渡邊渚
プロフィール | |
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生年月日 | 1997年4月13日(27歳)年 |
出身地 |
![]() (旧・水原町) |
血液型 | O型 |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | 165 cm / ― kg |
活動 | |
デビュー | 2025年1月 - |
ジャンル | モデル |
備考 | 『透明を満たす』 |
他の活動 | タレント、エッセイスト |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
わたなべ なぎさ 渡邊 渚 | |
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プロフィール | |
出生地 |
![]() |
生年月日 | 1997年4月13日(27歳) |
身長 | 165 cm[2] |
血液型 | O型 |
最終学歴 | 慶應義塾大学経済学部 |
所属事務所 |
生島企画室(2018年 - 2020年) フジテレビジョン(2020年 - 2024年) |
活動期間 | 2018年 - 2024年8月 |
ジャンル | 情報・バラエティ |
担当番組・活動 | |
出演経歴 |
『オレたちゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン〜』 『めざましテレビ』 『ワイドナショー』 |
その他 | 上記活動期間は生島企画室、フジテレビ時代のもの |
渡邊 渚(わたなべ なぎさ、1997年〈平成9年〉4月13日[3] - )は、日本のタレント、モデル、エッセイスト、会社経営者[4]。
大学時代、生島ヒロシ率いる生島企画室(現:FIRST AGENT)にタレントとして所属。2020年4月にフジテレビジョンにアナウンサーとして入社、2024年8月まで同社に勤務していた。
来歴
[編集]学生時代
[編集]新潟県阿賀野市(旧・水原町)出身で[5]、小学2年生まで同市で過ごす[1]。両親と妹がいる[6]。家の周りは田んぼに囲まれ[7]、庭にキジが来たり、クマが出たりするなど豊かな自然の中で育つ[1]。学校帰りは友人と田んぼの畦道を歌い歩いたり、近くの小川でザリガニを釣ったりするなど、田舎生活を送っていた[1][注 1]。
父は普通のサラリーマンで[9]、単身赴任していたが、2004年(平成16年)に発生した新潟県中越地震を機に「家族一緒に生活したい」と両親に伝え[6]、愛知県名古屋市で3年間、11歳からは神奈川県横浜市に居住する[10][11]。横浜市立平戸中学校では剣道部に所属[7]。慶應義塾女子高等学校[10][12]に進学し、バレーボール部に所属する[7]。高校2年時にはビジネスコンテストの「キャリア甲子園」に「2020年にする仕事」のテーマで出場した[2]。
慶應義塾大学経済学部に進学。大学では乗馬同好会に所属[2]。渡邊は建築家になる夢も持っていたが、進学時に「アナウンサーを目指そう」と決意したと語っている[13]。大学1年時に「ミス慶應コンテスト2016」に出場しファイナリストとなるが、コンテストは中止となった[10][注 2]。大学在学中、後に同期入社となる佐久間みなみとともに生島企画室(現:FIRST AGENT)に所属し、タレント活動を行った[15]。本人はフジテレビとTBSのアナウンススクールに参加したことを明かしている[16][17]。
フジテレビアナウンサー時代
[編集]大学卒業後の2020年4月にフジテレビにアナウンサーとして入社[18]。同期入社は佐久間みなみ、德田聡一朗[19]。9月5日から『もしもツアーズ』4代目ツアーガイドとして起用された[20]。9月28日から『めざましテレビ』に出演する[21]。2021年10月から『ワイドナショー』も担当。2023年1月12日から『ぽかぽか』に、木曜進行アナウンサーとして出演。同年7月、体調不良のため休養に入り、すべての番組を降板した。
