追風山裕邦
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追風山 裕邦(1959年。当時は追手山) | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 山口 貢 → 清櫻 貢 → 追手山 貢 → 追手山 寅次郎 → 追手山 貢 → 追風山 裕邦 | |||
本名 | 山口 貢 | |||
生年月日 | 1938年6月16日 | |||
没年月日 | 2014年1月2日(75歳没) | |||
出身 | 青森県北津軽郡嘉瀬村(現・同県五所川原市) | |||
身長 | 181cm | |||
体重 | 131kg | |||
BMI | 39.99 | |||
所属部屋 | 立浪部屋(入門時は追手風部屋) | |||
得意技 | 左四つ、寄り、上手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭6枚目 | |||
生涯戦歴 | 577勝545敗18休(88場所) | |||
幕内戦歴 | 107勝133敗15休(17場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1953年5月場所 | |||
入幕 | 1960年5月場所 | |||
引退 | 1969年5月場所 | |||
引退後 | 年寄・大鳴戸→年寄・追手風→年寄・中川 | |||
備考 | ||||
2019年7月14日現在 |
追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 - 2014年1月2日)は、青森県北津軽郡嘉瀬村(現・同県五所川原市)出身で立浪部屋(入門時は追手風部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 貢(やまぐち みつぐ)。最高位は東前頭6枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は181cm、 131kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。現在の追手風親方(元前頭2・大翔山直樹)の岳父[1]。
なお、夫人は最初の師匠・8代追手風(元大関・清水川)の義理の姪(夫人の叔母が、師匠の後妻に当たる)である。
来歴
[編集]5人兄弟の末っ子として生まれ、子供の時から体格が大きく多くの相撲大会に出て活躍していた。その活躍ぶりが、同郷で追手風部屋に所属した元幕下力士・清水岩の目に止まり、中学校在学中に同部屋へ入門する事となった。
1953年5月場所にて、14歳で初土俵、翌場所から立浪部屋所属となった[1]。序ノ口に付いた時の四股名は、師匠の元大関・清水川から1字を取った「清櫻」であった。
なお、改名後の「追手山」および「追風山」は、いずれも追手風部屋に因んでいる。
以来、1954年1月場所で序二段、1955年1月場所で三段目へ昇進。1956年1月場所では幕下昇進と、順調に出世街道を走った。
1959年1月場所、20歳で十両に昇進。その後、1960年5月場所で新入幕を果たした[1]。
非力だが重い腰を生かした寄りや上手投げを得意としたが、組んでも頭を下げず勝ち味も遅くて幕内上位へ進出できず、1969年5月場所限りで引退した[1]。
引退後は年寄・大鳴戸から同・追手風を襲名し、長らく立浪部屋の部屋付き親方でいた。だが、娘婿である元前頭2・大翔山の中川親方に追手風部屋再興を託して、追手風と中川の年寄名跡を交換。
この間、元・大翔山とともに友綱部屋に移り、1998年には元・大翔山の11代追手風親方の独立とともに追手風部屋に移籍。以降は、部屋付き親方として停年退職まで部屋の運営をサポートした。
停年退職後は埼玉県内で暮らしていたが、2014年1月2日に心停止のため75歳で急逝した。[2]
年譜
[編集]- 1953年5月:追手風部屋より、初土俵を踏む。
- 1959年1月:十両に昇進。
- 1960年5月:追手山寅次郎の四股名で、新入幕。
- 1962年1月:追手山貢の四股名で、再入幕。
