葛野郡
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郡域
[編集]1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。
歴史
[編集]古代
[編集]郷
[編集]- 橋頭郷 - 嵯峨。渡月橋のことか
- 大岡郷(於保乎加)
- 山田郷 - 嵯峨
- 川邉郷(加波乃倍)
- 葛野郷(加度乃)
- 川島郷(加八之末)
- 上林郷(加無都波也之)
- 櫟原郷 - 嵯峨
- 高田郷
- 下林郷(之毛都波也之)
- 緜代郷
- 田邑郷(多無良)
式内社
[編集]神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
葛野郡 20座(大14座・小6座) | |||||||
葛野坐月読神社 | カトノニマスツキヨミノ | 名神大 | 月次新嘗 | 月読神社 | 京都府京都市西京区松室山添 | 松尾大社境外摂社 | [1] |
木島坐天照御魂神社 | コノシマニマスアマテルミムスビ | 名神大 | 月次相嘗新嘗 | 木嶋坐天照御魂神社 | 京都府京都市右京区太秦森ヶ東町 | [2] | |
墮川神社 | ヲチカハノ オチカハ |
小 | (参)岩戸落葉神社 | 京都府京都市北区小野下ノ町 | |||
阿刀神社 | アトノ | 小 | 阿刀神社 | 京都府京都市右京区嵯峨南野町 | |||
松尾神社 二座 | マツノヲノ | 並名神大 | 月次相嘗新嘗 | 松尾大社 | 京都府京都市西京区嵐山宮町 | [3] | |
深川神社 | フカカハノ | 小 | (論)福王子神社 | 京都府京都市右京区宇多野福王子町 | |||
(論)夫荒社 | 京都府京都市右京区宇多野福王子町 | 福王子神社境内社 | |||||
墮川御上神社 | オチカハノミカミノ | 小 | 大森賀茂神社 | 京都府京都市北区大森東町 | |||
櫟谷神社 | イチタニノ イチヒ イチヤ |
小 | 櫟谷宗像神社 | 京都府京都市西京区嵐山中尾下町 | 松尾大社境外摂社 | ||
平野祭神四社 | ヒラノノ | 並名神大 | 月次新嘗 | 平野神社 | 京都府京都市北区平野宮本町 | [4] | |
梅宮坐神四社 | ウメミヤニマス | 並名神大 | 月次新嘗 | 梅宮大社 | 京都府京都市右京区梅津フケノ川町 | [5] | |
天津石門別稚姫神社 | アマツイハトワケワカヒメノ | 名神大 | 月次新嘗 | (不明) | [6] | ||
伴氏神社 | トモウチノ トクノヲカノ |
大 | 月次新嘗 | (参)住吉大伴神社 | 京都府京都市右京区龍安寺住吉町 | [7] | |
(参)伴氏社 | 京都府京都市上京区馬喰町 | 北野天満宮境内社 | |||||
大酒神社 | オホサケノ | 小 | 元名大辟神 | 大酒神社 | 京都府京都市右京区太秦蜂岡町 | ||
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近世以降の沿革
[編集]幕末の知行
村名 | 皇 室 領 |
宮 家 領 |
門 跡 領 |
公 家 領 |
女 官 領 |
雑 色 領 |
地 下 役 人 領 |
幕 府 領 |
京 都 守 護 職 役 知 |
旗 本 領 |
社 家 領 |
寺 社 領 |
その他 |
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西院村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 条理職役料、連歌師里村氏領、彫金師後藤氏領、京暦師菊沢氏領ほか[1] | |||
●三条新畑[2] | 〇 | ||||||||||||
西ノ京村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||
二条御城廻[3] | 〇 | 〇 | 彫金師後藤氏領 | ||||||||||
壬生村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 楽人衆領、彫金師後藤氏領ほか[4] | ||||
山之内村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
郡村 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
西九条村 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
東塩小路村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||
●来迎堂廻り[5] | 〇 | 〇 | |||||||||||
西八条村[6] | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
東寺廻り[6] | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
七八条村[6] | 〇 | 〇 | |||||||||||