のちに、長期休養の理由がPTSD(心的外傷後ストレス障害)であることを公表。フォトエッセイ『透明を満たす』(講談社)の発売直後に応じた『週刊現代[22]』(講談社)のインタビューによると、2023年6月に仕事の「延長線上」で発生した出来事が原因でPTSDを発症し、休職を余儀なくされたという[22]。渡邊は「病室でテレビをつけると、私の担当していた番組に別のアナウンサーが出ている。SNSを開くと、学生時代の友人が人生を謳歌している様子が溢れている。私だけが社会から取り残されている不安に苦しみました」と当時の心境を語り、自傷行為に及んだことも明らかにした[22]。
翌2024年8月、復帰することなくフジテレビを退職することを発表した[22]。
フジテレビ退社後
[編集]2024年10月、本人によると講談社のオファーを受け、エッセイの執筆を開始した[22]。
10月31日発売の『FRIDAY』(講談社)、11月8日発売の『週刊ポスト』(小学館)など、立て続けに週刊誌のインタビューに応じ、自身がPTSDを発症していることを明かした。
11月21日配信の「バレーボールキングSP! MUFG SV LEAGUE ALL STAR GAMES 2024-25出場選手発表特番」でMCを務めた[23]。
フォトエッセイ『透明を満たす』を発売
[編集]2025年1月29日、自身初の著書となるフォトエッセイ『透明を満たす』(講談社)を発売した[24][25]。同期・佐久間みなみの1stフォトブック『みなみから』(2024年5月発売、講談社)の撮影を担当した三宮幹史がカメラマンを務めた。
発売から間もなくAmazon「売れ筋ランキング」の「タレント本(総合)」のカテゴリーで1位に輝いた[26]。一週間で6,775部を売り上げ、2月17日付「オリコン週間BOOKランキング」のジャンル別「写真集」で1位を獲得した[27]。2月24日付の「オリコン週間BOOKランキング」ジャンル別「写真集」では2位にランクイン、累計売上は2万5,690部となった[28]。 本書について、DV専門家でコラムニストの藤井セイラは「心の傷からの回復途上にいる人への理解を深めてくれる内容を持つ」と紹介。「清冽さと力強さを兼ね備えた同書に、励まされる人も多いのではないだろうか」と評価している[29]。
2月26日、来月3月3日発売予定の『週刊プレイボーイ』(集英社)では表紙グラビアおよび付録DVDに登場することが、複数の芸能メディアにより報じられた[30][31]。
2月28日、自身のインスタグラムを更新。同日発売の『FRIDAY』(講談社)にロングインタビューが掲載されていることを告知[32]。「『私は病気になりたくてなったわけじゃない。罪を犯したわけでも、誰かを傷つけたわけでもないのに、なぜ生活を制限されるのか』と、ベッドから起き上がれない日々の中で考えていました。独立して5ヶ月。誰かにとって不都合な事実があるからか、はたまた社会が歪(いびつ)だからか、風当たりの強い船出ではありますが、私は嘘をつかず、逃げずにここにいる」とインタービューに応じた心境を綴った[32][33]。
闘病生活
[編集]2023年6月 - 体調不良により休養に入る
[編集]2023年6月、体調不良により2週間ほど休養。その後復帰したものの、2週間ほどで再度休養し、7月17日の『めざましテレビ』において、入院ししばらく休業することが伝えられた[34]。7月22日・23日放送『27時間テレビ・鬼笑い祭』内の提供読みは参加しなかった[注 3]。10月の改編期にあわせて『ぽかぽか』他、すべての担当の降板を発表した[35]。
10月22日、Instagram上で自身の健康状態について「食べられなくなった。うまく歩けなくなった。うまく指が動かなくなった」と報告。続けて「幸せを諦めずに生きる。社会復帰できる日を目指して、ゼロから小さな努力をコツコツ積み重ねていく!」と投稿した[36]。
フォトエッセイ『透明を満たす』(講談社)の発売直後に応じた『週刊現代』(講談社)のインタビューでは[9]、「まだ26歳で健康だからと保険に入っていなかった。個室なら1泊4万円はする。それが何日……と計算していくと、1週間で1ヵ月分の給料は飛んでいくから頭を悩ませた。実家はお金持ちではないため、病気になっても実家には1円も頼らなかった」と語り、入院費や治療費によって、金銭面で苦労したことを明かした[9]。約2ヵ月間の入院生活を終えた後の身体の状態は「PTSDになる前と比べて9キロも痩せた。骨と皮だけの身体になっていき、髪の毛も大量に抜けた」と語っている[9]。
