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徳川綱誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
徳川 綱誠
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 慶安5年8月2日1652年9��4日
死没 元禄12年6月5日1699年7月1日
改名 五郎太(幼名)→綱義(初名)→綱誠
別名 字:子明
諡号 誠公
戒名 泰心院正譽徴應
墓所 尾張国建中寺
官位 従四位下右兵衛督従三位中将参議権中納言
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
尾張藩藩主
氏族 尾張徳川家
父母 父:徳川光友、母:霊仙院徳川家光長女)
兄弟 綱誠松平義行松平義昌、松平康永、馨香院松平友重松平友著ら11男6女
正室:新君(瑩珠院)広幡忠幸娘)
側室:13人
吉通継友松平義孝松平通温宗春、喜知姫、松姫ら22男18女
養子:馨香院
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徳川 綱誠(とくがわ つなのぶ[1]/つななり[2])は、江戸時代前期の大名尾張藩3代藩主。はじめ綱義といった[1]は子明[1]

新陰流第7世。昭和天皇は雲孫にあたる[3]

生涯

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慶安5年(1652年8月2日、2代藩主・徳川光義(のち光友)の次男[注 1]として市ヶ谷邸で誕生した。母は徳川家光の長女・霊仙院(千代姫)[1]幼名は五郎太[1]

明暦3年(1657年)4月、元服し、従四位下右兵衛督に叙任された[1]。叔父の4代将軍・徳川家綱と父・光義(光友の前名)より1字ずつ授かり綱義に改名する。義の文字は、源氏の祖八幡太郎源義家にちなむ名であり、尾張徳川家御連枝の四谷松平家(高須藩)・大久保松平家(梁川藩)の通名でもある。五代将軍に綱吉が就任したことにより、同音を避けるために綱誠に改名する。

寛文3年(1663年)12月、従三位中将に叙任[1]

寛文7年(1667年)9月、新君と結婚する[1]

延宝8年(1680年)、名を綱誠と改める[1]

元禄4年(1691年)3月、参議となる[1]

元禄6年(1693年)4月、父・光友の跡を継いだ[1]。同年、権中納言となる[1]

綱誠の治世は父の陰に隠れ、あまり目立たない。幼少より血統の良さと英明の評判が高く、文教に力を注いだのが知られる。藩領の地誌である『尾張風土記』の編纂を元禄8年(1698年)に命じたが、綱誠の病没により未完成のまま草稿が残り、後の宝暦2年(1752年)に完成する『張州府誌』の母体となった。

元禄12年6月5日1699年7月1日)、江戸市ヶ谷邸で死去した[1]。享年48[1]草苺を食し食あたりしたのが死因と言われている。綱誠は生前より大食漢、食道楽として知られていた。

尾張国建中寺に葬られ、誠公とされた[1]法名は泰心院正譽徴應[1]

十男・吉通が跡を継いだ[1]

官職および位階等の履歴

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※日付=旧暦

  • 明暦3年(1657年)4月5日、元服。将軍・徳川家綱偏諱を授かり綱義と名乗る。同日、従四位下に叙し、右兵衛督に任官。苗字を(徳川家の祖先とされる)世良田と称する。
  • 寛文3年(1663年)12月27日、従三位右近衛権中将に昇任
  • 延宝8年(1680年)7月1日、名を綱誠と改める(叔父である徳川綱吉が将軍位に就位し、同音の名を改称)。『尾藩世記』四に「誠」の文字に対して「ノブ」とフリガナが打たれている。
  • 元禄4年(1691年)3月26日、参議に補任。
  • 元禄6年(1693年
    • 4月27日、尾張国名古屋藩主となる。
    • 12月1日、正三位に昇叙し、権中納言に転任。
  • 元禄12年(1699年)6月5日、薨去。贈従二位権大納言。墓所は名古屋市筒井の徳興山建中寺

系譜

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正室との間に子はできず、13名の側室との間に40人の子女(22男18女)を儲けるも、その大半は夭折した。子に徳川吉通(十男)、徳川継友(十一男)、松平義孝(十五男)、松平通温(十八男、喜之進・安房守)、徳川宗春(十九男)、松姫(十七女、前田吉徳正室)、喜知姫(叔父・徳川綱吉養女)らがいる[注 2]

  • 父:徳川光友
  • 母:千代姫(霊仙院
  • 正室:新君(瑩珠院、父:広幡忠幸
  • 側室:礼与(日下氏)
    • 長男:五郎八(1676年 - 1678年)(3)
  • 側室:佐野
  • 側室:下総(河野氏)
    • 長女:悦姫(1679年 - 1681年)(3)
  • 側室:梅小路(梅昌院、酒井氏)
    • 三男:鶴丸(1680年)(1)
    • 四男:松之助(1682年 - 1683年)(2)
    • 五女:菊姫(1684年 - 1685年)(2)
    • 六男:喜太郎(1686年 - 1687年)(2)
    • 十一女:綾姫(1692年 - 1694年)(3)
    • 十四男:某(秋光院、1693年)(1)
    • 十三女:政姫(1695年)(1)
  • 側室:段(遠寿院、浅岡氏)
    • 次女:初姫(1683年)(1)
  • 側室:津解
    • 三女:八代姫(1684年)(1)
  • 側室:佐子
    • 四女:清姫(1684年)(1)
  • 側室:難波(蓮乗院)
    • 六女:春姫(1685年 - 1686年)(2)
    • 八男:内膳(1688年 - 1691年)(3)
    • 九女:光姫(1690年 - 1691年)(2)
  • 側室:和泉(泉光院、林氏)
    • 七男:亀太郎(1687年 - 1692年)(6)
    • 九男:常三郎(1688年 - 1691年)(4)
    • 十二男:徳川継友(1692年 - 1730年)(39)
  • 側室:下総(お福、本寿院、坂崎氏)
    • 七女:蔦姫(1688年)(1)
    • 十男:徳川吉通(1689年 - 1713年)(25)
    • 十女:立姫(1691年 - 1696年)(6)
    • 十六男:岩之丞(1694年 - 1705年)(12)
  • 側室:阿古(清遊院、鈴木氏)
    • 八女:猶姫(1688年 - 1689年)(2)
    • 十一男:晴之丞(1690年)(1)
    • 十三男:石松(1692年 - 1694年)(3)
  • 側室:万(心常院)
    • 十二女:伊羅姫(1692年 - 1694年)(3)
  • 側室:梅津(宣揚院、三浦氏)
    • 十五男:城次郎(1694年 - 1697年)(4)
    • 二十男:徳川宗春(1696年 - 1764年)(69)
    • 十五女:某(晴竜院、1698年)(1)
  • 側室:唐橋(卓然院、里見氏)
  • 側室:菊山(蓮養院、松永氏)
    • 十八男:繁之丞(1695年 - 1696年)(2)
  • 側室:倉橋(利清院、上村氏)
    • 二十一男:千之丞(1696年 - 1697年)(2)
    • 十六女:福姫(1698年 - 1700年)(3)
    • 十七女:松姫(光現院、徳川綱吉養女、前田吉徳室、1699年 - 1720年)(22)
  • 側室:新大夫(西生院、中東氏)
  • 養子

演じた俳優

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脚注

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注釈

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  1. ^ 正室の子であるため長男とされた
  2. ^ 子女の出生順や数は系図によって多少異なる。胎死や流産で名前が付けられる前に死んだ子供がいるからである。

出典

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参考文献

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外部リンク

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