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阿武聰信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阿武 聰信(あんの としのぶ、1928年7月25日 - 没年不詳)は、日本構造化学者。

経歴・人物

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福岡市中央区に生まれる。1945年3月福岡県中学修猷館[1]、1948年3月旧制福岡高等学校を経て、1951年3月九州大学理学部化学科卒業。1955年3月同大学大学院研究奨学生修了。

1955年4月九州大学講師に採用され、1959年9月から1961年10月まで分子の電子構造研究のためイギリスに出張、その間1959年10月理学博士の学位を得る。 1962年5月九州大学助教授となり、1962年6月から同年9月までパラベンゾキノン振動スペクトルの研究のためアメリカ合衆国に出張、1963年6月から同年10月までパラベンゾキノンの電子構造の研究のためアメリカ合衆国に出張。 1969年10月九州大学教養学部教授に就任。1981年4月同大学大学院理学研究科担当を命じられる。1985年4月同大学薬学部講師を併任。 1992年3月停年退職。同年5月九州大学名誉教授。

1992年4月下関市立大学教授に就任、1996年3月同大学停年退職。

1967年4月佐賀大学文理学部講師、1968年4月福岡教育大学講師、1990年10月長崎大学工学部講師、1991年4月熊本大学理学部講師も務めている。

2009年4月瑞宝中綬章受章[2]

脚注

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  1. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員60頁
  2. ^ 平成21年春の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 2 (2009年4月29日). 2009年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月11日閲覧。

参考文献

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  • 「阿武聡信先生略歴」下関市立大学論集第39号第2,3合併号 297-298頁、下関市立大学学会、1996年