コンテンツにスキップ

くりはら田園鉄道線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くりはら田園鉄道線
細倉マインパーク前駅付近(2006年)
概要
現況 廃止
起終点 起点:石越駅
終点:細倉マインパーク前駅
駅数 16駅
運営
開業 1921年12月20日 (1921-12-20)
廃止 2007年4月1日 (2007-4-1)
所有者 くりはら田園鉄道
使用車両 くりはら田園鉄道#車両を参照
路線諸元
路線総延長 25.7 km (16.0 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
過去の軌間 762 mm (2 ft 6 in)(1955年まで)
電化 全線非電化
(1950年-1995年は直流750 V 電化)
路線図
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STRq
JR東東北本線
exSTR+l
0.0 石越駅
exBHF exSTR
1.6 荒町駅
exSTR exBHF
片町駅 -1942
exSTRl exABZ+lr exSTRr
新線 / 旧線
exBHF
3.1 若柳駅
exBHF
4.6 谷地畑駅
exBHF
5.7 大岡小前駅
xKRZh
←JR東:東北新幹線
exBHF
7.2 大岡駅
exSKRZ-Au
東北自動車道
exBHF
9.3 沢辺駅
exBHF
12.8 津久毛駅
exBHF
14.4 杉橋駅
exBHF
15.4 鳥矢崎駅
exBHF
17.1 栗駒駅
exWBRÜCKE1
三迫川
exBHF
17.9 栗原田町駅
exBS2c2 exBS2lr exBS2c3
旧線 / 新線
exTUNNEL1 exSTR
赤坂山トンネル
exBS2c1 exBS2+lr exBS2c4
exBHF
19.1 尾松駅
exBHF
21.6 鶯沢駅
exWBRÜCKE1
二迫川
exBHF
23.8 鶯沢工業高校前駅
exTUNNEL1
秋法トンネル
exBHF
25.5 細倉駅 -1990
exBHF
25.7 細倉マインパーク前駅
exKDSTe
26.2 細倉鉱山駅 -1988

廃止年の特記無い限り2007年廃止

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

くりはら田園鉄道線(くりはらでんえんてつどうせん)は、宮城県登米市石越駅と同県栗原市細倉マインパーク前駅まで結んでいた、くりはら田園鉄道鉄道路線である。

概要

[編集]

1921年宮城県北西部にある登米郡石越村(現・登米市)の石越駅から栗原郡沢辺村(現・栗原市)の沢辺駅までの約9kmの区間において、762mm軌間の軽便規格路線(ただし軽便鉄道法ではなく軌道法に準拠)を以って開通した。その後、会社は二度社名を変えつつ、細倉鉱山までの延長(全線:25.7km)、直流電化および1,067mmへの改軌を相次いで実行し、東北随一の近代的な路線へと成長した。しかし、乗客・貨物の減少により1970年から赤字経営に陥り、1988年に細倉鉱山が閉山となると収入の柱であった貨物輸送が廃止され、経営悪化に拍車をかけた。

欠損補助打ち切りを契機として、1993年には三セク化により路線が沿線自治体の手に委ねられることとなり、さらに1995年には設備の老朽化により電化を廃し、社名もくりはら田園鉄道と改めて廃止までの10年余りを運行した。なお、電化廃止により新造した気動車(ディーゼルカー)による運行となったが、架線柱などは存置され、また旧来のタブレット腕木式信号機などの信号設備が引き続き使用されたため、電化時代の面影を廃線時まで色濃く残していた。しかし、その後も乗客の減少は続き、赤字の大半を補填していた宮城県2003年に支援打ち切りを表明し、以降も状況が好転しなかったことから、2007年にやむなく廃線となった。

路線データ (廃止時)

[編集]
  • 路線距離(営業キロ):25.7km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:16駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 認可最高速度:75km/h(くりはら田園鉄道移管後)
  • 閉塞方式
    • スタフ閉塞式(石越 - 若柳間、栗駒 - 細倉マインパーク前間)
    • タブレット閉塞式(若柳 - 栗駒間)

