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厚岸町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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あっけしちょう ウィキデータを編集
厚岸町
愛冠岬と筑紫恋海岸(2015年9月)
厚岸町旗 厚岸町章
1964年6月1日制定[1]
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道釧路総合振興局
厚岸郡
市町村コード 01662-4
法人番号 5000020016624 ウィキデータを編集
面積 739.12km2
(境界未定部分あり)
総人口 8,249[編集]
住民基本台帳人口、2024年10月31日)
人口密度 11.2人/km2
隣接自治体 厚岸郡浜中町釧路郡釧路町川上郡標茶町
根室振興局野付郡別海町
町の木 エゾヤマザクラ
町の花 ヒオウギアヤメ
町の鳥 オオセグロカモメ
厚岸町役場
町長 若狹靖
所在地 088-1192
北海道厚岸郡厚岸町真栄3丁目1
北緯43度03分07秒 東経144度50分50秒 / 北緯43.05197度 東経144.84728度 / 43.05197; 144.84728座標: 北緯43度03分07秒 東経144度50分50秒 / 北緯43.05197度 東経144.84728度 / 43.05197; 144.84728
厚岸町役場(2010年3月)
地図
町庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

厚岸町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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厚岸町(あっけしちょう)は、北海道釧路総合振興局にある

町名の由来

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町名の由来は諸説あるが、いずれもアイヌ語に基づいている。有力な説は市街地の西にある現在のアツケシ沼でアットウシの原料となるオヒョウニレの皮を剥いだことに由来する「アッケウイ(at-ke-us-i)」(オヒョウニレの皮・剥ぐ・いつもする・所)、あるいは「アッケト(at-kes-to)」〔オヒョウニレ・下の・沼〕から転じたものとされている[2]

このほか、アイヌ研究家のジョン・バチェラーが、「アッケシ[注 1]」をカキの意とする説を挙げているが[2][3]、町史では「一単語、一固有名詞が地名に転化する例はほとんど見あたらない、この説を採用したのは、厚岸のカキを宣伝するために用いたのではないだろうか」として否定している[2]

地理

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厚岸町中心部周辺の空中写真。
厚岸大橋を挟んで左側が厚岸湾、右側が厚岸湖である(1978年撮影の9枚を合成作成)。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

北海道の南東部に位置しており、天然の良港を形成している厚岸湾が深く入り込んで厚岸湖に通じている[4]。東西35.5 km、南北45.1 kmあり、釧路市から約48 km、根室市から約78 kmにある[5]。標高は156 mが最高であり[5]、60 m〜80 mの丘陵湿原で覆われている。太平洋沿岸は奇岩に富んでおり、厚岸湾口には大黒島小島がある[5]。大黒島はコシジロウミツバメオオセグロカモメウミウケイマフリ生息地になっており、国の「天然記念物」に指定されているほか、「大黒島鳥獣保護区」と「厚岸・別寒辺牛霧多布鳥獣保護区」は国の「特別鳥獣保護区」に指定されている。また、厚岸湖と別寒辺牛は「厚岸湖・別寒辺牛湿原」として「ラムサール条約」登録湿地になっている[6]。厚岸町に隣接する釧路町から浜中町にかけてのエリアは「厚岸道立自然公園」になっている[7]

自然

[編集]

気候

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春は5月中旬頃になると晴天の日が続く[5]。6月から8月にかけてはこの地方特有の海霧が発生しやすく、低温雨霧の気候が続き涼しい夏となる[5]。秋は移動性高気圧のため秋晴れになるが、降雨時の雨量は多い[5]。冬は北西の風によって空気が乾燥する[5]。降雪の時期は比較的遅く積雪量も少ないが、地表の凍結が甚だしい[5]

