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アントン・フランツ・デ・パウラ・ランベルク=シュプリンツェンシュタイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アントン・フランツ・デ・パウラ・ランベルク=シュプリンツェンシュタイン伯爵。

アントン・フランツ・デ・パウラ・ランベルク=シュプリンツェンシュタイン伯爵: Anton Franz de Paula Graf Lamberg-Sprinzenstein, 1740年-1822年)は、オーストリア外交官であり、芸術収集家である。

ランベルク伯爵はウィーンで生まれた。外交官時代に6年間ナポリで過ごし、500を超える古代ギリシアの壺を収集して、1815年にウィーンの古代の小陳列室(現在は美術史美術館の一部)に寄贈した[1]

1807年に伯爵はウィーン美術アカデミーの名誉会員になり、1818年に外交官を辞任した後、ティツィアーノベラスケスフランチェスコ・グアルディレンブラントヤン・ファン・ホーイェンヤーコプ・ファン・ロイスダールなどの作品を含む絵画コレクション全体をアカデミーに遺贈した。現在、伯爵のコレクションはウィーン造形美術アカデミー絵画館ドイツ語版の主要な構成要素となっている[1]

脚注

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  1. ^ a b Lamberg-Sprinzenstein, Anton Franz de Paula Graf von”. Deutsche Biographie. 2020年8月18日閲覧。