運行形態

[編集]

1 - 2時間に1本程度の運転であった。土曜日休日には朝と夜の2往復が運行されず、代わりに午前中に1往復が運行されていた。全列車が1両単行によるワンマン運転を行っていた。沿線には高校が数校あり、学生が利用するため朝の1往復をKD10の2両編成で運行していたこともある。車両の夜間滞泊若柳駅細倉マインパーク前駅で行っていた。

栗原電鉄時代の最盛期には、「栗駒フラワー」「栗駒もみじ」といった日本国有鉄道(国鉄)仙台駅から東北本線を経由して、石越駅から当線に乗り入れて細倉駅まで直通する臨時旅客列車も設定されていた[1]

歴史

[編集]

1921年(大正10年)、東北本線と接続する登米郡石越村から、栗原郡若柳町大岡村沢辺村と経由する各町村1駅ずつの4駅、約9kmの区間で開業した。翌年には岩ヶ崎町まで延長し、全線で約17kmとなった。いずれの駅も迫川およびその支流の三迫川の左岸(北岸)側にあり、戦後の昭和の大合併前後に生まれた石越町・若柳町・金成町(沢辺村は金成村隣接)・栗駒町の各町の中心部隣接あるいは近接していた。以降、これら5駅の間に駅を増やしていくが、戦中の1942年(昭和17年)に三迫川の右岸(南岸)側にある鶯沢村細倉鉱山方面に路線を延ばした(全線:約26km)。

開業から戦後までは762mmの非電化路線であったが、戦後復興期になると石炭価格の高騰・低質炭の流通から、1950年(昭和25年)に電化を行った。従来に比べ列車最高速度は2倍、運転時分は40%短縮、列車回数は50%増となり、運輸収入は25%増となった[2]。さらにその5年後には石越駅における貨物の積み替えの手間を省くため、東北本線と同じ軌間の1,067mmに改軌して直通を可能にした。

年表

[編集]

車両

[編集]

利用状況

[編集]

輸送実績

[編集]

くりはら田園鉄道線の輸送実績を下表に記す。輸送量は、ほぼ一貫して減少し、回復をみないまま廃線となった。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年 度 輸送実績(乗車人員):万人 輸送密度
人/日
貨物輸送量
万t
特 記 事 項
通勤定期 通学定期 定 期 外 合  計
1965年(昭和40年)       183.5     旅客輸送実績最高値を記録
1975年(昭和50年) 12.9 29.5 53.3 95.7 891 16.1  
1976年(昭和51年) 11.0 28.2 53.0 92.2 860 17.7  
1977年(昭和52年) 9.1 29.0 52.0 90.2 839 13.3  
1978年(昭和53年) 7.9 29.5 45.3 82.9 733 9.6  
1979年(昭和54年) 7.0 25.9 44.2 77.2 680 11.1  
1980年(昭和55年) 6.1 23.7 42.9 72.8 617 9.3  
1981年(昭和56年) 6.0 22.6 41.8 70.5 580 7.7  
1982年(昭和57年) 5.3 20.8 37.5 63.6 522 7.3  
1983年(昭和58年) 5.4 19.4 35.4 60.2 502 6.7  
1984年(昭和59年) 5.0 18.0 33.1 56.1 450 5.1  
1985年(昭和60年) 4.5 18.4 29.8 52.7 413 4.6  
1986年(昭和61年) 4.6 14.3 25.2 44.1 369 3.0 細倉-細倉鉱山間休止 貨物営業廃止
1987年(昭和62年) 4.4 12.5 23.4 40.3 354 0.0  
1988年(昭和63年) 3.0 12.0 22.6 37.6 327 0.0 細倉-細倉鉱山間 (0.7km) 廃止
1989年(平成元年) 2.2 12.2 21.9 36.3 317 0.0  
1990年(平成2年) 1.9 11.6 20.7 34.2 320 0.0 細倉-細倉マインパーク前間開業
1991年(平成3年) 2.4 13.8 19.2 35.4 348 0.0  
1992年(平成4年) 2.0 14.1 17.5 33.6 356 0.0  
1993年(平成5年) 1.5 14.0 17.2 32.7 360 0.0 沿線5市町村による第三セクターとなる
1994年(平成6年) 1.4 13.4 20.0 34.8 398 0.0  
1995年(平成7年) 1.2 14.2 17.0 32.4 369 0.0 電化廃止 ワンマン運転開始
1996年(平成8年) 1.0 14.6 15.0 30.6 340 0.0  
1997年(平成9年) 0.7 12.9 14.0 27.6 309 0.0  
1998年(平成10年) 0.6 13.6 13.5 27.7 304 0.0  
1999年(平成11年) 0.4 13.3 12.4 26.1 284 0.0  
2000年(平成12年) 0.2 11.6 12.0 23.8 256 0.0  
2001年(平成13年) 0.3 10.3 11.9 22.5 252 0.0  
2002年(平成14年) 0.3 9.9 11.6 21.8 248 0.0  
2003年(平成15年) 0.2 8.5 12.7 21.4 227 0.0  
2004年(平成16年) 0.3 6.6 11.9 18.8 198 0.0  
2005年(平成17年) 0.2 5.7 11.4 17.3 178 0.0  
2006年(平成18年) 0.2 5.7 28.6 34.5 452 0.0  

