ロビーニョ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
ロブソン・デ・ソウザ Robson de Souza | |||||
愛称 | ドリブルキング、フェイント百科辞典 | |||||
ラテン文字 | Robinho | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ブラジル スペイン | |||||
生年月日 | 1984年1月25日(40歳) | |||||
出身地 | サン・ヴィセンテ | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 60kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (ST, WG) / MF (OMF, SMF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1996-2002 | サントス | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2005 | サントス | 110 | (47) | |||
2005-2008 | レアル・マドリード | 101 | (25) | |||
2008-2010 | マンチェスター・シティ | 41 | (14) | |||
2010 | → サントス (loan) | 2 | (0) | |||
2010-2015 | ミラン | 108 | (25) | |||
2014-2015 | → サントス (loan) | 20 | (6) | |||
2015 | 広州恒大 | 9 | (3) | |||
2016-2017 | アトレチコ・ミネイロ | 60 | (19) | |||
2018 | スィヴァススポル | 30 | (12) | |||
2019-2020 | イスタンブール・バシャクシェヒルFK | 32 | (4) | |||
2020 | サントス | 0 | (0) | |||
通算 | 512 | (155) | ||||
代表歴2 | ||||||
2004 | ブラジル U-23 | 8 | (3) | |||
2003-2017[1] | ブラジル | 100 | (28) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 2. 2017年1月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ロビーニョ(Robinho)ことロブソン・デ・ソウザ(Robson de Souza, 1984年1月25日 - )は、ブラジル・サンパウロ州サン・ヴィセンテ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。元ブラジル代表。
世界最高クラスのドリブルの名手であり、高い得点力とともに、シザーズなどのフェイントを得意とし[2]、「ドリブル・キング」[3]の異名を持つ。ロビーニョとは「小さなロブソン」と言う意味である。
経歴
[編集]クラブ
[編集]2002年、サントスFCに入団。若手のサッカー選手の宝庫と呼ばれるブラジル国内で実力を発揮し、数々のユース世代の世界大会で注目を集めるようになる。
2005年のFIFAコンフェデレーションズカップ大会終了後、レアル・マドリードが本格的に獲得に動くが、クラブ間の交渉や移籍金を目当てとした実母の誘拐などで頓挫。2005-06シーズンから移籍金2400万ユーロで移籍し、正式に加入する[4]。背番号はフィーゴが着けていた10番ということもあり、期待が窺われた。クラブでは、フォワードよりもサイドハーフの位置で起用された。
2007-08シーズンはラウル、ファン・ニステルローイとともに3トップを形成しチームのリーガ2連覇に貢献。しかし、シーズンオフにはクラブが自身をクリスティアーノ・ロナウド獲得のための代替要員として扱ったことに激怒。結局、ロナウドの獲得は叶わなかったためクラブは彼を慰留するも、チェルシーが獲得に名乗りを挙げ、2008-09シーズンのリーグ開幕戦当日にチェルシーへの移籍願望を表明する記者会見を開くなど大きな問題となった。その後もシュスター監督をはじめチームは彼を説得するも、本人の意思は強く、最終的にマーケット締め切り日の9月1日に移籍金4200万ユーロでマンチェスター・シティに移籍することが発表された。
マンチェスター・シティでは攻撃の中心として活躍し、プレミアリーグ4位タイの14ゴールを挙げたが、2009年1月19日にスペイン・テネリフェで行われたクラブの合宿を無断離脱し、ブラジルへ一時帰国[5]。同年1月27日、14日��リーズのナイトクラブでの強姦の容疑で一時拘束される[6] など素行に問題があり、マーク・ヒューズ監督とは衝突していた。また、チーム自体もプレミアリーグ10位に終わった。
