30日
病気退任
2 馬鳴佩 漢軍
正白旗
順治11年10月
1654年
順治13年5月己酉
1656年6月23日
病気退任
3 郎廷佐 漢軍
鑲黄旗
順治13年5月己酉
1656年7月3日
順治18年9月丁亥
1661年11月2日
江南総督に職名変更
江南総督(順治18年―康熙4年)
1 郎廷佐 漢軍
鑲黄旗
順治18年9月丁亥
1661年11月2日
康熙4年5月丁未
1665年7月4日
整理統合して江西総督になる
江西総督(順治18年―康熙4年)
1 張朝璘 漢軍
正藍旗
順治18年9月丁亥
1661年11月2日
康熙4年5月丁未
1665年7月4日
整理統合して両江総督になる
両江総督(康熙4年―宣統3年)
1 郎廷佐 漢軍
鑲黄旗
康熙4年5月丁未
1665年7月4日
康熙7年11月己酉
1668年12月17日
病気退任
2 マルギ
(margi、麻勒吉)
グワルギャ氏
満州
正黄旗
康熙7年12月癸酉
1669年1月10日
康熙12年5月庚寅
1673年7月5日
降格して転任
3 アシヒ
(asihi、阿席熙)
グワルギャ氏
満州
鑲紅旗
康熙12年6月甲寅
1673年7月29日
康熙20年12月
1682年
降格
4 于成竜 山西永寧 康熙20年12月癸卯
1682年2月1日
康熙23年5月丁丑
1684年6月24日
死亡
5 王新命 漢軍
鑲藍旗
康熙23年5月甲申
1684年7月1日
康熙26年3月乙酉
1687年4月18日
閩浙総督に異動
6 董訥 山東平原 康熙26年3月己丑
1687年4月22日
康熙27年3月丁酉
1688年4月24日
降格して転任
7 フラタ
(fulata、傅拉塔)
イルゲンギョロ氏
満州
鑲黄旗
康熙27年4月戊申
1688年5月5日
康熙33年6月丁酉
1694年7月22日
死亡
8 范承勲 漢軍
鑲黄旗
康熙33年6月丙辰
1694年8月10日
康熙37年10月甲寅
1698年11月15日
9 張鵬翮 四川遂寧 康熙37年11月壬辰
1698年12月23日
康熙39年3月癸卯
1700年4月28日
河道総督に異動
* 陶岱
(トーダイ)
グワルギャ氏
満州
正藍旗
康熙38年5月庚午
1699年5月30日
吏部右侍郎が代行
* 陶岱
グワルギャ氏
満州
正藍旗
康熙39年3月癸卯
1700年4月28日
康熙39年5月癸卯
1700年6月27日
吏部右侍郎が代行
10 アサン
(asan、阿山)
イラリ氏
満州
鑲藍旗
康熙39年5月丁未
1700年7月1日
康熙45年11月甲戌
1706年12月24日
刑部尚書に移る
11 邵穆布
(ショームブ)
ボルジギン氏
満州
鑲藍旗
康熙45年11月辛巳
1706年12月31日
康熙48年7月
1709年
12 ガリ
(gali、噶礼)
トゥンギャ氏
満州
正紅旗
康熙48年7月辛卯
1709年8月27日
康熙51年2月丁巳
1712年3月10日
解職
* 郎廷極 漢軍
鑲黄旗
康熙51年2月丁巳
1712年3月10日
康熙51年10月丙寅
1712年11月14日
江西巡撫が代行
13 赫寿
(hešeo、ヘシェウ)
シュムル氏
満州
正紅旗
康熙51年10月丙寅
1712年11月14日
康熙56年4月丙申
1717年5月22日
理藩院尚書に移る
14 長鼐
(cangnai、チャンナイ)
ヘシェリ氏
満州
正白旗
康熙56年4月甲辰
1717年5月30日
康熙61年10月
1722年
死亡
15 チャビナ
(cabina、査弼納)
ワンギャ氏
満州
正黄旗
康熙61年10月辛未
1722年11月27日
雍正4年4月己卯
1726年5月18日
