富士見産婦人科病院事件
富士見産婦人科病院事件(ふじみさんふじんかびょういんじけん)とは、1980年に埼玉県で発覚した乱診乱療とされた事件。
概要
埼玉県所沢市にあった富士見産婦人科病院(廃院。富士見市にある富士見産婦人科とは別)では、富士見病院では美容室やアスレチック室、ラウンジなど一流ホテルを思わせる構えであった。このため、埼玉県内はもとより近県からも多数の妊婦が診察に訪れるなど繁盛していた。
1980年に妊婦患者が病院の診察で子宮癌を宣告された後に他病院で診察を受けた際にその病院で全く問題が無いことを医師から告げられた。その後で病院は不必要な手術を行い、女性の健康な子宮や卵巣を摘出し奪ってしまう乱診乱療を繰り返していた可能性が疑われた。また、北野早苗理事長が当時ではまだ珍しかった超音波検査を用いた診療を無資格でしていたことも、その後の調査により明らかとなった。1980年9月12日、本事件は朝日新聞のスクープで世間の知るところとなった。
刑事裁判
1983年8月、浦和地検は健全な臓器を摘出した事件を傷害罪での立件を視野に捜査をしていたが、学会発表に備える為の子宮摘出手術全例の臓器保存と手術全症例のビデオ撮影記録が決め手となり[1]、「利用目的なくして手術を行ったと証拠からは断定できない」、「病変が全く無く、そのことを医師が承知しながら手術した、とは証拠上断定できない」、「医師から病変を知らされた上で患者は手術に同意した」として不起訴処分とした。
理事長の無資格診療については、理事長が医師法違反、理事長の妻でそれを見逃していた院長が保助看法違反の容疑でそれぞれ起訴された。1981年に院長は医業停止6ヵ月の処分を受けた。 1988年1月、元理事長に1年6ヶ月執行猶予4年、院長に懲役8ヶ月執行猶予3年の有罪判決が確定した。
民事訴訟
1981年、元患者の女性ら63人が「正常な子宮などを摘出された」として約14億円の賠償を求める民事訴訟を起こした。1999年6月、東京地裁は富士見産婦人科病院において行われていたことは「故意による病院ぐるみの不必要な摘出手術」「およそ医療に値しない乱診乱療」と厳しく断罪に値する物と認定して、元理事長夫妻ら7人に賠償を命じる判決を下した。元理事長夫妻は控訴を断念。もう1人の医師が1億5000万円の支払いで和解が成立したが、残る4人の医師が控訴した。
2004年7月、最高裁は4人の医師の上告を棄却した。最終的に元理事長夫妻らと合わせて5億1400万円の支払いを命じる判決が確定した。提訴から23年を経て決着した。しかし、刑事捜査と異なり、民事訴訟では手術のビデオテープも摘出臓器も証拠物は何一つ出されず、裁判所に提出されたカルテと被害者同盟の訴えだけで判決が下されており、証拠なしの感情的な判決が行われたとの批判がある[1]。
医師免許に関する行政処分
被害者は民事訴訟第一審で明らかな過失があると認定され、判決文で「犯罪的」と指摘された医療行為に対して医師免許が取り消されずに、診療所を開設して診療を続けていた医師について、これ以上被害者を出さないために厚生省、厚生労働省に対して粘り強い働きかけを続け、1999年8月30日開催の医道審議会で院長らの医師免許剥奪処分を行うよう要望書を出した。
一方で、院長の人徳を慕う患者達も活動を続け、約1000名の署名簿が添えられた事件及び患者達の心情を切々と綴った陳情書も提出された。医道審議会はこれを受理し、結局審議は見送られ、3回の医道審議会を経た後、2000年11月14日、「検察庁は傷害事件を立件しておらず、厚生省も犯罪を認定できるだけの調査ができなかった」という結論を発表して、院長ら医師について処分しないことが一度は正式に決定された[1]。
その後は、被害者の努力が実を結ぶ形で、2002年12月13日に、医道審医道分科会は、刑事事件とならなかった医療過誤についても、医療を提供する体制や行為時点における医療の水準に照らして、明白な注意義務違反��認められる場合などについては、処分の対象として取り扱うものとする、と発表した。2005年3月2日、医道審は民事裁判の結果をふまえて、元院長(当時78歳)について医師免許取り消し処分とし、勤務医3人を2年~6ヶ月の業務停止とする行政処分を決めた[2]。事件発覚から25年経過していた。民事判決の認定に基づき、医師免許に関する処分が行われるのは初めてであった。また、医療行為そのものが問題視されて医師免許が取り消されたのはこれが初めてであった。
元院長は免許取り消し処分の無効を求めて訴訟を起こしたが、2009年5月28日に最高裁は免許取り消し処分を認める判決を確定した。
検証
- 一部には、この事件が「捏造」であったとの見方がある。神津康雄によれば、現在までもしばしば見られるマスコミの商業報道による大々的な『医療叩き』作戦 は、この事件を契機として開始したものであるという。そして、そのような商業報道による社会の憤激は、旧厚生省が1980年より医療費適正化推進対策本部 を設けて低医療費政策を強引に推し進めるために利用された形となった、と分析している[1]。
- 富士見産婦人科は超音波画像診断を他院に先駆けて導入していたため、病変の発見率が向上して臓器摘出数が増加し、それが無用の疑惑を生んだとの可能性が指摘されている[3]。
その他
- 事件がマスコミに注目されると、病院側が大物政治家に政治献金をおこなっていたことが発覚。この事件により、斎藤邦吉厚生大臣は引責辞任した。
- 2005年6月5日、医療改革を25年間訴え続けてきた被害者同盟は、女性の健康や権利の確立を目指して活動している個人や団体に贈られる「加藤シヅエ賞」を受賞した。
参考文献
- 貞友義典『リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか?』光文社新書
- 富士見産婦人科病院被害者同盟『わすれない富士見産婦人科病院事件』晩声社
- 北野早苗『捏造「富士見産婦人科事件」』東京経済
- 神津康雄 『特別寄稿 ねつ造された「富士見産婦人科病院事件」の顛末』 (Clinic Magazine 2001年5月号 p26-29)
外部リンク
脚注
- ^ a b c d 神津康雄 『特別寄稿 ねつ造された「富士見産婦人科病院事件」の顛末』 (Clinic Magazine 2001年5月号 p26-29)
- ^ 厚生労働省:医道審議会医道分科会平成17年3月2日議事要旨 旧富士見産婦人科病院の医師の行政処分等について
- ^ 佐藤 伸雄:画像診断機器工学Q&A(医療科学社)