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ムーキー・ウィルソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムーキー・ウィルソン
Mookie Wilson
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州バンバーグ
生年月日 (1956-02-09) 1956年2月9日(68歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1977年 ドラフト2���目でニューヨーク・メッツから指名
初出場 1980年9月2日
最終出場 1991年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ニューヨーク・メッツ (1996 - 2002, 2011)

ウィリアム・ヘイワード・"ムーキー"・ウィルソンWilliam Hayward "Mookie" Wilson , 1956年2月9日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州バンバーグ出身の元プロ野球選手中堅手)。右投両打。

メジャーリーガープレストン・ウィルソンの継父(血縁上は叔父)[1]である。

経歴

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サウスカロライナ大学時代、ニューヨーク・メッツに指名されて入団。1980年9月2日にメジャーデビューを果たす。

50日間に及ぶストライキのためシーズンが中断・短縮された1981年には早くもレギュラーに定着し、その年は92試合の出場で打率.271、3本塁打、14打点、24盗塁。

背番号は「1」で、俊足・好打の「一番・センター」で活躍し、本拠地シェイ・スタジアムでは打席に入るたびに「Mooooo-kie」とファンが絶叫するような人気選手となった。

1982年は159試合で打率.279、自己最多の58盗塁を記録。

肩が弱いこと、一番打者にしては三振が多く出塁率がやや低いことも影響して、1985年以後はレニー・ダイクストラとのプラトーン・システムとなったが、ほぼ毎年100試合以上には出場。

デーブ・ジョンソン監督がコンピューターを駆使して各選手の特徴を把握して起用した分、質の高い活躍をし、1986年から1988年までは規定打席には満たないものの2割9分台を記録。

1986年にメッツは108勝54敗の圧倒的な勝率でナ・リーグ東地区を制し、ヒューストン・アストロズとのリーグチャンピオンシップシリーズも制してワールドシリーズに進出。

ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズ第6戦は、メジャーの歴史に残る一戦となった。10回表にメッツは2点のリードを奪われるが、10回裏、2死走者なしから1点を返し、さらに一・三塁としてウィルソンが打席に入る。ウィルソンは追い込まれながらもファウルで粘り、7球目が暴投となって同点に追いつく。10球目を打ってファーストゴロとなったが、レッドソックスの一塁手ビル・バックナー痛恨のトンネルエラーを喫し、メッツがサヨナラ勝ちを収めた。勢いに乗ったメッツは続く第7戦も逆転勝ちし、チーム史上2度目のワールドチャンピオンに輝いた。

その後も前述のように活躍したが、1989年は開幕から打率2割前後の打撃不振。シーズン途中に、ダイクストラとの交換でホワン・サミュエルが移籍加入してセンターを守ったこともあり、同年8月1日に2選手との交換トレードトロント・ブルージェイズに移籍。その時点での打率は.205であったが、ブルージェイズ移籍後は打率.298の活躍でチームを地区優勝に導く。

リーグチャンピオンシップシリーズではオークランド・アスレチックスに敗れ、ワールドシリーズ出場はならなかった。

1991年までブルージェイズでプレイして現役を引退。メッツ時代に記録した281盗塁と三塁打62はいずれもメッツの球団記録となっている(2007年終了時点)。引退後、1996年にメッツの殿堂入りを果たす。同年、ニューヨークマーシー大学で学士号を取得している。

1996年から2002年までと2011年にメッツの一塁コーチを務める。

1999年には大型トレーラー・トラックの運転免許を取得し、オフシーズンに貨物輸送のアルバイトもしている。

2005年にはメッツ傘下のA級ブルックリン・サイクロンズの監督を務めた。

詳細情報

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年度別打撃成績 (MLB)

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O
P
S
1980 NYM 27 119 105 16 26 5 3 0 37 4 7 7 2 0 12 0 0 19 0 .248 .325 .352 .677
1981 92 350 328 49 89 8 8 3 122 14 24 12 0 0 20 3 2 59 3 .271 .317 .372 .689
1982 159 677 639 90 178 25 9 5 236 55 58 16 1 3 32 4 2 102 5 .279 .314 .369 .683
1983 152 663 638 91 176 25 6 7 234 51 54 16 2 1 18 3 4 103 6 .276 .300 .367 .666
1984 154 619 587 88 162 28 10 10 240 54 46 9 2 2 26 2 2 90 5 .276 .308 .409 .717
1985 93 367 337 56 93 16 8 6 143 26 24 9 1 1 28 6 0 52 9 .276 .331 .424 .755
1986 123 416 381 61 110 17 5 9 164 45 25 7 0 1 32 5 1 72 5 .289 .345 .430 .775
1987 124 425 385 58 115 19 7 9 175 34 21 6 2 1 35 8 2 85 2 .299 .359 .455 .814
1988 112 410 378 61 112 17 5 8 163 41 15 4 1 2 27 2 2 63 12 .296 .345 .431 .776
1989 80 262 249 22 51 10 1 3 72 18 7 4 0 2 10 3 1 47 0 .205 .237 .289 .526
TOR 54 247 238 32 71 9 1 2 88 17 12 1 3 1 3 0 2 37 5 .298 .311 .370 .681
'89計 134 509 487 54 122 19 2 5 160 35 19 5 3 3 13 3 3 84 5 .251 .273 .329 .601
1990 147 629 588 81 156 36 4 3 209 51 23 4 6 4 31 0 0 102 10 .265 .300 .355 .656
1991 86 258 241 26 58 12 4 2 84 28 11 3 2 2 8 0 5 35 4 .241 .277 .349 .626
通算:12年 1403 5442 5094 731 1397 227 71 67 1967 438 327 98 22 20 282 36 23 866 66 .274 .314 .386 .700
  • 太字はリーグ1位。

背番号

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  • 1 (1980年 - 1989年途中、1997年途中 - 2002年、2011年)
  • 3 (1989年途中 - 1991年)
  • 51 (1997年 - 同年途中)

脚注

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  1. ^ プレストン・ウィルソンの母がムーキーの兄と結婚してプレストンを産んだ後、ムーキーと再婚したためこのような家族関係となった。

関連項目

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外部リンク

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