ノート:皇太子
ちょっとした疑問
[編集]とりあえず書いてみましたが、日本の皇太子のところ、すごい悪文ですね。だれかうまく書き直してくださいな。
それはさておき、今のところ、この記事の定義がちょっと不満です。次代の天皇になる予定の者でも、皇太子とは限らないのです。皇太孫や皇太弟であるかもしれませんから。あと、外国では、日本でいうと立太子の礼またいな儀式を終えないと、第一王位継承者であっても、皇太子と呼ばれないという例があるとどっかで見たような気がするのですが、誰かご存知の方はいらっしゃらないでしょうか。 Auf 12:02 2003年11月5日 (UTC)
皇室典範の解釈
[編集]> 天皇になりうる者は通常は皇子か皇孫である以上,その弟もまた通常は皇子か皇孫であり,したがって,たいていは皇太子ないし皇太孫に該当するからであろう。
皇室典範8条の皇嗣たる「皇子」「皇孫」は、単に天皇の子や孫であるという意味ではなく、現在の天皇の子、孫であることを意味しています。今の皇室で言えば、東宮徳仁親王と秋篠宮文仁親王は8条にいう皇子(今上の皇子)ですが、常陸宮正仁親王(昭和天皇の皇子)や三笠宮崇仁親王(大正天皇の皇子)は8条の皇子にはあたらず、仮に皇嗣になることがあっても皇太子にはなりません。同様に寛仁親王や桂宮宜仁親王(大正天皇の皇孫)も8条の皇孫にはあたらず、皇嗣にはなっても皇太孫にはなりません。
ちなみに「皇太弟」や「皇太叔」の称号がないのは、皇位継承順位が法定されているからです。天皇の弟や叔父である皇嗣は、天皇に皇子が誕生した時点で皇嗣ではなくなるので、最後まで次の天皇としては暫定一位の立場が続きます。このような暫定の立場に対して称号を与えるのは望ましくない(称号がついたり消えたりする可能性がある)ので、「皇太弟」「皇太叔」という称号はないのです。
それに対して天皇の子や孫が皇嗣である場合は、本人が皇位継承権を失わない限りは皇嗣であり続けることから、次の天皇としての立場は明確なので、「皇太子」「皇太孫」の称号が法定されているのです。
Lucius--以上の署名のないコメントは、165.76.116.189(会話/Whois)さんが 2005年4月11日 (月) 22:53 (UTC) に投稿したものです。
- 「皇嗣たる皇子を皇太子という」
- この「皇子」とは、現在天皇である今上天皇を基準にするのではなく、皇統に属する男系による直系の継承者を意味します。
- 今回を例えますと、125代天皇の皇統に属する直系の男子は2名おります。その皇子は、第1皇子(今上天皇)、第2皇子(秋篠宮さま)となります。「皇子」とは、この男系男子の事を意味します。
- 歴代天皇を見ても、○○天皇、第○皇子という形で表記されております。
- 現在のwikiは誤解を招くので修正を希望します。--Gowindow(会話) 2024年9月9日 (月) 15:33 (UTC)
ひつぎのみこを統合
[編集]ひつぎのみこを皇太子に統合しようと思います。単独で記事があっても発展する可能性が低いため。--ぽえこ 2007年3月31日 (土) 08:44 (UTC)
- (賛成)まずその項自体要らない気がしますが。それで検索する人がいるか怪しいですし、項目名が平仮名なのもどうなんでしょう。MIO 2007年3月31日 (土) 09:59 (UTC)
- (コメント)たしかに不要な気がしますが、まずはリダイレクトにしてから考えましょうか。。。--ぽえこ 2007年3月31日 (土) 10:26 (UTC)