太田(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 7.9
(46.2)
12.3
(54.1)
15.4
(59.7)
24.7
(76.5)
34.6
(94.3)
32.2
(90)
33.2
(91.8)
34.7
(94.5)
31.6
(88.9)
24.4
(75.9)
20.1
(68.2)
12.9
(55.2)
34.7
(94.5)
平均最高気温 °C°F −1.5
(29.3)
−1.2
(29.8)
2.6
(36.7)
8.4
(47.1)
13.5
(56.3)
16.5
(61.7)
20.2
(68.4)
22.0
(71.6)
19.9
(67.8)
14.7
(58.5)
8.2
(46.8)
1.4
(34.5)
10.4
(50.7)
日平均気温 °C°F −5.8
(21.6)
−5.6
(21.9)
−1.6
(29.1)
3.5
(38.3)
8.3
(46.9)
11.9
(53.4)
15.8
(60.4)
17.7
(63.9)
15.4
(59.7)
10.0
(50)
3.6
(38.5)
−3.0
(26.6)
5.8
(42.4)
平均最低気温 °C°F −10.7
(12.7)
−10.7
(12.7)
−6.0
(21.2)
−0.9
(30.4)
3.8
(38.8)
8.2
(46.8)
12.6
(54.7)
14.5
(58.1)
11.4
(52.5)
4.9
(40.8)
−1.3
(29.7)
−7.8
(18)
1.5
(34.7)
最低気温記録 °C°F −23.3
(−9.9)
−24.2
(−11.6)
−19.5
(−3.1)
−9.9
(14.2)
−5.1
(22.8)
−1.0
(30.2)
4.4
(39.9)
5.0
(41)
2.1
(35.8)
−4.2
(24.4)
−13.0
(8.6)
−18.0
(−0.4)
−24.2
(−11.6)
降水量 mm (inch) 39.7
(1.563)
26.3
(1.035)
58.4
(2.299)
86.1
(3.39)
114.9
(4.524)
122.8
(4.835)
130.7
(5.146)
154.3
(6.075)
185.4
(7.299)
131.5
(5.177)
79.8
(3.142)
65.5
(2.579)
1,195.2
(47.055)
降雪量 cm (inch) 91
(35.8)
79
(31.1)
91
(35.8)
34
(13.4)
1
(0.4)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
9
(3.5)
72
(28.3)
370
(145.7)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 6.2 5.2 8.0 9.4 10.3 10.1 11.4 12.5 12.1 9.7 8.9 7.7 111.6
平均月間日照時間 184.6 171.5 189.3 174.2 172.6 133.4 113.5 120.8 141.7 171.5 167.9 168.2 1,914.9
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[8]

人口

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厚岸町の人口は1960年(昭和35年)の「国勢調査」で20,185人に達したが、その後は減少を続けて2010年(平成22年)の「国勢調査」には10,630人とほぼ半減した[9]

厚岸町と全国の年齢別人口分布(2005年) 厚岸町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 厚岸町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
厚岸町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 18,114人
1975年(昭和50年) 16,778人
1980年(昭和55年) 15,940人
1985年(昭和60年) 15,417人
1990年(平成2年) 14,093人
1995年(平成7年) 13,076人
2000年(平成12年) 12,307人
2005年(平成17年) 11,525人
2010年(平成22年) 10,631人
2015年(平成27年) 9,778人
2020年(令和2年) 8,892人
総務省統計局 国勢調査より


消滅集落

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2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[10]

  • 厚岸町 - チライカリベツ、ホロニタイ、神岩、厚岸湖、別寒辺牛、サッテベツ、サンヌシ、セタニウシ、来別、ルークシュポール厚岸湾大黒島、登喜岱、東梅、御供

歴史

[編集]

町内にある遺跡からは縄文時代の前期または中期の住居跡が見つかっており、約6,000年前から人々がこの地に暮らし続けてきたことを示している[11]

江戸時代には、各所にアイヌが集落を形成して暮らしていたことが松浦武四郎をはじめ、和人によるさまざまな記録に記されている[12]

厚岸の名前が初めて文献に登場するのは、寛永年間に松前藩が「アッケシ場所」を開設したという記事が残っているが、厚岸に暮らす人々について記されたもっとも古い記録は、オランダの国立総合公文書館に眠っていた。寛永20年(1643年)オランダ東インド会社所属のマルチン・ゲルリッツエン・フリース艦長率いるカストリクム号が厚岸に寄港し、当時の厚岸の様子を航海記録に残したものである。

厚岸は天然の良港にオランダの船、ロシア船, オーストラリア船やフランス船などの外国船が度々訪れて諸外国との接点になっていたほか、豊かな海の資源を拠り所とするアイヌ和人交易の場、松前、箱館(函館)と根室、千��との中継地としての役割があった[11]

蝦夷三官寺の一つである国泰寺が1804年に建立されたことでも知られる。

和人が早い時期に来住したことから、本州の文化が早い時期に伝わった。そういったことで、この地域のアイヌに南部藩の神楽が伝わり、それが独自の演目を加え、「アイヌ神楽」という名前で呼ばれ、有名になった[13]

年表

[編集]

「歴史年表」参照[14]

姉妹都市・提携都市

[編集]