- 1962年11月:自己最高位となる、東前頭6枚目に昇進。
- 1965年1月:追手風部屋が、立浪部屋に吸収合併される。
- 1965年11月:追風山裕邦と改名(上の名の読みは、「おいてやま」のまま)。
- 1969年5月:引退。年寄・大鳴戸襲名。その後、年寄・追手風を襲名。
- 1998年2月:年寄・中川(元・大翔山)と名跡を交換。
主な成績・記録
[編集]- 通算成績:577勝545敗18休 勝率.515
- 幕内成績:107勝133敗15休 勝率.446
- 十両成績:358勝331敗1休 勝率.520
- 現役在位:88場所
- 幕内在位:17場所
- 十両在位:46場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1964年11月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1953年 (昭和28年) |
x | x | 西新序 0–3 |
x | 東序ノ口筆頭 2–6 |
x |
1954年 (昭和29年) |
東序二段64枚目 5–3 |
西序二段24枚目 5–3 |
東序二段7枚目 3–5 |
x | 西序二段11枚目 5–3 |
x |
1955年 (昭和30年) |
西三段目66枚目 5–3 |
東三段目40枚目 5–3 |
東三段目24枚目 4–4 |
x | 東三段目20枚目 7–1 |
x |
1956年 (昭和31年) |
西幕下59枚目 5–3 |
西幕下46枚目 4–4 |
西幕下44枚目 5–3 |
x | 西幕下39枚目 5–3 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西幕下27枚目 5–3 |
西幕下18枚目 3–5 |
西幕下23枚目 5–3 |
x | 西幕下19枚目 4–4 |
西幕下19枚目 3–3–2 |
1958年 (昭和33年) |
西幕下26枚目 5–3 |
東幕下20枚目 6–2 |
西幕下11枚目 4–4 |
西���下10枚目 4–4 |
西幕下9枚目 6–2 |
東幕下3枚目 7–1 |
1959年 (昭和34年) |
西十両22枚目 12–3 |
西十両7枚目 7–8 |
西十両8枚目 9–6 |
東十両6枚目 6–9 |
西十両9枚目 7–8 |
東十両10枚目 8–7 |
1960年 (昭和35年) |
西十両8枚目 9–6 |
西十両5枚目 11–4 |
東前頭17枚目 8–7 |
東前頭13枚目 3–12 |
東十両6枚目 8–7 |
東十両5枚目 5–10 |
1961年 (昭和36年) |
西十両10枚目 9–6 |
東十両5枚目 8–7 |
西十両2枚目 6–9 |
東十両6枚目 10–5 |
西十両筆頭 7–8 |
西十両3枚目 10–5 |
1962年 (昭和37年) |
西前頭13枚目 9–6 |
西前頭9枚目 6–9 |
西前頭10枚目 9–6 |
西前頭8枚目 8–7 |
西前頭7枚目 8–7 |
東前頭6枚目 4–11 |
1963年 (昭和38年) |
西前頭12枚目 6–9 |
西前頭15枚目 5–10 |
西十両5枚目 7–8 |
西十両6枚目 6–9 |
西十両8枚目 5–10 |
東十両16枚目 9–6 |
1964年 (昭和39年) |
西十両7枚目 9–6 |
東十両5枚目 9–6 |
西十両3枚目 6–9 |
東十両8枚目 7–8 |
東十両9枚目 10–5 |
東十両3枚目 優勝 13–2 |
1965年 (昭和40年) |
東前頭13枚目 9–6 |
西前頭7枚目 休場[3] 0–0–15 |
東十両2枚目 5–10 |
東十両7枚目 7–8 |
西十両7枚目 8–7 |
東十両5枚目 6–9 |
1966年 (昭和41年) |
東十両7枚目 9–6 |
東十両2枚目 10–5 |
東前頭14枚目 9–6 |
西前頭9枚目 6–9 |
西前頭11枚目 8–7 |
西前頭6枚目 6–9 |
1967年 (昭和42年) |
東前頭10枚目 3–12 |
東十両5枚目 8–7 |
西十両6枚目 9–6 |
