上常吉
上常吉 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 京都府 |
市町村 | 京丹後市 |
大字 | ��宮町上常吉 |
人口 (2014年3月) | |
• 合計 | 230人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
629-2533 |
上常吉(かみつねよし)は、京都府京丹後市にある地名。大字としての名称は大宮町上常吉(おおみやちょうかみつねよし)。常吉川のすぐ下流にある下常吉(しもつねよし)に対応する地名である[1]。
地理
[編集]かつての中郡大宮町の南西部に位置している[2]。南側は与謝郡与謝野町野田川地区(旧・与謝郡野田川町)と、西側は京丹後市峰山町(旧・中郡峰山町)と接している[2]。
西には標高661mの磯砂山があり、集落は四方を磯砂山の山並みに囲まれている[2]。竹野川の支流である常吉川が流れており、常吉川の周囲に集落が形成されている[2]。
南北に京都府道76号野田川大宮線(網野街道)が通っており、中郡と与謝郡の群境には平地峠(平治峠)がある[3]。
自然
[編集]- 磯砂山(いさなごさん) - 標高661mの山。近畿百名山。羽衣天女伝説がある[4]。常吉小学校の校歌には磯砂山が登場する[5]。
- 女池(めいけ) - 磯砂山の山中にある池。『丹後旧事記』では「比治の真名井」として言及されている[6][4]。
- 常吉川 - 竹野川水系の二級河川。常吉小学校の校歌には磯砂山が登場する[5]。
-
平地峠
-
常吉川
小字
[編集]- 神谷(かみだに)
- 若宮ノ谷(わかみやのたに)
- 猿ヶ屋敷(さるがやしき)
- 野引(のびき)
- カイ谷(かいたに)
- 安田(やすだ)
- 宮ノ下(みやのした)
- サガリ松(さがりまつ)
- ウキハシ(うきはし)
- 日光寺(にっこうじ)
- 大道(だいどう)
- 平地(へいじ)
- 平地猪ノ塚(へいじいのづか)
- 今井(いまい)
- 大門(だいもん)
- 大橋(おおばし)
- 丸山(まるやま)
- 猿尾(さるお)
- 婦ろふじ(ふろふじ)
- 宮谷口(みやだにぐち)
- 宮谷(みやだに)
- 平畑ケ(ひたはたけ)
- 車(くるま)
- 車エノ谷(くるまえのたに)
- 車イ子口(くるまいねぐち)
- 車丸山(くるままるやま)
- 車千原(くるまちはら)
- 車谷(くるまたに)
- 車ガニガ谷(くるまがにがだに)
- 車コムスボ(くるまこむすぼ)
- 車ヲムスボ(くるまをむすぼ)
- 車イナリ(くるまいなり)
- 車細谷(くるまほそたに)
- 車柳谷口(くるまやなぎたにぐち)
- 車柳谷(くるまやなぎたに)
- 車ホコノ谷(くるまほこのだに)
- 車亥ノ子谷(くるまいのこだに)
- 車胡麻畑(くるまごまばた)
- 車岩バナ(くるまいわばな)
- 車ツバイ谷(つるまつばいたに)
- 車正法寺(くるましょうほうじ)
- 車地蔵口(くるまじぞうぐち)
- 上司(じょうし)
- 河原(かわら)
- 辻[7](つじ)
- 奥掛(おくかけ)
- ヒロヲ谷(ひろをだに)
- 荒神切(こうじんのぎり)
- 五反田(ごたんだ)
- 畑(はた)
- 岡谷(おかや)
- 大倉(おおくら)
- 大岩ヶ谷(おおいわがたに)
- 子コゼ谷(ねこぜたに)
- 岡(おか)
- 中屋敷(なかやしき)
- 堅土(かたつち)
- 大坪(おおつぼ)
- 神子ヶ谷(かみこだに)
- 大河内(おごいち)
- 山ノ神(やまのかみ)
- 森ヶ成(もりがなる)
- 大河内ババ谷(おごいちばばだに)
- 大河内坂谷(おごいちさかだに)
- タニ川(たにがわ)
- 梅田(うめだ)
- 若屋(わかや)
- 本地(ほんち)
- 野ノ下(ののした)
- 光田(こうでん)
- 延木(のぶき)
- 上野々下(うえののした)
- 上野(うえの)
- 谷(たに)
- 谷口(たにぐち)
- 屋敷ノ谷(やしきのたに)
- 古館(ふるだち)
- 城山(しろやま)
- 阿し谷口(あしだにぐち)
- 穴門(あなもん)
- 八巻(はちまき)
- 平尾(ひらお)
- 芦谷(あしだに)
- セガイボ(せがいぼ)
- 芦谷セガイボ(あしだにせがいぼ)
- ナル(なる)
- 大谷(おおたに)
- 大谷古寺(おおたにふるでら)
- 深田(ふかた)
- ウヤ(うや)
- 中縄手(なかなわて)
- 入船谷(いりふねだに)
- 今江(いまえ)
- 車ユリ(くるまゆり)
- 谷川(たにがわ)
- 鳥ヶ奥(とりがおく)
- 本地(ほんじ)
- 流尾(ながれお)
歴史
[編集]古代・中世
[編集]上常吉地区には後期古墳が4基ある[3]。
小字本地には近藤山城守の居城と伝えられる上常吉城跡がある[3][1]。
室町時代の編纂と伝えられる『丹後国田数帳』に見える「恒吉保」に含まれていた[1]。鎌倉時代の前後に拓かれた保のひとつとみられ、「恒(常)に良い」を意味する吉祥句��地名の由来とみられる[8]。
近世
[編集]かみつねよしむら 上常吉村 | |
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廃止日 | 1889年 |
廃止理由 |
合併 上常吉村、下常吉村 → 常吉村 |
現在の自治体 | 京丹後市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 中郡 |
上常吉村役場 | |
所在地 | 京都府中郡上常吉村 |
ウィキプロジェクト |