姉妹都市

友好都市

行政

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役場

  • 厚岸町役場
    • 湖南地区出張所、上尾幌駐在所
歴代首長[21]
氏名 就任年月日 退任年月日
1 石黒康次 1900年(明治33年)10月15日 1902年(明治35年)7月
2 宮城野勇太郎 1902年(明治35年)7月 1903年(明治36年)3月9日
3 中村高義 1903年(明治36年)6月18日 1904年(明治37年)1月19日
4 村山儀七 1904年(明治37年)3月20日 1904年(明治37年)12月
5 鈴木俊像 1905年(明治38年)2月 1911年(明治44年)2月17日
6 末松茂 1911年(明治44年)6月28日 1914年(大正3年)3月
7 村林謙吉 1915年(大正4年)1月7日 1916年(大正5年)3月24日
8 金幹太郎 1916年(大正5年)4月 1919年(大正8年)1月24日
9 今野良治 1919年(大正8年)8月16日 1923年(大正12年)8月15日
10-12 子野日弘毅 1923年(大正12年)12月6日 1935年(昭和10年)11月30日
13 斎藤斎市 1936年(昭和11年) 1944年(昭和19年)1月
14 西田健次 1944年(昭和19年)2月17日 1946年(昭和21年)3月14日
15-16 土岐紀文 1947年(昭和22年)4月15日 1951年(昭和26年)12月24日
17-19 岸田利雄 1952年(昭和27年)2月10日 1963年(昭和38年)4月15日
20 斎藤信男 1963年(昭和38年)5月1日 1965年(昭和40年)5月13日
21-23 村上忠次 1965年(昭和40年)7月14日 1977年(昭和52年)7月12日
24-26 菅原邦夫 1977年(昭和52年)7月13日 1989年(平成元年)7月12日
27-29 澤田昭夫 1989年(平成元年)7月13日 2001年(平成13年)7月12日
30-34 若狭靖 2001年(平成13年)7月13日 (現職)

議会

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  • 議員定数:13人
  • 定例会(3月、6月、9月、12月)
  • 臨時会
  • 委員会
    • 常任委員会
      • 総務産業常任委員会
      • 厚生文教常任委員会
      • 議会運営委員会
    • 特別委員会

官公署

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国の機関

道の機関

  • 釧路総合振興局
    • 釧路地区水産技術普及指導所
    • 森林室
    • 釧路建設管理部厚岸出張所
  • 北海道立青少年体験活動支援施設 ネイパル厚岸[22]

独立行政法人

公共施設

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  • 厚岸町保健福祉総合センター
  • 厚岸町社会福祉センター
  • 厚岸町中央公民館
  • 厚岸町海事記念館
  • 厚岸町郷土館
  • 厚岸町太田屯田開拓記念館
  • 厚岸情報館[23]
  • 厚岸町太田活性化施設 らくとぴあ
  • 厚岸町カキ種苗センター
  • 厚岸町営牧場
  • 厚岸町尾幌酪農ふれあい広場
  • 厚岸町上尾幌ふれあい体験農園
  • 厚岸町きのこ菌床センター
  • 厚岸町木工センター
  • 厚岸町斎場
  • 厚岸霊園
  • 厚岸町ごみ焼却処理場
  • 厚岸町終末処理場

スポーツ施設

  • 厚岸町温水プール
  • 宮園公園テニスコート
  • 宮園公園野球場
  • 宮園公園スケートリンク場
  • 宮園公園野球広場
  • 宮園公園パークゴルフ場
  • 宮園公園ゲートボール場
  • 厚岸町B&G海洋センター
  • 厚岸町勤労者体育センター
  • 上尾幌学び山公園パークゴルフ場

公的機関

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警察

消防

医療

  • 町立厚岸病院

教育

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大学(研究施設)

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高等学校

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※以下は廃校

  • 北海道厚岸女子高等学校(1943年 厚岸水産高へ統合)
  • 北海道厚岸水産高等学校(2009年 統合により厚岸翔洋高へ統合)
  • 北海道厚岸潮見高等学校(2011年 同上)

中学校

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※以下は廃校

  • 厚岸町立門静中学校(1958年 真龍中へ統合)
  • 厚岸町立苫多中学校(同上)
  • 厚岸町立床潭中学校(1959年 厚岸中へ統合)
  • 厚岸町立末広中学校(同上)
  • 厚岸町立糸井沢中学校(1963年 真龍中へ統合)

小中学校

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  • 厚岸町立高知小中学校(2018年 小学校休校、翌年 中学校休校)

※以下は廃校

  • 厚岸町立小島小中学校(1975年)
  • 厚岸町立トライベツ小中学校(1977年 高知小中へ統合)
  • 厚岸町立尾幌小中学校(2009年 真龍小・中へ統合)
  • 厚岸町立上尾幌小中学校(同上)
  • 厚岸町立片無去小中学校(2012年 太田小・中へ統合)