京城に召還される
* 范時繹 漢軍
鑲黄旗
雍正4年4月己卯
1726年5月18日
雍正8年3月甲午
1730年5月12日
馬蘭鎮総兵が代行
* 史貽直 江蘇溧陽 雍正8年3月甲午
1730年5月12日
吏部左侍郎が代行
16 高其倬 漢軍
鑲黄旗
雍正8年5月癸酉
1730年6月20日
雍正9年7月丁卯
1731年8月8日
雲貴総督が代行
* イェンギシャン
(yengišan、尹継善)
ジャンギャ氏
満州
鑲黄旗
雍正9年7月丁卯
1731年8月8日
雍正10年9月庚寅
1732年10月24日
江蘇巡撫が代行
* 魏廷珍 直隷景州 雍正10年9月庚寅
1732年10月24日
雍正11年1月壬辰
1733年2月23日
漕運総督が代行
17 高其倬 漢軍
鑲黄旗
雍正11年1月壬辰
1733年2月23日
雍正11年9月己卯
1733年10月8日
* 趙宏恩 漢軍
鑲紅旗
雍正11年9月己卯
1733年10月8日
雍正12年5月壬辰
1734年6月18日
湖南巡撫が代行
18 趙宏恩 漢軍
鑲紅旗
雍正12年5月壬辰
1734年6月18日
乾隆2年1月庚子
1737年2月10日
京城に召還される
19 慶復
(キンフ、kingfu)
トゥンギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆2年1月庚子
1737年2月10日
乾隆2年9月丁卯
1737年11月4日
雲貴総督に異動
20 ナストゥ
(nasutu、那蘇図)
ダイギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆2年9月丁卯
1737年11月4日
乾隆4年10月戊申
1739年12月5日
21 郝玉麟 漢軍
鑲黄旗
乾隆4年10月戊申
1739年12月5日
乾隆5年5月甲子
1740年6月18日
解職
* 楊超曽 湖南武陵 乾隆5年5月甲子
1740年6月18日
乾隆6年8月己酉
1741年9月26日
兵部尚書が代行
22 ナストゥ
ダイギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆6年8月己酉
1741年9月26日
乾隆7年4月甲午
1742年5月9日
閩浙総督に異動
23 簡親王徳沛
(デペイ)
アイシンギョロ氏
乾隆7年4月甲午
1742年5月9日
乾隆8年2月庚子
1743年3月11日
京城に召還される
24 イェンギシャン
ジャンギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆8年2月庚子
1743年3月11日
乾隆13年9月己未
1748年10月28日
25 ツェレン
(ts'eleng、策楞)
ニオフル氏
満州
鑲黄旗
乾隆13年9月己未
1748年10月28日
乾隆13年11月癸酉
1749年1月11日
川陝総督に異動
* ヤルハシャン
(yarhašan、雅爾哈善)
アイシンギョロ氏
満州
正紅旗
乾隆13年11月癸酉
1749年1月11日
乾隆13年12月丁亥
1749年1月25日
代行する
26 黄廷桂 漢軍
鑲紅旗
乾隆13年12月丁亥
1749年1月25日
乾隆16年5月戊寅
1751年7月25日
陝甘総督に異動
27 イェンギシャン
ジャンギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆16年5月戊寅
1751年7月25日
乾隆18年9月壬申
1753年10月16日
* 荘有恭 広東番禺 乾隆17年10月癸巳
1752年11月11日
