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井伊直咸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
井伊 直咸
時代 江戸時代末期から明治時代
生誕 嘉永2年9月4日1849年10月19日
死没 明治20年(1887年12月19日[1]
改名 智麻呂・智之助・智二郎
氏族 井伊氏
父母 父:井伊直弼、母:里和(西村本慶の娘)
兄弟 娘(長女)、某(長男)、弥千代松平頼聰室、次女)、直憲(次男)、直咸(三男)、直安(四男)、娘(三女)、某(五男)、真千代(青山幸宜室、四女)、娘(五女)、美千代(六女)、娘(七女)、某(六男)、直達(七男)
賢子(毛利高範夫人)、繁(戸田忠雄夫人)
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井伊 直咸(いい なおとも)は、幕末大老彦根藩主の井伊直弼の三男。最後の藩主井伊直憲の同母弟。近衛文麿の妻・近衛千代子の外祖父。

明治時代士族に列し、智二郎と名乗り滋賀県で過ごしたという。墓所は井伊本家と同じ世田谷豪徳寺で、同じ墓域にある。

2代目は誠造で、1908年(明治41年)5月9日死去。

脚注

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』

参考文献

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