小学校

[編集]
  • 厚岸町立厚岸小学校
  • 厚岸町立真龍小学校
  • 厚岸町立太田小学校

※以下は廃校

  • 厚岸町立苫多小学校(1970年 統合により厚静小へ)
  • 厚岸町立門静小学校(同上)
  • 厚岸町立末広小学校(1990年 床譚小へ統合)
  • 厚岸町立厚静小学校(2008年 真龍小へ統合)
  • 厚岸町立糸魚沢小学校(1999年 休校、2009年 真龍小へ統合)
  • 厚岸町立床潭小学校(2017年 厚岸小へ統合)

保育所・幼稚園

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  • 厚岸町立真竜保育所
  • 厚岸町立宮園保育所
  • 厚岸町立太田へき地保育所
  • 厚岸カトリック幼稚園
  • 厚岸さくら幼稚園

学校教育以外の施設

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  • 厚岸町職業訓練センター

児童・生徒数の推移

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1956年度(昭和31年度)以降の町内小中学校の児童数と生徒数の推移[25][26]
年度 児童数(小学校) 生徒数(中学校)
厚岸 真龍 太田 高知 床潭 片無去 上尾幌 尾幌 厚静 糸魚沢 末広 トライベツ 小島 門静 苫多 合計 厚岸 真龍 太田 高知 片無去 上尾幌 尾幌 トライベツ 小島 糸魚沢 床潭 末広 苫多 門静 合計
1956(昭和31)年度 888 626 180 45 158 31 346 223 80 87 42 22 61 59 2,848 457 283 99 18 27 162 101 15 6 34 84 58 30 21 1,395
1957(昭和32)年度 979 689 165 56 182 46 378 219 90 82 43 22 65 59 3,075 413 272 80 18 22 147 94 12 8 25 67 54 33 16 1,261
1958(昭和33)年度 1,113 749 172 55 209 48 369 220 94 85 43 19 70 61 3,307 370 292 85 17 19 147 87 14 8 25 63 52 25 閉校 1,204
1959(昭和34)年度 1,117 771 184 56 213 48 421 217 86 82 51 20 77 55 3,398 488 316 80 15 10 125 56 14 10 23 閉校 閉校 閉校 1,137
1960(昭和35)年度 1,157 765 180 55 225 45 398 208 88 81 47 16 85 53 3,403 547 346 80 21 16 141 93 20 10 27 1,301
1961(昭和36)年度 1,124 719 169 54 236 50 347 211 72 79 50 17 87 50 3,265 644 428 82 24 16 162 99 22 11 25 1,513
1962(昭和37)年度 1,056 695 177 46 238 50 346 197 68 67 51 14 86 43 3,134 654 461 89 27 15 195 113 25 10 23 1,612
1963(昭和38)年度 1,033 669 156 36 226 52 322 192 61 65 54 13 80 43 3,002 688 478 90 25 16 193 112 21 9 9 1,641
1964(昭和39)年度 951 661 149 32 219 48 290 191 59 58 50 12 74 40 2,832 728 478 83 22 18 179 114 16 8 閉校 1,646
1965(昭和40)年度 909 619 151 34 206 39 191 180 59 48 36 11 73 36 2,562 714 462 84 19 21 141 104 20 8 1,573
1966(昭和41)年度 882 624 131 33 204 37 165 153 49 43 40 12 77 32 2,482 703 435 70 18 23 132 99 13 6 1,499
1967(昭和42)年度 893 656 122 34 188 38 158 162 50 36 33 10 70 22 2,472 637 406 79 21 24 118 89 11 8 1,393
1968(昭和43)年度 924 652 111 33 174 33 136 142 41 33 32 8 74 20 2,413 570 392 72 23 22 111 81 10 5 1,286
1969(昭和44)年度 923 676 105 29 175 32 104 129 開校 36 35 23 10 73 16 2,366 547 387 66 16 21 95 75 18 7 1,232
1970(昭和45)年度 938 680 103 29 155 30 93 116 84 33 38 23 8 閉校 閉校 2,330 522 374 61 12 20 83 82 17 3 1,174
1971(昭和46)年度 915 672 93 22 154 31 86 109 81 33 35 13 9 2,253 512 349 62 18 16 69 77 18 3 1,124
1972(昭和47)年度 884 681 84 17 135 29 76 103 73 31 35 8 7 2,163 531 362 57 18 15 59 72 14 2 1,130
1973(昭和48)年度 880 648 73 15 126 28 70 83 78 28 29 6 6 1,990 543 391 51 13 17 48 74 12 3 1,152
1974(昭和49)年度 775 668 71 15 114 25 60 78 68 31 25 3 4 1,937 541 392 45 9 16 48 66 10 2 1,129
1975(昭和50)年度 736 678 71 14 106 23 65 70 67 34 24 3 閉校 1,891 521 376 39 9 15 40 52 3 閉校 1,055
1976(昭和51)年度 697 701 62 14 100 18 70 76 56 33 23 2 1,852 499 346 41 8 13 39 36 2 984
1977(昭和52)年度 670 718 61 11 96 16 59 72 48 31 25 閉校 1,787 493 351 39 10 15 38 31 閉校 977
1978(昭和53)年度 637 708 60 12 101 14 60 68 44 27 26 1,757 450 380 35 8 14 36 36 959