- (報告)統合しました。ひつぎのみこの今後については要検討かもしれませんね。--ぽえこ 2007年4月6日 (金) 15:19 (UTC)
>長男チャールズ王子は自動的に王太子となりコーンウォール公爵となったが、1958年までプリンス・オブ・ウェールズではなかった。
この表記、ちょっと疑問がありますね。 この下の項目で王太子=Crown Princeとありますが、英国ではCrown Princeという称号を得るわけではないので、上記の定義によると、この時点では王太子(=Crown Prince)ではなく、Heir Apparent to the throne (王位推定相続人)という立場です。(もちろん、コーンウォールその他の爵位はありますが。)—以上の署名の無いコメントは、Nag(会話・履歴)さんが 2007年4月19日 (木) 03:07 (UTC) に投稿したものです。
皇太甥について
[編集]手元にある広辞苑を調べてみたのですが、「皇太子」「皇太孫」「皇太弟」という単語は載っていましたが、「皇太甥」という単語は載っていませんでした。皇太甥という言葉は、現代の日本語として正しい言葉なのでしょうか? もしくは、過去において正式に使われていた言葉なのでしょうか? もしも違うなら、皇太甥という言葉を記事中に使うのは望ましくないと思います。--グレーシャー 2007年5月28日 (月) 13:58 (UTC)
- 「皇太甥」という単語を、削除しました。--ぼったる 2007年9月11日 (火) 12:09 (UTC)
公世子
[編集]リヒテンシュタイン公ハンス・アダム2世のページから「公世子」というリンクをクリックして飛んできましたが、公世子に関する独立した記述がありません。「おおやけ」の「世子」すなわち認められた世継ぎということで皇太子と同義なのは推測出来ますが、具体的な解説が欲しいと思います。ほか、モナコ公国などヨーロッパ小国の皇太子、アラブ世界やモロッコ、ブータンとネパールの皇太子に関する説明も不足しているように思われます。--慈姑鑑真 2008年3月2日 (日) 05:57 (UTC)
本文に書くことではない
[編集]本稿では皇太子と王太子の区別に不明確な点があるので指摘したい。 皇太子は皇帝の継承権第一位の皇子に与えられる称号である。日本の皇太子は天皇を継承するので正しい。皇太子は王位を継承するののではない。スカンジナビア諸国は皇帝位を持つ国はなく、元首は王である。よって英語で言うところのCrownPrinceの日本語訳は王太子が正しい。英国のチャールズを皇太子と紹介する記事(新聞雑誌など)が目立つがこれは間違いである。(08年6月8日加筆)
↑これ書いたのだれでしょう? こういうことはノートでやりましょうねー しかも(08年6月8日加筆)などと書かなくてもWikipediaの履歴を見れば分かります。 文章の内容云々以前に書き方に問題があると思うので、こちらに移動します。
李氏は日本の皇室の一員なのか?
[編集]質問 白拍子花子(会話 / 投稿記録 / 記録)さんにより「韓国併合により朝鮮は日本の領土となり、旧韓国皇室は日本の皇族の一員とし��の李王家となり、その跡継ぎは王世子となった」との編集がなされました。しかし、旧大韓帝国の旧皇族は、大日本帝国の王公族となったはずです。旧大韓帝国の旧皇族が大日本帝国の皇族の一員とは思えないのですが、いかがでしょうか?
