松田九郎
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松田 九郎 まつだ くろう | |
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生年月日 | 1922年8月1日 |
出生地 | 日本 長崎県北松浦郡佐々町 |
没年月日 | 2015年2月9日(92歳没) |
死没地 | 長崎県佐世保市 |
出身校 | 法政大学専門部法科卒業 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新進党→) 自由党 |
子女 | 長男・松田正民 |
選挙区 | 旧長崎2区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1983年12月18日 - 1990年1月24日 |
第43代 長崎県議会議長 | |
在任期間 | 1975年5月10日 - 1979年5月11日 |
松田 九郎(まつだ くろう、1922年8月1日[1] - 2015年2月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。長崎県議会議長[1]、自民党国対副委員長[2]、宗教政治研究会事務局長[3]などを務めた。長男は元長崎県議会議員の松田正民[1]。
経歴
[編集]長崎県北松浦郡佐々町出身[1]。1943年法政大学専門部法科卒業[1]。長崎県議会議員、同議長[4]を経て、1983年12月の第37回衆議院議員総選挙で当選[1]。河本派に所属[1]。自治政務次官となった[5]。2期連続当選したが[2]、1990年2月の第39回衆議院議員総選挙で落選した[3]。
1993年の第40回衆議院議員総選挙にも出馬したが落選。
1995年の第17回参議院議員通常選挙では、無所属で一人区の長崎県選挙区に出馬して自民党公認の新人宮島大典と共倒れとなり、落選後は新進党に移籍。ついで自由党に移り、国政復帰を目指して立候補を続けたが果たすことはできなかった。
そうした中、1998年2月の金子原二郎の長崎県知事転身に伴う長崎4区補欠選挙で宮島に敗れた際買収で逮捕された[6]。一審、二審を経て、2000年最高裁で懲役1年10ヶ月の実刑が確定[7]。1994年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章しているが[8]、2000年7月7日、褫奪された[9]。
2008年2月21日夜、長崎県北松浦郡江迎町の国道204号を横断中に乗用車にはねられ重傷を負った[2]。
2015年2月9日、急性呼吸不全のため長崎県佐世保市の老人施設で死去、92歳没[10]。
人物
[編集]- 国会では「ヤジ将軍」として知られた[10]。その一方で長崎県議会議長時代の1977年4月30日に行われた原子力船、むつの佐世保港を受け入れるかどうかを決める臨時の長崎県議会最終日、松田はヤジを飛ばす反対派に退席をさせたこともある[11]。
- 鈴木宗男は盟友であり、鈴木がヤジを注意されると、松田も共に抗議した。鈴木は松田の逝去に際し、「よく7年間の闘病生活を頑張られたなと…松田先生らしい生き様だったと。『やじは演説の花』とよく言われますが、頭の良さ、勘の良さがありました」と語った[12]。
- 1989年7月20日、テレビ朝日の『内田忠男モーニングショー』に出演した際、これからの農業をテーマに農林族の松田は、秋田や山形の農家と対談し、内田忠男から「農産物の自由化を求める外圧についてどう思うか」と尋ねられ、松田は農家の多さに触れた上で「これらの人口があぶれたらどうしますか。農民は筋肉労働で働くしか能がない。一朝一夕に機械が触れますか」と言ったところ、局に抗議の電話が殺到、20分後にそれを受けて松田は「怒りなんておかしい。農民は実際に技術的な習得もなければ、ソロバン勘定も事務的な処理もやったことがない。毎日が筋肉で働いているので、そういった人が減反や自由化で路頭に迷う」と述べ、番組出演していた秋田のある農家が「そういう農民がいると思っているから、自民党農政はダメになる」と批判、松田は「何を言ってるんだ君は」だと言い返した[13]。これにより、番組終了近くから正午の間に抗議の電話が約200本はかかってきた[13]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『新訂 現代政治家人名事典』2005年。
- ^ a b c “長崎の国道で元衆院議員はねられ重傷”. 日刊スポーツ. (2008年2月21日). オリジナルの2008年5月30日時点におけるアーカイブ。 2023年3月9日閲覧。
- ^ a b 中野毅『戦後日本国家と民衆宗教の政治参加 : 宗教学的一考察』 筑波大学〈博士(文学) 乙第1707号〉、2001年。doi:10.11501/3188136。 NAID 500000209708 。
- ^ “長崎県 もっと知りたい県議会”. www.pref.nagasaki.jp. 2022年2月28日閲覧。
- ^ 参議院会議録情報 第114回国会 選挙制度に関する特別委員 第1号
- ^ 西川孝純『連立政治の舞台裏: 政界再編・流砂の六年間』文芸社、1999年、334頁。
- ^ 「選挙違反の松田九郎被告、実刑が確定へ 最高裁、上告棄却」『朝日新聞』朝日新聞社、2000年7月4日、夕刊、15面。
- ^ 『官報』号外第208号5頁 平成6年11月4日号
- ^ 『官報』第3671号8-9頁 平成15年8月15日号
- ^ a b “松田九郎・元自民党衆院議員死去”. 時事通信. (2015年2月10日). オリジナルの2015年2月10日時点におけるアーカイブ。 2023年3月9日閲覧。
- ^ “原子力船「むつ」 受け入れに悔し涙 原爆を背負って(48)”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2020年8月24日) 2023年3月9日閲覧。
- ^ 「やじ将軍」松田九郎氏 逝く “盟友”宗男氏は・・・(15/02/11)
- ^ a b 福田晃広 (2018年1月27日). “女性蔑視から人種差別まで、昭和な政治家トンデモ発言集”. ダイヤモンド・オンライン (ダイヤモンド社) 2023年3月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。