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東蝦夷地

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東蝦夷地(ひがしえぞち)は、近世北海道蝦夷地)における地域区分のひとつ。現代の北海道における太平洋側の諸地域(南部北海道)。国後島択捉島およびそれ以北の千島列島を含む。

概要

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松前藩では渡島半島西部の和人地を松前、北海道南半を東蝦夷、同北半を西蝦夷と称した[注釈 1]

寛政11年(1799年)1月、東蝦夷地の仮上知がなされ、日高浦河郡以東、知床半島国後島に至る地域の幕領化が松前藩に達せられ、当初7年間だけといわれたが、8月には浦河から箱館知内に至る地域も追上知となった[1]享和2年(1802年)には7年間の仮上知を改めて永上知となった[1]。さらに、文化4年(1807年)、西蝦夷地の上知がなされて江戸幕府の直轄領(天領)となったが(第1次幕領期)、文政4年(1821年)、全蝦夷地は松前藩に返還された[2] 諸外国との緊張が再び高まった1855年安政2年)には渡島半島の一部を除いて再び天領とした。幕府は財政負担軽減のために仙台盛岡弘前久保田松前の東北の大藩に対して沿岸の警備義務を割り当て、会津庄内の2藩もそれに続いた。[注釈 2]

明治2年(1869年)、東蝦夷地には、以下の令制国が置かれた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 文化6年(1809年)以降、樺太は、西蝦夷地から分けて北蝦夷地と称するようになった。
  2. ^ 日露和親条約による箱館開港後は再び蝦夷地は幕府領となった(第2次幕領期)[3]
  3. ^ 山越郡のみは和人地であった。

出典

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参考文献

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  • 桑原正人「蝦夷地の幕末・維新」『日本の近世18 近代国家への志向』中央公論社、1994年5月。ISBN 4-12-403038-X 
  • 田端宏「4章 クナシリ・メナシの戦いと蝦夷地幕領化」『北海道の歴史』山川出版社〈新版県史シリーズ1〉、2000年9月。ISBN 978-4-634-32011-6 

関連項目

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