ラミア航空
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設立 |
2009年(ベネズエラ) 2015年(ボリビア) | |||
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運航開始 |
2010年8月16日(ベネズエラ) 2016年1月(ボリビア) | |||
運航停止 | 2016年12月1日(ボリビア) | |||
保有機材数 | 2 | |||
スローガン | (ベネズエラ時代)es de mérida!(メリダから!)[2] | |||
本拠地 | サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ | |||
代表者 |
Marco Antonio Rocha(オーナー)[3] Miguel Alejandro Quiroga Murakami(オーナー)[3][4] Gustavo Vargas Gamboa(取締役)[4] | |||
従業員数 | 8 |
ラミア航空(スペイン語: LaMia)は、当初ベネズエラのメリダで設立され、ヌエバ・エスパルタ州に拠点を移した航空会社。および、後にその名を受け継いでボリビアのサンタ・クルス・デ・ラ・シエラに本社を置いた同名の航空会社。両社の間に連続性はないが、ベネズエラの航空会社からのリース機によってボリビアの会社は運行しており、この記事では両社を一括して取り扱う。
ベネズエラ時代
[編集]2009年、ベネズエラのリカルド・アルベルト・アルバセテ・ビダル(Ricardo Alberto Albacete Vidal)により、ベネズエラのメリダで設立された[3]。名称はLínea Aérea Merideña Internacional de Aviaciónのアクロニムに由来する[3]。メリダ州知事マルコス・ミゲル・ディアス・オレリャーナ(Marcos Miguel Díaz Orellana)の支持の元、当初は2機のATR-500(ATR 72)をリースによりメリダを拠点に運行し、後に新造機12機と置き換える計画であった[6]。 2010年8月16日よりスペインのスウィフトエアからウェットリースで導入した1機のATR 72-200によりカラカス便を運航したが、航空運送事業許可が10月に切れたことで事業は停止した[7]。その後、2011年にアブロ RJ85をアイルランドのシティジェットからウェットリースし、国内便に再参入を図った[7]。2013年11月2日には、当時4機に増勢していた機体から1機をポルラマル - シウダーグアヤナ便として就航させる計画を明らかにし、ヌエバ・エスパルタ州に航空会社を求めた州知事カルロス・マタ・フィゲロア(Carlos Mata Figueroa)臨席の下デモフライトを行った[8]。この時、メリダ州からヌエバ・エスパルタ州に拠点を移し、Mは「Merideña」からマルガリータ島にちなむ「Margarita」に変更している[3]。だが、この計画はベネズエラ危機により頓挫した[3]。2015年後半にはトルヒージョ(空港はバレーラのドクトル・アントニオ・ニコラス・ブリセーニョ空港)からカラカスま��の路線開設を目指したが、ベネズエラ民間航空局から耐空証明を得られず機体は地上に留めおかれ路線開設は果たせなかった[9]。
ボリビア時代
[編集]ベネズエラでの事業が上手く行かなかったラミア航空は、ボリビアで保有する3機(自社所有1機)のリース事業を開始した[10]。ボリビアでのリース先は塗装の変更は行わず、同名のラミア航空として営業が行われた[10]。 ラミア航空はボリビアでは2015年11月、サンタ・クルス・デ・ラ・シエラで設立され[4]、ボリビア民間航空総局からチャーター便の国内航空運送事業許可を取得しており、書類上は2015年7月31日に無制限の許可を得たとされていた[11][12]。2016年4月の時点で、RJ85は95席の仕様で、炭化水素産業[注 1]・鉱業、旅行代理店、サッカーチームを顧客として想定していた[11]。サッカーチームとしては、アルゼンチン、ベネズエラ、ボリビアの代表、コロンビアのアトレティコ・ナシオナル、パラグアイのクルブ・オリンピア、ボリビアのオリエンテ・ペトロレロ、クルブ・ブルーミング、クルブ・レアル・ポトシ、ザ・ストロンゲストが顧客となっていた[3][4]。加えて、ボリビア鉱業冶金省も顧客であった[14]。
2016年11月の時点で3機のアブロ RJ85を運航した。2016年11月28日に、アソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウのメンバー、関係者を乗せたチャーター便が墜落した(ラミア航空2933便墜落事故)後、航空運送事業許可はボリビア民間航空総局によって停止された[15][16] 。加えてボリビア労働・雇用・社会保障省は、ラミア航空がボリビア政府に未登録であることを公表した[注 2][17]。事故当時、ラミア航空には15人が在籍していた[18]。事故の犠牲者にはパイロットでもあったオーナーのミゲル・アレハンドロ・キロガ・ムラカミ(Miguel Alejandro Quiroga Murakami)も含まれていた[19]。
機材
[編集]機種 | 保有 | 発注 | 乗客 | 備考 |
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アブロ RJ85 | 2 | - | 95 | コチャバンバとバレーラに各1機が保管されていた[20]。 |
合計 | 2 | 0 |
国際事故調査委員会は2016年12月7日にこれらの機体を調査の一環として押収する事を決めている[21]。ボリビア空軍は墜落した機体の整備費用を巡って2014年4月に提訴していたが、ラミア航空からの支払いは行われなかった[21]。
事故
[編集]2016年11月28日、アソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウのメンバー、関係者を乗せたチャーター便として運行されていたCP-2933が墜落した。乗員・乗客77名中71人が死亡した[15]。
注
[編集]出典
[編集]- ^ “LaMia”. アビエーション・セーフティー・ネットワーク. 2016年12月26日閲覧。
- ^ 尾翼に記されたスローガン
- ^ a b c d e f g “Promesas fallidas, mudanzas y negocios oscuros detrás del único avión que volaba la empresa LAMIA [Failed promises, moves and hidden deals behind the only plane flown by LAMIA]” (スペイン語). Infobae. (2016年11月29日) 2016年11月30日閲覧。
