井伊直咸
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時代 | 江戸時代末期から明治時代 |
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生誕 | 嘉永2年9月4日(1849年10月19日) |
死没 | 明治20年(1887年)12月19日[1] |
改名 | 智麻呂・智之助・智二郎 |
氏族 | 井伊氏 |
父母 | 父:井伊直弼、母:里和(西村本慶の娘) |
兄弟 | 娘(長女)、某(長男)、弥千代(松平頼聰室、次女)、直憲(次男)、直咸(三男)、直安(四男)、娘(三女)、某(五男)、真千代(青山幸宜室、四女)、娘(五女)、美千代(六女)、娘(七女)、某(六男)、直達(七男) |
子 | 賢子(毛利高範夫人)、繁(戸田忠雄夫人) |
井伊 直咸(いい なおとも)は、幕末の大老で彦根藩主の井伊直弼の三男。最後の藩主井伊直憲の同母弟。近衛文麿の妻・近衛千代子の外祖父。
明治時代は士族に列し、智二郎と名乗り滋賀県で過ごしたという。墓所は井伊本家と同じ世田谷豪徳寺で、同じ墓域にある。
2代目は誠造で、1908年(明治41年)5月9日死去。
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』