コンテンツにスキップ

江馬蘭斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「江馬蘭斎」肖像(藤浪剛一『医家先哲肖像集』より[1]

江馬 蘭斎(えま らんさい、延享4年9月27日1747年10月30日) - 天保9年7月8日1838年8月27日))は、日本の蘭学者、蘭方医。名は春琢、は元恭、春齢と称した。門弟は飯沼慾斎伊藤圭介水谷豊文山本亡羊小森桃塢藤林普山坪井信道

生涯

[編集]

経歴

[編集]

蘭斎は延享4年(1747年)9月27日大垣藩鷲見荘蔵の家に生まれ、のちに大垣藩藩医江馬元澄の養子となる。漢方を究め、医学に並々ならぬ自信を持ちはじめた頃に杉田玄白前野良沢の『解体新書』を読み、大きな衝撃をうけて蘭学を志す。寛政4年(1792年)江戸に出て杉田と前野に弟子入りする事を決めた。46歳(数え年47)からの挑戦であった[2]

3年ののち自身の蘭学のレベルが師に並ぶであろう自信を得ると帰郷し大垣に私塾好蘭堂を開いた[3]。しかし蘭学に強い偏見のある当時は敬遠され、人は集まらずに生活は窮乏することになる。

そんな状況に変化が起こったのは3年後の寛政10年(1798年)、西本願寺京都)の門主文如[4]が病に倒れた時である。漢方医学ではもはや手の施しようがないという時、蘭方医学の蘭斎に声をかけ薬を処方させた。文如上人はそれを服用するとたちまち症状が好転して命を取り留めた。この逸話はたちまち世間に知れ渡り、患者や弟子志望者が蘭斎のもとに殺到すると、あまりの賑わいに旅籠まで建つほどであった。以後、300名を越す門弟がこの私塾から巣立ち、蘭斎は美濃蘭学の祖[5]と称された。天保9年(1838年)7月8日死去。享年92。

功績

[編集]

蘭斎は医学のみならず文人としての才もあり、多くの文化人とも交流を持った。また蘭斎の門弟は後に日本の各地に蘭学の知を芽吹かせて、江戸蘭学京都蘭学大坂蘭学を支える重要人物として大成していく。蘭斎と坪井信道、小森桃塢の師弟は岐阜の西洋医学三大家と呼ばれている[要説明]

エピソード

[編集]

蘭斎はかなりの倹約家で硯の水も雨水を受けて使い、水の豊富な大垣で何故そんな事をするのかと問われると、こういう小さな事から倹約する気持ちを持たなければ、本当の倹約は出来ないと答えたという。しかし師の前野良沢が困窮しているのを知ると愛読書を売って金に換え、師に送るなどただ吝嗇(けち)に走るだけではない一面もみせている。

家族

[編集]

子に江馬松斎[注釈 1]江馬細香[注釈 2]、孫に江間活堂(4代春齢)がある。

  • 江馬姓の人名の一部
  • 元澄、別名:春齢(初代)、自穏軒 ‐ 蘭斎の養父
  • 蘭斎、別名:春齢(2代)、元恭、好蘭斎
  • 松斎、別名:春齢(3代)、元弘、安之丞、子道、元齢、祥甫
  • 活堂、別名:春齢(4代)、元益、椿、子友、益也、藤渠、万春
  • 信成(1826-1874[8])、別名:春齢(5代)、元義、千太郎、筍荘

江馬元澄から江馬信成まで江馬塾が引き継がれ、診療のほかに子弟の教導が行われた[9]。信成の時代には、1855年から約10年間で73人の入門者があった[9]

主な著書

[編集]

参考文献

[編集]

