FNRS-2
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FNRS-2 | |
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FNRS-2の模式図 | |
基本情報 | |
船種 | 深海探査艇 |
船籍 | ベルギー |
経歴 | |
発注 | ベルギー国立科学研究基金 |
竣工 | 1948年 |
就航 | 1948年 |
引退 | 1948年 |
最後 | FNRS-3に改造 |
現況 | フランスのトゥーロンに保存 |
要目 | |
長さ | 6.9 m |
幅 | 3.2 m |
喫水 | 6 m |
主機関 | 1kW 電動機 |
速力 | 0.5ノット |
潜航深度 | 4000 m |
搭載人員 | 乗員2名 |
その他 | 潜航時間: 24時間 |
FNRS-2は世界初のバチスカーフ(深海探査艇)である。スイスの物理学者オーギュスト・ピカールによって開発された[1][2]。
概要
[編集]FNRS-2の開発作業が開始されたのは1937年だったが、第二次世界大戦によって中断された。1948年に完成した。このバチスカーフは出資したベルギーの財団であるベルギー国立科学研究基金(FNRS)にちなんで命名された。FNRSはピカールが1931年に開発した高高度気球FNRS-1にも資金援助していた。
浮力材にはガソリンが使用され、電磁石は常時通電されており、電源を切ると鉄の錘が放出されるようになっていた[3]。1948年11月3日の西アフリカのダカール沖での試験潜行では無人で1394m潜行したのみだったが、ピカールは希望を抱いた。深海の圧力に耐圧殻は耐えたものの、波によりフロートが破損して内部のガソリンが漏れてしまった[3]。FNRS-2はFNRSの資金が少なくなったのでフランス海軍に売却され、改造されFNRS-3になった。ピカールは当初、相談役としてフランス海軍の作業に参加したが、1年程度で離脱した[3]。オーギュストの息子のジャック・ピカールも関心を抱き、FNRS-2の開発に参加するようになっていた。ピカール父子はその後、別に新しいバチスカーフ(トリエステ)の製造を行うことになる。ジャック=イヴ・クストーも改造されたFNRS-3に搭乗した[3]。
→以後については「FNRS-3」を参照
脚注
[編集]- ^ Charles Wright (1947年12月). “Piccard's Submarine Balloon”. ポピュラーサイエンス (Bonnier Corporation) 151 (6): 82-87. ISSN 0161-7370.
- ^ Charles Wright「ピカール教授の深海探険艇」『ポピュラーサイエンス日本語版』、イブニングスター、1948年5月。
- ^ a b c d Lisa Yount (2006年1月). Modern Marine Science: Exploring the Deep. Infobase Publishing. pp. 38-40
外部リンク
[編集]- Bathyscaphe Trieste (1958-1963) in 1959-60 - Naval History and Heritage Command (archive.is のアーカイブ、2015年5月16日)
- Brewington, Krystal (2003年). “Depth of the Deepest Dive in a Bathyscaphe”. The Physics Factbook. 2008年5月22日閲覧。
- History of the Bathyscaph Trieste - ウェイバックマシン(2012年3月6日アーカイブ分)
- FNRS-2 (Ships of the World: An Historical Encyclopedia) - ウェイバックマシン(2004年11月12日アーカイブ分)