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

営業成績

[編集]

くりはら田園鉄道線の営業成績を下表に記す。

表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で、その他の極値を黄色で表記している。

年  度 旅客運賃収入:千円 貨物運輸
収入
千円
運輸雑収
千円
営業収益
千円
営業経費
千円
営業損益
千円
営業
係数
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合  計
1975年(昭和50年) 28,096 ←←←← 83,666 10,988 122,750 119,568 1,954 244,272      
1976年(昭和51年) 30,648 ←←←← 91,646 14,586 136,880 156,463 4,933 298,276      
1977年(昭和52年) 32,441 ←←←← 93,242 16,411 142,094 147,859 5,493 295,448      
1978年(昭和53年) 36,561 ←←←← 97,637 15,131 149,329 107,326 6,747 263,404      
1979年(昭和54年) 33,255 ←←←← 94,156 10,456 137,868 131,682 7,555 277,106      
1980年(昭和55年) 33,301 ←←←← 97,757 6,267 137,325 133,945 7,405 278,677      
1981年(昭和56年) 29,053 ←←←← 93,958 4,222 127,233 125,694 7,541 260,469      
1982年(昭和57年) 28,074 ←←←← 91,515 2,923 122,512 124,762 8,039 255,312      
1983年(昭和58年) 26,228 ←←←← 85,695 1,656 113,579 103,796 7,529 224,904      
1984年(昭和59年) 26,573 ←←←← 91,257 379 118,209 97,953 7,693 223,855      
1985年(昭和60年) 25,857 ←←←← 85,513 6 111,376 95,448 7,476 214,300      
1986年(昭和61年) 24,022 ←←←← 82,965 11 106,998 59,253 7,929 174,180      
1987年(昭和62年) 5,949 16,684 78,471 5 101,109 0 8,845 109,954      
1988年(昭和63年) 4,663 15,364 75,371 1 95,399 0 10,441 105,840      
1989年(平成元年) 4,207 16,907 70,678 1 91,793 0 9,489 101,282      
1990年(平成2年) 3,970 17,844 70,945 2 92,761 0 10,260 103,021      
1991年(平成3年) 4,748 24,151 66,199 1 95,099 0 12,588 107,687      
1992年(平成4年) 3,970 26,467 62,576 1 93,014 0 13,199 106,213      
1993年(平成5年) 3,172 26,981 63,896 3 94,052 0 14,467 108,519      
1994年(平成6年) 2,714 25,148 75,051 0 102,913 0 16,207 119,120      
1995年(平成7年) 2,107 25,951 65,502 1 93,561 0 18,558 112,119      
1996年(平成8年) 1,621 28,013 54,236 1 83,871 0 16,614 100,485      
1997年(平成9年) 1,366 28,500 54,674 0 84,540 0 14,503 99,043      
1998年(平成10年) 1,063 30,563 51,006 0 82,632 0 14,871 97,503      
1999年(平成11年) 885 29,313 44,865 0 75,063 0 12,947 88,011      
2000年(平成12年) 493 25,828 41,372 0 67,693 0 12,904 80,597      
2001年(平成13年) 851 23,621 37,337 0 61,809 0 12,947 74,756      
2002年(平成14年) 842 23,371 35,646 0 59,859 0 12,246 72,105      
2003年(平成15年) 690 18,529 34,835 0 54,054 0 12,480 66,534      
2004年(平成16年) 797 14,630 35,931 0 51,358 0 13,596 64,954      
2005年(平成17年) 400 13,308 32,751 0 46,459 0 13,700 60,159      
2006年(平成18年) 319 14,044 106,309 0 120,672 0 29,235 149,907 181,201 △31,294 120.9

