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テューダーミンストレル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テューダーミンストレル
欧字表記 Tudor Minstrel
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1944年[1]
死没 1971年[1]
Owen Tudor
Sansonnet
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 John Arthur Dewar[1]
馬主 John Arthur Dewar[1]
調教師 Fred Darling[1]
競走成績
生涯成績 10戦8勝[1]
獲得賞金 25,646ポンド[1]
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テューダーミンストレル (Tudor Minstrel) はイギリス競走馬および種牡馬。馬名は「テューダー王家吟遊詩人」の意。

経歴

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スコッチウィスキー醸造業者である第2代フォーティビオット男爵ジョン・アーサー・デュワーの持つ、ホームストール牧場で生産されたサラブレッドの牡馬である。デュワー所有のもと、フレッド・ダーリン調教師のもとに預けられて競走馬となった[1]

2歳になった1946年にデビュー、バース競馬場で初勝利を挙げると、続いてソールズベリー競馬場でも勝利した。次いでアスコット競馬場コヴェントリーステークスに登録されると、これを4馬身差で完勝した。さらに7月のサンダウンパーク競馬場で行われたナショナルブリーダーズプロデュースステークスでも4馬身差で勝利し、この年を4戦4勝で終えた。同年のフリーハンデキャップにおいて、テューダーミンストレルは133ポンドの評価を与えられ、世代トップと目されていた。

1947年、3歳シーズンの始動はバース競馬場での一般戦でこれに勝利し、続くニューマーケット競馬場での2000ギニーでは11/8(単勝約2.38倍)のオッズで1番人気に推されていた。ゴードン・リチャーズ鞍上で迎えたこの競走で、テューダーミンストレルは2着サラヴァン、3着サヤジラオに8馬身差をつけての圧勝を見せつけた[2]。この着差は20世紀の同競走における着差レコードであり、「もし鞍上のゴードンが途中で手綱を緩めなければ20馬身はちぎっていたのではないか」「世紀の名馬だ」などと報道された[3]

エプソムダービーにおいて、テューダーミンストレルは4/7(単勝約1.5倍)という断然の1番人気に支持された。当日のエプソム競馬場は寒く湿った天気ながらもおよそ40万人の観客が詰めかけ、国王ジョージ6世および王妃も参席していた。ダービーの12ハロンという距離はテューダーミンストレルは未経験で、このためスタミナに疑問視もされたが、血統的にステイヤーであると見られ、一部では「荷車を引かせても勝てる」とまで言われていた[4]。しかしテューダーミンストレルは先行することに失敗すると、そのまま先頭に立てず力尽き、単勝41倍の穴馬パールダイヴァーが優勝するなか4着と初の敗北を喫した[5]

6月下旬、テューダーミンストレルはマイル戦のセントジェームズパレスステークスで競走に復帰し、これを楽勝した。その後10ハロンのエクリプスステークスに挑戦したが、ミゴリ相手の2着と敗れた[6]。秋にはクイーンエリザベス2世ステークスの前哨戦であるナイツロイヤルステークスに出走し、ペティションやザバグといった強豪馬を破って優勝している。この競走がテューダーミンストレルの最後の競走になった。

競走成績

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当時グループ制なし。

種牡馬入り後

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テューダーミンストレルは現役中に10万ポンドのシンジケートが組まれており、引退の翌年から故���のホームストール牧場で種牡馬として活動し始めた[1]。1958年にレスリー・コムズ2世を代表とするシンジケートに購入されてアメリカ合衆国に渡り、スペンドスリフトファームで1970年まで種牡馬を続けていた[1]。その後1971年に同地で死亡した[1]

テューダーミンストレルは英米ともに産駒に恵まれ、アメリカジョッキークラブの調べによれば産駒486頭のうち291頭が勝ち上がり、34頭がステークス競走で勝利したとある[1][注 1]。代表的な産駒には、アメリカでケンタッキーダービーに優勝したトミーリーなどがいる。

代表産駒

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ほか多数

血統表

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テューダーミンストレル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 オーエンテューダー系
[§ 2]

Owen Tudor
1938 青鹿毛 イギリス
父の父
Hyperion
1930 栗毛 イギリス
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
父の母
Mary Tudor II
1931 鹿毛 フランス
Pharos Phalaris
Scapa Flow
Anna Bolena Teddy
Queen Elizabeth

Sansonnet
1933 鹿毛 イギリス
Sansovino
1921 鹿毛 イギリス
Swynford John o'gaunt
Canterbury Pilgrim
Gondolette Loved One
Dongola
母の母
Lady Juror
1919 鹿毛 イギリス
Son-in-Law Dark Ronald
Mother in Law
Lady Josephine Sundridge
Americus Girl
母系(F-No.) (FN:9-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Gondolette 3x5=15.63%、 Canterbury Pilgrim 4x5=9.38%、 Chaucer 父内4x5=9.38%、 Bay Ronald 5x5=6.25%、 Pilgrimage 母内5x5=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ [7], [8]
  2. ^ [8]
  3. ^ [7], [8]
  4. ^ [7], [8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 資料によってステークス勝ち馬の数はばらつきがあり、『Peerage of Racehorses』では43頭、また『Great Thoroughbred Sires of the World』では44頭とある[1]

出典

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外部リンク

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