第9回全国中等学校優勝野球大会
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第9回全国中等学校優勝野球大会 | |
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試合日程 | 1923年8月16日 - 8月20日 |
出場校 | 19校 |
参加校数 | 243校 |
優勝校 | 甲陽中(兵庫、初優勝) |
試合数 | 18試合 |
大会本塁打 | 3本 |
< 19221924 > 全国高等学校野球選手権大会 |
第9回全国中等学校優勝野球大会(だい9かいぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうたいかい)は、1923年(大正12年)8月16日から20日まで、兵庫県武庫郡鳴尾村(現在の西宮市)の鳴尾球場で行われた全国中等学校優勝野球大会である。
地方大会では、前年まで東京府と神奈川県を対象としていた京浜大会が消滅し、東京府を対象とする東京大会と、神奈川県と静岡県(前年まで東海大会)を対象とする神静大会が新たに編成された。加えて、台湾大会が始まり、前年より2大会増えて19大会となった[1]。
第9回大会から、開幕試合の始球式で使用するボールを上空から投下する祝賀飛行が開始された[2]。
徽文高普(朝鮮)は、選手全員が朝鮮人のチームで、これは最初で最後のことだった[3]。
準決勝で甲陽中(兵庫)と立命館中(京津)が対戦した際、スタンドに収容しきれない観客がグラウンドに流れ込み、試合が一時中断した[4]。この一件が甲子園大運動場(1924年8月1日開場)の建設を急がせることとなった[4]。鳴尾競馬場馬場内にグラウンドを2面設けた鳴尾球場は、開催期間短縮のため第3回大会から使用されていたが、収容人数限界のため第9回大会で最後となった。
第9回大会から、大会優勝校に真紅の大優勝旗のレプリカを渡すこととなり、過去にさかのぼって優勝校に渡された[5]。
出場校
[編集]試合結果
[編集]1回戦
[編集]- 新潟商 2 - 1 明星商
- 甲陽中 8 - 2 宇都宮商
- 早稲田実 5 - 1 横浜商
2回戦
[編集]- 立命館中 23 - 4 台北一中
- 松江中 9 - 3 仙台一中
- 広陵中 12 - 7 新潟商
- ���歌山中 9 - 2 金沢商
- 甲陽中 3 - 2 松山商
- 徽文高普 9 - 4 大連商
- 早稲田実 6 - 4 愛知一中(延長11回)
- 函館商 6 - 5 佐賀中
準々決勝
[編集]- 甲陽中 6 - 1 早稲田実
- 和歌山中 8 - 2 広陵中
- 松江中 5 - 4 函館商
- 立命館中 7 - 5 徽文高普
準決勝
[編集]- 甲陽中 13 - 5 立命館中
- 和歌山中 7 - 3 松江中
決勝
[編集]1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
甲陽中 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 |
和歌山中 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
- (甲):宇井 - 岡田
- (和):田島 - 由良
- 審判
[球審]河野
[塁審]加藤・富樫・蘆田
大会本塁打
[編集]- 第1号:藤本定義(松山商)
- 第2号:岡田貴一(甲陽中)
- 第3号:渡辺勝次(佐賀中)
その他の主な出場選手
[編集]脚注
[編集]- ^ 大和球士 『真説 日本野球史 《大正篇》』 ベースボール・マガジン社、1977年、213-314頁
- ^ "ヘリからボール投下、乗員ドキドキ 甲子園の始球式". 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 15 August 2017. 2024年8月19日閲覧。
- ^ 最初で最後、朝鮮人チーム第9回大会
- ^ a b “甲子園球場100周年 “東洋一の大球場”はなぜつくられたのか 「豊中」から「鳴尾」、そして「甲子園」へ”. 公益財団法人 日本高等学校野球連盟 (2024年7月25日). 2024年8月19日閲覧。
- ^ アサヒグラフ増刊1978.8.1号『熱球にかけた青春の記録 甲子園大会60年の歩み』