中堂寺村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 彫金師後藤氏領 | ||||||||
西七条村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||||
朱雀村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||
西塩小路村 | 〇 | ||||||||||||
梅小路村 | 〇 | ||||||||||||
唐橋村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||||
御所ノ内村 | 〇 | ||||||||||||
川勝寺村 | 〇 | ||||||||||||
宿村 | 〇 | ||||||||||||
川島村 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
岡村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
下津林村 | 〇 | 〇 | 〇 | 医師竹田氏領 | |||||||||
下桂村 | 〇 | ||||||||||||
牛ヶ瀬村 | 〇 | ||||||||||||
上桂村 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
徳大寺村 | 〇 | ||||||||||||
上野村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
千代原村 | 〇 | ||||||||||||
松尾谷村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
松室村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
下山田村 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
御陵村 | 〇 | ||||||||||||
上山田村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
東梅津村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
西梅津村 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
上嵯峨村 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
天竜寺門前 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
池裏村 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
水尾村 | 施薬院三雲氏領 | ||||||||||||
原村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
越畑村 | 〇 | 〇 | 西大路実邦知行 | ||||||||||
鳴滝村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||||
福王子村 | 〇 | ||||||||||||
木辻村 | 〇 | 〇 | 〇 | 池上幸太郎知行 | |||||||||
池上村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
法金剛院村 | 〇 | ||||||||||||
谷口村 | 〇 | ||||||||||||
一之瀬村 | 〇 | ||||||||||||
中島村 | 〇 | ||||||||||||
善妙寺村 | 〇 | ||||||||||||
平岡村 | 〇 | 〇 | 儒者林氏領 | ||||||||||
小北山村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||||
大北山村 | 〇 | ||||||||||||
松原村 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||||
等持院村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
北野村 | 〇 | ||||||||||||
大将軍村 | 〇 | ||||||||||||
●紙屋川町[7] | 〇 | ||||||||||||
聚楽廻 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||
門前村[8] | 〇 | ||||||||||||
市川村 | 〇 | ||||||||||||
中里村[9] | 〇 | 〇 | 西大路実邦知行 | ||||||||||
安養寺村 | 〇 | ||||||||||||
安井村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