江蘇巡撫が代行
* オヨンゴ
(oyonggo、鄂容安)
シリンギョロ氏
満州
鑲藍旗
乾隆18年1月戊寅
1753年2月24日
乾隆18年9月壬申
1753年10月16日
江西巡撫が代行
28 オヨンゴ
シリンギョロ氏
満州
鑲藍旗
乾隆18年9月壬申
1753年10月16日
乾隆20年
1755年
戦死
* イェンギシャン
ジャンギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆19年8月丁巳
1754年9月26日
乾隆21年10月壬申
1756年11月29日
南河総督が兼務して代行
29 イェンギシャン
ジャンギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆21年10月壬申
1756年11月29日
乾隆30年3月乙未
1765年5月9日
30 高晋
(g'aojin、ガオジン)
ガオギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆30年3月乙未
1765年5月9日
乾隆44年1月乙未
1779年2月25日
死亡
31 薩載
(サヅァイ)
イルゲンギョロ氏
満州
正黄旗
乾隆44年1月乙未
1779年2月25日
乾隆45年8月己巳
1780年9月21日
32 陳輝祖 湖南祁陽 乾隆45年8月己巳
1780年9月21日
乾隆45年12月
1781年
* 薩載
イルゲンギョロ氏
満州
正黄旗
乾隆45年12月
1781年
乾隆48年1月戊申
1783年2月17日
代行する
33 薩載
イルゲンギョロ氏
満州
正黄旗
乾隆48年1月戊申
1783年2月17日

乾隆51年3月丙辰1786年4月10日
死亡
34 李世傑 貴州黔西 乾隆51年3月丙辰
1786年4月10日
乾隆52年11月乙酉
1787年12月30日
四川総督に異動
* 閔鶚元 浙江帰安 乾隆51年3月丁巳
1786年4月11日
江蘇巡撫が代行
35 シュリン
(šulin、書麟)
ガオギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆51年3月丁巳
1786年4月11日
乾隆55年5月己酉
1790年7月11日
免職
* 福崧
ウヤ氏
満州
正黄旗
乾隆55年5月己酉
1790年7月11日
江蘇巡撫が代行
36 孫士毅 浙江仁和 乾隆55年6月壬子
1790年7月14日
乾隆56年4月丁卯
1791年5月25日
吏部尚書を授かる
* 長麟
(canglin、チャンリン)
アイシンギョロ氏
満州
正藍旗
乾隆56年4月丁卯
1791年5月25日
江蘇巡撫が暫定代行
37 シュリン
(šulin、書麟)
ガオギャ氏
満州
鑲黄旗
乾隆56年4月丁卯
1791年5月25日
乾隆59年7月甲辰
1794年8月14日
免職
38 富綱
(フガン)
イルゲンギョロ氏
満州
正藍旗
乾隆59年7月甲辰
1794年8月14日
乾隆60年1月丙戌
1795年1月23日
* スリンガ
(suringga、蘇凌阿)
タタラ氏
満州
正白旗
乾隆59年7月甲辰
1794年8月14日
刑部尚書が代行
39 福寧
(funing、フニン)
イルゲンギョロ氏
満州
鑲藍旗
乾隆60年1月丙戌
1795年1月23日

嘉慶元年6月癸卯1796年8月2日
四川総督に異動
* スリンガ
タタラ氏
満州
正白旗
嘉慶元年6月癸卯
1796年8月2日
嘉慶2年9月甲申
1797年11月6日
刑部尚書が代行
40 李奉翰 漢軍
正藍旗
嘉慶2年9月甲申
