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寺下岩蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
寺下岩蔵
てらした いわぞう
生年月日 1906年3月15日
出生地 日本の旗 青森県
没年月日 (1980-04-19) 1980年4月19日(74歳没)
死没地 日本の旗 東京都港区 東京慈恵会医科大学附属病院
所属政党 自由民主党
称号 正五位
勲三等旭日中綬章
紺綬褒章

選挙区 青森県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1973年6月17日 - 1980年4月19日

当選回数 5回

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寺下 岩蔵(寺下 岩藏[1]、てらした いわぞう、1906年明治39年)3月15日[2] - 1980年昭和55年)4月19日[2])は、日本政治家参議院議員(2期、自由民主党)。

経歴

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現在の青森県八戸市出身。八戸尋常小学校(現在の八戸市立八戸小学校)卒[3][注釈 1]。卒業後は左官屋の手伝い、土木労務者、とび職など職業を転々とした後、寺下組を創設し[3]、のち寺下建設工業に改称した[4]。八戸市議、青森県議を5期務め、県議会議長となる[4]1962年7月、日本赤十字社青森県支部事業資金として10万円を寄付により1963年2月27日紺綬褒章受章(飾版)[5]1971年7月、八戸市緑化推進事業費として100万円寄付により同年12月18日に紺綬褒章受章(飾版)[1]。またこの他にもう一つ、紺綬褒章受章[6]1973年津島文治死去に伴う参議院青森補選において自民党公認で立候補して当選[7]。2期務める。1977年の参院選で再選[7]。2期目途中の1980年4月19日、急性心筋梗塞のため東京都港区東京慈恵会医科大学附属病院で死去、74歳[6]。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される[8]

三木内閣北海道開発政務次官のほか、東北電力監査役、自民党青森県連幹事長、同副会長、青森県建設業協会顧問、青森県体育協会理事、青森県アマチュアボクシング連盟会長なども歴任した[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『青森県議会史 自昭和二十一年至昭和二十七年』998頁には「吹上小」とあるが、吹上小の開校は寺下の卒業後。

出典

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  1. ^ a b 『官報』第13503号17-19頁 昭和46年12月23日号
  2. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、828頁。
  3. ^ a b 『青森県人名事典』448頁。
  4. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』361頁。
  5. ^ 『官報』第10859号15-16頁 昭和38年3月1日号
  6. ^ a b 第91回国会 参議院 本会議 第12号 昭和55年5月9日
  7. ^ a b 『朝日選挙大観』570頁。
  8. ^ 『官報』第15979号9-10頁 昭和55年4月26日号

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
  • 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。