念のため、「前韓國皇帝ヲ册シテ王ト爲シ皇太子及將來ノ世嗣、太皇帝及各其儷匹ノ稱呼ヲ定メ竝ニ禮遇ノ件」を確認しましたが、「皇族ノ禮ヲ以テシ特ニ殿下ノ敬稱ヲ用ヰシム」としか明記されておらず、日本の皇族の一員に加えるとの記述は見出せませんでした。皇族の礼をもって遇することが「旧韓国皇室は日本の皇族の一員としての李王家とな」ったようには思えないのですが。「皇室典範」第30條には「皇族ト稱フルハ太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃內親王王王妃女王ヲ謂フ」とありますが王公族については一切触れられていません。また、「皇室典範増補」にて「皇族女子ハ王族又ハ公族ニ嫁スルコトヲ得」と記載されていますが、王公族が日本の皇族の一員とは一言も書かれておりません。「王公族ノ権義ニ関スル法律」や「王公家軌範」にも、日本の皇族の一員だとする記述は全く存在しないように思われます。
私の確認結果は上記のとおりですが、もし遺漏や不備等ありましたらぜひご指摘ください。白拍子花子(会話 / 投稿記録 / 記録)さんが「旧韓国皇室は日本の皇族の一員としての李王家となり、その跡継ぎは王世子となった」と主張する根拠をご教示いただけるでしょうか。--Taiwaan 2011年10月23日 (日) 08:03 (UTC)
- Taiwaanさん、お疲れ様です。泉州大夫惟宗朝臣と申します。この件については明らかに白拍子花子(会話 / 投稿記録 / 記録)氏の誤りです。Taiwaanさんご指摘の通り、韓国併合後の李王家は日本の王公族となり、皇族に准じる礼遇を受けました。しかしあくまで「皇族に准じる」であり、「皇族になる」ではありません。皇族の範囲は皇室典範に定められたとおりであります。白拍子花子(会話 / 投稿記録 / 記録)氏の編集は差し戻しても良いでしょう。--泉州大夫惟宗朝臣 2011年11月10日 (木) 16:50 (UTC)
- 泉州大夫惟宗朝臣さんのおっしゃる通りです。言葉が至らず誤解を招いたことについてはお詫び申し上げます。なおTaiwaanさんは同じような手法で私の編集を進行中の荒し行為と関連づける書き込みそこかしこでなさっておられますが、こうした執拗な嫌がらせは立派な荒し行為です。今後くれぐれも御自重くださいませ。--白拍子花子(会話) 2012年7月10日 (火) 15:25 (UTC)
日本の皇太子を独立ページに
[編集]このページを見てて思ったのですが、日本の皇太子部分を新規独立ページ作成すべきではないですかね? 実際半分以上日本の皇太子に割かれていますし、世界的視野でというWikipediaのポリシーにも反するかと。そもそもこのページって世界に普遍的に存在する皇太子について説明してるページですよね。 分割したら、日本の皇太子についても他国の皇太子に関しても記事が充実するし、読みやすくなっていい事だらけなのではと思います。 ただ、ページ案内やリダイレクトをどうするか迷います。 因みに、日本の皇太子の新規ページ名については「皇太子(日本)」と「日本の皇太子」などどれが良いのでしょう。私は前者を押します。 皆様のご意見お聞かせ下さい。--Wickych(会話) 2018年7月10日 (火) 07:36 (UTC)
- 適切な分割案が提示されるのであれば、それも一つの手段だと思います。但し、申し訳ないのですが意見としては反対よりとお考え下さい。これは異論なしということで議論が煮詰まらないまま分割されるのを防ぐ措置です。私個人としては分割するしないはどちらでも構いません。まあ、日本以外の事例にも触れられているので、日本についての記述がやや多いとはいえ、現在のままでも許容範囲だとは思いますから、積極的に分割することもないというのは本心ではありますが。--指定山崎(会話) 2018年7月20日 (金) 16:37 (UTC)
- 今のままですと、日本の皇太子についてページを見に来た人にとって見づらくなると思うのですよね。そして編集意欲も削がれてしまうのではと思うのです。あくまで、皇太子全般と、日本の皇太子どちらも充実させられると思い提案しました。このページでは世界の皇太子とともに日本の皇太子について簡易的に説明し、詳細はページでと促せばよいかと。実際、海外の皇太子に関しては独立ページ沢山作られてますよね。やはり独立ページある方が記事も充実するし読みやすいと思うのです。他の方の意見も募集します。--Wickych(会話) 2018年7月21日 (土) 07:08 (UTC)
