員林市
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別称: 林仔街 | |
[[ファイル: | |
地理 | |
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位置 |
北緯23°57"43' 東経120°32"52' |
面積: | 40.0380 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 員林 |
日本語読み: | いんりん |
拼音: | Yuánlín |
���音符号: | ㄩㄢˊㄌ一ㄣˊ |
片仮名転写: | ユエンリン |
台湾語: | Uân-lîm |
客家語: | Yèn-lìm |
行政 | |
行政区分: | 県轄市 |
上位行政区画: | 彰化県 |
下位行政区画: | 41里806鄰 |
員林市長: | 游振雄 2018年12月25日– |
公式サイト: | [公式ウェブサイト 員林市公所] |
情報 | |
総人口: | 124,928 人(2016年1月[1]) |
世帯数: | 38,707 戸(2016年1月[1]) |
郵便番号: | 510 |
市外局番: | 04 |
員林市の木: | - |
員林市の花: | - |
員林市の鳥: | - |
員林市(ユエンリン/いんりん-し、台湾語:Oân-lîm-chhī)は台湾中部の市。彰化県の県轄市で、旧称は「員林鎮」。周囲の芬園郷、大村郷、埔心郷、永靖郷、社頭郷、南投県南投市と接する。
地理
員林市は彰化平原の東部に位置し、南投県との県境にある八卦台地を除き平原により構成されている。平均海抜は25mである。気候は亜熱帯気候区に属し、年間平均気温は23℃である。
歴史
員林地区の開発は清代の康熙中期に遡ることができる。1683年(康熙22年)、水師提督施琅,陸軍提督万正が台湾を攻撃、鄭氏政権を降伏させると、員林は福建省分巡台廈道臺湾府諸羅県に帰属した。康熙年間には施世榜により厝圳が、黄仕郷で十五庄圳が整備されると、福建省漳州府平和県の曹阿慈、広東嘉應州鎮平県の詹志道、劉延魁、呉三霖、広東潮州府饒平県の黄可九、黄実賢、盧剛直、張應和、張文敞、張剛直、広東恵州府陸豊県の梁文開、梁文挙兄弟などがこの地の開拓に携わった。
1740年(乾隆5年)、燕霧保が設けられ垓台、秀水、佳錫、員林仔、鎮平、内湾、白沙坑の7庄を管轄するようになる。燕霧保の街区が員林仔街である。
下関条約により日本による統治が開始された台湾では行政区の改編が続き、1920年には台中州員林郡員林街と改編された。戦後は台中県員林区員林鎮となり、1950年に彰化縣員林鎮と改称され現在に至っている。2015年8月8日に県轄市に昇格。
経済
行政区
地区 | 里 |
---|---|
東 | 大峯里、湖水里、出水里、東北里、中東里、南東里、振興里、鎮興里、林厝里、西東里、浮圳里、崙雅里 |
南 | 中央里、溝皀里、大明里、大饒里、万年里、恵来里、民生里、東和里、黎明里 |
西 | 大埔里、源潭里、南興里、新生里、南平里、三義里 |
北 | 三橋里、三愛里、三和里、三条里、和平里、中山里、光明里、忠孝里、仁愛里、中正里、新興里、仁美里、三信里、三多里 |
歴代市長
代 | 氏名 | 任期 |
---|
教育
科技学院
高級中学
高級職校
国民中学
- 彰化県立員林国民中学
- 彰化県立大同国民中学
- 彰化県立明倫国民中学
国民小学
交通
種別 | 路線名称 | その他 |
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鉄道 | 縦貫線 | 員林駅 |
高速道路 | 中山高速道路 | 員林IC |
省道 | 台1線 | |
省道 | 台76線 | 東西向快速公路 漢宝草屯線 |
観光
歴史的建造物
脚注
参考文献
- 稲宮康人、中島三千男「員林神社 台湾・彰化県員林市」『「神国」の残影 : 海外神社跡地写真記録』国書刊行会〈非文字資料研究叢書 ; 2〉、2019年、15頁。
関連項目
同名の地名(台湾)