ノート:自爆テロ
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自爆テロの訳語
[編集]自爆テロの訳語では、en:Suicide attack(自殺攻撃)の英語、中国語、韓国語に対応していませんね。Suicide attackの語ではカミカゼ特攻隊が出て来るだろうし、その写真がトップにあります。しかし、自爆テロであれば、文字通り最近の狭義のテロをあらわす語なので、Suicide attackに含まれる日本の自殺攻撃が含まれません。--イザヤ 2011年1月30日 (日) 09:34 (UTC)
独自研究を書かないで下さい
[編集]IPユーザーによる広範な独自研究が書き込まれていますが、出典の明記をお願い致します。独自の考察はご自身のブログ等でお願い致します。--Peachkiller(会話) 2013年11月15日 (金) 07:17 (UTC)
改名提案
[編集]「自爆テロ」から「自殺攻撃」への改名を提案いたします。理由は二つございます。まず、上記のイザヤさんのご指摘にあるように、英語版リンクがen:Suicide attack(自殺攻撃)であるからです。第二に当記事は、テロではない(軍事的な)自爆攻撃や、必ずしも自爆を伴わない自殺攻撃までをも複数掲載しているためです。
ご意見や異論等ございましたら、よろしくお願いいたします。--Nasqn(会話) 2017年10月5日 (木) 15:04 (UTC)
- (コメント) 改名先は「自爆攻撃」としたほうがよいのではないでしょうか?まず、CiNii Articlesでは「自殺攻撃」を使用している論文は1件 「自爆攻撃」は11件です。聞蔵IIビジュアルによると、朝日新聞で「自殺攻撃」を用いている記事は16件、「自爆攻撃」は583件ですし、ヨミダス歴史館によると読売で「自殺攻撃」を使用していた記事は11件、「自爆攻撃」を使用しているのは229件です。毎索によると毎日新聞では「自殺攻撃」は17件、「自爆攻撃」は633件でした。このため、「自爆攻撃」のほうがはるかに一般に広く使われていると思います。
- また、爆発を伴わない自殺的な攻撃をここで扱う必要があるのでしょうか?英語版を見てもsuicide attackの大部分は爆発によるものですし、英語版に爆発以外で実行者が生存する可能性がほとんどない大量殺人の例としてあがっているコロンバイン高校銃乱射事件や車両突入攻撃などを日本語で「自殺攻撃」ということはめったにないだろうと思います。Nasqnさんが「必ずしも自爆を伴わない自殺攻撃までをも複数掲載している」とおっしゃっているのはどれとどれのことでしょうか? --さえぼー(会話) 2017年10月6日 (金) 11:38 (UTC)
- 概念の定義を先に定めるのか、記事名を定めてそれに合う記述にするのか、混乱があるように思います。en:Suicide attackの翻訳記事とするならば、翻訳元の記事にはバンザイ突撃のようなものも含まれていて、これは「テロ」でも「自爆」でもありませんよね。さえぼーさんのご指摘のように「自殺攻撃」なる日本語はあまり一般的ではないでしょう。英語文化圏では「自分の安全の保証がない」「帰りの手段がない」「間違いなくやられる」「not expected to survive」ようなものを「en:Suicide misson」などのように表現することがありますが、端的な日本語で「自殺」「自爆」とするのはちょっと違いますよね。(たぶん)自殺そのものは目的ではなく派生的な帰結に過ぎないけども同時に必然的帰結でもある的な。そういう広い意味でのsuicide attackに対応する日本語はない、としかいいようがないのでは。「決死攻撃」とでもすると英語版の翻訳元にニュアンスはかなり近いと思いますが、この語がどの程度、日本語出典で裏付けできるかはどうでしょう。「自殺攻撃」よりも用例は少ないかもしれないですね。おそらく日本語ではどうしても、いくらかポジティブなニュアンスをもつ概念(自己犠牲的な、勇敢な、)として受け止められて、キリスト教文化圏ではネガティブな(愚かな、無益な、命を粗末にする)ニュアンスを持っているのだろうと思います。--柒月例祭(会話) 2017年10月6日 (金) 16:53 (UTC)