1797年11月6日
嘉慶4年2月辛丑
1799年3月18日
死亡
41 費淳 浙江銭塘 嘉慶4年2月辛丑
1799年3月18日
嘉慶8年6月戊子
1803年8月12日
兵部尚書に異動
42 陳大文 河南杞県 嘉慶8年6月戊子
1803年8月12日
嘉慶10年1月辛亥
1805年2月25日
左都御史に異動
43 鉄保
(tiyeboo、ティエボー)
トゥンギャ氏
満州
正黄旗
嘉慶10年1月辛亥
1805年2月25日
嘉慶14年7月壬申
1809年8月24日
免職
44 アリムボー
(alimboo、阿林保)
シュムル氏
満州
正白旗
嘉慶14年7月壬申
1809年8月24日
嘉慶14年12月壬辰
1810年1月11日
死亡
45 松筠(sungyūn、スンユン)
マラタ氏
蒙古
正藍旗
嘉慶14年12月壬辰
1810年1月11日
嘉慶16年1月癸酉
1811年2月26日
両広総督に異動
46 レボー
(leboo、勒保)
フェイモ氏
満州
鑲紅旗
嘉慶16年1月癸酉
1811年2月26日
嘉慶16年6月甲寅
1811年7月27日
京城に召還される
47 百齢
張氏
漢軍
正黄旗
嘉慶16年6月甲寅
1811年7月27日
嘉慶21年11月壬子
1816年12月25日
* 松筠
マラタ氏
蒙古
正藍旗
嘉慶21年10月戊子
1816年12月1日
大学士が代行
48 孫玉庭 山東済寧 嘉慶21年11月壬子
1816年12月25日
道光4年7月丁未
1824年9月9日
体仁閣大学士に異動
49 魏元煜 直隷昌黎 道光4年12月戊辰
1825年1月28日
道光5年5月戊申
1825年7月7日
漕運総督に異動
50 キシャン
(kišan、琦善)
ボルジギン氏
満州
正黄旗
道光5年5月戊申
1825年7月7日
道光7年5月丙戌
1827年6月5日
解職
* 蒋攸銛 漢軍
鑲紅旗
道光7年3月己亥
1827年4月19日
道光7年5月丙戌
1827年6月5日
体仁閣大学士が代行
51 蒋攸銛 漢軍
鑲紅旗
道光7年5月丙戌
1827年6月5日
道光10年8月庚戌
1830年10月11日
京城に召還される
* 陶澍 湖南安化 道光10年6月辛卯
1830年7月24日
道光10年8月庚戌
1830年10月11日
江蘇巡撫が代行
52 陶澍 湖南安化 道光10年8月庚戌
1830年10月11日
道光19年3月乙巳
1839年4月22日
病気退任
53 林則徐 福建侯官 道光19年3月乙巳
1839年4月22日
着任しないまま両広総督に異動
* 陳鑾 湖北江夏 道光19年3月乙巳
1839年4月22日
道光19年12月癸亥
1840年1月5日
江蘇巡撫が代行
54 鄧廷楨 江蘇江寧 道光19年12月癸亥
1840年1月5日
着任しないまま雲貴総督に異動
55 イリブ
(ilibu、伊里布)
アイシンギョロ氏
満州
鑲黄旗
道光19年12月己卯
1840年1月21日
道光21年3月丁卯
1841年5月3日
京城に召還される
* 麟慶
(linking、リンキン)
ワンギャ氏
満州
鑲黄旗
道光19年12月己卯
1840年1月21日
漕運総督が代理を兼ねる
* 裕謙
(ioikiyan、ユキャン)
ボラト氏
蒙古
鑲黄旗
道光20年7月丁酉
1840年8月6日
道光21年1月乙巳
1841年2月10日
江蘇巡撫が代行
56 裕謙
ボラト氏
蒙古
鑲黄旗
道光21年3月丁卯
1841年5月3日
道光21年9月己未
1841年10月22日
死亡
* 牛鑑 甘粛武威 道光21年9月丙辰
1841年10月19日
道光22年9月己未
1842年10月17日
