石井信 (衆議院議員)
表示
石井 信(いしい しん、1861年12月17日(文久元年11月16日[1])- 1923年(大正12年)4月9日[1][2][3][4])は、明治から大正期の政治家、神職。衆議院議員。旧姓・天神林。幼名・信吉[1]。
経歴
[編集]出羽国雄勝郡湯沢町(秋田県[3]雄勝郡湯沢町[1][4]を経て現湯沢市[1][2])で、久保田藩士・天神林久平[1](儀敬[2])の二男として生まれ[1]、同藩士、叔父・石井忠良の養子となる[1]。養父の私塾・立志堂で学び、藩儒・西宮藤長に師事して漢学を修めた[1]。1877年(明治10年)2月、養父の死去に伴い家督を相続した[1]。
自由民権運動に加わり[1]、武石敬治、添田飛雄太郎らと自ら学ぶ私塾・麗沢舎を設立して英語など新時代の知識を伝えた[1][4]。1886年(明治19年)10月、秋田県会議員に選出され5期在任[1]。この間、同副議長[1][2]、雄勝郡会議員も務めた[3]。遊学のため1892年(明治25年)10月に県会議員を辞職した[1]。その後、上京して政界の名士と交流し[1]、また金玉均への支援を行った[1]。
1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(秋田県郡部、立憲政友会)で落選したが[5]、同年12月21日、目黒貞治の当選無効に伴い繰上補充となった[1][3][6]。1904年(明治37年)3月、第9回総選挙でも再選され[5]、衆議院議員に通算2期在任した[3][4]。
政界引退後、雄勝郡立図書館(現:湯沢図書館)長となり[1][2]、また、湯沢神明社、御嶽神社の神職を務めた[1]。
国政選挙歴
[編集]- 第7回衆議院議員総選挙(秋田県郡部、1902年8月、立憲政友会)落選[5]。その後繰上補充[6]。
- 第8回衆議院議員総選挙(秋田県郡部、1903年3月、立憲政友会)落選[5]
- 第9回衆議院議員総選挙(秋田県郡部、1904年3月、立憲政友会)当選[5]
- 第10回衆議院議員総選挙(秋田県郡部、1908年5月、立憲政友会)次点落選[7]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 杉渕廣『秋田代議士物語:帝国議会を生きた人々』秋田魁新報社、1989年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。