- 「自爆」を用いるならば爆発物によらないものは排除すべきだし、「テロ」の語を用いるならば戦争中の行為は除外すべきでしょう。厳密に言うと、直接的な自殺ではないもの、すなわち、敵陣に単身切り込んで敵に撃たれるようなものは「自殺的」ではあるけど「自殺」ではない(?)。難しいですね。コロンバイン事件のようなものは、そもそもこの記事に採録するに相応しい事象といえるかどうかも怪しいように思いますが、どうなんでしょう。日本でも、殺人犯(犯罪者)が警察に捕まる前に自死を選ぶというような事件も時折あるように思いますけど、そういうのもさすがにsuicide attackや決死行為というのとも違う気がします。一方で、少なくとも日本では、(おそらく近年の)爆弾を自分の身に装着して行う「自爆テロ」という語は、間違いなく独立した概念として定着しています。記事名に合わせて内容を絞っていくと、英語版のen:Suicide attackとは1対1で対応しなくなるかもしれませんが、そ��はしょうがないんじゃないでしょうか。--柒月例祭(会話) 2017年10月6日 (金) 17:12 (UTC)
- さえぼーさん、柒月例祭さん、コメントありがとうございます。
- 「自爆攻撃」「決死攻撃」といった記事名は、おそらく適切性があるとは思われます。ただ、いただいたコメントにもあるように、記事名と記事内容との一貫性がネックではないかと感じます。WP:COMMONNAMEによると、記事名は「基本的には日本語での正式名称」とされているため、記事内容によって何が正式名称なのかが変わってくるようにも思われます。
- 以下は、個別にお返事させていただきます。
- さえぼーさんへ
- ①論文につきましては、検討する余地はもう少しあるように思われます。というのも、「自殺攻撃」(「自殺的攻撃」)という表現を使った論文が、CiNii Articlesでの1件の他に31件見つかったからです。
- Google Scholarでは「自殺攻撃」が15件、「自殺的攻撃」が3件見つかりました。Google Scholar以外で見つかった論文では、「自殺攻撃」を使ったものが9件([1][2][3][4][5][6][7][8][9])、「自殺的攻撃」を使ったものが4件([10][11][12][13])ありました。各新聞や論文検索サイトを参照すると、「自爆攻撃」のほうがはるかに一般的なのは仰る通りと思われますが、論文に限っては「自殺攻撃」という表現も、非一般的というわけではないように見えます。
- ③英語版(suicide attack)につきまして。仰るように英語版記事の大部分は自爆ですが、上に挙げました論文では、suicideは「自爆」ではなく「自殺」と訳されているようです。例えば
- となっております。
- ④上と関連しますが、「自爆」と「自殺」につきまして。上記の論文の中には、「自殺攻撃」(「自殺的攻撃」)という表現にテロや特攻を包括させた論文もあります。
- その他、「自殺攻撃」でテロや特攻を指す論文もあったため、以下に引用いたします。
- 思うにこれは、「自殺攻撃」という表現が「自爆攻撃」「自爆テロ」といった表現よりも広義だと言える反面、「自殺攻撃」と「自爆攻撃」とに大きな違いはないとも言えると思われます。
- ⑤爆発を伴わない自殺的な攻撃は、記事名の決まり方次第では扱う必要がないかもしれません。一応Nasqnが「必ずしも自爆を伴わない自殺攻撃までをも複数掲載している」と申し上げたのは、記事中の
- 「ここでは爆弾を用いたものに限らず、犯人自身が必然的に死ぬことを承知の上で行う攻撃やテロリズム全般を扱う。」
- 「英語の "suicide bombing"、"suicide attack"、"suicide terrorism" はそれぞれ「自殺(的な)爆破」「自殺攻撃」「自殺テロ」という意味である。」
- 「オスマン帝国軍の海兵たちは自分たちの船に火をつけ、敵船に突っ込むという戦術をとった。」
- 「比喩的表現として自らが属する迷走(中略)自己犠牲の精神で打撃を与える行動を「自爆テロ」と表現することがある。」
- といった部分に該当します。
- ⑤爆発を伴わない自殺的な攻撃は、記事名の決まり方次第では扱う必要がないかもしれません。一応Nasqnが「必ずしも自爆を伴わない自殺攻撃までをも複数掲載している」と申し上げたのは、記事中の
- 結論としては、Nasqnは今は「自殺攻撃」を推しますが、さえぼーさんから新たにご意見をいただいた結果によっては、「自爆攻撃」に賛同させていただくかもしれません。
- 柒月例祭さんへ
- ⑥「自殺攻撃」は、上述の①②の理由でおそらく非一般的ではない、または、「日本語での正式名称」と言えるのではないかと思われます。
