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メイト (ソマリランド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メイト
Maydh
イサック氏族の祖であるシェイハ・イサック英語版の墓 / メイトの港
メイトの位置(ソマリランド内)
メイト
メイト
メイトの位置(ソマリア内)
メイト
メイト
座標:北緯11度00分18秒 東経47度06分36秒 / 北緯11.00500度 東経47.11000度 / 11.00500; 47.11000座標: 北緯11度00分18秒 東経47度06分36秒 / 北緯11.00500度 東経47.11000度 / 11.00500; 47.11000
 ソマリランド
地域 サナーグ地域
地区 メイト地区またはエリガボ地区
等時帯 UTC+3 (EAT)

メイト (Maydh, Mait, Meit) はソマリランドサナーグ地域にある古い港町。

歴史

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古代

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メイトからヘイス英語版にかけての海岸には、紀元前2000年から1500年のものとみられる巨石遺跡がいくつも残されている[1]

オーガスタス・ヘンリー・キーン英語版の1920年の著書によれば、メイトはソマリ人の発祥の地の一つだった。当時の調査によれば、ソマリ人は自分たちの神話的な祖先がこの地区に埋葬されていると信じていた[2]

中世

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メイト市は、現在のソマリランドの主要氏族であるイサックの祖先、イサック・ビン・アフメド英語版が12世紀か13世紀にアラビア半島から渡ってきて住んだ地とされている。この地にはイサック・ビン・アフメドの墓がある[3]。このような遺跡はソマリランド各地にあるが、現時点では調査が不十分である[4]

イブン・マージドによるメイトの記録

15世紀のアラブの探検家イブン・マージドが、メイトを含むソマリア北岸各地の記述を残している[5]

ポルトガルの航海士、ドゥアルテ・バルボサ英語版は16世紀の著作でソマリア沿岸の報告をしており、メイト(Met)については畜産は盛んであるが交易は少ないと記している。このことから、当時のメイトが礼拝地の一つであったと考えられる[6]

近代

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ダーロ山英語版ハバル・ガーハジス英語版氏族居住地を示す1860年の地図。メイトも図示されている。

19世紀の終わり、メイトは近隣の地区と合わせてイギリスの保護領イギリス領ソマリランド)となった。メイトはイサック氏族のハバル・ガーハジス英語版ハバル・ユーニス英語版)支族の拠点の一つであり、彼らはメイトの南の山で乳香を得ていた。メイトはアラブ人やグジャラート人英語版に大型皮革を輸出するための拠点であり、その量は15000枚以上で、近隣のヘイス英語版に次いで第2位だった[7]。メイトは西のベルベラとも交易をしており、ダウ船を使って家畜などを取引していた[8]

現代

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1993年、アメリカとソマリアの主要軍閥の戦闘となり(モガディシュの戦闘)、メイトとラス・コレーにアメリカ軍が上陸している[9]

アメリカ合衆国国務省の報告書によれば、2008年4月5日、メイト地区で人身売買したとして、7人の業者が逮捕された[10]

2013年、イギリスで、メイトとベルベラに漁場を作り、マグロ、アカザエビ、イカ、エビ、サメなどを取る事業を起こすことが計画されている[11]

2020年、イギリスオランダノルウェーによるミッションで、メイトに導流堤英語版を作ると発表され、建設が進んでいる[12]。この堤が完成すれば、メイト、近隣のヘイス英語版などに先行投資された冷蔵設備の活用も期待されている[13]

参考文献

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  1. ^ Sada Mire (2015年4月14日). “Mapping the Archaeology of Somaliland: Religion, Art, Script, Time, Urbanism, Trade and Empire”. 2020年5月11日閲覧。
  2. ^ A.H. Keane, Man, Past and Present, (Cambridge University Press: 1920), p.485.
  3. ^ I.M. Lewis, "The Somali Conquest of the Horn of Africa", Journal of African History, 1 (1960), pp. 219-220
  4. ^ Michael Hodd, East African Handbook, (Trade & Travel Publications: 1994), p.640.
  5. ^ “Ibn Majid”. Medieval Science, Technology, and Medicine: An Encyclopedia. Routledge. (2005). ISBN 978-1-135-45932-1. https://books.google.com/books?id=77y2AgAAQBAJ&pg=PA252 
  6. ^ Barbosa, Duarte (1866) (英語). A Description of the Coasts of East Africa and Malabar in the Beginning of the Sixteenth Century (translated). Hakluyt Society. pp. 17 
  7. ^ Pankhurst, Richard (1965). “The Trade of the Gulf of Aden Ports of Africa in the Early Nineteenth and Early Twentieth Centuries”. Journal of Ethiopian Studies 3 (1): 36–81. JSTOR 41965718. https://www.jstor.org/stable/41965718. 
  8. ^ Great Britain, House of Commons (1905). Sessional papers Inventory control record 1, Volume 92. HM Stationery Office. p. 391 
  9. ^ “Somaliland Accuses US Of Violating Airspace”. Arab News. (2005年5月7日). https://www.arabnews.com/node/266514 2021年5月10日閲覧。 
  10. ^ UK Border Agency (2009年11月13日). “COUNTRY OF ORIGIN INFORMATION REPORT SOMALIA 2009”. 2021年5月9日閲覧。
  11. ^ “Maydh and Berbera fisheries business launched at East London”. Guul Group. (2013年7月21日). http://guulgroup.com/news/maydh-and-berbera-fisheries-business-launched-at-east-london/ 2021年5月10日閲覧。 
  12. ^ UK, Gov (5 July 2020). “UK, Denmark and Netherlands approve agreements with Somaliland Government on critical infrastructure to improve people's lives”. https://www.gov.uk/government/news/uk-denmark-and-netherlands-approve-agreements-with-somaliland-government-on-critical-infrastructure-to-improve-peoples-lives 
  13. ^ Horn Diplomat (2020年8月13日). “Somaliland:Contract Signature Event for the Maydh Jetty Construction Project in Erigavo”. 2021年5月10日閲覧。