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三田俊次郎

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三田 俊次郎(みた しゅんじろう、1863年4月20日文久3年3月3日) - 1942年昭和17年)9月13日)は、岩手県南岩手郡加賀野村磧町(現盛岡市加賀野)出身の医師教育者政治家である[1]

年譜

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  • 1863年(文久3年) - 盛岡藩士の三田義魏とキヨの次男として誕生。
  • 1880年明治13年) - 県立岩手医学校[2]へ入学。
  • 1882年(明治15年) - 三浦自祐県の私塾廻生堂に入門。
  • 1885年(明治18年) - 県立甲種医学校卒業。県立甲種医学校助手任用。
  • 1886年(明治19年) - 県立甲種医学校三等助教諭任用。医術開業免許状取得。
  • 1891年(明治24年) - 東京帝国大学医学部選科で眼科学を専攻。
  • 1891年(明治24年)4月 - 同科を修了。盛岡で三田眼科医院開業。
  • 1897年(明治30年) - 元県立岩手病院の建物を借り受け、私立岩手病院を開業して院主。産婆看護婦養成所と医学講習所を併設。
  • 1901年(明治34年) - 私立岩手医学校[3]と産婆学校設立。

業績

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評伝

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  • 『明治=岩手の医事維新 医師・三田俊次郎の挑戦』(大空社出版)三田弥生著 ISBN 978-4908926549

参考文献

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  • 『岩手医科大学 創立120周年記念誌』(岩手医科大学、2017年(平成29年)4月20日)

脚注

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  1. ^ 平林香織, 芳賀真理子, 渡邊剛「岩手医科大学の軌跡(1):草創期をふりかえる」『岩手医科大学教養教育研究年報』第50巻、岩手医科大学教養教育センター、2015年12月、101-124頁、ISSN 2188-7780CRID 1050001338858647424 
  2. ^ のち県立甲種医学校へ改称
  3. ^ 1912年(明治45年)廃校
  4. ^ 現在は一般財団法人岩手済生医会
  5. ^ 埋もれかけた文書の山 - 岩手医大創設者・三田俊次郎の足跡

外部リンク

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