豊田香窓
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豊田 香窓(とよだ こうそう、天保5年(1834年) - 慶応2年9月2日(1866年10月10日))は、『大日本史』編纂に貢献した水戸藩士である。豊田小太郎ともいう。名は靖。号、香窓。妻は豊田芙雄。
生涯
[編集]水戸藩士豊田天功の長男として生まれた。幼い頃から父・天功に学び勤勉であったため、水戸藩によって選抜され蘭学を修め、洋学世話掛に任ぜられて「航海要録」を訳述した。彰考館総裁代に就任し、『大日本史』の「職官志」の草稿を執筆するなど、『大日本史』編纂に貢献した。のちに脱藩して京都に入り、本圀寺警衛に身を投じたが、水戸藩尊王攘夷の過激派によって暗殺された。享年33。
脚注
[編集]- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.52
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 豊田香窓(輝く茨城の先人たち)