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オレンジ通り五番街

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オレンジ通り五番街
ジャンル バラエティ番組
放送方式 生放送
放送期間 1978年4月3日 - 1979年4月6日
放送時間 月曜 - 金曜 20:30 - 22:30
→ 月曜 - 金曜 20:30 - 22:00
放送局 文化放送
パーソナリティ 梶原茂
みのもんた(1978年10月から)
テーマ曲 来生たかお
オレンジ通り五番街(振り向いてアベニュー)
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オレンジ通り五番街(オレンジどおりごばんがい)は、文化放送で、1978年4月3日から1979年4月6日まで放送された、夜のワイドラジオ番組

パーソナリティ

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  • 梶原茂 (文化放送アナウンサー(当時) 1978年9月までは月 - 金 → 1978年10月からは月・水・金)
  • みのもんた (文化放送アナウンサー(当時) 1978年10月から火曜・木曜)

放送時間

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  • 毎週 - 金曜 20:30 - 22:30 (1978年9月29日まで)
  • 毎週月 - 金曜 20:30 - 22:00 (1978年10月2日から)
    • ※『小林克也POP IN POPS』の放送時間が月 - 金曜 22:00 - 22:30の枠となったため30分短縮。

概要

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前番組『夜はラジオマガジン』と同じく、月曜日から金曜日までの20:30放送開始の当時の夜ワイド枠でスタート[注釈 1]。本番組中には下記のように多くの内包番組が放送されており、それを生出演のパーソナリティが繋ぐ���ロックワイド形式の番組だった。なお、直前の時間帯(18:30 - 20:30)には『青春大通り』が放送されており、『通り』がタイトルにつく番組が二本並んでいた。

パーソナリティは月曜 - 金曜を梶原茂が務めていたが、半年後の1978年10月からは梶原の担当は月・水・金の3曜日となり、火曜日木曜日1976年4月まで放送されていた『ワイドNo1』以来の平日夜ワイドの登場となる、みのもんたの担当となった。

1979年4月6日で終了した後は平日20:30 - 22:00の枠に帯番組としての夜ワイド枠は無くなり、21時台・22時台の平日帯 夜ワイド番組は1年6か月後の1980年10月にスタートした『吉田照美のてるてるワイド』で再開した。

テーマ曲

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主なコーナー・内包番組

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  • オレンジ色のラブレター
    • 恥ずかしくてラブレターを出せない人のために、番組が代わって“リスナーからこの人へ”の手紙を紹介[1]
  • みのもんたのカム・トゥゲザー (1978年9月まで 共演:いぬいみずえ
  • はぐれ旅・沢田研二のルート53つぎ[1]
  • ピンク・レディーとマンハッタン[1]
  • 竹下景子の話の片想い
    • 毎週ゲストを招いての対談を、一週間(5日)通して放送[1]
  • デデと純子のミュージック・トリップ(川村ひさし八神純子[1]
  • スペース・ファンタジー(松本零士かぜ耕士 他)[1]
  • われら宇宙船地球号 (月替わりパーソナリティ)
  • 友よ! 森繁だ (1978年10月2日から)[2]
  • ザ・ニューミュージック (1978年10月から)
  • スポーツジョッキー (1978年10月から)

脚注

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注釈

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  1. ^ この当時の文化放送は原則として平日のプロ野球中継を実施しておらず、当時の文化放送のプロ野球中継は土・日曜の文化放送ホームランナイターのみ。平日のプロ野球中継が開始されたのは1982年文化放送ライオンズナイター)から。

出典

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  1. ^ a b c d e f 明星 1978年8月号 p.134、135、140
  2. ^ 【文化放送番組表】1970年代ピックアップ - ウェイバックマシン(2021年9月18日アーカイブ分)
文化放送 平日20:30 - 22:30 → 20:30 - 22:00枠
(1978年4月 - 1979年4月)
前番組 番組名 次番組
オレンジ通り五番街
アイ・ラブ・シティ(20:30 - 20:40)
デデ純子のミュージック・トリップ
(20:40 - 20:50)
友よ!森繁だ(20:50 - 21:00)
輝け!ニューミュージックグランプリ
(月曜21:00 - 22:00)
ジョイント・ライブ(火曜21:00 - 22:00)
さだまさしストーリー(水曜21:00 - 22:00)
楓セビルのニューヨークホットライン
(木曜21:00 - 22:00)
ロックヒストリー(金曜21:00 - 22:00)