2009-10シーズンは本調子からは遠く、出場機会が減少。1月には古巣のサントスFCへレンタル移籍した[7]。
2010-11シーズンからセリエA・ACミランに移籍金1800万ユーロ、4年契約で移籍。9月11日のACチェゼーナ戦でミランでのデビューを飾り、10月6日のACキエーヴォ・ヴェローナ戦で移籍後初ゴールを挙げた。その後イブラヒモビッチ、アレシャンドレ・パト、途中加入のカッサーノらと共に、得点を量産。チームトップタイとなる14得点で、スクデット獲得に貢献した。
2011-12シーズンと2012-13シーズンは、ケガなどで出場機会は少なく、目立った活躍もできなかった。
2013-14シーズンは、他のFWの活躍などで、出場機会に恵まれない状態が続いた。夏ごろに古巣のサントスFCへの移籍交渉が話題になったが、結果的には年俸の折り合いが付かずに破談となった。クラブは移籍でなければ残留との方針を示していたが、移籍の破談を受けて、2013年7月には2016年6月までの契約延長した[8]。
2014年8月7日、古巣サントスFCにレンタル移籍で復帰した[9]。
2015年5月13日、ミランとの契約を解除した[10][11]。
2015年7月16日、中国・スーパーリーグの広州恒大へ加入することを発表した[12][13]。ミランとの契約が切れていたため、移籍金はかからなかった。契約期間は6ヶ月で、背番号は60番を着用予定だったが56番になった。AFCチャンピオンズリーグ2015は契約により登録外となった。2015年12月13日に行われたFIFAクラブワールドカップ2015のクラブ・アメリカ戦に先発出場した。広州恒大ではリーグ戦で9試合出場3得点、FIFAクラブワールドカップ2015で1試合の出場を記録した。その後契約を延長することはなく、2015シーズンをもって契約満了となった。
2016年2月11日、アトレチコ・ミネイロへの加入をクラブ公式HPで発表した[14]。契約期間は2年間とのこと。サントス以外のブラジル国内クラブに在籍するのはキャリア初。サントスでデビューしたロビーニョは、欧州挑戦後にもサントスへのレンタル移籍を2度経験、大手メディア『ESPN』はサントスが再獲得に乗り出していると報じていたが[15]、3度目の復帰は叶わなかった。
2017年11月23日、イタリアの裁判所は、2013年、ロビーニョが他のブラジル人5人とともに、アルバニア人女性に性的暴行を加えた罪で懲役9年の判決を下した[16][17][18]。ロビーニョは裁判所に出廷しなかったものの、弁護士を通じて無罪を主張し、2022年まで続くことになる[19]。
2018年1月23日、スィヴァススポルに移籍した[20]。契約期間は1年半。
2018年12月27日、イスタンブール・バシャクシェヒルFKに移籍することが発表された[21]。2020年8月7日、イスタンブール・バシャクシェヒルを退団すると発表された[22]。
2020年10月10日、サントスへの移籍が発表された[23]。契約期間は今季末までの5ヶ月間[24]。当初、金銭面の厳しさを理由にサントス側は断ったが、ロビーニョ側が「月10レアル(190円)でも構わない」と言ったため、交渉を再開し、最終的に月1500レアル(2万8500円)の契約を結んだ[24]。しかし前述の暴行容疑で裁判中のロビーニョの加入を主に女性サポーターやスポンサーが問題視していると報じられ、10月16日になるとサントスは、ロビーニョが暴行容疑の弁護に専念できるように、契約を双方合意の上一時停止すると表明した[19][25]。その後は、自宅に引きこもって一切の取材を拒否していたが、2022年7月に取材を申し込んだブラジルのニュースサイト運営会社「ウニヴェルソ・オンライン」に対して、現役引退したことから取材には応じないとの声明を出した。
2022年1月、イタリアのローマ最高裁判所はロビーニョの上告を棄却、2017年の判決が確定した。しかしロビーニョ自身は母国ブラジルにおり、ブラジルは憲法で自国民の犯罪人引渡しを禁じていることから、2022年2月にイタリア司法当局は国際逮捕状を請求、ブラジル側に身柄の引き渡しを要請するも11月にブラジル政府は拒否した。2023年2月、イタリア司法当局は引き渡し要請を断念してイタリアで確定した9年の実刑判決をブラジル国内での執行を要請、2024年3月にブラジル高等裁判所もイタリアの判決を国内で執行することに問題はないとの判断を示したことから、ロビーニョは同月中に収監された[26][27]。
代表経歴
[編集]2003年、ブラジル代表に招集され、同年7月13日に行われた2003 CONCACAFゴールドカップのメキシコ代表戦でデビュー[1]。
2005年、FIFAコンフェデレーションズカップ2005では全5試合に出場し、グループリーグのギリシャ代表戦と日本代表戦で1得点ずつ、合計2得点をあげてチームの優勝に貢献した[1]。2006年、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップの代表にも選出され、4試合に出場したが無得点に終わり、チームも準々決勝のフランス代表戦で敗れた[1]。
