ノート:玄倉川水難事故
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会社名の記載について
事故と関係ない当事者の会社名が記載されています。全保護お願いします。--以上の署名のないコメントは、124.155.79.239(会話/Whois)さんが 2007年11月4日 (日) 16:50 (UTC) に投稿したものです。
- (コメント)保護依頼タグが貼られておりません。必ずしも必要な情報ではないと思いますが、1つの会社の関係者だけが10数人亡くなった特異なケースであり、会社名の記載の是非はノートでの議論をするのが妥当な内容ではないかと思います。(仮に当事者である会社の関係者の場合、消去したい心情はわかりますが。)「まつり」に関しては依頼者の編集は妥当だったと思います。Wikipedia:保護の方針にある不適切な編集には当たらないと思います。--Tiyoringo 2007年11月4日 (日) 17:22 (UTC)
- (コメント)会社主催の社内行事だったのですか? 会社に監督責任があったのですか? もしそうであれば会社の実名もありかと思いますが、そうでないなら匿名にして保護したほうがいいと思います。巡回冗長検査エラー 2007年11月12日 (月) 12:46 (UTC)
2ちゃんねるでの反響について
2ちゃんねるに関する記事のソースです。本文に貼る前にこちらに書きます。
- 事件関係(初期)祭りについて
- 2ちゃんねる現存スレッド
スレッド1 スレッド2 スレッド3 --Poh 2007年11月16日 (金) 11:59 (UTC)
なお現存スレッドは2007年11月16日 (金)時点のものです。--Poh 2007年11月16日 (金) 12:06 (UTC)
- 2ちゃんねるのスレッドは、それだけではWikipediaの出典になりません(WP:V参照)。そもそも、2ちゃんねるでの反響を「玄倉川水難事故」内の項目として残すべきかどうかという点については、正直なところ議論の分かれることだろうと思います。個人的には、本事件に関する2ちゃんねる以外での批評が見られないのであれば、いわゆる「祭り」の現象についてどうしても記載したいのであれば「2ちゃんねるの歴史」なりに記述すれば済む話ではないかと考えますが。
- 以上の理由により記載の是非が分かれる内容と判断した(実際にほかの方による差し戻しも行われている)ため、当該項目���コメントアウトしています。コメントアウトの復帰は議論で一定の方向性が見られてからにしていただければと思います。--Bsx 2007年11月18日 (日) 02:56 (UTC)
- 祭り、スレッド共に存在するという客観的事実のみの記載なので個人の研究には該当しないし、またWP:NOTでも該当する項目は無いようです。「2ちゃんねる以外での批評」とのことですが、批評という言葉が適切かどうかはさておき、他ならWikipediaで項目として成立してます。--Poh 2007年11月18日 (日) 11:13 (UTC)
- 2ちゃんねるでどのような論評がなされ、それに対して各種の議論が波及していったなどの記述(もちろん、その議論に関する記述にはそれ相応の出典が必要だと思いますが)ならともかく、「2ちゃんねるで話題になり、スレッドが存在する」ということのみの記述ならば2ちゃんねるの宣伝行為と見なせ(この点でWP:NOTに抵触するとも考えられます)、ますますこの項目(の概要)との関連性は低いと思います。ほかで成立しているというのは、2ちゃんねるでの「祭り」が何らかの社会現象に直結している場合に、その社会現象に関する記述を補足する目的のみでしょう。--Bsx 2007年11月18日 (日) 14:41 (UTC)
私よりも、Bsxさんの方がうまく説明していただいたと思いますが、事実ならば何でも載せていいわけではありません。さすがにそんなことはないと思いますが、例えばPohさん自身が2ちゃんねるにスレッドを立てて自作自演することだってできるわけです。スレッドが存在する、2ちゃんねるで話題になったといったことだけで加筆がOKになるならば、有名人の死亡説なども話題となったら加筆していいことになります。事故を理解する上で有益な情報とはとても思えません。--Tiyoringo 2007年11月18日 (日) 13:17 (UTC)
- Bsx さんのご意見ですが「それに対して各種の議論が波及していった」「社会現象に直結している」というのは、2ちゃんねるでの祭りやスレッドの存在という反響に対しての二次的な反響になります。反響の例を挙げるのに二次的反響の有無は基本的に関係のないことです。また二次的反響が無いものを記載したという理由で宣伝とみなすことにも論理的に無理があります。二次的反響のあるもの記載でも宣伝になることもありますし、逆に二次的反響を宣伝材料に使う場合もあるくらいです。ですからBsxさんの言われた理由で、WP:NOTに抵触する宣伝行為にあたるとは思えません。
