グレッグ・ノーマン
Greg Norman | |
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基本情報 | |
名前 | グレッグ・ノーマン |
生年月日 | 1955年2月10日(69歳) |
国籍 | オーストラリア |
出身地 | クイーンズランド州 マウント・アイザ |
経歴 | |
成績 | |
優勝回数 |
欧州ツアー:14勝 PGAツアー:20勝 など |
賞金王 |
欧州ツアー:1982年 PGAツアー:1986年・1990年・1995年 |
世界ランク最高位 | 1位 |
賞金ランク最高位 | 1位 |
殿堂表彰者 | |
選出年 | 2001年 |
選出部門 | PGAツアー |
2012年11月30日現在 |
グレゴリー・ジョン・ノーマン(Gregory John Norman AO、1955年2月10日 - )は、オーストラリア・クイーンズランド州マウント・アイザ出身のプロゴルファー。ホホジロザメを意味するホワイト・シャーク(White Shark)というニックネームで知られている。
経歴・人物
[編集]1976年にプロ入り。世界各国で合計68勝を挙げている。全盛期にはゴルフ世界ランキング1位を通算「331週」保持しており、これはワールドゴルフランキング制度が発足した1985年以降ではタイガー・ウッズに次ぐ記録である。1986年と1993年の2度、ジ・オープンで優勝している(第115、122回大会)。特に、1986年は「ノーマンの年」「グレグ・イヤー」と言われるほど、世界を舞台に活躍した。四大メジャー大会すべてで、54ホール終了時点で首位に立ち、最終日に最終組で廻り「ノーマンスラム」「サタデースラム」と呼ばれているが、メジャー優勝は全英オープンのみ。イギリス・ヨーロッパ・オーストラリア��の6戦連続勝利などを経て、全豪オープンでテリー・ゲイルに1打差で勝利して、このシーズンは10勝を挙げた。なお、ノーマンの7連勝を阻んだのはマイク・ハーウッドであり、ハーウッドの地元のキャッスルヒルカントリークラブ(パー72)開催の全豪プロ選手権で最終日にコースレコード64で廻ってノーマンに2打差で勝利したが、これは同時にノーマンの大会3連覇を阻止するものであった。1993年のロイヤルセントジョージズでのジ・オープンにはブッチ・ハーモンとスイング改造して臨み、全英オープン最少打数で4日間ラウンドして、2度目で最後のメジャー優勝。
アメリカPGAツアーでは通算18勝を挙げており、2度の全英優勝を含めた合計勝利数が20勝となったためPGAツアーの永久シード選手となっている[1]。
これだけの実績にも拘わらず、アメリカ開催のメジャー大会では2位が8度あるなど、たびたび優勝争いには加わるものの、タイトルには縁がなく、多くの大会で辛酸をなめてきた。とりわけ1996年のマスターズ・トーナメントでは、初日にコースレコードをマークするなど3日目までは2位と6打差の単独首位で最終日を迎えながら、最終ラウンドで「78」(6オーバー)をたたき、優勝したニック・ファルドに逆に5打差をつけられて大逆転負けを喫した。
日本のツアーでは1989年の「国際招待ゴルフ・中日クラウンズ」と、1993年の「住友VISA太平洋マスターズ」で優勝している。また、1977年の「くずは国際トーナメント」(2日間競技)でも優勝。当時は670ヤードを超えていたために最��でも4オンが必要だと言われていたぐらい、くずは国際ゴルフ場[1]で最難関であった超ロングホールの10番ホールを3オンで決めるなどして、同大会をぶっちぎりで優勝した[2]。
2008年、元女子プロテニスプレイヤーのクリス・エバートと再婚。その後に開催された全英オープンでは3日目まで首位にいながら、最終日にパドレイグ・ハリントンに逆転され3位に終わる。クリス・エバートとは2009年10月に離婚した。
日本のプロゴルファー青木功とは長年の親友であり、青木が左肘を故障した際には、主治医の紹介やその後のケアなどにも心配りがあったという。青木が世界ゴルフ殿堂入りした際には、そのプレゼンターを務めた。また元F1チャンピオンのナイジェル・マンセルとも親友で、マンセルは自分の次男に「グレグ」と名付けている。
多方面のビジネスも手がけており、近年はゴルフコース設計やワイン販売など実業家としての活動も行っている。
2014年からはフォックス放送のゴルフ中継においてノーマンがホストを務めるフランクリン・テンプルトン・シュートアウトやUSGA主催の全米オープンの解説者を務めていた。
しかしノーマンはサウジアラビア資本のLIVゴルフのCEO就任と同時にリブゴルフ・インビテーションシリーズを立ち上げる。
主なツアー優勝歴
[編集]PGAツアー
[編集]- 1983年:ケンパー・オープン、カナディアン・オープン
- 1986年:パナソニック・ラスベガス招待、ケンパー・オープン、全英オープン
- 1988年:RBCヘリテージ
- 1989年:ザ・インターナショナル、グレーター・ミルウォーキー・オープン
- 1990年:ドラル・ライダー・オープン、メモリアル・トーナメント
- 1993年:ドラル・ライダー・オープン、全英オープン
- 1994年:プレーヤーズ選手権
- 1995年:メモリアル・トーナメント、キヤノン・グレーター・ハートフォード・オープン、NECワールドシリーズ・オブ・ゴルフ
- 1996年:ドラル・ライダー・オープン
- 1997年:フェデックス・セントジュード・クラシック、NECワールドシリーズ・オブ・ゴルフ
日本ツアー
[編集]- 1977年:くずは国際トーナメント
- 1989年:国際招待ゴルフ・中日クラウンズ
- 1993年:住友VISA太平洋マスターズ
脚注
[編集]- ^ 現在のくずはゴルフリンクス。
- ^ #51 野球とゴルフの実況へ (YouTube配信). メディアあどりぶ倶楽部. 1 September 2020. 該当時間: 14m11s. 2021年8月28日閲覧。
元関西テレビアナウンサー杉本清さんにお話をうかがいました。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- グレッグ・ノーマン - PGA Tour.com
- グレッグ・ノーマン - ヨーロピアンツアー公式サイト
- グレッグ・ノーマン - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール
- グレッグ・ノーマン - ワールドゴルフランキング
- ゴルフ・スターズ・オンライン (英語、他の参考文献類)