2010 FIFAワールドカップでは決勝トーナメント1回戦のチリ代表戦で自身W杯初得点を挙げ、勝利に貢献。この試合のマンオブザマッチに選出された[28]。続く準々決勝のオランダ戦でも先制点を挙げたが、チームは逆転負けし敗退した。
エピソード
[編集]この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- ゴールを決めると指をくわえるパフォーマンスを行う。
- デビュー当初は「夢はバルセロナに移籍しロマーリオからロナウド、リバウド、ロナウジーニョと続くRの系譜を受け継ぎたい」と語っている。
- Jリーグ・川崎フロンターレに所属していたレナチーニョとガンバ大阪に所属していたパウリーニョとは仲がいい。
- サントス所属時代、若いチームメイトの間でカードゲームが爆発的に流行ってしまい、練習が散漫になったため、カードゲームが禁止されたことがある。その中には、ロビーニョの他にも、ジエゴがいた。
- 2011年2月10日のフランスとの親善試合で初めてブラジル代表のキャプテンとしてプレーしたが、活躍することはできず後半に交代した。
- 妻のヴィヴィアン・ググリエルメッティとは2009年に結婚。後に三男を儲けている。
- 長男のロブソン・ジュニオールもプロサッカー選手で、2024年現在、父親の古巣であるサントスのU-17チームに所属している。
個人成績
[編集]クラブ
[編集]クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグ | 大陸別1 | その他2 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
サントス | 2001 | 5 | 1 | – | – | – | – | 5 | 1 | ||||
2002 | 30 | 10 | – | – | – | – | 30 | 10 | |||||
2003 | 32 | 8 | – | – | 20 | 7 | – | 52 | 15 | ||||
2004 | 37 | 21 | – | – | 8 | 4 | 10 | 7 | 55 | 32 | |||
2005 | 11 | 7 | – | – | 9 | 6 | 14 | 11 | 34 | 24 | |||
Total | 116 | 47 | – | – | 37 | 17 | 24 | 18 | 177 | 82 | |||
R・マドリード | 2005–06 | 37 | 8 | 6 | 4 | – | 8 | 0 | – | 51 | 12 | ||
2006–07 | 32 | 6 | 4 | 1 | – | 7 | 1 | – | 43 | 8 | |||
2007–08 | 32 | 11 | 2 | 0 | – | 6 | 4 | 2 | 0 | 42 | 15 | ||
2008–09 | 0 | 0 | 0 | 0 | – | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
Total | 101 | 25 | 12 | 5 | – | 21 | 5 | 3 | 0 | 137 | 35 | ||
マンチェスター・C | 2008–09 | 31 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 0 | 41 | 15 |
2009–10 | 10 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | – | – | 12 | 1 | |||
Total | 41 | 14 | 1 | 1 | 1 | 0 | 10 | 1 | – | 53 | 16 | ||
サントス(loan) | 2010 | 2 | 0 | 8 | 6 | – | 0 | 0 | 12 | 5 | 22 | 11 | |
Total | 2 | 0 | 8 | 6 | – | 0 | 0 | 12 | 5 | 22 | 11 | ||
ミラン | 2010–11 | 34 | 14 | 4 | 1 | – | 7 | 0 | – | 45 | 15 | ||
2011–12 | 28 | 6 | 3 | 1 | – | 8 | 3 | 1 | 0 | 40 | 10 | ||
2012-13 | 23 | 2 | 1 | 0 | – | 3 | 0 | – | 27 | 2 | |||
2013-14 | 23 | 3 | 2 | 1 | – | 7 | 1 | – | 32 | 5 | |||
Total | 108 | 25 | 10 | 3 | – | 25 | 4 | 1 | 0 | 144 | 32 | ||
