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司馬欣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

司馬 欣(しば きん、? - 紀元前203年)は、の将軍で官職は長史。そのために長史欣とも呼ばれた。三秦の一人。

生涯

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かつて、部下で獄掾の曹咎(後の楚将)の進言で、犯罪を犯した項羽の叔父である項梁を匿ったことがあった。

紀元前209年趙高の命で章邯の副将として従軍し、陳勝・呉広の乱平定などに功があったが、後に章邯の命で趙高に援軍要請のために都の咸陽に向かった。だが、そこで旧部下から趙高が自分達を処刑すると言われたため、慌てて裏街道から逃げ出した。やがて章邯に対して項羽に帰順すべく説いて項羽に降伏し、塞王に封じられた。

紀元前206年劉邦によって上将軍に任命された韓信に攻められ翟王董翳と共にに降る。だが、翌紀元前205年睢水の戦いで董翳と共に再び楚に降った。

紀元前203年大司馬曹咎と共に成皋を守った。しかし劉邦の軍に敗れ、曹咎・董翳[1] とともに汜水の辺りで自殺し果てた。

脚注

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  1. ^ 『史記』項羽本紀に、高祖4年(紀元前203年)冬に成皋を守備し、劉邦に敗れて自殺した人物に大司馬曹咎・司馬欣、そして「長史翳」という名が見える。これが董翳自身なのかは真偽の程は不明である。