1979(昭和54)年度 627 697 58 12 96 14 65 68 36 31 29 1,733 400 382 30 9 9 28 36 894
1980(昭和55)年度 608 681 59 10 93 18 58 66 35 30 28 1,686 370 392 27 8 8 23 36 864
1981(昭和56)年度 585 689 59 10 93 18 53 61 37 21 27 1,653 361 365 27 8 7 23 26 817
1982(昭和57)年度 568 682 56 11 95 21 49 50 42 22 23 1,618 366 386 30 5 8 29 38 862
1983(昭和58)年度 554 669 55 12 94 19 49 44 48 22 20 1,586 365 385 30 4 9 32 35 860
1984(昭和59)年度 527 644 57 9 91 22 40 39 54 22 15 1,520 349 397 31 3 8 33 37 858
1985(昭和60)年度 505 611 57 12 92 22 38 38 65 21 12 1,473 345 380 30 4 7 33 38 837
1986(昭和61)年度 502 556 56 14 88 16 33 34 64 13 11 1,387 332 382 30 6 10 29 27 816
1987(昭和62)年度 469 584 58 13 83 18 29 40 56 13 9 1,372 319 346 27 6 10 24 24 756
1988(昭和63)年度 478 588 54 13 76 12 30 41 47 11 10 1,360 301 346 26 6 14 17 22 732
1989(平成元)年度 451 574 52 18 69 12 24 43 47 9 8 1,307 295 315 26 5 10 16 20 687
1990(平成2)年度 443 545 47 19 64 10 29 38 47 6 閉校 1,248 275 299 30 4 12 10 21 651
1991(平成3)年度 411 534 41 22 56 12 28 40 47 7 1,198 273 282 32 6 5 11 20 629
1992(平成4)年度 408 523 40 19 54 14 24 38 38 4 1,162 257 294 31 8 4 10 17 621
1993(平成5)年度 401 491 37 17 55 10 23 42 35 4 1,115 240 278 29 10 6 12 19 594
1994(平成6)年度 398 474 39 19 55 10 20 42 41 4 1,102 235 269 23 6 7 13 23 576
1995(平成7)年度 371 445 35 13 62 11 16 46 39 4 1,042 220 262 22 10 8 13 24 559
1996(平成8)年度 363 420 37 14 64 9 12 48 42 3 1,012 223 266 21 10 6 16 22 564
1997(平成9)年度 355 382 35 13 67 8 10 52 46 3 971 206 254 20 14 5 13 20 532
1998(平成10)年度 329 373 33 14 70 9 11 48 54 3 944 211 233 21 12 5 12 18 512
1999(平成11)年度 311 359 43 14 69 10 13 42 54 休校 915 207 213 21 10 4 9 24 488
2000(平成12)年度 293 355 44 15 66 11 8 40 56 888 204 199 20 7 6 14 23 473
2001(平成13)年度 272 345 44 11 59 11 8 30 55 835 207 198 16 7 6 11 28 473
2002(平成14)年度 248 333 44 11 58 12 7 30 49 792 207 206 15 6 5 7 24 470
2003(平成15)年度 227 331 47 10 52 11 5 21 42 746 208 196 15 7 4 4 25 459
2004(平成16)年度 213 315 46 8 48 10 3 17 34 694 178 209 18 7 2 4 17 433
2005(平成17)年度 213 308 39 10 36 13 3 14 26 662 158 188 28 7 2 4 16 403
2006(平成18)年度 202 297 36 9 38 12 5 13 22 634 140 190 27 5 4 2 13 381
2007(平成19)年度 195 294 28 9 33 12 3 13 15 602 129 181 28 5 5 3 9 360
2008(平成20)年度 183 286 29 9 28 13 2 10 閉校 閉校 560 118 182 17 5 5 3 8 338
2009(平成21)年度 180 287 26 6 23 12 閉校 閉校 534 110 188 19 6 4 閉校 閉校 327
2010(平成22)年度 167 302 26 6 24 10 535 104 164 16 5 4 293
2011(平成23)年度 141 309 21 6 24 6 507 108 153 20 8 8 297
2012(平成24)年度 136 310 22 9 21 閉校 498 104 144 25 6 閉校 279
2013(平成25)年度 135 295 24 8 22 484 109 151 20 6 286
2014(平成26)年度 144 311 23 7 18 503 84 149 13 4 250
2015(平成27)年度 142 292 22 6 14 476 85 142 11 4 242
2016(平成28)年度 143 273 19 5 6 446 82 148 16 4 250
2017(平成29)年度 141 262 24 8 閉校 435 84 159 13 3 259
2018(平成30)年度 136 263 22 休校 427 71 164 13 3 251
2019(令和元)年度 119 258 23 403 74 144 9 休校 227
2020(令和2)年度 121 246 19 386 73 141 14 228
2021(令和3)年度 110 237 22 369 74 125 11 210
2022(令和4)年度 112 205 26 343 61 118 11 190
年度 厚岸 真龍 太田 高知 床潭 片無去 上尾幌 尾幌 厚静 糸魚沢 末広 トライベツ 小島 門静 苫多 合計 厚岸 真龍 太田 高知 片無去 上尾幌 尾幌 トライベツ 小島 糸魚沢 床潭 末広 苫多 門静 合計
児童数(小学校) 生徒数(中学校)