サントス(loan) | 2014 | 16 | 4 | 5 | 5 | – | 0 | 0 | 0 | 0 | 21 | 9 | |
2015 | 4 | 2 | 3 | 1 | – | 0 | 0 | 13 | 5 | 20 | 8 | ||
Total | 20 | 6 | 8 | 6 | – | 0 | 0 | 13 | 5 | 41 | 17 | ||
広州恒大 | 2015 | 10 | 3 | 0 | 0 | – | 0 | 0 | 1 | 0 | 11 | 3 | |
Total | 10 | 3 | 0 | 0 | – | 0 | 0 | 1 | 0 | 11 | 3 | ||
アトレチコ・ミネイロ | 2016 | 17 | 9 | 1 | 1 | – | 7 | 1 | 10 | 9 | 35 | 20 | |
Total | 17 | 9 | 1 | 1 | – | 7 | 1 | 3 | 9 | 35 | 20 | ||
Career total | 415 | 129 | 38 | 22 | 1 | 0 | 100 | 28 | 67 | 37 | 658 | 221 |
代表
[編集]
ブラジル代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2003 | 5 | 0 |
2004 | 1 | 0 |
2005 | 11 | 5 |
2006 | 10 | 0 |
2007 | 17 | 6 |
2008 | 11 | 5 |
2009 | 12 | 3 |
2010 | 11 | 6 |
2011 | 7 | 1 |
2013 | 2 | 1 |
2014 | 3 | 0 |
2015 | 4 | 1 |
2017 | 1 | 0 |
通算 | 100 | 28 |
代表でのゴール
[編集]# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2005年2月9日 | 銅鑼湾、香港スタジアム | 香港 | 0-6 | 1-7 | 2005ルナー・ニューイヤー・カップ |
2. | 2005年6月5日 | ポルト・アレグレ、エスタジオ・ベイラ=リオ | パラグアイ | 4-1 | 4-1 | 2006 FIFAワールドカップ・南米予選 |
3. | 2005年6月16日 | ライプツィヒ、ツェントラールシュタディオン | ギリシャ | 2-0 | 3-0 | FIFAコンフェデレーションズカップ2005 |
4. | 2005年6月22日 | ケルン、ラインエネルギーシュタディオン | 日本 | 1-0 | 2-2 | |
5. | 2005年6月5日 | ブラジリア、エスタジオ・マネ・ガリンシャ | チリ | 2-0 | 5-0 | 2006 FIFAワールドカップ・南米予選 |
6. | 2007年7月1日 | マトゥリン、エスタディオ・モヌメンタル・デ・マトゥリン | チリ | 1-0 | 3-0 | コパ・アメリカ2007 |
7. | 2-0 | |||||
8. | 3-0 | |||||
9. | 2007年7月4日 | プエルト・ラ・クルス、エスタディオ・オリンピコ・ルイス・ラモス | エクアドル | 1-0 | 1-0 | |
10. | 2007年7月7日 | プエルト・ラ・クルス、エスタディオ・オリンピコ・ルイス・ラモス | チリ | 0-3 | 1-6 | |
11. | 0-4 | |||||
12. | 2008年2月6日 | ダブリン、クローク・パーク | アイルランド | 0-1 | 0-1 | 親善試合 |
13. | 2008年5月31日 | シアトル、センチュリーリンク・フィールド | カナダ | 2-3 | 2-3 | 親善試合 |
14. | 2008年9月7日 | サンティアゴ、エスタディオ・ナシオナル・デ・チリ | チリ | 0-2 | 0-3 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 |
15. | 2008年10月12日 | サン・クリストバル、エスタディオ・ポリデポルティーボ・デ・プエブロ・ヌエボ | ベネズエラ | 0-2 | 0-4 | |
16. | 0-4 | |||||
17. | 2009年2月10日 | ロンドン、エミレーツ・スタジアム | イタリア | 0-2 | 0-2 | 親善試合 |
18. | 2009年6月10日 | レシフェ、エスタディオ・ド・アルーダ | パラグアイ | 1-1 | 2-1 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 |
19. | 2009年6月18日 | プレトリア、ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム | アメリカ合衆国 | 0-2 | 0-3 | FIFAコンフェデレーションズカップ2009 |
