ドゥブロヴニク地震
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ドゥブロヴニク地震 | |
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本震 | |
震央 | ドゥブロヴニク |
被害 | |
死傷者数 | 死者約3000人 |
被害地域 | クロアチア(当時のラグーザ共和国) |
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
ドゥブロヴニク地震(どぅぶろぶにくじしん)[1]は、1667年にラグーザ共和国(2016年現在はクロアチア)のドゥブロヴニクで発生した地震。「1667年ドゥブロヴニク地震」(クロアチア語: Potres u Dubrovniku 1667.)とも称される[2]。
現代のクロアチア領内において、記録が残っている直近2400年間のうち、最も壊滅的であった二大地震のうちのひとつである。地震はドゥブロヴニクの全域を破壊し、約3000人が震災により亡くなった。[3] 同市の教区司祭であったシモーネ・ゲタルディ(Simone Ghetaldi)も死亡、市内にあった建造物の4分の3以上が破壊された。
当時、ドゥブロヴニクはラグーザ共和国の首都であった。この大地震は、同共和国の終わりの始まりを暗示した。[4]
脚注
[編集]- ^ 力武常次 監修『近代世界の災害』、国会資料編纂会、1995年、ISBN 4-906474-04-7.
- ^ Dubrovnik: A History By Robin Harris
- ^ Earthquake Monitoring and Seismic Hazard Mitigation in Balkan Countries by Eystein Sverre Husebye
- ^ Between the Double Eagle and the Crescent: The Republic of Dubrovnik by Zdenko Zlatar
外部リンク
[編集]- The Earthquake Engineering Online Archive Jan Kozak Collection: Image[リンク切れ] - 地震と火災により破壊されたドゥブロヴニク(ラグーザ共和国)
- Potresi at duzs.hr[リンク切れ]
- Potres u Dubrovniku 1667. godine