経済・産業

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「道の駅厚岸グルメパーク」(厚岸味覚ターミナル・コンキリエ)から見た厚岸市街(2012年7月)

厚岸町の産業別就業者数は、2015年平成27年)の「国勢調査」によると第一次産業が30.46%、第二次産業が21.93%、第三次産業が47.24%になっている[27]。漁港は釧路管内唯一の第3種漁港「厚岸漁港[28]、第1種漁港「床譚漁港」があり、漁業はサケ・マスの流し網やサンマ棒受網・流し網の沖合漁業、篭漁業や刺し網、採貝・採藻の沿岸漁業、カキ養殖が主体の養殖漁業に大きく分けられ[29]、カキの養殖は概ね宮城系の稚貝を利用して厚岸独自のシングルシード方式による種苗生産体制を構築している[30]千島列島を南下する親潮の流れ、汽水湖厚岸湖があることなどから豊富な海産物に恵まれており[31]、主な魚介類は水揚げ高順にサンマコンブサケマスアサリカキがある[31]。厚岸漁港には厚岸漁業協同組合が開設者の地方卸売市場があり、背後には水産加工業が発達しているほかに冷蔵関連産業などが立地しており[29]水産業は厚岸町の基幹産業になっている[32]農業は、1890年明治23年)に太田村(現在の厚岸町太田)に屯田兵440戸が入植したことに始まり[33]1899年(明治32年)には尾幌地区において27戸が入植して開墾が始まった[33]。また、国有未開拓地の開放によって1949年昭和24年)頃から194戸が入植して農業を営み始めたが、冷涼な気候や土壌などの厳しい自然条件があったため酪農への転換を図り、厚岸町の基幹産業になるまで発展した[33]1996年(平成8年)には上尾幌地区に「厚岸町きのこ菌床センター」を建設して菌床の供給(菌床栽培)を開始しており、北海道内有数となる生椎茸(シイタケ)の生産地になっている[34]観光では毎年40万人前後の観光客が訪れており、日帰り観光が中心になっている[35]

組合

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商業施設

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金融機関

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郵便

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郵便局

  • 厚岸郵便局(集配局)
  • 尾幌郵便局(集配局)
  • 上尾幌郵便局
  • 釧路太田郵便局
  • 床潭郵便局
  • 本厚岸郵便局

簡易郵便局

  • 糸魚沢簡易郵便局
  • 門静簡易郵便局

宅配便

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マスメディア

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新聞社

交通

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厚岸駅(2018年9月)
道の駅厚岸グルメパーク(厚岸味覚ターミナル・コンキリエ)(2010年3月)

鉄道

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糸魚沢駅は2022年3月12日に廃止。

バス

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かつては国鉄バス、JR北海道バス(バス事業をジェイ・アール北海道バスへ分社する前のJR北海道直営)が厚岸自動車営業所を設置し、標茶駅方面や国泰寺方面へ運行していた。

2018年10月1日より、くしろバスと桜ハイヤーに委託する形で厚岸町デマンドバスの運行を開始した。

タクシー

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道路

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文化財

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国指定

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国登録

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道指定

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  • 天然記念物
    • 厚岸床潭沼の緋鮒生息地[43]
  • 史跡
    • 厚岸神岩チャシ跡及び竪穴群[43]
  • 有形文化財
    • 太田屯田兵屋[43]

町指定

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  • 天然記念物
  • 史跡
    • お供山チャシ跡群[43]
    • チカラコタン竪穴群[43]
    • ホロニタイ竪穴群[43]
    • 筑紫恋入口竪穴群[43]
    • 筑紫恋チャシ跡[43]
  • 有形文化財
    • 国泰寺什器書画古文書[43]
    • 仏牙舎利塔[43]
    • 太田屯田兵遺品[43]
    • 池田家古文書[43]
    • 太田西野家行のう帳[43]
    • 厚岸湖牡蠣島弁天神社弁財天座像[43]
    • 鹿島稲荷神社祭神御堂[43]
    • 蝦夷錦[43]
  • 無形文化財