20. | 2010年3月2日 | ロンドン、エミレーツ・スタジアム | アイルランド | 0-2 | 0-2 | 親善試合 |
21. | 2010年6月2日 | ハラレ、ナショナル・スポーツ・スタジアム | ジンバブエ | 0-2 | 0-3 | 親善試合 |
22. | 2010年6月7日 | ダルエスサラーム、ベンジャミン・ムカパ・ナショナルスタジアム | タンザニア | 0-1 | 1-5 | 親善試合 |
23. | 0-2 | |||||
24. | 2010年6月28日 | ヨハネスブルク、エリス・パーク・スタジアム | チリ | 3-0 | 3-0 | 2010 FIFAワールドカップ |
25. | 2010年7月2日 | ポート・エリザベス、ネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム | オランダ | 0-1 | 2-1 | |
26. | 2011年8月10日 | シュトゥットガルト、メルセデス・ベンツ・アレーナ | ドイツ | 2-1 | 3-2 | 親善試合 |
27. | 2013年11月19日 | トロント、ロジャーズ・センター | チリ | 2-1 | 2-1 | 親善試合 |
28. | 2015年6月27日 | コンセプシオン、エスタディオ・ムニシパル・デ・コンセプシオン | パラグアイ | 1-0 | 1-1 PK:3-4 |
コパ・アメリカ2015 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- カンピオナート・ブラジレイロ:2回 (2002, 2004)
- リーガ・エスパニョーラ:2回 (2006-07, 2007-08)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:1回 (2008)
- セリエA:1回 (2010-11)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回 (2011)
- 中国サッカー・超級リーグ:1回 (2015)
- カンピオナート・ミネイロ:1回 (2017)
- スュペル・リグ:1回 (2019-20)
代表
[編集]- FIFAコンフェデレーションズカップ:2回 (2005, 2009)
- コパ・アメリカ:1回 (2007)
個人
[編集]- ボーラ・ジ・プラッタ:3回 (2002, 2004, 2016)
- ボーラ・ジ・オーロ:1回 (2004)
- 世界最優秀若手選手賞:1回 (2004-05)
- コパ・アメリカ得点王:1回 (2007)
- コパ・アメリカMVP:1回 (2007)
- プレミオ・クラッキ・ド・ブラジレイロン(FW):1回 (2016)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “Robson de Souza “Robinho” - International Appearances”. rsssf.com. 2016年10月21日閲覧。
- ^ ロビーニョ jiji.com
- ^ “獲得に関心寄せるサントス会長、ロビーニョに借金していた「どう払うか話し合いたい」”. 超ワールドサッカー. 2020年10月29日閲覧。
- ^ “ロビーニョのマドリー入団が決定” (英語). UEFA.com. (2005年7月22日) 2018年4月8日閲覧。
- ^ 時事通信 (2009年1月28日). “ロビーニョを一時拘束=サッカー・ブラジル代表”. 2009年1月28日閲覧。
- ^ “マンチェスター・シティ ロビーニョのサントス期限付き移籍を発表”. www.afpbb.com (2010年1月29日). 2020年1月6日閲覧。
- ^ “サッカー=ロビーニョがACミランと契約延長、16年まで”. REUTERS. (2013年7月19日) 2020年1月7日閲覧。
- ^ “ロビーニョ、サントス復帰が正式発表”. Goal.com (2014年8月8日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月6日閲覧。
- ^ “ロビーニョとの契約解消に合意”. AC Milan. (2015年5月13日). オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ミラン、ロビーニョとの契約解消を発表”. フットボールチャンネル (2015年5月14日). 2020年1月7日閲覧。
- ^ 罗比尼奥正式加盟广州队 広州恒大淘宝足球倶楽部公式サイト 2015年7月16日
- ^ ブラジル代表FWロビーニョが広州恒大へ移籍…ACL準々決勝で柏と対戦 soccerking 2015年7月16日
- ^ ロビーニョ、広州と契約満了で母国復帰…アトレチコ・ミネイロ加入 soccerking 2016年2月12日