- Tiyoringo さんのご意見では、2ちゃんねるのスレッドは過去から続いているもので、今の時期にWikipediaに記載するために何年も前から自演してきたとは常識で考えられないでしょう。ただ未来における可能性は否定はできないので、その時は別の対応をすれば良いだけのことです。2ちゃんねるで話題となっているかどうかは社会的影響のバロメータになっている部分はありますし、現実にスポーツ新聞などでは特にスキャンダル関係でスレッド数の増加がネタとして取り上げられています。2ちゃんで話題になったことをWikipediaに記載するかどうかは各記事の編集者に委ねられるところで、前例や他の例に従わなければならないのなら新しいことは書けません。また有益か否かも個人によって異なる問題です。--Poh 2007年11月19日 (月) 08:40 (UTC)
- 2ちゃんねるでの祭りやスレッドの存在というのはあくまでも「閉じた世界での話題」でしかないと思います。極論を承知で言えば「うちの仲間内では今でも話題になっている」レベルのものでしかなく、結果的に2ちゃんねるの歴史の範疇を超えないものだと考えます。これらが何らかの一般世論の動きを巻き起こした(自己責任に関することであればすでに記載されていますよね)というのであればそれにリンクした話として掲載するのもありなのかもしれませんが、2ちゃんねるでの祭りやスレッドの存在単独でこの項目に記載するほどの特筆すべき事柄とは思えないというのが正直なところです。
- Wikipediaではスポーツ新聞やタブロイド紙でさえも信頼性に乏しい情報源とみなされるとされていることから考えると、Wikipediaで2ちゃんねるでの評価のみを特筆するのはきわめて違和感があると言わざるを得ません。--Bsx 2007年11月19日 (月) 12:03 (UTC)
- 「閉じた世界での話題」について論点が2点あります。まず「閉じた世界」での反響は反響として記載すべきでない」と読み取れますが、差別的なニュアンスがあるのはさておき、反響という言葉の意味合いからいってそれは関係ないと思います。(「反響」という見出しには意義は出てないので) 次に2ちゃんねるが「閉じた世界」かというと、フリーアクセスできる開示版なのでそうではないと思います。また掲示板またはネットという性質上、外部への影響というものは常に与えています。2ちゃんねるが民意の反映の場であること及びその影響力は、2ちゃねらー人口が990万人という現状からいって統計学的にも無視できないと思います。それと論点となっている事柄は「2ちゃんねるでの評価」ではなく「2ちゃんねるでの反響」です。--Poh 2007年11月20日 (火) 12:04 (UTC)
- まず、「閉じた世界での反響」が記載できるのであれば、2ちゃんねるに限らずあらゆるコミュニティでの反響(検証可能であればWebサイトに限りません。それこそ「ご近所での噂話」レベルでもかまいません)が記載できると言うことになりますが、これは中立的な観点の面で疑義が生じると思われます。
- それと、「2ちゃんねるは閉じた世界ではない」「2ちゃんねるでの反響は統計学的に無視できない」とおっしゃいますが、誰でも参加できると言いつつも2ちゃんねる��990万人の参加者(この人数がどこから出てきたものかもよくわかりませんが)が等しく2ちゃんねるに参加しているかどうかは疑問です。そもそも、2ちゃんねるでの言論傾向を示す集団が「母集団(この場合一般市民なり全ネットユーザー)から無作為に抽出されたものではない」以上、民意の反映を等しく示したものと言うにはかなり無理があると思われ(ご興味があれば推計統計学や傾向推定の項目をご参考ください)、さらに「祭り」の行為そのものが一種の悪ふざけ・世論攪乱である以上は「2ちゃんねるでの祭りやスレッドの存在=民意の反響」との図式を示すのは困難だと思います(あれだけネット内外で話題になった「田代祭り」が民意の反映と言うには相当無理があると思いませんか?)。--Bsx 2007年11月20日 (火) 13:55 (UTC)
