後藤基国
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時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 天正7年(1579年)9月12日 |
別名 | 新左衛門 |
主君 | 別所長治 |
氏族 | 後藤氏 |
父母 | 後藤純基 |
兄弟 | 基信、基次、基国 |
妻 | 神吉頼氏女 |
子 | 後藤基次 |
後藤 基国(ごとう もとくに)は、安土桃山時代の武将。通称は新左衛門または又左衛門将監。
前半生については定かではないが、三木城主の別所長治の家臣で家老を務めた。織田信長に叛いた主君を諌めるが聞き入れられず天正7年(1579年)に三木合戦における、大村・平田の合戦に於いて羽柴勢と闘い討死。黒田孝高に仕えて黒田二十四騎にも名を連ねる後藤基次(又兵衛)は息子で三木合戦の際に8歳だった基次は基国の旧友であった黒田孝高に預けられ養育され、長じて文武に長けた人物に育った[1]。
脚注
[編集]- ^ 兵庫県郷土人物誌 第1輯一一九-一二〇頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 『兵庫県郷土人物誌 第1輯』神戸 兵庫県厚生文化事業協会、1942年。