朝鮮語の音韻
朝鮮語の音韻(ちょうせんごのおんいん)では、現代韓国標準語を中心に、地方変種や中期朝鮮語にも言及しつつ朝鮮語の音韻に関して記述する。
音節構造
朝鮮語の音節は(C)V(C)の構造を持つ。ここで、Cは子音、Vは母音である。ハングルによる表記では、CVCCのように書かれることがあるが、実際には音節末の子音は2つのうちどちらか1つしか発音されない。伝統的に音節頭子音を初声、母音を中声、音節末子音を終声という。終声をパッチム(받침)ともいう。パッチムは「支え」という意味の朝鮮語である。ハングルによって朝鮮語を表記した場合、一つの音節を表す方形の文字の底の部分に終声が来るためこれをパッチムと呼ぶのである。
母音
下の表に示すように朝鮮語の本土方言は基本的に/a/, /ɛ/, /e/, /i/, /ɔ/, /o/, /u/, /ɯ/の八つの母音を持つ。
前舌 | 中舌 | 後舌 | |
---|---|---|---|
狭 | [i] | [ɯ], [u] | |
半狭 | [e] | [o] | |
半広 | [ɛ] | [ɔ] | |
広 | [a] |
ソウル方言では/e/と/ɛ/の区別がほぼ失われ、/e/という一つの音韻に同化した。この変化は慶尚道方言に始まり、北上してソウルを含む中部方言にまで伝播した。済州方言においては/o/と/ɔ/の同化が進んでおり、また北朝鮮の平安道方言では/e/と/ɛ/、/o/と/ɔ/、/u/と/ɯ/の同化が進んでいるといわれている。また、地域によっては/y, ø/の音韻が存在する場合もある。これらは他の地域においては/wi, we/となる。
/ɯ/は/ɨ/と表記されることもある。[ɯ]も[ɨ]も非円唇の狭母音であり、違いは後舌であるか中舌であるかである。
朝鮮語の長母音は第一音節のみに現れる。現代ソウル方言ではその弁別的機能は失われつつある。
朝鮮語における二重母音には上昇二重母音/ja, ju, je, jɔ, jo, wa, wi, we, ɯi/などがある。/ai, ei, oi, au/などはそれぞれの母音がほぼ等しい長さと強さで発音されるため、(下降)二重母音とはみなされず、単純に短母音の連続(連母音)とみなされる。
母音調和
中期朝鮮語には母音調和の規則が存在したが、現代語にはその痕跡が残るのみである。
中期朝鮮語の母音は陽母音/a, ɛ, o, ʌ/と陰母音/ə, e, u, ɯ/、中性母音/i/に分かれ、外来語を除く朝鮮語本来の固有語は「陽母音と陰母音は同じ単語内に現れない」という母音調和の規則に縛られる。つまり、陽母音を含む単語は陽母音と中性母音のみを含むことができ、陰母音を含む単語は陰母音と中性母音のみを含むことができる。
陽母音 | ㅏ/a/ | ㅐ/ɛ/ | ㅗ/o/ | ㆍ/ʌ/ | 이/i/ |
---|---|---|---|---|---|
陰母音 | ㅓ/ə/ | ㅔ/e/ | ㅜ/u/ | ㅡ/ɯ/ |
上の表のように/a/と/ə/、/ɛ/と/e/、/o/と/u/、/ʌ/と/ɯ/がそれぞれ対をなす。アルタイ諸語でそうであるように、中期朝鮮語における母音調和は形態素内のみにとどまらずその形態素に付属する語尾にまで及んだ。例えば主題の助詞は/nʌn~nɯn/、対格助詞は/lʌl~lɯl/という交替形を持っており、陽母音からなる名詞には/nʌn/, /lʌl/が、陰母音からなる名詞には/nɯn/, /lɯl/が後続した。
現代朝鮮語に残る母音調和の痕跡としては以下のようなものがある。
色彩形容詞は母音の陰陽の違によるペアを持つ。陽母音を含む色彩形容詞はその色に対する話者の肯定的、もしくは中立的なニュアンスを含み、陰母音を含む色彩形容詞は否定的なニュアンスを含む。
- 빨갛다 / 뻘겋다 赤い
- 파랗다 / 퍼렇다 青い
- 노랗다 / 누렇다 黄色い
また、オノマトペ(擬態語、擬音語)も母音の陰陽の違によるペアを持つ。陽母音を含むオノマトペが明るく、小さく、軽快なニュアンスを含むのに対し陰母音を含むオノマトペは暗く、大きく、鈍重なニュアンスを含む。
- 활활 / 훨훨 空を飛ぶ様子(ひらひら/バサバサ)
- 팡팡 / 펑펑 水がほとばしる様子
このように、陽母音と陰母音によって対をなす言葉のうち、陽母音を含むものを작은말(直訳:小さい言葉)、陰母音を含むものを큰말(直訳:大きい言葉)と呼ぶ。