- 「閉じた世界での反響の記載」については(中立的な観点も含め)個々に判断されるべき問題であり、「閉じた世界」での出来事だという理由で全面的に記載不可とする考えには少し乱暴ではないかと思います。また「統計学的」という言葉を使ったのは2ちゃねらー数990万人と日本の人口とを比較して無視できない数だという意味で使いました。ちなみにこの数はWikipedia2ちゃんねるの「利用者数、及び年齢層」の数を使用させていただきました。「民意の反映」についてのご説明は大変有意義ではありましたが、これが反響としての記載の必要条件かについては疑問があります。ちなみに田代まさしの記事には「事件の2ちゃんねるへの影響」という見出し項目が存在し、また田代祭りは記事としても存在しています。これらの事例からいっても2ちゃんねる内の出来事である事は削除理由にはならないと思われます。--Poh 2007年11月21日 (水) 12:07 (UTC)
- 「閉じた世界での反響」という論点に関しては、全面的に記載不可というつもりはありません。その反響を用いて「一定の見方」を記載するための材料にするのであればそのことは否定するつもりはありません。そのことだけを「民意の反響」とみなしてトピックとして取り上げて掲載するのはいかがなものかということを述べています。
- 2ちゃんねるの利用者数に関して言えば、いみじくも2ちゃんねるの「利用者数、及び年齢層」の項目に「この調査は訪問者数の統計であり」との記述があり、掲示板上での議論を構築する、積極的な書き込みを行う参加者数はもっと少ないのではないかと考えられます。
- それと「田代祭」が記事として成り立っているのは、それが起因となって2ちゃんねるの外側のネット環境に対して大きな影響を与えたから(TIME紙のPerson of the Yearへのスクリプトを用いた大量投票など)であって、仮にこれが2ちゃんねる内での話題にとどまっていたとすれば、記事としては全くふさわしくない(削除の方針における「ケース E: 百科事典的でない記事」に相当する)と考えられます。田代まさしの記事の「事件の2ちゃんねるへの反響」についても、結果的にこのこと(すなわち田代祭)が2ちゃんねるにとどまらない影響を与えたために成り立っていると考えられます。これが結局、最初に述べた「2ちゃんねる以外での批評の有無」ということであり、項目に載せる可否を判断する一つの指標になるのではないかと考えている次第です。--Bsx 2007年11月21日 (水) 15:04 (UTC)
- Bsxさんの言われていることは理解いたしました。まずWikipediaは(反響に限らず)何でも記載して良いかといえば、そのようななことはなくWP:NOTや削除の方針などのWikipediaの指針にそぐわないものは当然記載できません。Wikipediaの指針に反すると客観的に判断できるなら即削除ですし、客観的に見ても意見が分かれるものであれば議論なり投票を介して決めることになります。それで昨日までの議論の流れでは、現在削除するかについて議論している事柄は、客観的にはWikipediaの指針に反するものには当たらないと思われます。Bsxさんのご提案は、Wikipediaの指針に反していないものを(個人の意向により)削除するための指標を作ろうとされてるように感じられます。閉じた世界での反響を掲載する祭の条件として「民意を等しく反映したものである」「外部への影響がある」を挙げられてますが、それらは現在Wikipediaに正式な方針にあるものではなく、BsxさんがWikipediaの指針に反していないものを削除するために提示された案だと考えられるのです。
- また「削除の方針 ケース E: 百科事典的でない記事」を私が読んだ限りでは、上記2つのの条件や田代まさしの記事の「事件の2ちゃんねるへの反響」を判断する明確な記述は見あたりません。田代まさしの記事の例と議論中の事柄との差は確かに「外部への影響」の有無ではありますが「削除の方針」にそれを区別する根拠が記述されているとは思えません--Poh 2007年11月22日 (木) 10:42 (UTC) 追記--Poh 2007年11月22日 (木) 11:25 (UTC)
- 中立的な観点についての私の見解が抜けていたので書きます。2ちゃんねるが民意を等しく反映されたものではないということには同意いたしますが、2ちゃんでの個々の事象についてはやはり個別の検証が必要でしょう。「反響」において議論中のコメントが一つだけなら問題があるかもしれませんが(私的には中立的観点で問題視するほどのものとは思えません)他のコメントもあり、いつでも反対意見や緩和するコメントを掲載できる状況において、これがあることで中立性を欠くとはは特に考えられません。「民意を等しく反映したもの」であれば「中立的な観点」の条件を満たせますが、。「民意を等しく反映したもの」であることはWikipediaの「中立的な観点」の一部に過ぎないので逆は真とは限らない、つまり「民意を等しく反映したもの」でなければ即「中立的な観点」に反することには必ずしもならないのです。