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

駅一覧

[編集]
  • 全駅宮城県に所在。
  • 駅員のいる駅は、若柳駅沢辺駅栗駒駅となっていた。ただし3月18日から3月31日の廃止までは石越駅にも駅員が配置されていた。
駅名 営業キロ 接続路線 開業年 所在地 位置
駅間 累計 1921年開業時 1950年代
- 2005年
2007年
廃止時
石越駅 - 0.0 東日本旅客鉄道東北本線 1921年 登米郡 石越村 石越町 登米市 北緯38度46分7.77秒 東経141度9分32.34秒
荒町駅 1.6 1.6   1953年 栗原郡 若柳町 若柳町 栗原市 北緯38度46分37.9秒 東経141度8分53.2秒
若柳駅 1.5 3.1 1921年 北緯38度46分29.1秒 東経141度7分54.9秒
谷地畑駅 1.5 4.6 1926年 北緯38度46分52.7秒 東経141度6分58.0秒
大岡小前駅 1.1 5.7 1995年 大岡村 北緯38度47分7.3秒 東経141度6分18.6秒
大岡駅 1.5 7.2 1921年 北緯38度47分23.9秒 東経141度5分17.7秒
沢辺駅 2.1 9.3 1921年 沢辺村 金成町 北緯38度47分54.0秒 東経141度4分3.5秒
津久毛駅 3.5 12.8 1924年 津久毛村 北緯38度49分6.3秒 東経141度2分8.6秒
杉橋駅 1.6 14.4 1924年 鳥矢崎村 栗駒町 北緯38度49分38.8秒 東経141度1分21.8秒
鳥矢崎駅 1.0 15.4 1930年 北緯38度49分47.6秒 東経141度0分39.7秒
栗駒駅 1.7 17.1 1922年 岩ヶ崎町 北緯38度49分46.6秒 東経140度59分30.7秒
栗原田町駅 0.8 17.9 1951年 鳥矢崎村 北緯38度49分29.3秒 東経140度59分9.7秒
尾松駅 1.2 19.1 1942年 尾松村 北緯38度49分9.7秒 東経140度58分31.9秒
鶯沢駅 2.5 21.6 1942年 鶯沢村 鶯沢町 北緯38度48分36.0秒 東経140度56分56.5秒
鶯沢工業高校前駅 2.2 23.8 1952年 北緯38度48分25.6秒 東経140度55分31.9秒
細倉マインパーク前駅 1.9 25.7 1942年 北緯38度48分10.9秒 東経140度54分21.7秒

未成線

[編集]

栗原軌道は若柳から一迫村への支線や沢辺から金成への支線、築館から金田への支線、栗駒駅から鶯沢町内への支線の特許を取得していたが、その全てが1924年に失効している[14]

廃線跡の状況

[編集]

清算法人に移行したくりはら田園鉄道は、順次関連施設の撤去、取り壊しを進めた。当時は金属価格(特に銅)の価格が高騰しており撤去費用の捻出が可能だったことから、道路交通法に関係する踏切を構成する設備、栗原電鉄時代の名残だった架線および架線柱は廃止から比較的早い段階で撤去された。また、津久毛駅と栗原田町駅周辺にあった津久毛変電所・田町変電所は2009年に解体された。有人駅だった沢辺、栗駒を含む大半の駅も2010年までに解体されている。

