山崎四男六
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山崎 四男六(やまさき しおろく、慶応4年9月14日[1](1868年10月19日) - 昭和3年(1928年)8月31日[2])は、日本の大蔵官僚、宮内官僚。錦鶏間祗候[2]。
経歴
[編集]肥前国(佐賀県)に石井直信の四男として生まれ、山崎峯次郎の養子となった[3]。1895年(明治29年)、東京帝国大学法科大学を卒業して大蔵属となり、同年に高等文官試験に合格した[1]。大蔵省司税官、同主計官、税関事務官、大蔵書記官、大蔵大臣秘書官、大蔵省参事官、横浜税関長、大蔵省国債局長、同理財局長を歴任した[3]。1914年(大正3年)、宮内省に転じ、内蔵頭に任じられた[3]。その他、朝香宮宮務監督[3]や帝室林野局長官を務めた。退官後は日本銀行監事に就任した。
1928年8月31日薨去。享年61歳。墓所は千駄ヶ谷の仙寿院。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
公職 | ||
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先代 吉田醇一 |
内蔵頭 1914年 - 1924年 |
次代 関屋貞三郎 内蔵頭事務取扱 |
先代 南部光臣 長官 |
帝室林野管理局長官事務取扱 1920年 - 1922年 |
次代 本田幸介 長官 |