- Bsxさんは、今回の件を大枠で考えられているような観がありますが、その場合Bsxさんの御主張を通すためにはWikipediaの方針そのもを追加・修正する必要があり、一個人の立場だけでは難しいものがあると思います。--Poh 2007年11月22日 (木) 21:47 (UTC) 一部修正--Poh 2007年11月23日 (金) 10:37 (UTC)
- 削除の方針における「ケース E: 百科事典的でない記事」には「独自の研究結果の発表」「広告またはスパム」というものがあります。2ちゃんねるはその匿名性が故に議論や主張の客観性を検証することが困難だと思われますし、2ちゃんねるのみの事象であれば、ご本人が意図したかしないかにかかわらず「2ちゃんねる(という掲示板)の宣伝」と見なされる可能性が大だと考えています。
- 「民意を等しく反映したもの」でなければ即「中立的な観点」に反することには必ずしもならないという点については同意します(民意そのものが中立的でないことは往々にしてあることですから)が、私はPohさんが議論の中で「民意の反映としての2ちゃんねる」という観点を持ち出されたため、それに対する反論を書かせていただいるものです。
- そもそも私は「玄倉川水難事故」のトピックとして「2ちゃんねるで『祭』になった」ということだけを特筆するべきことかという点で疑問を呈しており、2ちゃんねるでの出来事にとどまる話であれば「2ちゃんねるの歴史」なりに記述すれば済む話ではないかと言うことを申し上げている次第です。公式の方針を新たに作るなんて大それ���ことは考えていませんが、今回の議論は「2ちゃんねるで『祭』になった事象にはトピックとして2ちゃんねるでの出来事を記述すべきか」と言う一つの方向性を示す根拠となる可能性が非常に高いと思っています。
- 逆に、Pohさんが「玄倉川水難事故」のトピックとして「2ちゃんねるで『祭』になった」ということを是非特筆しなければならないとお考えの理由を改めてお聞かせいただければと思うのですが。--Bsx 2007年11月22日 (木) 23:32 (UTC)
>2ちゃんねるはその匿名性が故に議論や主張の客観性を検証することが困難だと思われますし
これに関しては「外部への影響」にかかわらずWikipedia内で取り上げられている全ての「2ちゃんねる」につい等しくいえることで、特別にこの記事で問題にすることだとは思えません。またここでは祭りとスレッドの存在という客観的事実のみを取り上げていますので、むしろ他記事よりもご心配される影響は少ないといえます。
>2ちゃんねるのみの事象であれば、ご本人が意図したかしないかにかかわらず「2ちゃんねる(という掲示板)の宣伝」と見なされる可能性が大だと考えています。
これもまた大枠での考えだと思いますが、2ちゃんねるにかかわらず全てとはいわないまでも大部分の物事が、またどの記事に書かれても同様に宣伝(または逆宣伝)とみなされる可能性があるのです。 「外部への関わりの有無」と「宣伝か否か」が無関係だということは既に申し上げましたが、ご理解いただけてますでしょうか?もしそれを理由に「宣伝」として削除方針などに抵触する、あるいはその可能性が大であると主張されるのであれば、両者の因果関係や相関関係などを明確に説明し削除方針に抵触することを示す必要があります。これは主張される側の義務になります。
それ以降のご意見についてですが、Wikipediaにおきましては編集者個人の主張よりもWikipediaの指針に沿うかどうかが優先されます。議論中のコメントは「玄倉川水難事故」と「2ちゃんねるの歴史」の両方に関係があるので両方に掲載可能な事象だと考えられます。今日述申し上げたことも含めWikipediaの公式な方針に違反していないものを、個人の希望でこちらの記事から削除し別記事に書けと主張されるのであれば、これも主張される側にその理由の説明責任があります。(もし「2ちゃんねる関連の記事に移動すれば2ちゃんねるの宣伝が1つ減る」というのが理由ならば、宣伝であることを証明することが先です)
Bsxさんのご質問への回答ですが「正当な理由なくWikipediaの公式な方針に違反していないものを削除するべきではない」ということになります。--Poh 2007年11月23日 (金) 10:37 (UTC) 修正--Poh 2007年11月23日 (金) 11:49 (UTC)
- いろいろとご主張があるようですが、整理してお答えしたいと思います。
- まず、2ちゃんねるの検証可能性の件ですが、おっしゃるとおりこの記事に限らず2ちゃんねるが関わる記事全般にいえることだろうと思います。ですので「2ちゃんねるのスレッドは、それだけではWikipediaの出典になりません」と書いている次第です。実際、2ちゃんねるのスレッドのみを論拠にした記述が削除されている例は多数あると思いますよ。「祭りとスレッドの存在という客観的事実」とおっしゃいますが、事実なら何でも記載していい訳ではないというのは私なりTiyoringoさんなりがここまで何度もご説明してきたことです。