- ⑦「en:Suicide mission」につきましては、上記の論文では「自殺戦略」と訳されております。英辞郎では特攻[自爆]任務[作戦]、Weblioでは あなた自身を滅ぼしている間、他の人を死傷させることとされています。ですので、Suicide missionの訳語はある程度定着しているのではないかと思われます。
- ⑧「決死攻撃」は、翻訳として決して悪くないと思われますが、CiNii Articlesで0件、Google Scholarでも0件であるため、「日本語での正式名称」(WP:COMMONNAMEの基準に合致する名称)と見なすのは難しいように感じます。
- ⑨「自爆テロ」につきましては、辞書的には仰るように「独立した概念として定着してい」ると考えられます。この語は『デジタル大辞泉』と『大辞林』にも登録されているからです[22]。ただ、④に挙げた一連の論文では、「自殺攻撃」(「自殺的攻撃」)がテロを内包していたり、テロを指していたりしています。
- 以上を踏まえますと、記事名を「自爆テロ」とした記事は、自爆行為によるテロを扱い、逆に「自殺攻撃」または「自爆攻撃」とした記事は、テロを含めた自殺的または自爆的攻撃を扱う、ということになるでしょうか。
- 引き続きコメントを賜われれば幸いです。--Nasqn(会話) 2017年10月7日 (土) 09:58 (UTC)
- 返信 詳しい説明をありがとうございます。論文まで調べられている方に対して、私は手ぶらなので、我が事ながらそこは非常にミットモナイと思います。なので私のコメントは「感想」程度の扱いにしてください。
- 結論を先にいうと、今の記事はテロリズムのなかの「自爆テロ」と、歴史上の「(攻撃者自身の死を伴う)攻撃」がまぜこぜになっているので、改名というよりは、適切に分離するといいと思います。結果として「自爆テロ」という記事と「自殺攻撃」という記事の2つができることになるかなあと思います。そしてそれぞれ、全体に筋を通す大黒柱になるような情報源を据えてリライトするのが最高。
- 今の記事は英語版のsuicide attackではなく、まさに冒頭分の通り「自爆テロ(suicide terrorism)」の記事なんですよね。メインは自爆テロで、かるく広義のsuicide attackに言及しているだけ。だから記事名だけ変えてしまうと、記事名と記事の中身がミスマッチになってしまいます。自爆テロの話を始めて、そういえば自爆テロって自殺攻撃の一種と位置づけることもあるんだよね、で、自殺攻撃っていうのはさ・・・という感じで話が進んでいく。
- 今の記事は断片情報の寄せ集め部分と、英語版からの翻訳部分とからできていまして、全体を一本筋を通すような格好で出典に基いて書かれているわけではないです。断片の寄せ集め部分は明らかに「自爆(爆発)」「テロ」という語に引っ張られていますし、翻訳部[23]は西洋人による「suicide attack」という語に引っ張られています。
- そして翻訳元の英語版は、翻訳された2011年と今とではかなり内容が違っています。(英語版もたいがい「citation needed」だらけですけどね。)
- おそらくたぶんもしかしてきっと、英語の通俗的な意味でのsuicide attackは、キリスト教的・西洋史的世界観を下敷きにしているでしょう。大戦中の日本のものや、現代のイスラムのものなどは、キリスト教価値観のもとで行われていないし、「死」「自殺」についての観念も根っこから違うはずです。「体を張った/命がけの抵抗」みたいなもののどこまでがattackでどこからがdefenceなのか。「自分の死の確実さ」のどのあたりまではsuicidalなのか、たとえば10分の1以下の戦力差で立ち向かったテルモピュライの戦いとか赤穂浪士の討ち入りや平教経の最期みたいなものだって、言ってみりゃsuicidalなattackとも言えそうじゃないです��。擲弾兵なんかもかなりsuicidalなattackだろうと思いますけど、どうなんでしょう。すんごい無茶苦茶なことを言うと、「殉教」みたいな表現をされる行為のいくつかは相手側からすればsuicide attackだっただろうと思います。
