西和田 (長野市)
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西和田 | |
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北緯36度39分21.94秒 東経138度13分8.09秒 / 北緯36.6560944度 東経138.2189139度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 長野県 |
市町村 | 長野市 |
地区 | 古牧地区 |
人口 | |
• 合計 | 2,389人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
381-0037 |
市外局番 | 026 |
ナンバープレート | 長野 |
※座標は西和田公民館付近 |
西和田(にしわだ)は、長野県長野市の市街地東部郊外にある町名。現行行政地名は西和田一・二丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は381-0037。
概要
[編集]地区の北西端にはしなの鉄道北しなの線が走り、JR東日本の長野総合車両センターが置かれている。中央部のくびれた部分を国道406号(平林街道)が東西に横断し、一丁目と二丁目との境をなしている。南端には柳原一号幹線排水路(北八幡川)が流れ、南東端には国道18号が通過する。周囲は以下の大字・町丁と接する。
三輪二丁目 三輪一丁目 |
桐原一丁目 - 桐原二丁目 - 中越一丁目 | |||
大字三輪荒屋 | 大字東和田 | |||
西和田 | ||||
平林二丁目 平林一丁目 |
大字高田 | 大字西尾張部 |
周辺地区同様に、古くは農村であったが長野市街地までバス・車で10分程度という立地により戦後急速に宅地化が進んだ。地区南部の北八幡川沿いには近年まで農耕地が残っていたが、区画整理が行われ現在では住宅地となっている。
二丁目はその半分近くが長野総合車両センターで占められ、隣接してJRや警察などの社宅群が和田公園に面して林立している。
地区内の人口及び世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[1]。
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
西和田一丁目 | 527世帯 | 1,252人 |
西和田二丁目 | 468世帯 | 1,136人 |
大字西和田 | 1世帯 | 1人 |
計 | 996世帯 | 2,389人 |
沿革
[編集]西和田の範囲は、概ね1889年(明治22年)以前の水内郡西和田村の範囲に相当する。
- 旧西和田村〜古牧村の歴史
- 江戸時代 - 前身の水内郡西和田村は松代藩領であった
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法施行。西和田村は上水内郡に属する
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。上水内郡西和田村、同郡高田村・平林村・東和田村・西尾張部村・南長池村と合併、三輪村荒屋区を編入。古牧村となる
- 1921年(大正10年) - 県道長野須坂線(現 国道406号平林街道)が開通。地区中央部を横断する
- 1923年(大正12年)7月1日 - 上水内郡古牧村、同郡吉田町・芹田村・三輪村とともに長野市に編入。旧西和田村域は、大字西和田となる
- 長野市西和田の歴史
- 1945年(昭和20年) - 大字西和田(現 西和田二丁目)に、長野工機部吉田分所(現 JR東日本長野総合車両センター)が置かれる
- 1979年(昭和54年)8月 - 大字西和田(現 西和田一丁目)に、かっぱ寿司の一号店(西和田店)が開店[2]
- 1982年(昭和57年)9月13日 - 平林街道が国道406号の一部となる
- 時期不明 - 西和田土地区画整理事業が行われる。現在の西和田一丁目東部
- 1998年(平成10年)11月24日 - 住居表示実施。大字中越の全域と大字西和田の一部が、中越一・二丁目となる
- 2000年度(平成12年度)〜2013年度(平成25年度) - 古牧中部土地区画整理事業が始まる。現在の西和田一丁目南西部から平林一丁目東部にかけての8.5ha
- 2005年(平成17年)11月7日 - 住居表示実施。大字西和田の大部分と大字古野が、西和田一・二丁目となる
- 2006年(平成18年)10月30日 - 住居表示実施。大字平林の大部分と大字西和田の一部が、平林一・二丁目となる
- 2008年(平成20年)5月12日 - 都市計画道路高田若槻線が一部開通(L=671m)。地区南部を縦断する
交通
[編集]- 路線バス
施設
[編集]西和田一丁目
[編集]西和田二丁目
[編集]- 和田公園
- 和田神社 - 昔から諏訪社と称し、西和田の産土神として崇敬されてきた。1866年(慶応2年)和田神社と改称。神社の東隣に延命地蔵を祀る地蔵庵がある[4]。
- 雲照寺 - 元和年間(1615年~1624年)創建[5]。
- JR東日本 長野総合車両センター、長野総合訓練センター
脚注
[編集]関連項目
[編集]- かっぱ寿司 - 当地発祥の企業
外部リンク
[編集]- 古牧中部土地区画整理事業 - 長野市都市整備部区画整理課