10月27日にフジテレビ社長(当時)の港浩一は、定例社長会見で渡邊について「退院して通院、治療中です」と説明した[37]。10月28日にInstagramのストーリーズで「今週は体調が悪く、患部の痛みで眠れず、何をしてても辛かった。週4で病院に通い、検査もたくさんしている。27日あたりからやっと落ち着いてきた」と投稿[38]。12月23日、Instagramのストーリーズで「少し前に大したことない小さい手術をした」と投稿[39][40]。
2024年2月13日、Instagramのストーリーズで、食生活について「最近お腹が空かなくて日中は紅茶しか飲まず、夜になってやっと一食食べる生活」と投稿[41]。2月16日、Instagramのストーリーズで、「少し前にメニエール病を発症した」との問いに「今の体調不良と無関係だが、自分も2年前にメニエール病を発症した」と返信した[42]。3月11日夜にInstagramでフォロワーから質問を募集し、寄せられた質問から60の回答をストーリーズで公開した。「今の症状はワクチン接種が関係しているか」との問いに「いいえ」と回答した[43]。
2024年8月 - パリ五輪を観戦、直後にフジテレビ退社
[編集]8月5日、フランス・パリの現地でパリオリンピックバレーボール男子日本対イタリア戦を観戦する渡邊がNHKの生中継で映り話題となる[44]。病気療養中とされていたため、渡邊に批判が殺到した[45]。8月10日、自身のInstagramで「パリ五輪のバレーボールを応援するために渡仏した」と釈明した[46]。
8月23日、フジテレビは「渡邊本人の希望により同月31日をもってフジテレビを退社する」ことを発表した[47]。渡邊は「病気を治して今までみたいに働きたいと思っていた時期もあった」「どうやっても昔のように戻らない現実があり、それを受け入れるのに勇気が必要だった。今後は今までと違った生き方をしたい」と述べた[48]。フジ『めざましテレビ』も、8月26日に渡邊の退社を報じた[49]。
2024年10月 - サブスクリプションを開始
[編集]10月1日、自身のInstagram上でサブスクリプションサービスを告知し、ストーリーズで「WATANABENAGISA_にサブスクリプション登録しよう」と促した[50][注 4]。心的外傷後ストレス障害 (PTSD) を患っていたこと、専門治療を終えたことを記した[51]。10月6日に自身のInstagram上で、ストーリーズに寄せられた「メンタル疾患は、本当に辛い。差別偏見も多いし。」とのコメントに対し、「偏見、差別。残念なことに、日本は精神疾患について、理解があまりない。そんな社会を変えたいなって思っている。」と返信した[52]。
2024年10月 - 『FRIDAY』(講談社)のインタビューに応じる
[編集]10月31日発売の『FRIDAY』(講談社)のインタビューで渡邊は「PTSDを発症したのは昨年6月、生命の危機を感じる衝撃的な出来事が生じたことが発端だった」、「警察に被害届を出すことも検討したが踏みとどまった」などと語る[53][54]。
11月6日、自身のInstagramを更新し「夏前は少し頑張るとすぐ熱が出て、腎盂腎炎や尿管結石、膀胱炎など腎臓関連が弱っていたが、最近は全く体調を崩さなくなった」と明かした上で「発熱もしなくなって、解熱剤や痛み止めがいらなくなってうれしい」と投稿した[55]。
2024年11月 - 『週刊ポスト』(小学館)のインタビューに応じる
[編集]11月8日発売『週刊ポスト』(小学館)のインタビューで「シルバーリボンに興味があり、大学で心理に関する講義をさせていただくことも決まった[注 5]。11月から、世の中の出来事や自分の思いについて語るウェブ連載も始める。モデル撮影や執筆業など、やったことがないことに色々と挑戦していく」と語った[58]。11月11日から『NEWSポストセブン』でエッセイ「ひたむきに咲く」の連載を始め[59]、第1回は自身を苦しめる「共感力」について語った[59]。11月11日にInstagramのストーリーズで、「未だに仮病だとか、病院行ってないとか、PTSDはそんなにすぐ治らない、外出なんてできるわけない」の声に対し「心的外傷後ストレス障害」の診断書を見せた[60]。
