スポーツプレックス・ジャパン
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | SPJ |
本社所在地 | 東京都港区赤坂四丁目1番27号 |
設立 | 2000年4月19日 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | フィットネス事業運営、フィットネス事業コンサルタント、託児所の開発及び運営、エステティックサロンの企画・経営 |
代表者 | 代表取締役社長 大石利光 |
資本金 | 7億1,090万0,000円 (2008年4月1日現在) |
発行済株式総数 | 3万6,316株 |
売上高 | 58億58百万円(2007年3月期) |
純利益 | △2億36百万円(2007年3月期) |
従業員数 | 138人(2007年9月30日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 株式会社コナミスポーツ&ライフ |
関係する人物 | 翠愼(創業者) |
外部リンク | 閉鎖 |
特記事項:2008年6月30日をもって株式会社コナミスポーツ&ライフに吸収合併され消滅 |
スポーツプレックス・ジャパン株式会社は、2000年4月から2008年8月まで存在した日本の企業。スポーツクラブを運営していた。
概要
[編集]従業員数138人(2007年9月30日現在)。売上高は5,858百万円。当期純損失は236百万円(2007年3月期)[1]。
会員の運動リスクや運動履歴データをシステムで管理し、一人ひとりの運動目的に合わせて医師・管理栄養士・トレーナーがサポートを行う「メディフィット」というサービスを特徴としていた。
沿革
[編集]セントラルスポーツの元常務取締役である翠愼が、2000年4月に設立した[2]。設立当時の商号は、株式会社トライ・インターナショナルであったが、2001年3月に「スポーツプレックス・ジャパン株式会社」へと変更された。
2004年4月、発行済総株式数の82.6%を東京電力株式会社が譲り受け、東京電力の子会社となった[3]。
2008年3月には、株式会社コナミが東京電力の同社持株をすべて譲り受け、コナミの子会社となり[1]、その翌月にはコナミのグループ再編により株式会社コナミスポーツ&ライフの子会社となった。そして同年6月、コナミスポーツ&ライフに吸収合併され、法的実体が消滅した。10月1日には、店舗名も「コナミスポーツクラブ」に変更となった。
- 年表
- 2000年 4月 – 株式会社トライ・インターナショナル設立
- 2001年 3月 – セルバ株式会社を吸収合併、スポーツプレックス・ジャパン株式会社に商号変更。スポーツプレックス恵比寿、アリススポーツクラブを開店
- 2001年 4月 – スポーツプレックス目黒を開店(雅叙園からの事業継承)
- 2001年10月 – スポーツプレックス代々木上原を開店(小田急電鉄からの事業継承)
- 2001年11月 – スポーツプレックス荻窪を開店
- 2002年 8月 - スポーツプレックス武蔵境を開店(大京からの事業継承)
- 2003年 1月 - スポーツプレックス自由が丘を開店(三越からの事業継承)
- 2003年 4月 – スポーツプレックスたまプラーザを開店
- 2004年 4月 - スポーツプレックス希望が丘を開店
- 2004年 5月 – 東京電力の子会社になる
- 2005年10月 - スポーツプレックス磯子を開店
- 2005年11月 - スポーツプレックス中野富士見町を開店
- 2006年11月 - スポーツプレックス碑文谷を開店
- 2007年 2月 - スポーツプレックス東松原を開店
- 2008年 3月6日 – コナミの子会社になる(東京電力の全持株の譲渡)
- 2008年 4月1日 – コナミスポーツ&ライフの子会社になる(コナミの全持株の譲渡)
- 2008年 6月30日 – コナミスポーツ&ライフ株式会社により吸収合併。法的実体の消滅。
- 2008年10月1日 – 店舗名の「コナミスポーツクラブ」への変更(一部店舗は除外)
施設
[編集]施設は、2008年9月30日までのものである。同年10月以降は、施設名称に「スポーツプレックス」の代わりに「コナミスポーツクラブ」を用い[4]、コナミスポーツ&ライフ株式会社により運営されている。
東京
[編集]- スポーツプレックス恵比寿
- スポーツプレックス代々木上原
- スポーツプレックス目黒
- スポーツプレックス自由が丘
- スポーツプレックス碑文谷
- スポーツプレックス東松原
- スポーツプレックス中野富士見町
- アリススポーツクラブ
- スポーツプレックス荻窪
- スポーツプレックス武蔵境
神奈川
[編集]- スポーツプレックス磯子
- スポーツプレックスたまプラーザ
- スポーツプレックス希望が丘