西十両2枚目 5–10 |
東十両9枚目 9–6 |
西十両5枚目 7–8 |
1968年 (昭和43年) |
西十両6枚目 8–7 |
東十両4枚目 6–9 |
東十両9枚目 7–7–1 |
西十両10枚目 9–6 |
西十両4枚目 4–11 |
東十両12枚目 9–6 |
1969年 (昭和44年) |
西十両7枚目 9–6 |
東十両4枚目 5–10 |
東十両12枚目 引退 5–10–0 |
x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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青ノ里 | 2 | 6 | 朝岡 | 1 | 0 | 浅瀬川 | 0 | 2 | 朝ノ海 | 3 | 1 |
天津風 | 2 | 1 | 荒岐山 | 1 | 1 | 荒波 | 1 | 0 | 泉洋 | 1 | 0 |
一乃矢 | 1 | 0 | 岩風 | 2 | 5 | 宇多川 | 3 | 2 | 及川 | 1 | 0 |
扇山 | 4 | 2 | 大晃 | 3 | 2 | 岡ノ山 | 4 | 0 | 小城ノ花 | 3 | 2 |
海山 | 0 | 1 | 海乃山 | 2 | 1 | 開隆山 | 1 | 3 | 金乃花 | 5 | 2 |
北の洋 | 2 | 0 | 君錦 | 1 | 3 | 清勢川 | 1 | 2 | 麒麟児 | 0 | 1 |
栗家山 | 2 | 0 | 琴櫻 | 0 | 1 | 佐田の山 | 0 | 1 | 潮錦 | 0 | 2 |
信夫山 | 1 | 0 | 大豪 | 2 | 2 | 大心 | 1 | 1 | 大鵬 | 0 | 1 |
大文字 | 1 | 1 | 大雄 | 2 | 1 | 玉嵐 | 0 | 1 | 玉乃海 | 1 | 1 |
玉響 | 0 | 1 | 常錦 | 1 | 2 | 鶴ヶ嶺 | 3 | 5 | 出羽錦 | 0 | 4 |
時津山 | 0 | 1 | 栃王山 | 1 | 0 | 栃ノ海 | 1 | 1 | 栃光 | 0 | 2 |
豊國 | 2 | 6 | 成山 | 0 | 1 | 羽黒花 | 1 | 1 | 羽黒山 | 1 | 1 |
長谷川 | 0 | 1 | 花光 | 2 | 2 | 羽子錦 | 1 | 0 | 廣川 | 2 | 5 |
福田山 | 0 | 2 | 福の花 | 2 | 1 | 房錦 | 0 | 2 | 富士錦 | 0 | 3 |
藤ノ川 | 1 | 0 | 二子岳 | 0 | 1 | 双ツ龍 | 0 | 2 | 星甲 | 4 | 1 |
前田川 | 1 | 4 | 前の山 | 1 | 2 | 松登 | 1 | 0 | 禊鳳 | 0 | 2 |
宮ノ花 | 1 | 0 | 宮柱 | 1 | 0 | 明武谷 | 0 | 4 | 豊山 | 0 | 1 |
義ノ花 | 2 | 2 | 芳野嶺 | 1 | 1 | 若駒 | 1 | 0 | 若杉山 | 2 | 0 |
若秩父 | 2 | 4 | 若天龍 | 1 | 4 | 若鳴門 | 3 | 2 | 若ノ海 | 2 | 2 |
若ノ國 | 1 | 1 | 若乃洲 | 1 | 3 | 若羽黒 | 1 | 2 | 若二瀬 | 2 | 0 |
若前田 | 3 | 4 |
改名歴
[編集]- 清櫻 貢(きよざくら みつぐ)1953年9月場所 - 1958年7月場所
- 追手山 貢(おいてやま みつぐ)1958年9月場所 - 1960年3月場所
- 追手山 寅次郎(おいてやま とらじろう)1960年5月場所 - 1961年11月場所
- 追手山 貢(おいてやま みつぐ)1962年1月場所 - 1965年9月場所
- 追風山 裕邦(おいてやま ひろくに)1965年11月場所 - 1969年5月場所(引退)
年寄変遷
[編集]- 大鳴戸 裕邦(おおなると ひろくに)1969年5月 - 1969年11月
- 追手風 裕邦(おいてかぜ ひろくに)1969年11月 - 1998年2月
- 中川 裕邦(なかがわ ひろくに)1998年2月 - 1998年5月
- 中川 貢(- みつぐ)1998年5月 - 2003年6月(停年退職)