11月16日に配信されたWEBメディア『ENCOUNT』のインタビューで、「闘病、退職の経緯」について「会社も関係するトラブルがあった。PTSDになってからは、特定の食べ物とかを見るとそのトラウマを思い出していた。(中略)それで朝から晩まで働いていた。闘病中は、真剣に『死』を意識した。今年の4月には会社の産業医を通じて、退職の意思を示していた」と語った[61]。
2025年1月29日 - フォトエッセイ『透明を満たす』(講談社)を発売
[編集]2025年1月29日、アナウンサー時代や療養生活中の思いなどを綴ったフォトエッセイ『透明を満たす』(講談社)が発売開始。大きな反響を呼ぶ[22]。
人物
[編集]特技・趣味など
[編集]- 特技は手先が器用なこと[62]、ピアノ、テニス、競技かるた、剣道(剣道初段)[19][63]。漢字検定準1級の保有者である[64]。
- めざまし時計をかけなくても定時に起きられる[21]。「遅刻が怖くて、アラームをかけても、その時刻の2分前には目がパッと覚める」という[21]。
- 小さい頃から新聞広告に入っていた間取り図を見るのが好きで、子供の頃の夢は建築家。2021年、東京都不動産鑑定士協会が主催する「第1回 夢の家!!あったらいいな絵画コンテスト」に応募すると「森の別庭 〜私の隠れ家〜」という作品で入賞した[13]。。「一点透視図法とか基礎をネットで勉強して何とか描き上げた」という[13]。
- 趣味は建築模型作り、美術館めぐり[63]、ボトルシップ作り[1]など。
- 2024年1月19日、Instagramのストーリーズを更新した渡邊は、「退院してから酵素風呂によく通っている。血流が良くなって身体の芯からポカポカするし、痛みも和らぐのでハマっている」と最近のリラックス法を明かした[65]。
- SNSで発信を続ける理由は「私の言論は誰にも止められない」という思いがあり、闘病生活中に真っ暗な病室で天井を見つめながら「もう立ち直れない」と諦めそうになったとき、「SNSでの温かい声に生きる活力をもらえた。批判にさらされながらもコメントを受け入れてきたのは、そんなつながりをなくしたくなかった」ためである[45]。
家族・親族
[編集]- 父は新潟県阿賀野市(旧・水原町)出身で[5]、ごく普通のサラリーマン、母は新潟県十日町市出身で[5]、パート勤務、実家はお金持ちではない[9]。母方の祖父は十日町で着物の染色職人をしていたので渡邊は小さい頃、祖父が工場で作業をしている姿を見ていたという[5]。渡邊が20歳の成人式には、十日町で作られた振袖で出席した[5]。
- 叔母は元NST新潟総合テレビアナウンサーの柳華織(内山華織)[66][67]。ローカル情報番組『スマイルスタジアムNST』の初代レギュラーを務めた叔母[67]の影響により、「アナウンサー」という仕事に興味を持った[68][69][70]。柳がディレクターを務めたドキュメンタリー番組『日本人(わたしたち)が忘れたもの~ガーナからきた米百俵の心~[71][72]』を通して、アナウンサーという職業の魅力を知った[68]。
- 叔父(叔母であ��柳華織の夫)は医師、医学博士でスピリチュアル作家の内山直[73][74][75]。幸福な人生を送るための行動術や思考法について説いた「4週間で幸せになる方法 Twenty-eight tips to create joyful life」「幸せの確率 あなたにもできる! アーリーリタイアのすすめ」(いずれもセルバ出版)など多数の著書がある[76]。
- 妹とは仲が良く、毎年二人で旅行に行く[7]。
恋愛観
[編集]- フジテレビ新入社員のころ、「入社3年間は恋愛するな」と言われたことがあり、当時の渡邊は「女子アナとはそういうものだ」と思い込み、その言いつけを守った[45]。「朝の番組を担当していたため毎日深夜2時台に起床し、さまざまな仕事をこなして帰宅するのは夜で、休日は月に4日程度ということも珍しくなく、そもそも恋愛する余裕もまったくなかった」という[45]。
交友関係
[編集]- 自信を持って友人と呼べるのは3人だけで、「人と会いたくないとか話したくないとかではなく、幼い頃から広く浅い関係よりも狭く深い人間関係を築くタイプ」である[77]。友人観について「友達の真価は数じゃない」と思いを明かしている[78]。起業家の椎木里佳は女子高からの友人である[79]。
中越地震に被災した影響と遺書