- たとえばサムソンの最期なんてずばり自殺攻撃でしょ。そのことはen:Suicide attack#Post-1980 attacksの初っ端にちゃんと書いてあります。しかし今の日本語版の記事にはそういう手合の記述はありません。この例は要するにキリスト教文化圏の人がぱっと思いつく例なんでしょう。「自分の命と引き換えに相手を道連れにする」なんてものを現代の日本人に考えさせたら最初に思いつくのはメガンテなんじゃないかなと思ったりもします。
- suicide attackにせよ自殺攻撃にせよ、それを主題に掲げた文献・論文をびしっと一本筋の通った中心的情報源に据えて、定義面を明確にして、枝葉を断片的な情報源で補う、というスタイルでリライトするのが最も望ましい、と私は思うんですよね。そしてもしかすると、西洋人による文献をベースにするのと、東洋人/日本人による文献をベースにするのとでは、経由地や行き先が違ってくるんじゃないかなあとも思うんです。テキトーでいい加減な事を言いますが、昨今のイスラムのテロは、攻撃者側からすれば「テロ」ではないだろうし、もしかすると我々がもっている「自殺」観とも違っているかもしれません。そこらへんをほんとうの意味で中立化することは困難だろうと思いますし、帰属化することである程度は中立性に近づけるかなあという感じ。
- せっかく関連する日本語の論文を調べられたのであれば、それらを情報源としてガッツリ加筆/改稿してもいいんじゃないかなと思います。
- きちんとした日本語文献に基いて、日本語の用語で1から記事を書くことと、英語の「スーサイドアタック」概念を翻訳するのとはやはり違いがでるはずです。結果としては「スーサイドアタック(自殺攻撃)」という記事と、「自爆テロ」という記事と、2つの記事ができても不思議はないかな、と思います。--柒月例祭(会話) 2017年10月7日 (土) 15:48 (UTC)
- 引き続きコメントを賜われれば幸いです。--Nasqn(会話) 2017年10月7日 (土) 09:58 (UTC)
- 改名というよりは分離すべき、というご指摘は仰る通りだと思います。一週間ほど待って、異論等がなければこの改名提案は取り下げさせていただこうと思っております。それから、「自殺攻撃」の記事作成に着手しようかと考えております。
- 今のところ、特定の時代・地域を扱った中でsuicide attack(自殺攻撃)に言及している研究なら数多くあるようですが、suicide attackを「主題に掲げた文献・論文」はなかなか見つかりません。ひとまず、suicide attackを主題の一部として扱った『反西洋思想』(イアン・ブルマ&アヴィシャイ・マルガリートの『Occidentalism』の邦訳)は、記事作成にかなり資すると思われます。この文献ではドイツ思想(ドイツロマン主義・ドイツ国家主義・マルクス主義・ナチズム(国家社会主義)等)と、それを大日本帝国やイスラム圏が輸入し翻案していたことが扱われています。例えば、
- ドイツ:七年戦争で国が荒廃した後、トーマス・アプトが「祖国のために死ぬこと」というエッセイを創った。1914年11月のランゲマルクの戦いにおいては「志願兵たちは、ほぼ確実に訪れる死に向かって、ドイツ国歌を口ずさみながら行進していった」という伝説が国家主義者達によって広められ、ナポレオン戦争中に書かれたカール・テオドール・ケルナーの詩の一節「幸福は犠牲的な死の中にのみ横たわる」が度々引用された(87-88頁)。
- 大日本帝国:特攻隊員の多数は「エリート大学の人文学系の学生」であり、最低でも三ヶ国語の原文を読み、ドイツ文学・マルクス主義思想・「死に至る病」等について手紙に遺している。隊員の少数はキリスト教徒だった(103頁)。
- イスラム圏:元マルクス主義者にしてムスリムのアリ・シャリアティは、イラン革命を支えて殉教「赤い死」を推進した。バース党(アラブ社会主義復興党)を発展させたザティ・ヒュスリは、ドイツロマン主義者(フィヒテやヘルダー等)の汎ゲルマン主義を、汎アラブ主義へと作り変えた(225-226頁)。
- といった例が挙げられています。これらのsuicide attackやファシズム的傾向は「死の崇拝 death cult」(87頁)と定義されていますが、エルベ特攻隊やイスラムファシズムにも関連していると思われます。
- また、神風特攻隊を主題とした研究書『ねじ曲げられた桜―美意識と軍国主義』(大貫恵美子)は、『反西洋思想』の参考文献の一つとして挙げられています(246頁)が、特攻について詳述する場合は利用すべきかもしれません。