河南巡撫が代行
57 耆英
(kiing、キイン)
アイシンギョロ氏
満州
正藍旗
道光22年9月己未
1842年10月17日
道光24年2月戊戌
1844年3月19日
* 壁昌
(bicang、ビチャン)
エルデト氏
蒙古
鑲黄旗
道光23年3月庚戌
1843年4月6日
道光23年10月己酉
1843年12月1日
福州将軍が代行
* 孫宝善 山東済寧
道光23年3月庚戌
1843年4月6日
道光23年10月己酉
1843年12月1日
江蘇巡撫が管理する
* 壁昌
エルデト氏
蒙古
鑲黄旗
道光24年2月戊戌
1844年3月19日
道光24年12月丙午
1845年1月21日
福州将軍が代行
* 孫宝善 山東済寧
道光24年2月戊戌
1844年3月19日
道光24年12月丙午
1845年1月21日
江蘇巡撫が管理する
58 壁昌
エルデト氏
蒙古
鑲黄旗
道光24年12月丙午
1845年1月21日
道光27年3月乙未
1847年4月30日
内大臣を授かる
* 陸建瀛 湖北沔陽 道光27年1月壬寅
1847年3月8日
道光27年3月乙未
1847年4月30日
江蘇巡撫が代行
59 李星沅 湖南湘陰 道光27年3月乙未
1847年4月30日
道光29年4月壬寅
1849年4月26日
病気退任
60 陸建瀛 湖北沔陽 道光29年4月壬寅
1849年4月26日
咸豊3年1月壬申
1853年3月6日
免職
* 祥厚
(シャンヘウ)
アイシンギョロ氏
満州
鑲紅旗
咸豊3年1月壬申
1853年3月6日
咸豊3年2月丁酉
1853年3月31日
江寧将軍が代行
* 楊文定 安徽定遠 咸豊3年2月丁酉
1853年3月31日
咸豊3年4月甲午
1853年5月27日
江蘇巡撫が代行
61 怡良
(iliyang、イリャン)
グワルギャ氏
満州
正紅旗
咸豊3年2月癸巳
1853年3月27日
咸豊7年4月癸巳
1857年5月5日
* 趙徳轍 山西解州 咸豊7年4月癸巳
1857年5月5日
江蘇巡撫が代理を兼ねる
* 何桂清 雲南昆明 咸豊7年4月癸巳
1857年5月5日
咸豊7年6月乙卯
1857年7月26日
前の浙江巡撫が代行した
62 何桂清 雲南昆明 咸豊7年6月乙卯
1857年7月26日
咸豊10年4月癸未
1860年6月8日
免職
* 曽国藩 湖南湘郷 咸豊10年4月癸未
1860年6月8日
咸豊10年6月丙戌
1860年8月10日
* 徐有壬 順天宛平 咸豊10年4月癸未
1860年6月8日
咸豊10年4月癸巳
1860年6月18日
江蘇巡撫が代理を兼ね、戦死
* 薛煥 四川興文 咸豊10年4月癸巳
1860年6月18日
江蘇布政使が暫定代理
63 曽国藩 湖南湘郷 咸豊10年6月丙戌
1860年8月10日
同治7年7月乙未
1868年9月6日
直隷総督へ移動する
* 李鴻章 安徽合肥 同治4年4月癸巳
1865年5月23日
同治5年11月丙辰
1866年12月7日
江蘇巡撫が代行
64 馬新貽 山東菏沢 同治7年7月乙未
1868年9月6日
同治9年8月丁酉
1870年8月29日
* 魁玉
(kuiioi、クイユ)
フチャ氏
満州
鑲紅旗
同治9年8月丁酉
1870年8月29日
江寧将軍が代理を兼ねる
65 曽国藩 湖南湘郷 同治9年8月丁酉
1870年8月29日
同治11年2月丙寅
1872年3月20日
死亡
* 何璟 広東香山 同治11年2月丙寅
1872年3月20日
同治11年10月丙子
1872年11月25日
江蘇巡撫が代行
* 張樹声 安徽合肥 同治11年10月丙子
1872年11月25日
同治12年1月丙戌
1873年2月3日