- ^ a b c d Navia, Roberto (2016年11月29日). “LaMia es boliviana y uno de sus dueños falleció [LaMia is Bolivian and one of its owners died]” (Spanish). El Deber. オリジナルの2016年11月30日時点におけるアーカイブ。 2016年11月29日閲覧。
- ^ “ASN Aircraft accident Avro RJ.85 CP-2933 La Unión”. アビエーション・セーフティー・ネットワーク (2016年11月30日). 2016年11月30日閲覧。
- ^ “En julio comienzan a llegar aeronaves de Lamia a Mérida”. Diario Los Andes 2016年11月29日閲覧。
- ^ a b Maslen, Richard (2011年8月4日). “New Airline: LAMIA Plans Relaunch in Venezuela”. RoutesOnline 2016年11月29日閲覧。
- ^ “LaMia commences domestic Venezuelan operations”. CH-Aviation. (2013年11月5日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ Navas, Vanessa (2016年12月1日). “Lamia nunca obtuvo permiso para volar en Venezuela, asegura diputado Joaquín Aguilar”. El Cooperante 2016年12月7日閲覧。
- ^ a b “Habló el dueño del avión de LAMIA: tomó distancia de la tragedia y le echó la culpa a "un rayo" [The owner of the LAMIA plane speaks: he distanced himself from the tragedy and blamed it on "a lightning bolt"]”. Infobae. (2016年11月29日) 2016年11月30日閲覧。
- ^ a b Rojas Moreno, Fernando (2016年4月17日). “Línea Lamia vuela en Bolivia y dos foráneas alistan incursión [Lamia airline flies in Bolivia and two foreign carriers prepare market entry]”. El Deber. オリジナルの2016年12月10日時点におけるアーカイブ。 2016年11月29日閲覧。
- ^ Alanoca, Jesús (2016年11月30日). “LaMia recibió certificado 'indefinido' en julio 2015 [LaMia received "indefinite" certificate in July 2015]” (スペイン語). El Deber. オリジナルの2016年12月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ボリビアの炭化水素資源に関する法制度調査報告書 (2006年9月)”. 日本貿易振興機構 (2006年). 2020年2月27日閲覧。
- ^ “Aerolínea LAMIA Corporation se presenta en Paraguay [Airline LAMIA Corporation presents itself in Paraguay]” (スペイン語). Aeronáutica Paraguay. (2016年9月20日) 2016年11月30日閲覧。
- ^ a b “Colombia plane crash: Bolivia suspends airline that operated flight”. ガーディアン. Reuters. (2016年12月1日) 2016年12月1日閲覧。
- ^ “Chapecoense air crash: Bolivia suspends LaMia airline”. BBC News. (2016年12月1日) 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b Alanoca, Jesús (29 November 2016). “LaMia no está registrada en Ministerio de Trabajo [LaMia is not registered with Labor Ministry]”. El Deber. オリジナルの2016年11月30日時点におけるアーカイブ。 2016年11月29日閲覧。
- ^ a b “Lamia, la pequeña aerolínea operada en Bolivia que protagonizó el trágico accidente del club de fútbol Chapecoense cerca de Medellín”. BBC Mundo. (2016年11月30日) 2016年11月30日閲覧。
- ^ a b Haines, Gavin (2016年11月30日). “Colombia plane crash: What do we know about the airline?”. デイリー・テレグラフ 2016年11月30日閲覧。
- ^ “LaMia Bolivia's AOC suspended following Colombia crash”. ch-aviation. (2016年12月2日) 2016年12月3日閲覧。
- ^ a b Navia, Roberto; Alanoca, Jesús (2016年12月7日). “Fiscalía precinta naves de LaMia en hangar de FAB [Prosecutors seal off LaMia planes in FAB [Bolivian Air Force hangar]”]. El Deber. オリジナルの2016年12月8日時点におけるアーカイブ。 2016年12月7日閲覧。
外部リンク
[編集] ウィキメディア・コモンズには、ラミア航空(ボリビア時代)に関するカテゴリがあります。
ウィキメディア・コモンズには、ラミア航空(ベネズエラ時代)に関するカテゴリがあります。
- ボリビア時代の公式サイト at the Wayback Machine (archive index)
- ベネズエラ時代の公式サイト at the Wayback Machine (archived October 3, 2016)