本文の典拠をまとめる。主な執筆者、編者の順。

  • 葦名 慶一郎、葦名桜所 編「其百二十二 江馬蘭斉四十七歳にして初て蘭医学を講習す」『日本武士気質』新公論社、共同刊行: 内外出版協会、明治41-05。doi:10.11501/75888国立国会図書館書誌ID:000000422094 (マイクロフィッシュ)
  • 江馬蘭斎『好蘭斎漫筆』出版者なし。doi:10.20730/100366706 
  • 大垣市 編『通史編 自然・原始-近世』大垣市〈大垣市史〉、2013年3月。国立国会図書館書誌ID:024397815 図 2枚
  • 伊藤信『『好蘭齋漫筆』と『藤渠漫筆』』 【全号まとめ】、大垣市図書館。doi:10.11501/1499850国立国会図書館書誌ID:000000002447 
  • 片桐 一男「Ⅳ 江馬蘭斎の「好蘭堂」」『杉田玄白と江戸の蘭学塾 : 「天眞樓」塾とその門流』勉誠社(制作)、勉誠出版、2021年7月、105-151頁。 NCID BC08837982国立国会図書館書誌ID:I031569064 ISBN 978-4-585-32004-3
  • 門 玲子『江馬細香 : 化政期の女流詩人』藤原書店、2010年8月。 ISBN 978-4-89434-756-4
  • 加藤秀俊ほか 編纂 (1992.9). 人づくり風土記 : 全国の伝承・江戸時代. ふるさとの人と知恵 21・岐阜. 農山漁村文化協会. doi:10.11501/13229295. 国立国会図書館書誌ID:000002258731 別題『 (聞き書きによる知恵シリーズ』ISBN 4-540-92009-X
  • 岐阜県教育会「三 江馬蘭齋」『郷土の偉人』岐阜県教育会、昭和18年、25-36頁。doi:10.11501/1106331国立国会図書館書誌ID:000000647824 (マイクロフィッシュ)
  • Ke, Ming [他]『近世女性漢詩人原采蘋の漢詩研究 -旅の視点から-』2021年。 国立国会図書館内限定
  • XIANG, Jingjing『「復古」と医学 : 近世日本医学思想の研究』2020年9月25日。「おそらく蘭方医江馬蘭斎(1747–1838)の『五液診法』(1816年)に記された尿、便、汗、涎、嘔吐物を指すもの(後略)」 国立国会図書館内限定
  • 任, 萌萌『頼三樹三郎漢詩研究 : 頼山陽との比較を視座として』154コマ(2023年)国立国会図書館内限定。
  • 前田 淑『江戸時代女流文芸史 : 地方を中心に』該当箇所は全2件。国立国会図書館内限定。
    • 154 コマ。美濃大垣の蘭方医江馬蘭斎の二女。閨秀詩人として知られ、興特に頼山陽との交際は有名。
    • 226 コマ(索引)
      • 細香 17, 275。
      • 江馬蘭斎 296
      • 江見清風 21, 51
      • 江村北海 354
      • 衛世 227
      • 恵了童子 371
      • 淵魚 167
  • 土屋元作「三 江馬蘭斉」『新学の先駆 : 附・蘭学系統図』博文館、明治45-02。doi:10.11501/778137国立国会図書館書誌ID:000000433844 (マイクロフィッシュ)
  • 土井 康弘(著)、「洋学」編集委員会(編)「『江波医事問答』にみる江馬元恭の西洋医学観(特集 洋学と本草学)」『洋学 : 洋学史学会研究年報』通号22、洋学史学会、2014年、国立国会図書館書誌ID:000000089553-i9586980 
  • 永井菊治 編「江馬蘭斉像」『日本肖像大観』 第1巻、吉川弘文館、明治41-08。 doi:10.11501/780085国立国会図書館書誌ID:000000434952(マイクロフィッシュ)
  • 中山沃『坪井信道の『五液診法』』 17巻、1(1383)、日本医史学会、1971年3月。doi:10.11501/3359251国立国会図書館書誌ID:000000018180-d3359251 
  • 日本医史学会(編)「伝記 江馬蘭齋先生」『中外医事新報』第329号、日本医史学会、1893年12月、doi:10.11501/1739212国立国会図書館書誌ID:000000014911-d1739212 本タイトル等は最新号による。
  • 日本学士院日本科学史刊行会 編 第3巻(増訂版)、日本古医学資料センター、井上書店 発売〈明治前日本医学史〉、1978年6月。国立国会図書館書誌ID:000001406570 日本学術振興会(昭和30年‐39年刊)の複製=1955年‐1964年。
    • 藤井尚久「明治前本邦内科史」
    • 太田正雄、藤井尚久 校補「南蛮医学と南蛮流外科」
    • 藤井尚久「明治前創傷療治史 附 近代外科の発達史」
    • 西川義方「明治前日本治療学史」

関連資料

[編集]

関連項目

[編集]
交友関係

50音順

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 人物名:江馬松斎、別名:元弘、安之丞、子道、元齢、祥甫、春齢(3代)[6]
  2. ^ 長女の多保(裊なお)の字は細香。号は湘夢、箕山を名乗り、画を始めて玉潾和尚に習い、のち浦上春琴門で学んだ[7]

出典

[編集]
  1. ^ 永井 1908, p. 33
  2. ^ 葦名 1908, pp. 234–2360doi:10.11501/75888国立国会図書館書誌ID:000000422094
  3. ^ 片桐 2021, pp. 105–151, 「Ⅳ 江馬蘭斎の〔好蘭堂〕」
  4. ^ 門 20100国立国会図書館書誌ID:000010968691
  5. ^ 加藤 1992, 「美濃蘭学の興隆・大垣」
  6. ^ 岐阜県教育会 1943, 「第3章 江馬蘭齋」
  7. ^ Ke 2021, 「初め画を玉潾和尚に、のち浦上春琴に学び(後略)」
  8. ^ 江馬家来簡集思文閣出版
  9. ^ a b 江馬塾における『扶氏経験遺訓』の需要-上- / 片桐 一男日本医史学雑誌 日本医史学会 1974-04
  10. ^ Xiang 2020, 「おそらく蘭方医江馬蘭斎(1747–1838)の『五液診法』(1816年)に記された尿、便、汗、涎、嘔吐物を指すもの(後略)」
  11. ^ 中山 1971, pp. 21–22, 「坪井信道の『五液診法』」
  12. ^ 『明治前日本医学史』第3巻 1978, 「見証〈診断語彙〉〈舌診〉〈西洋診断学〉『因液発微』『五液診法』『五診法』(註)」
  13. ^ 土井 2014, pp. 137–160, 『江波医事問答』にみる江馬元恭の西洋医学観(特集 洋学と本草学)
  14. ^ 江馬 2014, 「好蘭斎漫筆」doi:10.20730/100366706CRID 1460573242993882496
  15. ^ 江馬寿美子家5‐17”. www.pref.gifu.lg.jp. 岐阜県所在史料目録検索結果(141035 件のデータのうち 11 件該当). 岐阜県歴史資料館. 2024年10月3日閲覧。
  16. ^ 〈江馬寿美子家文書目録[15]
    1. 『突奈律突門録水腫全書』第1巻、1冊(年月日未詳、目録第58集、江馬寿美子家5‐172)
    2. 『突奈律突門録水腫全書』訳第2巻(年月日未詳、目録第58集、江馬寿美子家5‐173)
    3. 『突奈律突門録水腫全書』第2ノ2、1冊(年月日未詳、目録第58集、江馬寿美子家5‐174)
    4. 『突奈律突門録水腫全書』第3、1冊(年月日未詳、目録第58集、江馬寿美子家5‐175)

外部リンク

[編集]