常盤村 | 〇 | ||||||||||||
谷村 | 〇 | ||||||||||||
窪村 | 〇 | ||||||||||||
中野村[10] | 〇 | ||||||||||||
下嵯峨村[11] | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||||
生田村 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||||
高田村 | 〇 | 〇 | |||||||||||
中村 | 〇 | ||||||||||||
東河内村 | 〇 | ||||||||||||
西河内村 | 〇 | ||||||||||||
杉阪村 | 〇 | ||||||||||||
中川村 | 〇 | ||||||||||||
上村 | 〇 | ||||||||||||
下村 | 〇 | ||||||||||||
真弓村 | 〇 | ||||||||||||
御室門前村[12] | 〇 |
- 慶応4年
- 明治6年(1873年)(3町76村)
- 窪村が常盤村に合併。
- 常盤村・谷村が合併して常盤谷村となる。
- 明治7年(1874年)(3町65村)
- 鳴滝村・福王子村が合併して宇多野村となる。
- 木辻村・池上村・法金剛院村が合併して花園村となる。
- 一之瀬村・中島村・善妙寺村・平岡村が合併して梅ケ畑村となる。
- 門前村・市川村・中里村・安養寺村が合併して太秦村となる。
- 生田村・高田村が合併して嵯峨野村となる。
- 上村・下村が合併して小野村となる。
- 明治8年(1875年)(3町61村)
- 明治10年(1877年) - 宿村が川勝寺村に合併。(3町60村)
- 明治12年(1879年)4月10日 - 郡区町村編制法の京都府での施行により下記の変更が行われる。(60村)
- 明治14年(1881年) - 御室門前村が改称して御室村となる。
町村制以降の沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(17村)
- 衣笠村 ← 大将軍村、北野村、大北山村、小北山村、松原村、等持院村(現・京都市北区)
- 朱雀野村 ← 壬生村、西ノ京村、聚楽廻(現・京都市中京区)
- 大内村 ← 東塩小路村、朱雀村、中堂寺村(現・京都市下京区)、西九条村、八条村(現・京都市下京区、南区)
- 七条村 ← 西七条村、西塩小路村、梅小路村、御所ノ内村(現・京都市下京区)、唐橋村(現・京都市南区)
- 太秦村 ← 嵯峨野村、太秦村、安井村、中野村、常盤谷村(現・京都市右京区)
- 西院村 ← 西院村(現・京都市下京区、右京区)、山之内村(現・京都市右京区)
- 京極村 ← 川勝寺村、郡村、徳大寺村[字団子田](現・京都市右京区)
- 桂村 ← 上野村、徳大寺村[字団子田を除く]、上桂村、千代原村、下桂村(現・京都市西京区)
- 川岡村 ← 下津林村、牛ヶ瀬村、川島村、岡村(現・京都市西京区)
- 松尾村 ← 上山田村、松室村、松尾谷村、下山田村、御陵村(現・京都市西京区)
- 梅津村 ← 東梅津村、西梅津村(現・京都市右京区)
- 嵯峨村 ← 天竜寺村、上嵯峨村、水尾村、原村、越畑村(現・京都市右京区)
- 下嵯峨村(単独村制。現・京都市右京区)
- 花園村 ← 花園村、御室村、宇多野村、谷口村(現・京都市右京区)
- 小野郷村 ← 杉阪村、小野村、大森村、真弓村(現・京都市北区)
- 中川村(単独村制。現・京都市北区)
- 梅ケ畑村(単独村制。現・京都市右京区)
- 明治35年(1902年)2月1日 - 大内村の一部(東塩小路町・西九条)が京都市に編入。下京区の一部となる。
- 明治36年(1903年)12月1日 - 下嵯峨村が嵯峨村に編入。(16村)
- 大正7年(1918年)4月1日(12村)
- 衣笠村が京都市上京区に編入。
- 朱雀野村・大内村・七条村および西院村の一部(西院の一部)が京都市に編入。下京区の一部となる。
- 大正12年(1923年)4月1日(1町11村)
- 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 嵯峨村が町制施行して嵯峨町となる。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和6年(1931年)4月1日 - 京極村・川岡村・西院村・梅津村・桂村・松尾村・嵯峨町・太秦村・花園村・梅ケ畑村が京都市に編入。同区域をもって右京区が発足。(2村)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「北山城地方事務所」が京都市に設置され、愛宕郡・乙訓郡とともに管轄。
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 中川村・小野郷村が京都市に編入。上京区の一部となる。同日葛野郡消滅。第二次世界大戦後初の郡消滅ともなった。
変遷表
[編集]自治体の変遷
明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|
衣笠村 | 大正7年4月1日 京都市上京区に編入 |
京都市 上京区 |