[編集]- 自ら、人生や考え方が変わった日として、新潟県中越地震が発生した日(2004年(平成16年)10月23日)を挙げている。当時の渡邉は7歳であり、父が単身赴任中で新潟の自宅に住んでおらず、母親と妹と3人暮らしであった。人生で初めて経験する大きな地震で、当時住んでいた地域の揺れはそれほどではなかったが、母方の祖父母が震源地の中越で被災したこともあり、またテレビなどで連日報道される地震のニュースを見聞きしていくうちに、子供ながらに「今生きているということが当たり前じゃない」「いつ死ぬかわからない、みんながみんな天寿を全うできるわけではない」と認識させられた。「(単身赴任中の)父が一人で被災したら誰も助けてあげられない」と思いを寄せて、家族が分かれて暮らしていることに恐怖を感じ、前述のように「家族一緒に生活したい」という思いを自分から両親に伝えたことで、生まれ育った新潟を離れる。この日を境に、毎日寝る前に「家族や大切な人たちが苦しむことなく、明日を笑って過ごせますように」などと、寝る前に空に向かって祈ることと、毎年10月に遺書を書くことを始めている。遺書はこの7歳の時から書き続けており、家族や友達らに伝えたいことや金銭関係、自分の葬儀についての希望、デジタルデータやSNSの後処理についてなど多岐にわたり、年に一度遺書に向き合って考えているという[6]。
出演
[編集]フジテレビ時代
[編集]レギュラー出演番組・キャスター名(地上波)
期間 | 月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土・日曜日 | |
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2020.10 | 2021.3 | めざましテレビ 「スゴ撮」リポーター1・ フィールドキャスター |
めざましテレビ フィールドキャスター |
(なし) | |||
2021.4 | 2022.3 | めざましテレビ 情報キャスター2・ 「スゴ撮」リポーター |
(なし) | めざましテレビ エンタメキャスター | |||
2022.4 | 2022.6 | めざましテレビ 情報キャスター・ 「うま撮」リポーター |
めざましテレビ 情報キャスター | ||||
2022.7 | 2022.12 | (なし) | めざましテレビ エンタメキャスター3 | ||||
2023.1 | 2023.3 | めざましテレビ エンタメキャスター4 |
(なし) | ぽかぽか 木曜進行[注 6] | |||
2023.4 | 2023.5.12 | めざましテレビ 情報キャスター・ 「ご当地うま撮GP」 |
(なし) | めざましテレビ エンタメキャスター | |||
2023.5.15 | 2023.7.11 | めざましテレビ 情報キャスター |
めざましテレビ エンタメキャスター・ 「ご当地うま撮GP」 | ||||
2023.7.12 | 2024.8.31 | 体調不良のため長期休養→退社 | |||||
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WEB番組
単発出演・代役等
- さんまのFNSアナウンサー全国一斉点検2020(2020年4月18日) - フジテレビ新人アナウンサーとして初出演
- BSフジNEWS(BSフジ、不定期出演)
- Live News it! (2020年8月13日・14日)- 三井良浩夏季休暇時の代理お天気キャスター
- FNNニュース(2021年12月30日)
- 大みそか列島縦断LIVE 景気満開テレビ (2021年12月31日・2022年12月31日) - リポーター
- タイムリミットバトル ボカーン!(2022年3月28日・7月4日・12月26日) - サブアシスタント
- SOUL SONG SHOW(2022年5月7日)- 進行
- ビジネスStyle (2022年5月29日) - インタビュアー
- サスティな!〜こんなとこにもSDGs〜(2022年7月23日) - リポーター
- 緊急特番!『ONE PIECE FILM RED』大ヒットの秘密に迫るSP(2022年8月28日) - ナビゲーター
- Volleyball Channel(2022年10月30日 - 2023年2月26日、BSフジ) - ナビゲーター
