コンテンツにスキップ

末松則子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
末松 則子
すえまつ のりこ
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1970-11-14) 1970年11月14日(54歳)
出身校 名古屋造形芸術短期大学
前職 三重県議会議員
所属政党無所属→)
自由民主党→)
無所属
親族 父・末松充生(三重県議会議員)
公式サイト 笑顔あふれる 鈴鹿のみらい 末松のりこ

当選回数 3回
在任期間 2011年5月1日 - 現職

選挙区 鈴鹿市選挙区
当選回数 2回
在任期間 2003年4月 - 2011年
テンプレートを表示

末松 則子(すえまつ のりこ、1970年昭和45年〉11月14日[1] - )は、日本政治家三重県鈴鹿市(3期)。元三重県議会議員(2期)。

父親は三重県議会第90代議長をつとめた末松充生[2]

来歴

[編集]

本籍地は三重県鈴鹿市。鈴鹿市立神戸小学校、鈴鹿市立神戸中学校三重県立神戸高等学校名古屋造形芸術短期大学卒業。1991年4月、造園会社に就職[3]

2003年4月13日執行の三重県議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。2007年4月の県議選においては、自由民主党公認で出馬。2期目の当選を果たす。

2011年4月24日執行の鈴鹿市選挙に無所属で出馬する。同じく無所属新人の明石孝利、杉本信之らの候補者を接戦の末破り初当選を果たした(末松:34,889票、明石:31,394票、杉本:20,750票)[4]。同年5月1日、鈴鹿市長に就任。

2013年5月、内閣府男女共同参画会議監視専門調査会専門委員に就任[3]

2015年、杉本信之を大差で破り再選。2019年、無投票により3選[5]

政策・人物

[編集]
  • 県議会議長も務めた父親の末松充生は1999年、鈴鹿市長選挙に挑んだが、現職の加藤栄との一騎打ちに敗れ落選。政界引退に追い込まれた[2][6]
  • 小学3年生と保育園児を育てていた32歳のときに県議選に出馬し、初当選した。シングルマザーであることを公表している。県議時代は宴席で体を触られたり、お酌をされたりするのは日常茶飯事だったという。2011年に市長選挙に出馬し初当選。中部地方初の女性市長となった[7][8]
  • 2015年5月、市立中学校の完全給食を実現した[8][9]

脚注

[編集]
  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、260頁。
  2. ^ a b 佐野登 (2011年4月25日). “三重・鈴鹿市長に末松氏当選 東海3県で初の女性市長”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/senkyo/local2011/news/NGY201104240016.html 2013年4月23日閲覧。 
  3. ^ a b 市長のページ/プロフィール鈴鹿市役所
  4. ^ 鈴鹿市の歴史第7代市長に末松則子氏が当選
  5. ^ “東海でも無投票が相次ぐ 津市長・鈴鹿市長・みよし市議”. 朝日新聞. (2019年4月14日). https://www.asahi.com/articles/ASM4G455CM4GONFB00J.html 2019年4月15日閲覧。 
  6. ^ 鈴鹿市長選挙 - 1999年04月25日投票”. 選挙ドットコム. 2021年3月12日閲覧。
  7. ^ 小川尭洋 (2017年3月31日). “シングルマザーの市長、部長会議で思い知った壁”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/articles/ASK3W6HTGK3WONFB010.html 2021年3月12日閲覧。 
  8. ^ a b 今村節 (2021年3月8日). “女性首長1・2%の現実 中部6県わずか3人”. 中日新聞. https://www.chunichi.co.jp/article/214200 2021年3月12日閲覧。 
  9. ^ 『鈴鹿市教育委員会だより 遥か』第120号” (PDF). 鈴鹿市教育委員会 (2015年6月5日). 2021年3月12日閲覧。[リンク切れ]

外部リンク

[編集]
公職
先代
川岸光男
鈴鹿市旗三重県鈴鹿市長
2011年 -
次代
現職