線路に関しては多くが存置されており、鉄橋等もバリケードが築かれた程度で撤去は進んでいない。これには栗原電鉄が重金属を輸送していたため、路盤が汚染されていることも影響しているとされる[15]

動態保存

[編集]

廃止となった2007年には、「くりでん自作トロッコ全国交流フォーラム」のほか、11月10 - 11日にかけて栗駒駅を会場に「くりでん体験乗車会」が開かれた。体験乗車会には、かつての営業車両を使用するため、11月8日に若柳 - 栗駒間をDB10形 (DB101) 機関車に牽引されたKD95形 (KD953) 気動車を回送。同月12日に返却回送が行われている。

旧くりはら田園鉄道若柳駅構内で一般乗車用に使われる4人乗り軌道自転車「くりでんレールバイク」。宮田工業栗原工場製。

栗原市は2010年に若柳駅跡に「くりはら田園鉄道公園」を整備し[16]、若柳駅から石越駅側へ約500mの区間を往復運転する動態保存を開始した。原則、毎月第2日曜日を運転日としている。石越駅側の折り返し地点には、動態保存事業に際して新設した「片町裏信号所」がある。行き違い施設はないものの信号扱所があり、若柳駅との間でタブレット閉塞や電話連絡、腕木式信号機の操作を再現している。 2014年4月から列車の運行がない週の日曜日等に同じ区間で4人乗り軌道自転車宮田工業栗原工場製)による「くりでんレールバイク乗車会」が行なわれている。いずれも運営は、市のほかOB社員や鉄道ファンらで組織する「くりでん保存愛好会」が行っている。

くりはら田園鉄道線に関する楽曲

[編集]
  • 「windy train」(樋口了一、いずれも2006年発売のマキシシングル「windy train」、「風の呼び声/windy train」に収録)
  • 「鉄路にさよならを」(SUPER BELL"Z、2007年発売の���ルバム「MOTO(e)R MAN 鉄子の旅」に収録)
  • 「風のうた」(姫神、くりはら田園鉄道のイメージ曲で、この曲のみ収録したオリジナルのシングルCD「風のうた くりはら田園鉄道に想いを寄せて」がグッズとして販売されていた。アルバム「マヨヒガ」に収録)

脚注

[編集]
  1. ^ 今尾恵介・原武史監修『日本鉄道旅行歴史地図帳 2号 東北』新潮社、2010年、p.57
  2. ^ 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.209、38頁
  3. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1918年6月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  5. ^ 「軌道特許失効」『官報』1924年7月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「軌道特許失効」『官報』1924年12月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1940年10月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 2号 東北』新潮社、2008年、p.17,34
  9. ^ a b 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、pp.33-34
  10. ^ 1941年12月3日許可「軌道ヲ地方鉄道ニ変更許可」『官報』1941年12月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「地方鉄道運輸開始」��官報』1942年12月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 渡辺謹治「栗原電鉄の軌間拡張工事」『交通技術』 11巻、2(116)、26-29頁。doi:10.11501/2248465https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2248465/17 "昭和29年12月から軌間拡張工事を開始し、昭和30年9月27日から新軌間1067mmによる運輸営業を開始"とある
  13. ^ a b c 寺田裕一『ローカル私鉄列車ダイヤ25年 東日本編』、JTB、2004年、p41。ISBN 4-533-05484-6
  14. ^ 森口誠之著『鉄道未成線を歩く』JTB、2001年、P.189
  15. ^ 堀内重人『鉄道・路線廃止と代替バス』、東京堂出版、2010年、205頁。ISBN 978-4-490-20696-8
  16. ^ くりはら田園鉄道公園 の紹介”. 栗原市ホームページ. 2017年5月12日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』、JTBパブリッシング、2007年、p160, 161, 168。ISBN 978-4-533-06847-8

関連項目

[編集]