- 「外部への関わりの有無」と「宣伝か否か」が基本的に無関係だということは私も十分承知しています。その上で、今回の記述についてはそれぞれ別の点で問題があるということを今までご説明していた次第です。「外部への関わりの有無」については「Wikipediaという百科事典の中でその事象を重要視するか否か(その事象を一般的な社会現象と見なすか否か)」という点で判断の一つの指標になると考えており、「宣伝か否か」については公式の指針である「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」の基準の一つですよね。
- あと、私のご質問へのご回答である「正当な理由なくWikipediaの公式な方針に違反していないものを削除するべきではない」というご意見は、残念ながら質問の趣旨をご理解していらっしゃらないと思われます。私が質問したのは「削除するべきではない」理由ではなく「是非特筆しなければならない理由」です。最初に2ちゃんねる関連の記述がIP:59.157.29.59(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)氏によりなされたのは2007-09-03T13:30:15の版ですが、その直後からPohさんはこの記述の修正を行っていらっしゃいますよね? ということは、Pohさんは2ちゃんねるに関する記述をこの記事において重要視していらっしゃるのだろうと考えたのですが、その理由はどういったものでしょうか、という点でお聞きした次第なのですが。--Bsx 2007年11月23日 (金) 12:49 (UTC)
これ以上の時間のロスを防ぐためにはっきり申し上げます。Bsxさんはたいへん理知的で豊富な知識もお持ちであることは存じ上げております。ただあなたのご意見に一つ欠けている点があるのです。そして実はそれが最も重要なことであることにまだ気づかれていないようです。BsxさんはWP:NOTや削除の方針などのWikipediaの公式な方針を持ちだされていますが、議論中のコメントの「どの部分がどのように抵触するのか」という記述がないのです。それが無くただ漠然と「抵触する思う」と言われても、それはPOVや悪くいえば妄想にしか過ぎないのです。発言される前に最初にその部分をよく詰めるべきだったのです。Bsxさんのこれまでのご主張は、最後の詰めがPOVになっているために、何一つ認められるものとはなっていないのです。私にでなくWikipediaにです。その現状をよく考えられてみてください。
>事実なら何でも記載していい訳ではないというのは私なりTiyoringoさんなりがここまで何度もご説明してきたことです。
「何でも記載していい訳ではない」ということについては、私はそのために「WP:NOTや削除の方針などのWikipediaの公式な方針」があると既に申し上げています。ただ先に述べたた現状により議論中のコメントで「公式な方針」に違反しているものは何も無いのです。その状況下ではあなた方の言われていることは個人的見解に過ぎないのです。 「公式な方針」に違反していないものは削除してはいけないという「公式な方針」はありませんが、「Wikipediaの公式な方針」と個人の見解のどちらが優位にあるかはお解かりでしょう。
>「宣伝か否か」については公式の指針である「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」の基準の一つですよね。
これも今の現状では、私は「解かってますが、宣伝として問題視される事実は無いですよね」と申し上げるしかありません。
>残念ながら質問の趣旨をご理解していらっしゃらないと思われます。
いいえこれで良いのです。言葉を変えれば「Bsxさんが何一つ方式な方針に違反している事実を説明できていないのに、削除を口にするのは問題外だ」ということなのです。私のここでの2ちゃんへのこだわりなどは、これにくらべたら大した問題ではありません。リバートしたのは私が編集に関わったコメントであることもありますが、本当の理由は「ああ、この人は何も分かってないな」という思いがあったからなのです。「もし私が『削除方針等に抵触するというなら何がどう抵触するのか具体的に書いてください』と突っ込めば何も答えられないだろうな」と思ったからです。失礼ながらTiyoringoさんについてはそれが当たっていたようです。もしでそれが出来るならこちらでBsxさんをフォローしていたでしょう。今頃は削除決定になっていたかもしれません(笑)。 --Poh 2007年11月23日 (金) 22:57 (UTC)--Poh 2007年11月24日 (土) 10:01 (UTC)