- 他国の皇太子の例としては、皇太子に与えられる称号として実質その国の皇太子の説明としてアストゥリアス公(スペイン皇太子) オラニエ公(オランダ皇太子)、ブラバント公(ベルギー皇太子)など、それぞれ現皇太子とは別に独立ページが作られ、充実しています。是非皆様御覧ください。特定の皇室、王室メンバーに与えられる定められた称号として、日本の皇太子も同じようなものかと。内親王や親王、更には皇子だって独立ページありますし。これらを踏まえると、日本の皇太子だけ日本語wikipediaで損してる感じがするのですよね。独立ページでない分加筆に関して抑制が働いている気がします。--Wickych(会話) 2018年7月21日 (土) 07:21 (UTC)
- 連投すみません。因みにポリシー違反だから早急にというつもりではありません。議論が煮詰まって分割されることを私も望んでいます。誤解させていたとしたら申し訳ありません。議論が煮詰まって適切な分割方法が話し合われた上で、分割されることを望んでいます。今すぐ投票したりもしません。--Wickych(会話) 2018年7月21日 (土) 07:24 (UTC)
- 私は今のままでもそこまで見づらいとは思いませんし、それによって編集意欲が削がれるようなことはないと思います。まあ、現在の状態でも日本の皇太子についてはそれなりに詳しく書かれていますし、あなたの仰る通り「詳細は皇太子 (日本)を参照」とでもするのはアリだと思います。なお、揚げ足取りのようで申し訳ないのですが、例示されているオラニエ公は家へのリダイレクトですよ。また、他の例についても、実際に呼称される際は皇太子(王太子)です[1][2]。現皇太子とは別に独立ページが作られているとのことですが、それは存命の人物とは別物なのですから当たり前に思います。「皇太子に与えられる称号として実質その国の皇太子の説明として」というのはあなたも仰るように実際論なので、百科事典的な定義とは噛み合わない気がしてなりません。つまり、それらはあまり日本の皇太子を分ける理由にはならないと思います。あなたの仰る損得がどうこうはあまり理解できません。ここまで書いてきてなんですが、私は別に分割に強硬にNOと言っているわけではなく、他記事と合わないような気がする、と思っているだけなので、ご理解頂きたく思います。--指定山崎(会話) 2018年7月22日 (日) 03:35 (UTC)
「字義」の内容についての疑問
[編集]皇太子#字義にはまとめとして「したがって、語義としては、「皇太子」とは、次期皇位継承者の第一順位にあたる「皇帝の男子」のことであり、特に日本では「天皇の男子」[2] のことである。現代日本では皇室典範では第8条に基づき「皇嗣たる皇子」と定義されている。」と書かれています。しかし、皇太子#日本における女性への用例、その評価には「天平10年(738年)1月13日の立太子から即位まで、『続日本紀』は一貫して阿部内親王を「皇太子」と記している[4]。」「阿部内親王が立太子された時期は、皇太子の概念が確立される最初期にあたる。」と書かれていることから考えると、「皇帝の男子」のことという解釈は後からのものであり、当初は女子も含むものであったことに言及しないのは不適切です。現行の皇室典範の規定を重視しているのかもしれませんが、現行の規定はある時代の解釈を示すものであり、過去には違う解釈もあったことをまとめの中に明確に記載しないのは不適切です。--通圓(会話) 2021年12月27日 (月) 08:23 (UTC)
- 当該部分を加筆した者です。ご指摘ありがとうございます。参考文献・出典として挙げた『天平の三姉妹』(遠山美津男、中公新書、2010年)中の、当該ページ(p.68)には、当時としても「女子である阿部内親王がその地位に就くとは異例」とありますので、そのように記載しました。またやや古いですが、別の参考文献として挙げた『日本古代の皇太子』(荒木敏夫、吉川弘文館、1985年)のp.134では、日本書紀における「『太���』『皇太子』の記述がそのまま無限定に承認できるものではない」とし、語義について検証されています。以上の点を踏まえて、加筆修正しようと思います。--桜の国(会話) 2021年12月28日 (火) 19:05 (UTC)
- ご指摘に基づいて、加筆修正(文脈整理)して2か月余りが経過しております。当方の手元にある資料を確認した限り、「当初は女子を含むものであった」とする文献は、見つかりませんでした。文献等による「当初は女子も含むものであった」とする事実や研究が確認できない限り、告知のテンプレートを外したいと考えます。有意なご意見・資料の提示をお待ちしております。--桜の国(会話) 2022年3月7日 (月) 03:36 (UTC)
- さらに1か月半以上経過していますが、ご意見がありませんので、告知テンプレートを外しました。--桜の国(会話) 2022年4月29日 (金) 12:02 (UTC)