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後藤基国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
後藤 基国
時代 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 天正7年(1579年)9月12日
別名 新左衛門
主君 別所長治
氏族 後藤氏
父母 後藤純基
兄弟 基信基次基国
神吉頼氏
後藤基次
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後藤 基国(ごとう もとくに)は、安土桃山時代の武将。通称は新左衛門または又左衛門将監。

前半生については定かではないが、三木城主の別所長治の家臣で家老を務めた。織田信長に叛いた主君を諌めるが聞き入れられず天正7年(1579年)に三木合戦における、大村・平田の合戦に於いて羽柴勢と闘い討死。黒田孝高に仕えて黒田二十四騎にも名を連ねる後藤基次(又兵衛)は息子で三木合戦の際に8歳だった基次は基国の旧友であった黒田孝高に預けられ養育され、長じて文武に長けた人物に育った[1]

脚注

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  1. ^ 兵庫県郷土人物誌 第1輯一一九-一二〇頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 『兵庫県郷土人物誌 第1輯』神戸 兵庫県厚生文化事業協会、1942年。