きつい言葉になって失礼いたしました。冷静さを欠いているかどうかは私が間違ったことを書いているかどうかでご判断ください。リバートについてですけれど、誤解により削除されたものを放置しておくのはWikipediaにとって良いことではないという判断からです。Bsxさんに申し上げることがあるのですが、何か物事を起こす場合、その必要性を説明する責任は、アクションを起こす側にあるということはおご存知ですよね。今秋の場合、既に記載されているものを削除するのですから、必要性を説明するのは削除しようとされる側になります。もし私が既に議論されている中で、新たにこのように書きたいと申し上げたのな���ばその説明責任は私にあります。ただ現在私は新たにどうするということは要望しておらず、削除にたいして反対しているというだけの立場ですから私が申し上げるべきは反対する理由であり特質すべき理由ではないのです。議論中のコメントを削除するとこの記事の百科事典的価値がその分下がるということは残す理由(特質すべき)の一つにではあります。--Poh 2007年11月24日 (土) 10:01 (UTC)
- 議論の整理のために、ここに現在コメントアウトされている記述を改めて提示します。今まで繰り返した事柄が中心となりますがご容赦ください。
- この記述は2ちゃんねるでの事象が玄倉川水難事故のもたらした影響であることには間違いないでしょうが、基本的には「2ちゃんねるで発生した単なる客観的事実」であって、それ以上のものではありません。ですので私は「どうしても記述するのであれば2ちゃんねる(あるいは2ちゃんねるの歴史)に記載すれば済む話ではないか」とご説明しましたが「公式の方針に反した記述ではない以上、(玄倉川水難事故からの)記述削除の要件にはあたらない」とご説明になっておられます。
- そこで過去の議論を振り返ってみると、「2ちゃんねるで話題になった」ことを論拠とした記事で削除された事例としてWikipedia:削除依頼/用土問題などの例があり、さらに2ちゃんねるの出来事として記述しながら削除された事例としてWikipedia:削除依頼/葉鍵板最萌トーナメントやWikipedia:削除依頼/在日医師Red事件などの事例があり、これらに照らし合わせると今回の記述も2ちゃんねるのトピックとして取り上げない限りにおいては内容として不適当ではないかと思われます(私個人のPOVとの見方もあるかもしれませんが、私自身はこれらの削除依頼の議論には加わっていません。客観的な議論の材料として掲げているのみです)。これらと整合性をもつ公式な方針としてWikipedia:ウィキペディアは何でないかやWikipedia:検証可能性などが挙げられており、このことから、今回の執筆は玄倉川水難事故の記述としては不適切ではないかということを申し上げてきた次第です。
- 繰り返しになりますが、この記述は「2ちゃんねる(の歴史)」としてはあるいは有用な事柄なのかもしれませんが、少なくとも玄倉川水難事故に記述すべき事項とは考えていません。--Bsx 2007年11月24日 (土) 12:45 (UTC)
私も第三者のご意見を求めた方がよろしいかと思います。議論の前半はBsxさんが「Wikipediaの公式の方針」への違反を指摘されましたが、違反の事実はないことが判明しBsxさんもようやく同意されたようです。またBsxさんはご自身の意見の正当性を「Wikipediaの公式の方針」に置かれようとされてますが、過去の分は違反はないことは判明してますし、現在書かれているものにもご本人の主張と「公式な方針」(Wikipedia:ウィキペディアは何でないかやWikipedia:検証可能性)とを結びつける根拠は記述されていません。このことよりBsxさんのご主張には「公式な方針」による正当性の裏づけはないものと考えられます。これは議論が平行しているのとは全く異なるもので「POV」と「Wikipediaの公式の方針」との対立という図式ではないかと思われます。
私としては「Wikipediaの公式の方針」を何より重視し、違反のないものを削除するにはそれ相当の理由が必要だと考えております。Bsxさんの『「外部への関わりの有無」については「Wikipediaという百科事典の中でその事象を重要視するか否か(その事象を一般的な社会現象と見なすか否か)」という点で判断の一つの指標になると考えており』というご主張は、あくまでの個人の解釈による主張であり、またそれより削除することのメリットも書かれていません。私としてもそれにより削除するメリットは考えられず、これはBsxさんがごご自身の信条を満足させる目的でご自身の解釈で作られた指針で削除されようとしているに過ぎないとしか思えません。「公式な方針」に違反のないものを削除するなら、Wikipediaや利用者の利益になるということを目的とする必要があるのではないかと思います。
