マリア・ヨーゼファ・フォン・ポルトゥガル
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マリア・ヨーゼファ・フォン・ポルトゥガル Maria Josepha von Portugal | |
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ブラガンサ家 | |
マリア・ヨーゼファ(1880年頃) | |
全名 |
葡語:Maria José Joana Eulália Leopoldina Adelaide Isabel Carolina Micaela Rafaela Gabriela Francisca de Assis e de Paula Inês Sofia Joaquina Teresa Benedita Bernardina マリア・ジョゼ・ジョアナ・エウラリア・レオポルディナ・アデライデ・イザベル・カロリーナ・ミカエラ・ラファエラ・ガブリエラ・フランシスカ・デ・アシス・デ・パウラ・イネス・ソフィア・ジョアッキーナ・テレサ・ベネディータ・ベルナルディナ |
称号 | バイエルン公妃 |
出生 |
1857年3月19日 バイエルン王国、ヴェルトハイム、ブロンバッハ村 |
死去 |
1943年3月11日(85歳没) ドイツ国、ミュンヘン |
埋葬 | ドイツ国、テガーンゼー修道院 |
配偶者 | カール・テオドール・イン・バイエルン |
子女 |
ゾフィー エリーザベト マリー・ガブリエーレ ルートヴィヒ・ヴィルヘルム フランツ・ヨーゼフ |
父親 | ミゲル1世 |
母親 | アーデルハイト・フォン・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
マリア・ヨーゼファ・フォン・ポルトゥガル(Maria Josepha von Portugal, 1857年3月19日 - 1943年3月11日)は、バイエルン公カール・テオドール(オーストリア皇后エリーザベトの弟)の2度目の妃。ベルギー王妃エリザベートの母。
ポルトガル語名マリア・ジョゼ・デ・ブラガンサ(Maria José de Bragança)。
生涯
[編集]ポルトガルの廃王ミゲル1世とその妃であるレーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク侯女アデライデの娘として、バイエルン王国のブロンバッハで生まれた。
1874年4月29日に、オーストリア皇后エリーザベトの弟であるバイエルン公カール・テオドールと結婚した。カール・テオドールは最初の妻のザクセン王女ゾフィーと死別しており、この結婚は再婚だった。
夫婦はミュンヘンで暮らした。夫は結婚後、専門的に薬学を学び、「カール・テオドール公眼科医院」(Augenklinik Herzog Carl Theodor)を創設した。マリア・ヨーゼファは眼科医院を熱心に手伝った。
夫の死後もミュンヘンで暮らして85歳で亡くなり、テーゲルンゼー修道院に葬られた。
子女
[編集]カール・テオドールとの間に2男3女を儲けた。
- ゾフィー(1875年 - 1957年) - ハンス・ファイト・ツー・テーリンク=イェッテンバッハ伯爵と結婚。
- エリーザベト(1876年 - 1965年) - ベルギー王アルベール1世と結婚。
- マリー・ガブリエーレ(1878年 - 1912年) - バイエルン王太子ループレヒトの最初の妃。
- ルートヴィヒ・ヴィルヘルム(1884年 - 1968年)
- フランツ・ヨーゼフ(1888年 - 1912年)
ベルギー王妃となった次女エリーザベトの子にベルギー王レオポルト3世、イタリア王妃マリーア・ジョゼがいる。また、その子孫たちの婚姻のためベルギー王室、旧イタリア王室、旧ユーゴスラビア王室、ルクセンブルク大公家、リヒテンシュタイン侯家などにマリア・ヨーゼファの子孫がいる。