もとは恒吉村(常ではなく恒)の一部だったが、江戸時代初期に分村して上常吉村が独立した[1]。慶長郷村帳に「恒吉村」および「恒吉村之内下村」と併記されたものが初出の兆しであり[8]、その後の延宝3年(1675年)の郷村帳では上下の常吉村が区別され、上常吉村の石高は385.18石だった[3]。天保5年(1834年)の『天保郷帳』による石高は655.949石だった[9]。天保の大飢饉の際、天保8年(1837年)には上常吉村でも12人が餓死した[9]。
近世の上常吉村は網野街道に沿った街村であり、南の平地峠を越えると与謝郡だった[1]。近世初期には宮津藩領だったが、寛文6年(1667年)に幕府領となり、寛文9年(1670年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、文政11年(1828年)に幕府領、天保9年(1839年)に宮津藩領となった[1]。『宝永村々辻高帳』における石高は651石余、『宝暦郷村之覚』における石高は655石余・うち新田4石余であり、『天保郷帳』や『旧高旧領』でも『宝暦郷村之覚』と同じ石高だった[1]。
近代
[編集]1871年(明治4年)には宮津県に所属したが、やがて豊岡県に所属し、1876年(明治9年)に京都府所属で落ち着いた[1]。1875年(明治8年) から1882年(明治15年)にかけて陸軍省参謀本部が編纂した『共武政表』によると、上常吉村の戸数は116戸・人口は474人だった[1]。
町村制の施行により、1889年(明治22年)2月23日には上常吉村と下常吉村が合併して常吉村が発足した。
現代
[編集]1951年(昭和26年)4月1日、常吉村、口大野村、奥大野村、三重村、周枳村、河辺村が新設合併して大宮町が発足した。大宮町の大字として上常吉が設置されている。1982年(昭和57年)時点の世帯数は89戸・人口は380人だった[2]。同年には織物業の事業所が61あり、119人の従業者はすべて家族従業員だった[2]。
2004年(平成16年)4月1日、大宮町、中郡峰山町、竹野郡網野町、丹後町、弥栄町、熊野郡久美浜町が新設合併して京丹後市が発足した。大字として大宮町上常吉が設置されている。2014年(平成26年)3月31日時点の世帯数は84戸・人口は230人だった[10]。
教育
[編集]大宮町立常吉小学校 | |
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「常吉小学校跡」の石碑 | |
北緯35度33分02.8秒 東経135度04分35.5秒 / 北緯35.550778度 東経135.076528度座標: 北緯35度33分02.8秒 東経135度04分35.5秒 / 北緯35.550778度 東経135.076528度 | |
過去の名称 | 常吉学校、常吉尋常小学校、常吉国民学校、常吉村立常吉小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大宮町 |
設立年月日 | 1873年11月 |
閉校年月日 | 1980年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒629 |
京都府中郡大宮町上常吉 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
1873年(明治6年)から1980年(昭和55年)まで、上常吉には大宮町立常吉小学校があった[5]。
1873年(明治6年)11月に常吉学校として創立し、当初は舞台を校舎として用いたとされる[11]。1889年(明治22年)に常吉尋常小学校に改称し、1895年(明治28年)には上の屋敷から上野に移すことを決定、1896年(明治29年)に校舎を新築して移転した[11]。1915年(大正4年)頃には常吉村と奥大野村の小学校統合問題が起こったが、結局は進展せずに終わっている[11]。1922年(大正11年)3月には5教室を増築し、学制発布50周年記念式典を挙行した。1923年(大正12年)4月1日には初めて高等科を併設した[11]。
1927年(昭和2年)3月7日の北丹後地震では体育館(屋内運動場)が倒壊し、1人の児童が死亡した[11]。1930年(昭和5年)3月31日には校舎が新築され、1935年(昭和10年)には運動場が拡張された[11]。1941年(昭和16年)4月1日には国民学校令によって常吉国民学校に改称した[11]。太平洋戦争の戦局が悪化した1945年(昭和20年)4月1日には京都市立凰徳国民学校の児童44人と付添教員3人を集団疎開で受け入れている[11]。
1947年(昭和22年)1月28日には常吉村役場で火災が発生し、隣接する常吉国民学校にも類焼した[11]。職員室と2教室が全焼し、雨天体操場が半焼したこの火災で、記録の大半を焼失している[11]。1947年(昭和22年)4月1日には常吉村立常吉小学校に改称し、1948年(昭和23年)12月28日には雨天体操場兼講堂と職員室などが竣工した[11]。1955年(昭和30年)12月16日に制定された校歌の作詞は安見幸八、作曲は宮田和[12]。校歌の一番には磯砂山が、二番には常吉川が登場する[12]。1957年(昭和32年)5月6日には完全給食を開始した[11]。
1973年(昭和48年)10月22日には創立100周年記念運動会を開催した[11]。1980年(昭和55年)3月24日には最後の卒業式と廃校記念式典を開催し、3月31日に廃校となった[11]。常吉小学校、大宮町立倉垣小学校、大宮町立三重小学校(一部)が統合され、1980年(昭和55年)4月1日には大宮町立大宮第二小学校が開校している。