今回の件が過去削除された事例と異なる点は、2ちゃんねるの情報をソースとしたり情報に影響された記述ではなく、反響の一例として祭りや現在まで続いているスレッドの存在という容易に検証可能な客観的事実を取り上げたに過ぎないという点と、独立した記事ではなくこの記事の反響の中の一例であるという点です。--Poh 2007年11月24日 (土) 21:55 (UTC)
Bsxさんが参考例として挙げられた3件の削除事例を検証しました結果、3件とも「公式な方針」に基づき削除されたことが判りました。よって「公式な方針」に違反することなく削除されようとしている今回の件の参考としてはいかがなものかと思います。 先に貼った代表的な過去の懐かしいお祭りスレッド(オリジナル)のリンクを貼らせて頂きます。2ちゃんねるが情報源として認められないのは、その先のソースが検証不能または困難という理由であり、今回の件では「これ以上先のない最終的なソース」が全てこちらのノートで提示されたので、Wikipedia:検証可能性の問題はこれでクリアされたことになります。--Poh 2007年11月25日 (日) 09:52 (UTC)
- 残念ながら、Pohさんは私の先ほどのコメントの重要な部分を見誤っておられるようです。
- まず、「(公式の方針に対する)違反の事実はないことが判明しBsxさんもようやく同意されたよう」と書いておられますが、私は公式の方針に違反がないという点には同意していません(私が同意しているのは、「2ちゃんねるでの事象が玄倉川水難事故のもたらした影響であること」であるという点のみです)。仮に譲って、検証可能性の面では賛否が分かれるかもしれないとしても、2ちゃんねるでの事象のみの記述は結果的に2ちゃんねるに閲覧者の興味を引かせるものにつながり、これは(2ちゃんねるに閲覧者を誘導する)宣伝行為(Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに反する行為)ではないでしょうか?ということを再三申し上げていたのですが、ご理解いただけていないのでしょうか。以前、Pohさんが『これもまた大枠での考えだと思いますが、2ちゃんねるにかかわらず全てとはいわないまでも大部分の物事が、またどの記事に書かれても同様に宣伝(または逆宣伝)とみなされる可能性があるのです。』との持論を持ち出されておられましたが、これこそPohさんのPOVに基づく判断ではないのか、と考えています。
- 以前触れたことの繰り返しになりますが、今回仮に『削除は不適当』という結論が出たとした場合、『2ちゃんねるで「祭り」となったという事実は、その事柄における特筆すべき事項として書いてよい(または記述すべき)』という一つの前例を生み出すことになる可能性が高いと考えています。あるいは、どこかの掲示板で「玄倉川水難事故」に関する記述が続いていたとすれば、それは同様に記述していいのか?という新たな問題点を抱えることになろうかと思いますが、これについてはいかがお考えでしょうか?
- なお、この節も32キロバイトを超えてしまったため、これ以上議論が平行線をたどるようならば、広く意見を募る意味でWikipedia:井戸端に議論の場を移すことも考えていますが��いかがでしょうか。--Bsx 2007年11月25日 (日) 10:01 (UTC)
井戸端に移すことは賛成します。他の方々のご判断を仰いだほうが良いでしょう。
>2ちゃんねるでの事象のみの記述は結果的に2ちゃんねるに閲覧者の興味を引かせるものにつながり・・・PohさんのPOVに基づく判断ではないのか、と考えています。
についてはBsxさんが、本来関係なく「ウィキペディアは何でないか」に区別の根拠となる記述のない「外部への影響の有無」と「宣伝」の相関関係の説明義務を放棄されたことで決着がついたと認識してましたが、まだそのようにお考えでしたら第三者もまじえて議論を続けたほうが良いでしょう。検証可能性についても同様です。前例になるという件は田代祭り等の前例もあり全く問題はないでしょう。模倣された場合は現在のWikipediaで使われている対処方法で個別に十分対処可能と考えております。--Poh 2007年11月25日 (日) 11:08 (UTC)--Poh 2007年11月25日 (日) 11:56 (UTC)
- 井戸端に新しい節を立てました(Wikipedia:井戸端#2ちゃんねるでの「祭り」をトピックとして記述することについて)。続きはそちらでどうぞ。--Bsx 2007年11月25日 (日) 12:30 (UTC)