観光地・レジャー・祭事・催事

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祭事・催事

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  • カキDEござ〜る(2月)
  • あっけし桜・牡蠣まつり(5月)
  • あっけしあやめまつり(6月から7月)
  • 厚岸港まつり(7月)
  • 厚岸夏まつり(7月)
  • あっけし牡蠣まつり(10月)

名産・特産

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厚岸には古くからカキが生息し、食べられていたと思われる遺跡があり[44]、一説によると厚岸の地名はアイヌ語の「アッケケシ」(牡蠣の獲れるところ)に由来していると言われている[44]。現在は養殖のカキが主になっており、汽水湖厚岸湖厚岸湾を養殖カゴごと移動させ、水温の差を利用して産卵時期を調整することによって1年を通してカキを生産している[44]。厚岸では「カキえもん」、「マルえもん」、「ナガえもん」のカキを生産しているほか[44]、2016年(平成28年)からホタテの貝殻を用いて人工種苗した「弁天かき」の販売を始めている[45][46]。カキのほかにも魚介類が豊富にあり、アサリコンブ[47]、厚岸漁業協同組合が鮮度や品質を保証する厚岸沖の大黒島に因んだ「大黒ブランド」の海産物(「大黒さんま」、「大黒時さけ」、「大黒毛がに」、「大黒しまえび」、「大黒ししゃも」)がある[48]酪農も盛んであり、夏に発生する海霧牧場に豊富なミネラル分を運んでくるため、ミネラルを摂取した乳牛から濃厚な牛乳が生まれる[48]。2016年(平成28年)からは堅展実業道東では初となる本格的なウイスキージャパニーズ・ウイスキー)の蒸溜を「厚岸蒸溜所」で始めており[49]、2018年より出荷を開始[50]

厚岸町が舞台(ロケ地)となった作品

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映画

テレビドラマ

書籍

人物

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出身人物

ゆかりのある人物

町民憲章・宣言

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厚岸町民憲章

厚岸は先住民族の遺跡が物語る道東文化発祥の歴史を誇る郷土であります。私達は、美しい海岸線と緑の山野に恵まれた大自然に調和のとれた近代文化を創造し、発展させるために、この憲章を合いことばにたゆまず努力することを誓います。

  • 健康でよく働き協力して楽しい家庭をつくりましょう。
  • 教養を高め心を豊かにして、あたたかい社会をつくりましょう。
  • きまりを守り他人の立場を考えて、住みよい町にいたしましょう。
  • 海をきれいにし、緑を育てて美しい町をつくりましょう。
  • 子どもたちの夢を育て、幸せな未来が約束できるようにしましょう。
— 昭和47年6月1日制定[16]

宣言

  • 交通安全都市宣言(昭和37年5月28日)[51]
  • 明るく正しい選挙の町宣言(昭和40年5月28日)[51]
  • 青色申告と諸税完納の町宣言(昭和56年6月25日)[51]
  • 青少年非行防止の町宣言(昭和57年3月11日)[51]
  • シートベルト着用の町宣言(昭和59年9月27日)[51]
  • 核兵器廃絶、平和の町宣言(昭和62年6月26日)[51]
  • 防犯の町宣言(昭和62年9月24日)[51]
  • 暴力団等による暴力追放宣言(平成4年3月9日)[51]
  • 「酪農乳製品輸入自由化反対」宣言(平成4年12月22日)[51]
  • 厚岸町に核廃棄物最終処理場はいらない宣言(平成26年9月10日)[51]