- 潜入!リアルスコープ アレグリア-新たなる光-SP(2023年3月18日) - 進行
- ゴールデンルーキー 料理人・跳び箱超人・メイクの達人! 新たなスターを発掘せよ(2023年6月11日) - メイクブロック部門 進行
- ぽかぽかゴールデン(2023年6月29日)- 山本賢太と共に進行
フジテレビ入社前
[編集]- テレビ
- 週末ハッピーライフ! お江戸に恋して(2017年4月1日 - 2019年3月31���、東京メトロポリタンテレビジョン) - 海と日本プロジェクトinTokyo リポーター
- バズリズム(2017年、日本テレビ) - リポーター
- ラジオ
- オレたちゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン〜(2018年4月21日 - 2020年3月28日、MBSラジオ) - ヤンヤンガールズ10期生[81]。2019年4月20日からはMCに昇格。
- 映画
- PV
- THE DRY「君へ」(2018年6月15日)[注 8]
書籍
[編集]- 雑誌
- 『週刊ヤングマガジン 2022年26号』(表紙、2022年5月30日発売、講談社)[85]
- 『週刊プレイボーイ 1・2合併号』(グラビア、2024年12月23日発売、集英社)[86]
- 『週刊現代 2025年2月15日号』(表紙・インタビュー、2025年2月7日発売、講談社)
- 著書
その他
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 当時について、『集英社』の取材では「元気いっぱい外を駆け回って遊んで、何にもないけれど、すごく満たされた生活だった」と述べている[1]。めざましテレビチャンネル「100の質問」では、「新潟にいた頃は結構サバイバルな幼少期を送っていて、田んぼのあぜ道を走り回ったりしている子だった」と述べている[8]。
- ^ 渡邊は「大学に入学してからミスコンのことを考えない日はありませんでした」とコメントを残している[14]。
- ^ 『FNS27時間テレビ』は本来参加を予定していた2020年から2022年までの3年間がコロナ禍の影響で制作および放送が行われなかったため、2023年の放送では同年入社(37期生)の原田葵(元櫻坂46)、東中健の他に、特例として渡邊と同期の佐久間と德田(2020年入社・34期生)、小山内鈴奈、小室瑛莉子、竹俣紅(元女流棋士)、山本賢太(2021年入社・35期生)、勝野健、岸本理沙、松﨑涼佳(2022年入社・36期生)の11名が参加した。後述の通り、2024年8月末でフジテレビを退社したことにより、27時間テレビの提供読みを担当できなかったこととなる。
- ^ サービス内容は「サブスクリプション登録者バッジ」「限定コンテンツ」「ソーシャル・一斉配信チャンネル」「舞台裏」「質問募集」「定期的な配信」で月額400円である[50]。
- ^ 12月11日、自身のInstagramを更新、明星大学心理学部で講義をしたことを報告し「実体験をもとにPTSDのこと、持続エクスポージャー療法のこと、不安の打ち消し方などを話した」と明かした[56][57]。
- ^ 2023年6月15日・22日、さらに2023年7月13日以降は木曜進行の渡邊渚が体調不良のため休養。代打として2023年6月15日は松﨑涼佳、それ以外は松村未央、2023年7月13日は岸本理沙、2023年8月17日は生野陽子が出演した。2023年10月26日放送分より、原田葵がレギュラーで担当。
- ^ 2023年7月28日(同7月5日収録)分が最後の配信となり、次回の同8月18日・9月8日(同7月31日収録)分は佐々木恭子がMCを担当した。その後はレギュラーMCを抱えず、各アナウンサーの持ち回りとなっている。
- ^ 2EP『LIGHT』収録。
出典
[編集]- ^ a b c d e f “「エアコンの暖房機能を知らなかった」「ボトルシップ作りなど家で一人で遊べるものが好き」フジテレビ渡邊渚アナウンサーの意外すぎる素顔とは”. 集英社オンライン. 集英社 (2023年1月29日). 2023年2月16日閲覧。
- ^ a b c “ミス慶應コンテスト 渡邊渚”. MISS CAM NEWS. 2018年7月17日閲覧。