- ^ “ロビーニョが3度目のサントス復帰へ…現地報道、会長も言及”. サッカーキング. 2020年10月29日閲覧。
- ^ “13年の性的暴行でロビーニョに懲役9年の判決…インスタで無罪を主張”. ゲキサカ (2017年11月24日). 2020年10月29日閲覧。
- ^ “性犯罪で懲役9年のロビーニョ、「逃げ切り」の可能性もあるのか?”. Qoly (2017年11月25日). 2020年10月29日閲覧。
- ^ “Italian court sentences Robinho to nine years in jail for rape” (英語). The Guardian. (2017年11月23日). ISSN 0261-3077 2020年10月29日閲覧。
- ^ a b “加入1週間で…サントスがロビーニョとの契約停止を発表 過去の暴行容疑でスポンサーから苦情か”. サッカーキング (2020年10月17日). 2020年10月29日閲覧。
- ^ “33歳ロビーニョ、新天地はトルコリーグに決定。これまで5ヶ国でプレー”. フットボールチャンネル. (2018年1月23日) 2018年4月8日閲覧。
- ^ “ロビーニョがバシャクシェヒルへ移籍決定…マンC時代の同僚アデバヨールと再会”. Goal.com (2018年12月28日). 2020年1月6日閲覧。
- ^ “元ブラジル代表FWロビーニョが36歳でフリーに…トルコ・バシャクシェヒルを退団”. Goal.com (2020年8月8日). 2020年8月22日閲覧。
- ^ “元ブラジル代表ロビーニョがサントスと4度目の契約…かつてレアルやマンCでも活躍”. サッカーキング (2020年10月10日). 2020年10月29日閲覧。
- ^ a b “サントス再加入のロビーニョ、給料は“月3万円”。異例の契約の理由は…”. フットボールチャンネル (2020年10月11日). 2020年10月29日閲覧。
- ^ “「自分が邪魔になるなら…」男気復帰はたった6日。サントスが“レイプ疑惑”でロビーニョとの契約を解除!”. www.soccerdigestweb.com (2020年10月17日). 2020年10月29日閲覧。
- ^ “「そっとしておいてくれ」38歳で現役を引退したロビーニョ。 性的暴行で実刑となった“元天才ドリブラー”は、自宅で息を潜め…”. www.soccerdigestweb.com (2022年7月13日). 2024年10月19日閲覧。
- ^ “元セレソンのロビーニョが母国でも9年の実刑判決…2013年にミラノで集団強姦の疑い”. 超WORLDサッカー! (2024年3月21日). 2024年10月19日閲覧。
- ^ FIFAワールドカップ公式サイト ブラジル対チリ
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ロビーニョ - National-Football-Teams.com
- Robinho - Soccerbase
- ロビーニョ – FIFA主催大会成績
- Complete International Record at RSSSF
- Robinho Profile and Stats – Football Database
- Robinho official website – Official Robinho website
- Robinho Stats – Futpédia
- Robinho Profile – sambafoot.com
- Robinho (@Robinho) - X(旧Twitter)
- プロフィール(2015年) - 広州恒大
- ブラジルのサッカー選手
- スペインのサッカー選手
- サッカーブラジル代表選手
- サントスFCの選手
- レアル・マドリードの選手
- マンチェスター・シティFCの選手
- ACミランの選手
- 広州足球倶楽部の選手
- アトレチコ・ミネイロの選手
- スィヴァススポルの選手
- イスタンブール・バシャクシェヒルFKの選手
- 2003 CONCACAFゴールドカップ出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2005出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2009出場選手
- FIFAワールドカップブラジル代表選手
- 2006 FIFAワールドカップ出場選手
- 2010 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAクラブワールドカップ2015出場選手
- コパ・アメリカ2007出場選手
- コパ・アメリカ2011出場選手
- コパ・アメリカ2015出場選手
- FIFAセンチュリークラブ
- アフリカ系ブラジル人のサッカー選手
- ブラジル系スペイン人
- サンパウロ州出身の人物
- 1984年生
- 存命人物