- 今のところ、特定の時代・地域を扱った中でsuicide attack(自殺攻撃)に言及している研究なら数多くあるようですが、suicide attackを「主題に掲げた文献・論文」はなかなか見つかりません。ひとまず、suicide attackを主題の一部として扱った『反西洋思想』(イアン・ブルマ&アヴィシャイ・マルガリートの『Occidentalism』の邦訳)は、記事作成にかなり資すると思われます。この文献ではドイツ思想(ドイツロマン主義・ドイツ国家主義・マルクス主義・ナチズム(国家社会主義)等)と、それを大日本帝国やイスラム圏が輸入し翻案していたことが扱われています。例えば、
- メガンテというか、サブカルチャーの件は少し気になります。例えば、オウム真理教は「様々なサブカルチャー的言説を寄せ集めて作りあげられた」とする論文[24]がありまして、非生産的・自滅的態度と下位文化(サブカルチャー)とには、一定の繋がりがあるように見えるからです。別の論文によると、「カルト問題研究集会」で報告された中に「オウム真理教(現アーレフ)」があるのですが、ここでは「過度な批判・対応こそカルトの暴力(集団自殺や攻撃)を招くという見解」が紹介されています[25]。
- とはいえ、suicide attackとサブカルチャー的言説(オウム真理教)との直接的な繋がりを論じた資料は今のところ見つかっておりません。
- おそらく、『反西洋思想』と複数の論文(場合によっては『ねじ曲げられた桜』も)を利用すれば、「自殺攻撃」という題名の記事は最低限形になるのではないかと思われます。--Nasqn(会話) 2017年10月8日 (日) 14:13 (UTC)
- そこで「死の崇拝」を推します。「自殺攻撃」と「死の崇拝」とでは大同小異だろうと指摘を受けそうですが、主な出典となるであろう「死の崇拝」資料が肝心ではないでしょうか。「死の崇拝」・反西洋思想は「攻撃」よりむしろ、崇拝・思想に属するからです。
- 「特別攻撃隊」記事では、軍人からの評価や撃墜数・命中率等の数字が記述の中心であるのに対し、「死の崇拝」記事では、自殺攻撃の思想のルーツと展開が中心である、という住み分けはできます。「特別攻撃隊」が軍事史的なのに対し、「死の崇拝」は思想史的・宗教史的とでも言えるでしょう。
- 反西洋思想の中に、ロマン的なドイツナショナリズムの「幸福」で「犠牲的」な死・神風特攻隊のドイツロマン主義などがあり、これらは「死の崇拝」に分類される。ならば、主義や思想についての記事の名前は「~~攻撃」よりも、「死の崇拝」が相応しいのではないでしょうか。
- 補足的な話になりますが、おそらく「死の崇拝」(death cult)という表現は、もともと社会思想や文芸思想に負っている部分も大きいと思います。ディストピア小説『1984年』に登場する国イースタシア Eastasia は、字面通り読めば「東アジア」であり、その国家イデオロギーは「死の崇拝」(Death-Worship)ないし「滅私」(Obliteration of the Self)です。
- 神話や宗教関連の思想の研究論文も、「死の崇拝」を論じています。
- 「神の崇拝は必然的に死の崇拝を伴う」(137)
- ドイツの魔笛についてデレック・ヴェーバー:「死を恐れ死を追い払おうとすればするほど、これらの人間たちは死の崇拝におぼれる。その崇拝とは、ついでに言えば、古代エジプトの諸々の宗教的儀式や宗教的観念を作り出したものでもある。」(6)
- 天心の『東洋の理想』についてマーガレット・E・ノーブル:「「死」の崇拝」(中略)が日本の芸術の真義であります。」(11)
- --211.203.10.12 2017年10月16日 (月) 05:14 (UTC)
- そして、「死の崇拝」という語句につきましては、この語句自体を取り扱った論文が複数存在していたことは盲点でした。場合によっては、『1984年』のEastasiaにおける「死の崇拝」も、新記事において扱うことになるのかもしれません(ちなみに、"Eastasia"で画像検索したところ、『1984年』だけでなく実際の東アジア(east asia)も該当しました)。
- 今後どのような名前の記事を建てるかについて、少々考えあぐねております。ひとまずは、このノートページでNasqnが提案致しました議論の主題は「自爆テロという記事名の改名」であり、皆様からコメントを頂いたところ、そのような改名は行わないという見解が共通しておりますので、この改名提案は取り下げさせて頂きます。--Nasqn(会話) 2017年10月20日 (金) 09:45 (UTC)