江蘇巡撫代理が代行
66 李宗羲 四川開県 同治12年1月丙戌
1873年2月3日
同治13年12月甲戌
1875年1月12日
病気退任
* 劉坤一 湖南新寧 同治13年12月甲戌
1875年1月12日
同治14年8月丙寅
1875年9月1日
江西巡撫が代行
67 沈葆楨 福建侯官 同治14年4月壬辰
1875年5月30日
光緒5年11月癸未
1879年12月26日
死亡
* 呉元炳 河南固始 光緒4年2月乙巳
1878年3月28日
江蘇巡撫が代理を兼ねる
* 呉元炳 河南固始 光緒5年11月癸未
1879年12月26日
光緒6年6月
1880年
江蘇巡撫が代理を兼ねる
68 劉坤一 湖南新寧 光緒5年11月甲申政変
1879年12月27日
光緒7年7月戊子
1881年8月22日
京城に召還される
69 彭玉麟 湖南衡陽 光緒7年7月戊子
1881年8月22日
光緒7年9月乙未
1881年10月28日
辞職する
70 左宗棠 湖南湘陰 光緒7年9月乙未
1881年10月28日
光緒10年1月戊子
1884年2月8日
病気退任
* 裕禄
(ioilu、ユル)
ヒタラ氏
満州
正白旗
光緒10年1月戊子
1884年2月8日
安徽巡撫が代行が、着任していない
* 曽国荃 湖南湘郷 光緒10年1月丙申
1884年2月16日
光緒13年7月甲戌
1887年9月6日
礼部尚書代理が代行
* 裕禄
ヒタラ氏
満州
正白旗
光緒13年7月甲戌
1887年9月6日
光緒13年9月
1887年
湖広総督が代行
* 曽国荃 湖南双峰 光緒13年9月
1887年
光緒16年10月丁未
1890年11月22日
代行する
* 沈秉成 浙江帰安 光緒16年10月丁未
1890年11月22日
安徽巡撫が代行
71 劉坤一 湖南新寧 光緒16年10月丁未
1890年11月22日
光緒28年9月癸亥
1902年10月7日
死亡
* 張之洞 直隷南皮 光緒20年10月戊申
1894年11月2日
光緒21年11月甲寅
1896年1月2日
湖広総督が代行
* 鹿伝霖 直隷定興 光緒25年11月丙寅
1899年12月24日
光緒26年4月丙子
1900年5月3日
江蘇巡撫が代理を兼ねる
* 李有棻 江西萍郷 光緒28年9月癸亥
1902年10月7日
江寧布政使が管理する
* 張之洞 直隷南皮 光緒28年9月癸亥
1902年10月7日
光緒29年2月丁未
1903年3月20日
湖広総督が代行
72 魏光燾 湖南隆回 光緒28年11月壬戌
1902年12月5日
光緒30年7月戊戌
1904年9月1日
閩浙総督に異動
73 李興鋭 湖南瀏陽 光緒30年7月戊戌
1904年9月1日
光緒30年9月戊戌
1904年10月31日
死亡
74 周馥 安徽建徳 光緒30年9月戊戌
1904年10月31日
光緒23年7月己酉
1906年9月2日
閩浙総督に異動
* 端方
(ドゥワンファン)
トテク氏
満州
正白旗
光緒30年9月戊戌
1904年10月31日
光緒23年7月己酉
1906年9月2日
江蘇巡撫が暫定代行
75 端方
トテク氏
満州
正白旗
光緒23年7月己酉
1906年9月2日
宣統元年5月己未
1909年6月28日
直隷総督に異動
* 樊増祥 湖北恩施 宣統元年5月己未
1909年6月28日
江寧布政使が管理する
76 張人駿 直隷豊潤 宣統元年5月己未
1909年6月28日
宣統3年12月戊戌
1912年1月23日
免職
77 張勲 江西奉新 宣統3年12月戊戌
1912年1月23日
江南提督が代行

参考資料

[編集]
  • 清史稿』巻一百十六・志九十一『職官三外官』