テューダーミンストレル
テューダーミンストレル | |
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欧字表記 | Tudor Minstrel |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1944年[1] |
死没 | 1971年[1] |
父 | Owen Tudor |
母 | Sansonnet |
生国 | イギリス |
生産者 | John Arthur Dewar[1] |
馬主 | John Arthur Dewar[1] |
調教師 | Fred Darling[1] |
競走成績 | |
生涯成績 | 10戦8勝[1] |
獲得賞金 | 25,646ポンド[1] |
テューダーミンストレル (Tudor Minstrel) はイギリスの競走馬および種牡馬。馬名は「テューダー王家の吟遊詩人」の意。
経歴
[編集]スコッチウィスキー醸造業者である第2代フォーティビオット男爵ジョン・アーサー・デュワーの持つ、ホームストール牧場で生産されたサラブレッドの牡馬である。デュワー所有のもと、フレッド・ダーリン調教師のもとに預けられて競走馬となった[1]。
2歳になった1946年にデビュー、バース競馬場で初勝利を挙げると、続いてソールズベリー競馬場でも勝利した。次いでアスコット競馬場のコヴェントリーステークスに登録されると、これを4馬身差で完勝した。さらに7月のサンダウンパーク競馬場で行われたナショナルブリーダーズプロデュースステークスでも4馬身差で勝利し、この年を4戦4勝で終えた。同年のフリーハンデキャップにおいて、テューダーミンストレルは133ポンドの評価を与えられ、世代トップと目されていた。
1947年、3歳シーズンの始動はバース競馬場での一般戦でこれに勝利し、続くニューマーケット競馬場での2000ギニーでは11/8(単勝約2.38倍)のオッズで1番人気に推されていた。ゴードン・リチャーズ鞍上で迎えたこの競走で、テューダーミンストレルは2着サラヴァン、3着サヤジラオに8馬身差をつけての圧勝を見せつけた[2]。この着差は20世紀の同競走における着差レコードであり、「もし鞍上のゴードンが途中で手綱を緩めなければ20馬身はちぎっていたのではないか」「世紀の名馬だ」などと報道された[3]。
エプソムダービーにおいて、テューダーミンストレルは4/7(単勝約1.5倍)という断然の1番人気に支持された。当日のエプソム競馬場は寒く湿った天気ながらもおよそ40万人の観客が詰めかけ、国王ジョージ6世および王妃も参席していた。ダービーの12ハロンという距離はテューダーミンストレルは未経験で、このためスタミナに疑問視もされたが、血統的にステイヤーであると見られ、一部では「荷車を引かせても勝てる」とまで言われていた[4]。しかしテューダーミンストレルは先行することに失敗すると、そのまま先頭に立てず力尽き、単勝41倍の穴馬パールダイヴァーが優勝するなか4着と初の敗北を喫した[5]。
6月下旬、テューダーミンストレルはマイル戦のセントジェームズパレスステークスで競走に復帰し、これを楽勝した。その後10ハロンのエクリプスステークスに挑戦したが、ミゴリ相手の2着と敗れた[6]。秋にはクイーンエリザベス2世ステークスの前哨戦であるナイツロイヤルステークスに出走し、ペティションやザバグといった強豪馬を破って優勝している。この競走がテューダーミンストレルの最後の競走になった。
競走成績
[編集]当時グループ制なし。
種牡馬入り後
[編集]テューダーミンストレルは現役中に10万ポンドのシンジケートが組まれており、引退の翌年から故���のホームストール牧場で種牡馬として活動し始めた[1]。1958年にレスリー・コムズ2世を代表とするシンジケートに購入されてアメリカ合衆国に渡り、スペンドスリフトファームで1970年まで種牡馬を続けていた[1]。その後1971年に同地で死亡した[1]。
テューダーミンストレルは英米ともに産駒に恵まれ、アメリカジョッキークラブの調べによれば産駒486頭のうち291頭が勝ち上がり、34頭がステークス競走で勝利したとある[1][注 1]。代表的な産駒には、アメリカでケンタッキーダービーに優勝したトミーリーなどがいる。
代表産駒
[編集]- Tomy Lee(ケンタッキーダービー)
- Toro(プール・デッセ・デ・プーラン)
- King of the Tudors(サセックスステークス、エクリプスステークス)
- Sallymount(ジャック・ル・マロワ賞)
ほか多数
血統表
[編集]テューダーミンストレルの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | オーエンテューダー系 |
[§ 2] | ||
父 Owen Tudor 1938 青鹿毛 イギリス |
父の父 Hyperion1930 栗毛 イギリス |
Gainsborough | Bayardo | |
Rosedrop | ||||
Selene | Chaucer | |||
Serenissima | ||||
父の母 Mary Tudor II1931 鹿毛 フランス |
Pharos | Phalaris | ||
Scapa Flow | ||||
Anna Bolena | Teddy | |||
Queen Elizabeth | ||||
母 Sansonnet 1933 鹿毛 イギリス |
Sansovino 1921 鹿毛 イギリス |
Swynford | John o'gaunt | |
Canterbury Pilgrim | ||||
Gondolette | Loved One | |||
Dongola | ||||
母の母 Lady Juror1919 鹿毛 イギリス |
Son-in-Law | Dark Ronald | ||
Mother in Law | ||||
Lady Josephine | Sundridge | |||
Americus Girl | ||||
母系(F-No.) | (FN:9-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Gondolette 3x5=15.63%、 Canterbury Pilgrim 4x5=9.38%、 Chaucer 父内4x5=9.38%、 Bay Ronald 5x5=6.25%、 Pilgrimage 母内5x5=6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
- 姉にコロネーションステークス勝ち馬のネオライト(Neolight、1943年生)がいる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m Avalyn Hunter. “Tudor Minstrel (GB)”. American Classic Pedigrees. 2022年6月12日閲覧。
- ^ “TUDOR MINSTREL, WINS GUINEAS LONDON, Wednesday”. Canberra Times. (1 May 1947) 2022年6月12日閲覧。
- ^ “Tudor Minstrel Wins English Classic”. Burnie Advocate. (2 May 1947) 2022年6月12日閲覧。
- ^ “Prospects for the Derby”. The Age 2022年6月12日閲覧。
- ^ “40/1 Pearl Diver wins the Derby”. Indian Express. (1947年6月9日) 2022年6月12日閲覧。
- ^ “Eclipse Stakes To Migoli”. The Mercury. (19 Jul 1947) 2012年6月1日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Tudor Minstrel(GB)”. JBISサーチ. 2022年6月12日閲覧。
- ^ a b c d “Tudor Minstrelの血統表”. netkeiba.com. 2022年6月12日閲覧。