現代朝鮮語において、母音調和による語尾の異形態は아/a/~어/ɔ/の交替にしか見られない。すなわち、連用形を形成するこの語尾が、陽母音語幹動詞に付属する場合には아/a/が現れ、陰母音・中性母音語幹動詞に付属する場合には어/ɔ/が現れるのである。現代語の口語においては「알아」(分かってる)というべきところを「알어」というなど、この異形態さえ中和される傾向がわずかだが存在する。
子音
両唇 | 歯茎 | 歯茎硬口蓋 | 軟口蓋 | 声門 | ||
破裂音 | 平音 | ㅂ /p/ | ㄷ /t/ | ㅈ /ʨ/ | ㄱ /k/ | |
濃音 | ㅃ /pʼ/ | ㄸ /tʼ/ | ㅉ /ʨʼ/ | ㄲ /kʼ/ | ||
激音 | ㅍ /pʰ/ | ㅌ /tʰ/ | ㅊ /ʨʰ/ | ㅋ /kʰ/ | ||
摩擦音 | 平音 | ㅅ /s/ | ㅎ /h/ | |||
濃音 | ㅆ /sʼ/ | |||||
鼻音 | ㅁ /m/ | ㄴ /n/ | ㅇ /ŋ/ | |||
流音 | ㄹ /l/ |
朝鮮語の破裂音、破擦音には平音/濃音/激音の対立があり、摩擦音には平音/濃音の対立がある。平音は有声音の間で有声音、それ以外の環境では無声音として実現され、若干帯気する。濃音は咽頭で第二次調音を行う無声無気音、激音は帯気音である。これらの音声的要素の他にVOT(Voice Onset Time、子音の長さ)や(第一音節における)後続母音の高低などの音律的要素も平音/濃音/激音を区別する上で重要な役割を果たしており、音素的対立の主な要素が何であるかに関しては未だに統一された見解がない。 語頭の平音「ㅂ、ㅈ、ㄷ、ㄱ」は無声音だが、特に英語からの外来語では原音に近いよう有声音で発音することが奨励される。
濃音は/pʼ/のように「 ʼ 」を用いて表されるのが一般的だが、これはIPAでは放出音(声門を使った非肺臓気流機構の音声の一つ)を表す記号であり、咽頭における二次的調音を行う朝鮮語の濃音を表記するのにはふさわしくないため、代わりに/p*/のような表記によって咽頭における二次的調音を示すべきだという提案もある。声門閉鎖音を表す[ʔ]を用いて濃音を/ʔp/、[ʔp]のように表記することもあるが、正確なIPA記述とは言いがたい。
/l/は多様な条件異音を持ち、音節頭でははじき音[ɾ]、音節末では側面接近音[l](話者によってはそり舌音[ɭ])である。音節頭にあっても、前の音節末の子音が[l]の場合には[l]となる。
音節頭に /ŋ/が現れることは無い。また、音節末に現れるのは/p, t, k, m, n, ŋ, l/の7つのみである。音節末の破裂音/p, t, k/は未破音(内破音)であり、IPAで示せば[p ̚, t ̚, k ̚]であるが、学習書では[p, t, k]という非IPA音韻/音声表記も広く行われている。音節末の破裂音/p, k/は後ろに続く音節の初声が/s/であるときにははっきりした破裂を示す。音節末の/t/の後に初声が/s/の音節が続く場合は濃音/sʼ/と同じになる。
頭音規則
朝鮮語には以下のような頭音規則がある。
- 語頭に流音/l/が立たない。
- 語頭において/i, j/の前には/n/が立たない。
一つ目の規則はアルタイ諸語にも見られる頭音規則であり、朝鮮語アルタイ語起源説の論拠ともなっている。一方で、二つ目の規則は中期朝鮮語には存在しない規則である。
比較的朝鮮語に同化している漢字語もこの頭音規則を守っている。すなわち、一つ目の規則に適合させるため、語頭の/l/は/n/に変化し、二つ目の規則に適合させるため、/i, j/の前の語頭の/n/は脱落する。この規則は段階的に同時に適用される場合もある。すなわち、/i, j/の前の語頭の/l/はまず一つ目の規則のために/n/に変化し、その後二つ目の規則のために脱落する。
- 래일 (來日)明日 /lɛil/ > /nɛil/
- 녀자 (女子)女、女性 /njɔʨa/ > /jɔʨa/
- 려행 (旅行)旅行 /ljɔhɛŋ/ > /njɔhɛŋ/ > /jɔhɛŋ/
20世紀以降の外来語に関しては頭音規則は無視されるものが多い。
- 라디오/ladio/ < en. radio(/nadio/ ともいうことがある)