- ^ “『もしもツアーズ』に大抜擢! フジテレビ新人の渡邊渚アナはブレイク必至”. 週プレNEWS (2020年9月13日). 2020年11月22日閲覧。
- ^ “元フジテレビアナウンサー渡邊渚、今度は『週刊プレイボーイ』で表紙、DVD付録になる活動に「何になりたいのか」の声”. 週刊女性PRIME. 主婦と生活社 (2025年2月24日). 2025年2月26日閲覧。
- ^ a b c d e “「生粋の新潟っ子です」元フジテレビアナウンサー渡邊渚さん(阿賀野市出身)に聞く PTSDと向き合う“透明な思い””. 新潟日報デジタルプラス. 新潟日報社 (2025年2月25日). 2025年2月25日閲覧。
- ^ a b c “「中越地震に被災した7歳の頃から、毎年10月に遺書を書いています」フジテレビ渡邊渚アナウンサーの死生観とは”. 集英社オンライン. 集英社 (2023年2月19日). 2023年2月19日閲覧。
- ^ a b c d “『ぽかぽか』でお馴染み渡邊渚アナが語る“バレー少女時代”と“新潟のびのび時代””. Smart FLASH. 光文社 (2023年4月28日). 2024年4月26日閲覧。
- ^ 『【花よりあんみつ】渡邊渚に100の質問をしてみたら素顔丸見えだった【新人】』(YouTube)めざましテレビチャンネル、2020年11月6日 。2023年10月22日閲覧。
- ^ a b c d e “元フジ・渡邊渚が明かした「心が殺された日」…休職中の「パリ五輪観戦」を批判していた人たちの「勘違い」”. 現代ビジネス. 講談社 (2025年2月6日). 2025年2月6日閲覧。
- ^ a b c “渡邊渚 ミス慶應finalist”. 慶應ジャーナル. 2018年7月17日閲覧。
- ^ 「本気でしゃべっていい!?」第994回 大川立樹×渡邊渚 アナマガ(フジテレビ)
- ^ 『【ジロリアン】ラーメン二郎女子~渡邊渚 編~』(YouTube)ハーモニープロモーション、2018年4月28日 。2023年10月22日閲覧。
- ^ “「ミス慶應」中止で、美女6人の涙のコメントが香ばしい”. 女子SPA! (2016年10月8日). 2025年1月17日閲覧。
- ^ “フジと静岡第一…生島企画室から初の女性局アナ誕生”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年3月31日) 2020年3月31日閲覧。
- ^ 内定情報フジテレビアナウンサースクール『アナトレ』|フジテレビ
- ^ 卒業生アナウンススクールなら『TBSVoice』|TBSテレビ
- ^ フジ新人アナ「研修日誌」でリポ挑戦 コロナ禍で入社式中止、1カ月遅れの“始動” サンケイスポーツ(2020年6月22日)
- ^ a b “渡邊 渚・プロフィール”. アナマガ. フジテレビ. 2020年6月22日閲覧。
- ^ "フジ新人・渡邊渚アナが4代目「もしツアガイド」就任…「まさか自分が」". デイリースポーツ. 神戸新聞社. 2020年8月28日. 2020年8月28日閲覧。
- ^ a b c “午前2時に起床し、超速着替え。ストレッチに発声練習。そして顔がパンパン(笑)? フジテレビ渡邊渚アナのめざましテレビルーティンとは”. 集英社オンライン (2023年4月16日). 2023年10月25日閲覧。
- ^ a b c d e f “【渡邊渚さん独占インタビュー】あの雨の日、私の心は殺されました…アナウンサー時代の働き方、PTSDの闘��生活、誹謗中傷への思い…「嘘偽りなく、自分の経験をお伝えします」”. 現代ビジネス (2025年2月27日). 2025年3月1日閲覧。
- ^ “渡邊渚さんがバレーボール特番のMCを報告「小さくてかわいい」元日本代表との17cm差が話題に”. 日刊スポーツ (2024年11月22日). 2024年11月24日閲覧。
- ^ 渡邊渚さん、『PTSDの人間がグラビアやれるわけない』に反論「抵抗感がありません」 古巣フジ会見の3時間後にSNS投稿
- ^ 元フジアナ渡邊渚「PTSDの人間がグラビアをやれるわけがないと言われます」挑戦への思いつづる
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