ピール・ムハンマド・ジャハーンギール
ピール・ムハンマド・ジャハーンギール | |
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ティムール朝王族 | |
出生 |
1376年 |
死去 |
1407年 |
子女 | カイドゥ |
父親 | ジャハーンギール |
母親 | ハニケ、またはバフト・ムルク |
ピール・ムハンマド・ジャハーンギール(1376年 - 1407年)は、ティムール朝の王族。ティムールの子ジャハーンギールの子。母はチャガタイ・ハン国のハン・バヤン・クリの娘ハニケ、あるいはヤサウリー部族出身のバフト・ムルクと考えられている[1]。
過度の飲酒を好む人物と伝えられている[2]。1404年にサマルカンドを訪れたカスティーリャ王国の使者ルイ・ゴンサレス・デ・クラヴィホは、ピール・ムハンマドの容姿について、黄褐色の肌をした髭の無い人物と記録している[3]。
生涯
[編集]若年期
[編集]1376年、父ジャハーンギールの死から40日後に誕生した[4]。
1391年のティムールのキプチャク草原遠征では、叔父シャー・ルフと共に首都サマルカンドの留守を預かった[4]。翌1392年からの五年戦役には、ピール・ムハンマド・ジャハーンギールも従軍した。1397年末にはアフガニスタンに赴任し、現在のアフガニスタン・イスラム共和国の東半分にあたる地域を支配していた[5]。
1397年末に祖父ティムールの命令を受けてインド侵攻を開始、クエッタ近辺のアフガン人を討ってインダス川に到達する[6]。ピール・ムハンマドはインダス川を遡り、トゥグルク朝の有力者サーラング・カーンが知事を務めるムルターンに包囲を敷いた。6か月の包囲の末に食糧が欠乏したムルターンを攻略するが、ピール・ムハンマドの意外な苦戦を知ったティムールは親征を決意した[6]。
ムルターン攻略後にピール・ムハンマドの軍は豪雨に見舞われて軍馬をすべて失い、ピール・ムハンマドに帰順していたインドの領主たちは翻意し、ムルターンへ進軍した[7]。10月25日にピール・ムハンマドの軍はティムールの本隊と合流して窮地から救われ、軍馬の補充を受けて本隊に編入された[8]。
ティムールの死後
[編集]ティムールはピール・ムハンマドの兄ムハンマド・スルタンを帝国の後継者と考えていたが、1403年3月にムハンマド・スルタンが急死する[9]。1404年、中国遠征前にサマルカンドで開かれた大祝宴で、ピール・ムハンマドが新たな後継者として祝宴の参加者に紹介された[10]。
1405年2月18日にティムールがオトラルで没した時、ティムールはピール・ムハンマドを後継者をするように遺言した[11]。この時にピール・ムハンマドはカンダハルに駐屯しており、祖父の死と遺言の内容を知るとサマルカンドに向かった。一方、サマルカンド近辺ではティムールの甥スルタン・フサインとピール・ムハンマドの従兄弟ハリール・スルタンがティムールの後継者の地位を主張しており、フサインを放逐したハリールがサマルカンドの主になっていた[12]。
1405年末にピール・ムハンマドはアフガニスタンからバルフに移動し、シャー・ルフに協力を要請した[12]。1406年2月にピール・ムハンマドはハリールと交戦するが、勝利の直前に指揮下のアミールの数人が逃亡したために敗北し、バルフに退却した[13]。
1407年2月、ピール・ムハンマドは配下であるスルドゥズ部のピール・アリー・ターズによって暗殺された。ピール・アリー・ターズの反乱の理由については、ティムールの時代に解体されたスルドゥズ部の再統一[14]、ミーラーン・シャーとハリールの示唆などが考えられている[15]。
彼の死後に子のカイドゥがバルフに残されたが、���イドゥはシャー・ルフによって救出された。
脚注
[編集]- ^ 川口『ティムール帝国支配層の研究』、53-54頁
- ^ ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、194頁
- ^ クラヴィホ『チムール帝国紀行』(山田信夫訳, 桃源社, 1979年4月)、226-228頁
- ^ a b 川口『ティムール帝国支配層の研究』、91頁
- ^ 加藤『ティームール朝成立史の研究』、270頁
- ^ a b 加藤『ティームール朝成立史の研究』、271頁
- ^ 加藤『ティームール朝成立史の研究』、209-210頁
- ^ 加藤『ティームール朝成立史の研究』、221-222頁
- ^ ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、117頁
- ^ ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、122頁
- ^ 川口『ティムール帝国支配層の研究』、102-103頁
- ^ a b ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、197頁
- ^ 川口『ティムール帝国支配層の研究』、108,110頁
- ^ ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、201頁
- ^ 川口『ティムール帝国支配層の研究』、111頁
参考文献
[編集]- 加藤和秀『ティームール朝成立史の研究』(北海道大学図書刊行会, 1999年2月)
- 川口琢司『ティムール帝国支配層の研究』(北海道大学出版会, 2007年4月)
- ルスタン・ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』収録(加藤九祚訳, 東海大学出版会, 2008年10月)