脚注

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注釈

出典

  1. ^ 図典 日本の市町村章 p8
  2. ^ a b c アイヌ語地名リスト ア~イチ P1-10” (PDF). アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  3. ^ 山田秀三『北海道の地名』北海道新聞社、1984年。ISBN 489363321X 
  4. ^ 厚岸町プロフィール”. 厚岸町. 2017年11月17日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 厚岸町地域防災計画, p. 13.
  6. ^ 厚岸湖・別寒辺牛湿原” (PDF). 日本のラムサール条約登録湿地. 環境省. 2017年11月18日閲覧。
  7. ^ 厚岸道立自然公園”. 北海道. 2017年11月16日閲覧。
  8. ^ 太田 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年9月22日閲覧。
  9. ^ 厚岸町人口ビジョン” (PDF). 厚岸町 (2016年). 2017年11月16日閲覧。
  10. ^ 総務省統計局統計調査部国勢統計課 (27 January 2017). 平成27年国勢調査小地域集計01北海道《年齢(5歳階級)、男女別人口、総年齢及び平均年齢(外国人-特掲)-町丁・字等》 (CSV) (Report). 総務省. 2017年5月20日閲覧※条町区分地の一部に0人の地域がある場合でも他の同一区分地で人口がある場合は除いた。
  11. ^ a b 厚岸町の歴史物語”. 厚岸町. 2017年11月16日閲覧。
  12. ^ 当地のアイヌの歴史については、佐藤保治『厚岸のアイヌ』(1973年初版、2020年に藤田印刷エクセレントブックスより復刻)に詳しい。
  13. ^ 戦後、「厚岸かぐら」と名前を替え、現在は、民族に関係なく、町の郷土芸能として伝承されている。
  14. ^ 歴史年表”. 厚岸町. 2017年11月14日閲覧。
  15. ^ 沿革”. 町立厚岸病院. 2017年11月16日閲覧。
  16. ^ a b 厚岸町統計書, p. 178.
  17. ^ デマンドバスの運行について”. 厚岸町. 2018年12月27日閲覧。
  18. ^ 北海道ヒグマ注意報等について”. 北海道自然環境局 (2023年). 2023年9月22日閲覧。
  19. ^ a b 姉妹都市 オーストラリア連邦タスマニア州クラレンス市”. 厚岸町. 2017年11月14日閲覧。
  20. ^ a b 友好都市 山形県村山市”. 厚岸町. 2017年11月14日閲覧。
  21. ^ 厚岸町統計書, p. 174.
  22. ^ 北海道立青少年体験活動支援施設 ネイパル厚岸”. 2017年11月14日閲覧。
  23. ^ 本の森 厚岸情報館”. 厚岸町教育委員会. 2017年11月18日閲覧。
  24. ^ 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター 厚岸臨海実験所”. 北海道大学. 2020年10月17日閲覧。
  25. ^ 生徒数の推移”. 厚岸町教育委員会 (2017年4月). 2022年8月9日閲覧。
  26. ^ 釧路総合振興局厚岸町の公立学校”. Gaccom. 2022年8月9日閲覧。
  27. ^ 厚岸町統計書, p. 62.
  28. ^ 厚岸漁港”. 北海道開発局 釧路開発建設部. 2017年11月18日閲覧。
  29. ^ a b 厚岸地域マリンビジョン計画書 2014, p. 3.
  30. ^ 厚岸地域マリンビジョン計画書 & 2014 2014, p. 3.
  31. ^ a b 厚岸の食材”. 厚岸町. 2017年11月16日閲覧。
  32. ^ 厚岸地域マリンビジョン計画書 2014, p. 9.
  33. ^ a b c 厚岸町の農業の歴史”. 厚岸町. 2017年11月16日閲覧。
  34. ^ きのこ生産者新規着業者に対する支援”. 厚岸町. 2017年11月16日閲覧。
  35. ^ 厚岸町統計書, p. 121.
  36. ^ 厚岸漁業協同組合”. 2017年11月16日閲覧。
  37. ^ ひがし統括センター事業所紹介”. 2022年4月15日閲覧。
  38. ^ 大黒島海鳥繁殖地 - 文化遺産オンライン文化庁
  39. ^ 国泰寺跡 - 文化遺産オンライン文化庁
  40. ^ 正行寺本堂 - 文化遺産オンライン文化庁
  41. ^ 蝦夷三官寺国泰寺関係資料 - 文化遺産オンライン文化庁
  42. ^ 正行寺鐘楼 - 文化遺産オンライン文化庁
  43. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 厚岸町統計書, p. 183.
  44. ^ a b c d 厚岸町観光パンフレット, pp. 3–4.
  45. ^ 奈良山雅俊 (2016年11月27日). “「弁天かき」登場 厚岸・新ブランド 初競り、最高値1個650円”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 北海道総合版 
  46. ^ 厚岸生まれの厚岸育ち*弁天かき 主力へ一歩*漁協の人工種苗生産施設から初出荷*新たな観光資源に”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2017年6月15日). 2017年12月1日閲覧。
  47. ^ 厚岸町観光パンフレット, pp. 5–6.
  48. ^ a b 厚岸町観光パンフレット, pp. 7–8.
  49. ^ “厚岸の蒸留所 ウイスキーの蒸留開始”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2016年11月19日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASFB18H3G_Y6A111C1L41000/ 2017年11月18日閲覧。 
  50. ^ なぜ牡蠣のまちでウイスキー? 厚岸蒸溜所を訪ねてみた - 北海道ファンマガジン
  51. ^ a b c d e f g h i j 町の宣言”. 厚岸町. 2017年11月14日閲覧。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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行政

産業

観光