コンテンツにスキップ

第2期王将戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第2期 王将戦
開催期間 1952年 - 1953年3月26日
前王将 升田幸三(初)
第2期王将 大山康晴(初)
王将戦
第1期第3期 >
テンプレートを表示

第2期王将戦(だい2きおうしょうせん)は、1952年度王将戦である。

概要

[編集]

前期は、順位戦A級の上位棋士5名のリーグ戦で挑戦者を決めていた[1]。今期から全棋士参加の棋戦となり、挑戦者決定リーグ戦はA級上位のシード4名と予選通過者4名で行われることとなった[2]。ただし、A級上位のシードに該当した升田幸三は、前期王将のためリーグ戦から除外された。そのため、リーグ戦は7名で行われた。

シードの棋士は、丸田祐三八段、塚田正夫九段、板谷四郎八段。予選を勝ち抜いた棋士は、小堀清一八段、高島一岐代八段、山本武雄七段、山中和正六段。挑戦者決定リーグ戦の結果は、丸田祐三八段、塚田正夫九段、板谷四郎八段、小堀清一八段の4名が4勝2敗で並び、トーナメントによる決定戦が行われた。結果は、丸田祐三八段が勝ち上がり挑戦権を獲得した[2]

七番勝負で挑戦を受けるのは前期王将の升田幸三王将と大山康晴名人による、被挑戦者決定三番勝負の勝者となった。結果は大山康晴名人が2勝1敗で制し、被挑戦者となった[2][3]

王将戦七番勝負は、大山康晴名人が丸田祐三八段に4勝3敗で制した。大山はタイトルを獲得し、初の王将位獲得を果たした[2][4][5]

第2期王将戦七番勝負

[編集]
対局者 第1局 第2局 第3局 第4局 第5局 第6局 第7局
1953年
1月19日・20日
1953年
1月29日・30日
1953年
2月9日・10日
1953年
2月24日・25日
1953年
3月4日・5日
1953年
3月19日・20日
1953年
3月25日・26日
大山康晴名人 王将位獲得
丸田祐三八段

被挑���者決定三番勝負

[編集]
対局者 第1局 第2局 第3局
1952年
10月8日
1952年
11月8日
1952年
12月12日
升田幸三王将
大山康晴名人 被挑戦者

挑戦者決定トーナメント

[編集]
1回戦 決勝
丸田祐三八段
丸田祐三八段 挑戦
塚田正夫九段
小堀清一八段
小堀清一八段
板谷四郎八段

挑戦者決定リーグ

[編集]
順位 棋士 備考 丸田 塚田 板谷 小堀 山中 高島 山本
丸田祐三八段 4 2 プレーオフ
塚田正夫九段 4 2 プレーオフ
板谷四郎八段 4 2 プレーオフ
小堀清一八段 4 2 プレーオフ
山中和正六段 3 3
高島一岐代八段 1 5
山本武雄七段 1 5

予選

[編集]

予選は、B・C級棋士48名による一次予選を行い、二次予選に進出する10名を決める。その10名にA級下位の6名を加えた16名による二次予選を行い、挑戦者決定リーグ戦に出場する4名を決定した[2]

二次予選シードの小堀清一八段と、一次予選から出場した高島一岐代八段、山本武雄七段、山中和正六段がリーグ戦出場を決めた[2]

脚注

[編集]
  1. ^ スポーツニッポン新聞社他(2021), p. 10.
  2. ^ a b c d e f スポーツニッポン新聞社他(2021), p. 12
  3. ^ 大山(2012), p. 54.
  4. ^ 大山(2012), pp. 54–57.
  5. ^ ALSOK杯王将戦 過去の結果”. 日本将棋連盟. 2021年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月14日閲覧。

参考文献

[編集]
  • スポーツニッポン新聞社毎日新聞社日本将棋連盟『王将戦 70年のあゆみ』2021年2月8日。ISBN 978-4-910319-20-9 
  • 大山康晴『大山康晴名局集』日本将棋連盟、2012年7月26日。ISBN 978-4-8399-4376-9 

外部リンク

[編集]