- 레포트/lepʰotʰɯ/ < en. report
- 링/liŋ/ < ring
- 니트/nitʰɯ/ < knit
韓国における正書法では、頭音規則の影響を受けた発音通りに綴る。一方、北朝鮮では正書法上では頭音規則を無視し、実際の発音も頭音規則を無視するのが文化語において正式とされているが、頭音規則を守って発音する人もいて、特に年配に多い。
同化規則
ここでは音声の異音のレベルのものと、音韻の転化のレベルのものとが混在しているが、日本語を母語とする学習者のために有用であるためしばしば一緒に扱われる。
口蓋音化:/j/や/i/の前で/s/は[ɕ]、/h/は[ç]となる。
有声音化:/p, t, ʨ, k, h/は[p], [t], [ʨ], [k], [h]。母音の間、または有声子音と母音の間では有声音化して[b], [d], [ʥ], [g], [ɦ]になる。
濃音化:破裂音の終声(/p, t, k/)の後に平音の初声(/p, t, s, ʨ, k/)が続く場合、平音の初声は濃音化して([pʻ, tʻ, sʻ, ʨʻ, kʻ])となる。
- 압수 押収 /ap.su/ > [ap.sʻu]
- 옷감 服の生地 /ot.kam/ > [ot̚.kʻam]
- 학교 学校 /hak.kjo/ > [hak̚.kʻjo]
激音化:終声とそれにつづく初声の一方が平音、一方が/h/の場合、/p, t, ʨ, k/は激音/pʰ, tʰ, ʨʰ, kʰ/になる。綴り字上ㅎ が終声として書かれる場合もここに含めることが多い。
- 급하다 急だ /kɯp.ha.ta/ > [kɯ.pʰa.da]
- 축하 祝賀 /ʨʰuk.ha/ > [ʨʰu.kʰa]
- 그렇다 そうだ「kɯ.lɔh.ta」> [kɯ.rɔ.tʰa]
ただし、終声ㅎ の後に初声/s/が続く場合、対応する激音のない/s/は[sʻ]になる。
- 그렇습니다 そうだ「kɯ.lɔh.sɯb.ni.ta」> [kɯ.rɔ.sʻɯm.ni.da]
鼻音化(逆行同化):終声が破裂音/p, t, k/で、続く初声が鼻音/m, n/(/ŋ/は初声になり得ない)のとき、終声が鼻音化して[m, n, ŋ]となる。
- 앞만 前だけ /ap.man/ > [am.man]
- 옷만 服だけ /ot.man/ > [on.man]
- 학년 学年 /hak.njɔn/ > [haŋ.njɔn]
鼻音化(順行同化):終声が/p, t, k, m, ŋ/で、初声が/l/のとき、初声は鼻音化[n]となる。このとき、終声の/p, t, k/は鼻音化した初声によって鼻音化され、[m, n, ŋ]となる。
- 금리 金利 /kɯm.li/ > [kɯm.ni]
- 생략 省略 /sɛŋ.ljak/ > [sɛŋ.njak̚]
- 법률 法律 /pɔp.ljul/ > [pɔp.njul] > [pɔm.njul]
- 국력 国力 /kuk.ljɔk/ > [kuk.njɔk] > [kuŋ.njɔk̚]
流音化:終声が/n/で初声が/l/、もしくは終声が/l/で初声が/n/のときに、/n/は流音化し/l/となる。
- 신라 新羅 /sin.la/ > [ɕil.la]
- 연락 連絡 /jɔn.lak/ > [jɔl.lak̚]
- 달나라 月世界 /tal.na.la/ > [tal.la.ra]
漢字語における鼻音化と流音化:漢字語における形態素同士の境界においては、順行同化による鼻音化と流音化が行われる。
- 팔-년 八年 /pʰal.njɔn/ > [pʰal.ljɔn]
- 생산-력 生産力 /sɛŋ.san.ljɔk/ > [sɛŋ.san.njɔk̚]
- 신-라면 辛ラーメン /sin.la.mjɔn/ > [ɕin.na.mjɔn]
その他:/h/は[ɰ]の前では[x]になる。
ピッチアクセント
中期朝鮮語には日本語に似た高低アクセントが存在した。韓国ではこれを声調(성조)と呼んでいるが、音節内での音の上がり下がりがないという点において中国語の声調とは異なる。現在でも一部の方言では高低アクセントが弁別的機能を持っている。韓国におけるソウル方言を基本とした標準語にはアクセント体系が存在しない。
参考文献
- 『表現が広がるこれからの朝鮮語』権在淑 三修社 1988年 ISBN 4384014724