名所・旧跡
[編集]- 経典寺 - 日蓮宗の寺院[2]。山門は江戸時代後期の建造物[10]。
- 地蔵院 - 曹洞宗の寺院[2]。境内には平地地蔵がある[10]。
- 平地地蔵 - 地蔵院境内にある石造地蔵菩薩立像。立像の石仏としては京都府最大級。
- 冨持神社 - 神社。大宮町でもっとも樹高の高いスギがある[10]。
- 白滝不動堂 - 常吉川の上流部にある仏堂。得円法師の荒行の跡と伝えられる。
- 地蔵堂 - 地区内に複数の地蔵を祀った道祖神の堂が数か所にあり、毎年の地蔵盆における信仰の対象となっている。
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経典寺
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平地地蔵(通常期)
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平地地蔵(冬季)
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冨持神社
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白滝不動堂
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地区内の道祖神
施設
[編集]公共施設
[編集]- 大宮町立常吉小学校(廃校) - 1873年(明治6年)開校[5]。1980年(昭和55年)に廃校となり、統合されて大宮町立大宮第二小学校が開校した。
- 常吉保育所(廃園) - 1968年(昭和43年)開園[5]。1980年(昭和55年)新築[13]。2007年(平成19年)以降「あけぼの荘」(下記)。
- 上常吉公民館 - 常吉小学校跡に建設され、1984年(昭和59年)3月に竣工式が挙行された[14]。
- 小規模多機能型居宅介護事業所「あけぼの荘」 - 2007年(平成19年)1月1日開設[13]。常吉保育所だった建物を利用。
事業所・商店
[編集]- つねよし百貨店 - 常吉村営百貨店(1997年-2012年)の志を継いで2012年(平成24年)に開店した商店[15][16]。
- 小塚製麺 - つねよしうどんなどを製造する製麺所。
- 小塚食品 - 豆腐などを製造する事業所。
- 八月の猫 - ソーキそばなどを提供するカフェ。古民家を改修して2019年(平成31年)2月に開店した。
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上常吉公民館
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つねよし百貨店
-
小塚製麺
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八月の猫
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』p. 415
- ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』p. 658
- ^ a b c d 『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』p. 770
- ^ a b 磯砂山 京丹後ナビ
- ^ a b c d e 常吉小学校廃校記念誌編集委員会(1980)
- ^ 常吉小学校廃校記念誌編集委員会(1980)、p. 280
- ^ 辶の点は本来は1点のみ。
- ^ a b 吉田金彦、糸井通浩、網本逸雄『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年、382-383頁。
- ^ a b 『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』p. 909
- ^ a b c d ふるさとわがまち 大宮町 上常吉区・下常吉区 京丹後市
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『大宮町誌』pp. 423-426
- ^ a b 『大宮町誌』p. 424
- ^ a b “与謝野町公共施設白書 施設カテゴリー編 (17) 保育所・幼稚園” (PDF). 与謝野町. p. 18. 2024年2月16日閲覧。
- ^ 大宮町『大宮 みちゆくこまち』大宮町、2004年、p. 15
- ^ 『「ソトコト」№203』木楽舎、2006年、62-63頁。
- ^ 『TURNS vol.30』第一プログレス、2018年、109頁。
参考文献
[編集]- 『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』平凡社、1981年
- 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町長 中西喜右衛門、1982年
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年
- 吉田金彦、糸井通浩、網本逸雄『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年
- 常吉小学校廃校記念誌編集委員会『廃校記念誌 常吉の教育と歴史』常吉小学校廃校記念誌編集委員会、1980年