京都市 上京区 |
昭和30年9月1日 京都市北区に分区 |
京都市 北区 |
京都市 |
小野郷村 | 小野郷村 | 小野郷村 | 昭和23年4月1日 京都市上京区に編入 | |||
中川村 | 中川村 | 中川村 | ||||
大内村 | 明治35年2月1日 京都市下京区に編入 |
京都市 下京区 |
京都市 下京区 |
京都市 下京区 |
京都市 下京区 | |
大正7年4月1日 京都市下京区に編入 |
昭和30年9月1日 京都市南区に分区 |
京都市 南区 | ||||
七条村 | 京都市 下京区 |
京都市 下京区 | ||||
朱雀野村 | 昭和4年4月1日 京都市中京区に分区 |
京都市 中京区 |
京都市 中京区 |
京都市 中京区 | ||
西院村 | 大正7年4月1日 京都市下京区に編入 | |||||
西院村 | 昭和6年4月1日 京都市に編入 右京区誕生 |
京都市 右京区 |
京都市 右京区 |
京都市 右京区 | ||
太秦村 | 太秦村 | |||||
京極村 | 京極村 | |||||
梅津村 | 梅津村 | |||||
嵯峨村 | 大正12年4月1日 嵯峨町 | |||||
下嵯峨村 | 明治36年12月1日 嵯峨村に編入 大正12年4月1日 嵯峨町 | |||||
花園村 | 花園村 | |||||
梅ヶ畑村 | 梅ヶ畑村 | |||||
桂村 | 桂村 | 昭和51年10月1日 京都市西京区に分区 |
京都市 西京区 | |||
川岡村 | 川岡村 | |||||
松尾村 | 松尾村 |
行政
[編集]- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 戸田高富 | 明治12年(1879年)3月14日 | (不明) | |
2 | 鳥居誨 | (不明) | (不明) | |
3 | 竹中兼和 | (不明) | 明治19年(1886年)10月27日 | 制度改正により廃官 |
4 | 松野新九郎 | 明治19年(1886年)10月8日 | 明治23年(1890年)5月9日 | 愛宕郡長を兼任 |
5 | 野村永保 | 明治23年(1890年)5月9日 | 明治25年(1892年)2月15日 | 愛宕郡長を兼任 |
6 | 川本正治 | 明治25年(1892年)3月4日 | (不明) | 愛宕郡長を兼任 |
7 | 有吉三七 | (不明) | (不明) | 愛宕郡長を兼任 |
8 | 渡邉忠壽 | (不明) | (不明) | |
9 | 遠藤邦三 | (不明) | (不明) | |
10 | 櫻井丈太郎 | (不明) | (不明) | 大正4年(1915)時点 |
11 | 後藤多喜蔵 | (不明) | (不明) | 大正5年(1916)時点 |
12 | 兼子悌次 | 大正7年(1918)6月24日 | (不明) | |
~ | ||||
? | 脇田琥一 | (不明) | (不明) | 後職:愛媛県警察部部長 |
~ | ||||
? | 林茂 | (不明) | (不明) | 大正11年(1922年)3月29日時点 |
~ | ||||
? | (不明) | (不明) | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
教育
[編集]葛野郡高等小学校組合
[編集]- 葛野郡高等小学校(西院村[13])
- 葛野郡第二高等小学校(桂村字千代原[14])
- 葛野郡第三高等小学校(大内村大字中堂寺[14])
脚注
[編集]- ^ 神服数人、川端清益、安本秀綱、梅ヶ畑供臣人、大国有■(車+⺋)、長沢員堅、藤田義之、宮本亮周、西大路実邦、大沢仙丸、大茟兵部、青盛富、小茟善大夫各知行が記載されている。
- ^ 三条通沿いの各町の在方の石高の合計とみられる。
- ^ 記載は三条台。
- ^ 安本秀綱、池上幸太郎の各知行が記載されている。
- ^ 現・下京区来迎堂町とみられる。
- ^ a b c 八条村のうち。本項では八条村を1村として数える。
- ^ 記載は紙屋川村。
- ^ 記載は広隆寺門前。
- ^ 記載は大石中里村。
- ^ 記載は中村。
- ^ 記載は川端村。
- ^ 記載なし。
- ^ 『京都府府令達要約』明治20年 第8編上巻,京都府内務部,明14-31. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/788408 (参照 2024-01-21)
- ^ a b 京都府立総合資料館 編『京都府百年の年表』5 (教育編),京都府,1970. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9537074 (参照 2024-01-21)
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 26 京都府
- 旧高旧領取調帳データベース
関連文献
[編集]- 『京都府葛野郡史概要』京都府葛野郡役所、1922年 。
- 『洛西覇者録』洛西覇者録刊行会、1920年 。
- 『京都府葛野郡現勢一班 大正4年』葛野郡、1916-1917年 。
- 『京都府葛野郡現勢一班 大正5年』葛野郡、1916-1917年 。