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三好長富

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
三好 長富
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 慶長11年(1611年
死没 元禄9年7月23日1696年8月20日
改名 勝任、長富
別名 右兵衛
戒名 紹三
墓所 小石川無量院
官位 従五位下備前守
幕府 江戸幕府 書院番小姓組使番
主君 徳川家光
氏族 三好氏
父母 三好可正三好為三
兄弟 長富菅沼定芳室、勝正
三上季正の娘
長広設楽貞政室、松田勝盛室、稲葉正篤
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三好 長富(みよし ながとみ)は、江戸時代前期の旗本

生涯

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寛永3年(1626年旗本三好可正の子として徳川家光に謁見するが、その後祖父為三の養嗣子に立てられる。寛永7年(1630年土井利勝の推薦を得て従五位下備前守に叙任。寛永8年(1631年)祖父が死去したため、翌年その家督を継承。寛文元年(1661年寛永寺普請奉行、寛文4年(1664年)新藩主戸田忠昌への富岡城引き渡し、延宝6年(1678年)新藩主青山宗俊への浜松城引き渡しを務める。天和2年(1682年寄合となる。元禄4年(1691年)隠居して子の長広に家督を譲る。元禄9年(1696年)死去。

参考文献

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